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第十帖
機織女
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昼下がりの日輪は穏やかに地上に降り注いでいる。女郎花や藤袴等、秋にその花の顔《かんばせ》を魅せる草花たちが生い茂る。それらの茂みの中にひっそりと俯いている百合が、日に照らされてはにかんでいるようだ。
カサカサカサ
……何? まさか……
茂みで何やら動く気配がする。期待と不安が一気に体中を駆け巡った。あの白い子猫が脳裏をかすめる。そして自動的に彼の事が浮かぶ。けれども、得体の知れないものかもしれない。
カサカサカサカサコソッチョコンと顔を出したのは……
「あ! 猫ちゃん!」
そう、待ち望んでいた幸運の使者、真っ白くてふわふわの小さな生き物。
ミャーン
その子猫は甘えたように一鳴きすると、鳳仙花の足元に顔を擦りつけた。顔を綻ばせながら、優しく抱き上げる。期待に胸を膨らませながら。
ガサガサガサ
何かがが茂みを掻き分ける音。ドキリと鼓動が弾む。
「失礼します」
控えめな声と共に顔を出したのは、空色の水干姿の待ち人だった。
「実光様!」
あれほど待ち望んでいたのに、にわかに気恥ずかしさが込み上げ、はにかみながらその名を呼んだ。
「鳳仙花殿」
凛とした涼し気な目元で、嬉しそうに真っ直ぐに彼女を見つめる。二人はしばし見つめ合った。
やがて彼は、ふと我に返り微かに頬を赤らめつつ、
「その御猫様、こちらの庭園がお好きのようです。お陰で、またあなたとお会い出来ました」
と鳳仙花から目を反らさず、言の葉を紡いだ。
「またお会い出来て嬉しいです。可愛らしい子猫ちゃんですね」
鳳仙花も釣られたように頬をほんのりと紅に染めた。彼の目をしっかりと見つめながら。
ミャーン 子猫は一声甘えたように鳴くと、鳳仙花の足元に体をこすりつけた。鳳仙花はしゃがみ込んで子猫の咽元を撫でる。子猫はゴロゴロと気持ち良さそうに目を細めた。その可愛らしさに、顔を綻ばせる二人。
「その御猫様のお名前は『ましろ』と名付けられております」
「ましろ、様?」
「はい、真っ白いところからそう名づけられたそうです」
「あぁ、可愛らしいお名前ですわ。本当にお似合いのお名前」
「私もそう思います」
「本当に真っ白ですもの。ふわふわで、柔らかくてふかふかしてて」
「雪白と迷われたそうですが、この子は丸くて温かい感じがするので『ましろ』と」
ふたりはしばし会話を楽しんだ。
ミャアーン
ましろが甘えたように鳴く。実光はハッと気付いたようにましろを見た。相変わらず鳳仙花の足元、緋の袴にジャレついている。
「そろそろ戻らないと、ましろ様」
彼は優しく子猫に話しかけた。鳳仙花はそれを聞いて、彼がましろを抱き上げたいのだと察する。自らの足元に居たのではそれはやりにくかろうと、丁寧にましろを抱き上げた。
「また、遊びにおいで」
と幼な子に話しかけるようにして言うと、そっと彼に差し出した。
「有難うございます」
実光は大切そうにましろを受け取ると、優しく胸に抱きしめた。
「ましろ様は、こちらの庭園がお好きなようです。また、きっといらしてしまうと思われます」
笑顔で鳳仙花に語る。それは穏やかな中にも、非常に確信に満ちた口ぶりであった。
……また、会いに来てくださると暗喩してくださってるのだわ……
そう感じたら、自然に嬉しさが込み上げてくる。
「はい、お待ち申し上げておりますわ」
右手を伸ばし、ましろを優しく撫でながらそう応じた。視線は真っ直ぐに彼を見つめながら。
二ャア
ましろはそれに答えるようにして鳴いた。二人は微笑み合う。サヤサヤと花木が風に揺れた。
「では、また」
彼は丁寧に頭を下げると、軽やかな足取りで去って行った。心なしか、鳳仙花は頬が熱く感じた。
