「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第二帖

爪紅

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 「お花の鳳仙花さんにしっかりとお礼を言って取らせて頂くのよ。そうそう、中でも葉っぱは青々として元気なのがいいわ」

 くれないはそう娘に指示をしていた。娘と紅は自邸の庭に出ている。別名『鳳仙花の』と呼んでいる場所だ。文字通りそこは、鳳仙花が沢山植えられている。みずみずしい葉に鮮やかな朱赤が映える。梅雨が明けた今、鳳仙花はまさに見頃を迎えていた。少しだけお休みを頂けたので、この機会に娘に磨爪の基本を徹底的に教え込みたい、そう思っていた。

「大切に育てれば、夏の間数か月に渡って繰り返し繰り返し咲いてくれるから。そうそう、お花の根元から丁寧に摘んでね。葉っぱはこの鋏で。慣れないうちは切りにくいと思うけど、葉っぱは手で無理やりむしっては駄目よ」

 鳳仙花は真剣な面持ちで花を摘み取り、葉に鋏を入れている。そして足元に置いた二つの竹籠の中に、摘み取った花を。もう一つの籠には葉を。そうしてわけて入れていた。これから爪を染める紅い液体を作るのである。

「鳳仙花さん、痛くしてごめんね。大切に使わせて頂くね。有難う」

 新しい鳳仙花に触れる度に、そう言って摘み取る。内心では久々に帰って来た母親に甘えたい気持ちでいっぱいだった。だから、さっさと終わらせて母親に甘えようととても熱心に作業に没頭していた。やっていて楽しいというのも勿論ある。

「このくらいあれば十分真冬も持つでしょう。では作業部屋へ運びましょうね」

 と紅は葉が山積みの竹籠を、鳳仙花は花が山積みの竹籠を持って庭を後にした。 

「紅い色はね、最高の魔除けなのよ。そして華やかさと若々しさ、美しさと豊かさの象徴でもあるの。唇を紅く塗るのも同じ意味よ」

 紅はゆっくりと説明をする。鳳仙花は一生懸命に日記に書き記している。この時代の日記とは一族の家宝、門外不出の一族のやり方などを書き記す重要な資料となるのである。

「こうしてね。摘み取ってきた鳳仙花のお花を細かくするのね」

 紅は小さな竹樽の中に花を入れ、先端が丁寧に丸く削られた木の枝で花を潰していく。

「さ、ちょっとやってみましょう」

 枝を娘に手渡した。鳳仙花は大切なものを受け取るように両手で丁寧に受け取る。そして母親がしていたように花をすり潰して行く。

「こすりつけるようにすると、お花が樽にこびりついて勿体ないから、切るようにして潰すの。あ、そうそう。上手ね」

 鳳仙花真剣そのものだった。母親のような磨爪師になりたいのだ。腕と手首、そして肩がすぐに疲れて痛みを伴う。けれども歯を食いしばって耐えた。花からい紅液体がかなり出て来た頃、次の作業に入る。

「ここにね、このお粉、ミョウバンとお塩を入れるの。このくらいの量かな」

 竹筒に入れられていた粉をサラサラと入れる。 

「そしてよく混ぜ合わせるのよ。そうそう、上手ね」

 しばらくかき混ぜるようにしてすり潰す作業を続ける。

「ミョウバンやお塩の量はどのくらい入れれば良いのですか?」

 鳳仙花は早速疑問の声をあげた。

「それは微妙な量だから、あなたが沢山実践して自分で掴むしか無いわね。この匙加減で保存が効くか色あせてしまうか決まってしまうから。相当練習しないとね。ただ、今の目安は目に焼きつけたでしょ?」