鳳仙花は、宮中の女房の一人から依頼があり、爪の長さと形を整えに行っていた。彼女は炊事場を担当しており、月野と呼ばれている。噂を聞き付けて、依頼してくださったのだ。初めて、文壇以外からの指名に心が震えた。彼女の退出時に、用意して頂いた牛車に共に乗り、邸へとやって来たのだ。
「綺麗に整ったわ。やっぱり玄人にして貰うと全然違いますわね」
月野は本当に嬉しそうに自らの爪を見ている。ごく基本的な技なのだか、それ故きっちりとした技が求められる。粗が目立つ行程なのだ。
「お気に召して頂けて嬉しいです」
鳳仙花は自然に唇が弧を描くのを覚えた。何よりも、まだ子供である自分を大人として扱って頂ける事が本当に嬉しかった。「粗相のないように!」厳しくたしなめて送り出した母親も、その瞳は誇らしそうに輝いていたのを思い出す。
「次は是非、爪紅をして頂きたいわ」
「私で良ければ喜んで」
二人は顔を見合わせて微笑み合う。
……もっと、爪以外でも教養を深めたいな。施術中に交わす会話、相手の話題に乗るにしても、こちらから仕掛けるにしても話題って大切だもの……
帰り、用意して頂いた牛車に乗りながら、そんな事を考えるのだった。外は黄昏時だ。宮中に着いた時はすっかり暗くなっていた。
「お帰り、鳳仙花。お前に朗報ですよ」
顔を見るなり、紅は嬉しそうに話す。
「今年の棚機女に選ばれたそうです。しっかりとお務めなさい」
「え? 棚機女にですか?」
棚機女とは、七夕を迎える前に選ばれた乙女たちが水辺の小屋に籠って、「棚機」と呼ばれる着物を織る際に使用する手織り機械で、神にお供えする着物を織る。それに選ばれた女性を指すのだ。鳳仙花は密かにこの棚機女に憧れを抱いていた。
「まぁ、棚機女に? 何とそれは御目出度い!」
保子は手放しで喜んでいる。邸に戻るなり、真っ先に乳母である彼女に報告したのだ。
「この保子も鼻が高うございます。紅様から文を頂いた際は打ち震えたほどでございました」
「幸運が巡ってきた、て感じよね。是非とも成功させないと。……でも、上手く織れるかしら。昔、教えて貰っただけで今はほとんど爪紅ばかりになってたから」
正直に不安な事を打ち明ける。
「大丈夫でございますよ。まだ十日もお日にちはございます。こちらにご帰宅まされる際は、着物を織る事に致しましょう。すぐに体が思い出しますよ」
「わぁ、有難う。じゃ、明日はちょうど非番だから、早速やってみようかしら」
「ええ、ええ、是非。棚機に相応しい良い生地と柄の決め方も教しましょうね」
「宜しくお願いします」
そんな二人を優しく見守っていた紅は、静かに口を挟む。
「私からも、宜しくお願いしますね」
「勿論でございますとも」
保子は張りきって応じた。
今で言う七夕の事は、当時は棚機という文字で書かかれていた。前述したが、前日の6日に棚機神女が水辺の小屋にこもり、着物を織る。そして織った着物やアワビ、鯛、大豆、桃や茄子などを供えるて神をお迎えする準備をするのである。
そして7日当日、神様が帰られた後に供え物を川や海に流して禊《みそぎ》を行う。これは「棚機送り」と呼び、こうすることで水害や飢饉などから神が守ってくれると信じられてた。その後は、薫物を焚き、管弦や詩や和歌の宴を楽しむのである。
更には、里芋の葉にたまった夜露を、天の雫と見なし、梶《かじ》の葉に墨を含ませた筆で和歌や詩をしたため、天にお願い事をするのだ。
7月6日未明。まだ藍色の空に星が煌めき、煌々と月が照る頃。空色の生地を大切に胸に抱え、木製の杖を右手に静々と川辺を歩く鳳仙花。緑色を基調に、淡い緑を重ねた壺装束に市女笠、つばの周りに垂れる白の薄絹、つまり虫の垂衣がふわりふわりと風に揺れる。
檜皮色と狩衣に身を包んだ家臣二人が、鳳仙花を守るように付き添う。川は上流に近いせいか、幅は狭くさほど深くない。サラサラと涼しげに流れている。