 鳳仙花は大きく頷いた。まずは母親に教えられた通りにやってみるつもりだ。

「次に、葉っぱも同じようにすり潰すの。こっちはお花と違って硬いから、少し時間がかかるわ。そうそう、それで良いのよ」 

 別の竹樽の中に入れた葉をすり潰して行く。疲れてきたので持ち手を変え、左手で切るようにして葉をすり潰す。

 ここは磨爪術の道具作りや爪紅の作り置きの保管場所の専用の部屋として使われ、作業部屋と呼ばれている。

 元は父親が訪ねて来た際、泊りがけで来た時や一人で寛いだり、持ち込んだ仕事をしたりする為の部屋だった。父親が訪ねて来なくなってから、この部屋は作業部屋と呼ばれるようになっていった。

「そしてこのすり潰した葉っぱを、さっき潰したお花と混ぜ合わせて、よく練り合わせるの」

 紅は器用に枝を使ってすり潰した葉を花の方に移し替える。鳳仙花はひたすら無心で練り合わせる作業を行った。枝の先端が、淡い薄紅色うすべにいろから深紅に染まって行く。

「この葉っぱを加える事で、より鮮やかでより美しく、より長持ちするようになるのよ」
「へぇ……なんだか綺麗な赤……」

 鳳仙花は嬉しそうに滲み出て来る液体を見つめた。

(ミョウバンやお塩の量は、花や葉の量に対してこの程度よ、て教えてあげたいけど……。自分の体で覚えてこその感性がものを言うお仕事だから。自分でさせないと)

 紅は決意していた。自分が居なくなった後も娘が一人で生きていけるように。財力のある男に頼らななくても、自分で生活が出来るようにと。

「わぁ……綺麗な赤……」

 やがてほとんど液体となった竹樽の中を、うっとりと見つめる鳳仙花。枝から滴り落ちる紅い雫を嬉しそうに見ている。それは色鮮やかな朱だった。それでいて、艶やかで深みのある紅色を思わせる。何とも不思議な色合いだ。

「ね、綺麗でしょ? お花や葉の量、ミョウバンと塩の量で色が薄くなったり、くすんだりするの。とても繊細なお色なのよ。さ、では爪に塗る方法を教えるわね」
「え? そのまんまお爪に乗せて布で包んで一晩置くのではないの?」

 鳳仙花は驚いた。幼い頃、母親に塗って貰った方法。それがやり方だと思っていたのだ。 


「あれは、あの時はあのやり方だったのですよ」

 紅はよくぞ聞いてくれた、とばかりに笑顔で応える。

「え? やり方が変わっちゃうの?」

 鳳仙花は驚いた。全く未知の感覚だった。

「そう。磨爪師はね、常にどういうやり方をしたら綺麗に、そして確実に、素早く、そして長持ちするか。それをいつも考えて術をこなすのよ。日々、新しいやり方を考えたりして試行錯誤していき、じゅつを開拓して行くものなの。決められたやり方、基本はとても大事なものだけれど、それだとすぐに飽きられてしまうし。少し器用な人なら、真似されてしまって私たちは用済みになってしまうからね」

 紅は真剣に語った。娘の目を見て、懇々と諭すように。万が一、後ろ盾も無く独りで生きるようになった際、生き残るすべを今の内から叩き込んで起きたかった。

 男顔負けで働く女は生意気で鼻持ちならぬ、と男性には敬遠される。財力や出世は女の家柄のお陰にも関わらず。けれども、磨爪術のように女性特有の特殊な仕事や宮仕えの仕事は、密かに一目置かれているのも事実だ。あくまで密かに、ではあるが。その為、紅の母親、そのまた母親……と代々女子にだけ磨爪術が受け継がれてきた。女子が生まれなかった場合は、養女に。そう徹底されて引き継がれて来た。

「どうやって研究するの? もしかして夜遅くまで乳母とか侍従の手を借りて母様が色々していたのって……」
「そう、その通り。だからね、数は少ないけれど他にもいる磨術師とは一味も二味も違うのですよ。あなたに厳しく幅広い知識と教養を身に着けさせるのも、豊富な話題で施術せじゅつ中のお相手様を飽きさせない為もあるのですよ」

 母親の話もまた、難しくて感覚的にしか理解出来ない部分もあったが、忘れないように日記にしたためていた。母親の本気度は痛いほど伝わっていたし、何よりも他の磨爪師と異なるという部分に大いに惹かれ誇らしく思ったのだった。 

「お爪にはね、霊力が宿っていて。誰かに渡してしまうと、自分の魂を譲ってしまう、と言う言い伝えがあるの」
「え? それは嘘だ……」
「シッそれは人前で言ったらダメよ。自分の胸に留めておきなさい」
「はーい……」
「それから、とても仲の良いお友達が出来たとしても、ほとんどの人が信じて疑わない事と異なる事は言ったら駄目よ」
「どうして?」
「もしかしたら、その人が誰かに話してしまうかも知れないでしょ」
「そしたら、その話した人を信用出来ないと思うんじゃない?」
「残念な事に、ほとんどの人はそうは思わないものなのですよ」
「ふーん、変なの……」

 鳳仙花はつまらなそうに日記に書き記している。

(どうも、この子独特の感性の持ち主みたいね。生きて行くのに苦労しそうで心配だわ)

「さて、ではお爪の具体的なお手入れについて教えましょうね」

 紅は気を取り直して話を切り替えた。

「まず、お爪を切る日も卜で決められています。丑の日は手のお爪を。寅の日は足のお爪を。切るのは鋏に近い専用のもので切ります。ですが私たちの一族はこれは使いません。
│磨爪石《まそうせき》という専用の石で研ぐようにお爪を整えます。但し相当訓練しないとガタガタのお爪になってしまいますが。通常の爪切り鋏を使用すると、お爪が割れ易くなってしまう為です」

 鳳仙花は食い入るように聞き入り、真剣に日記に記入している。

「古来……ひいひいお祖母様の代は、刃物でやんごと無き方々のお爪を整えるのは失礼である、という考え方の元、自分の歯でお手入れをされていました」

「えーーーー? 歯で? 今だと逆に失礼なんじゃ……」
「そうです。そのように時代は変わって行くのですよ。だから最新の知識、そしてそれを見極める力が必要なのですよ」

 と紅は強調した。鳳仙花は目を輝かせる。 

「そうそう、今は鳳仙花のお花と葉を混ぜたけど、この葉は鬼灯の葉でも大丈夫よ」
「鬼灯の葉っぱ?」
「そう、紅い汁が出るの。大切なのはね、いかに鮮やかに美しく、そして長持ちする液が作れるか、なのよ。それを自分で研究するの。密かにね。そして秘術としてあなたが後継者の女子に引き継がせるのよ。私が今、あなたに引き継いでいるようにね」

 紅はほんの僅かに哀しみに色を滲ませて話す。鳳仙花は自分で色々試して新しい術を作り上げる、と言う事に気持ちが高揚しており、それには気づかない。

「じゃ、今はどんな風に塗るのか実際にやってみるわね」
「わーい!」
「まずは白い絹を用意するの。これをちょうど手の大きさより少し大きいくらいに切って。右手人差し指と親指に被せるようにして、余った絹は手の平に入れ込むようにして、残りの中指、薬指、小指で押さえるようにして持つのね。そして絹を被せた人差し指で。この紅い液を染み込ませて……と」
「綺麗に染み込むんだね!」
「でしょ? そしてお相手の手首を左手で持って差し上げて、お爪を磨くようにして塗るの。ちょっと鳳仙花のお手てを借りるわね。こうして親指と人差し指を使ってね。色ムラにならないように塗るのは練習が必要よ。五本全て塗り終わったら、もう一度重ね塗りをするの。時々、液体が薄い時があるから、三回ほど重ねて塗る事もあるわ」

「わぁ、元々紅い爪だったみたい……」
「素敵でしょ? 一通り説明して、あとは実際にやってみようね。前後するけど、塗る前にお爪を短くして整えるのだけど、磨爪石の使い方を教えるわね」

 こうして紅の仕事が再開するまでの間、徹底的に教え込まれる日々を送るのだった。 
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