程なくして、進行方向右側に木製の小さな小屋が見えてきた。一同は迷わずそこに向かう。近づいてくると、家臣は鳳仙花に頭を下げて足早に小屋に向かった。先に着くと、中に不審者がいないか、不備はないか素早く確認し、手にしていた箒と布で手早く室内を掃除する。特に棚機は念入りに拭いた。
鳳仙花は清掃が終わるまで静かに外で待つ。今日も明日も晴れである事が、澄んだ藍色の空に見て取れた。
「鳳仙花様、お待たせ致しました」
家臣達の声に、小屋に入る。ゆっくりと棚機の前に設けられた木製の椅子に腰を下ろした。
「では、我々は外で警護致します故、何か御座いましたらお声かけくださいませ」
「有難う。頼りにしていますよ」
「勿体ない言の葉にございます」
家臣達はさは丁寧に頭を下げると、その場を辞した。
鳳仙花は軽く目を閉じ、深呼吸を三度ほどすると布を広げ始めた。
程なくすると、トントンカラリと機織りの軽快な音が川辺に響いていく。
トントンカラリ、トンカラリ、トントンカラリ、トンカラリ……
深い藍色から明るい藍色に移り変わっていく空に、規則正しい機織りの音が軽快に溶けて行く。
トントンカラリ、トンカラリ
東の空が薄らと白み始める頃、ピタリと音が止んだ。夜通し見守り続けた侍従達は、静かに小屋に歩み寄る。程なくしてガラリと引き戸が開いた。空色の記事を大切そうに胸に抱え、誇らし気に瞳を輝かせた鳳仙花が姿を現した。
「お疲れ様でございました」
「お体は大丈夫でしょうか?」
まずは鳳仙花を労《ねぎら》い、体調を気遣う侍従達。
「大丈夫よ、有難う。さ、戻りましょう」
鳳仙花はにっこりと微笑んだ。これから宮中に行って棚機の準備を始めるのだ。他にもいる棚機女たちも、別の場所……川辺の小屋で織っており終わる頃だろう。
機織女も初、宮中での棚機も初。何もかもが初めての経験で心弾む。緊張もしていたが、それよりもワクワク感の方が勝っていた。
やがて、牛飼い童と数名の侍従達が控えている牛車へと近づいた。彼らもまた、夜通し待ってくれていた。それは彼らに取っては普通の業務であるにしても、鳳仙花は自分が特別扱いされているようでくすぐったい気持ちがした。
予め用意されている供え物のアワビ、鯛、大豆、桃や茄子などが美しく朱の御膳に盛られている。そこに鳳仙花たちが織った着物も供えられている。見た目にも艶やかだ。陰陽師達がそれらを両手に持ち、掲げて歩く。皆その後に続く。祈りを捧げた後、供え物を川流して禊を行い「棚機送り」をする。水害や飢饉などから神が守ってくださる儀式だ。
せっかく織った着物を流してしまうのは、少しだけ惜しい気もしたが、川に供え物が流れていく様は美しかった。
その後は、薫物を焚き、管弦や詩や和歌の宴を楽しむのである。母親は自邸で今頃楽しんでいるだろう。鳳仙花は初めて宮中で過ごす棚機にワクワクしていた。一同が棚機送りより戻って来ると、酒やつまみ等の準備は既に整っていた。鳳仙花には酒ではなく、麦湯が用意されている。皆、楽しげだ。
かなりの人数がいて、見知った人が何人いるかなどの詳細はつかみ切れていない。けれども、秘かに彼に逢えないだろうか、と期待していた。そしたら、彼がどなたに仕えているのかも知る事が出来るかもしれない。
演奏者たちが、管弦の宴の準備をはじめた。
間近で見る管弦の演奏は圧巻だった。一つ一つ音は個性的なのに関わらず、全体に調和が取れており奥行きのある深い音色を奏でている。
鳳仙花は実光を探しあてる事は控え、演奏を静かに拝見する事にした。ソワソワしては、はしたい。そう考えたからである。
演奏が終わると、周りの大人達は酒を酌み交わし、楽しそうに会話を交わし始めた。
勿論、高貴な女人達は室内から御簾越しに外を眺めており、お付きの女房達が飲み物や食事の御世話をしている。
鳳仙花は外に用意された女人専用の末席に腰をおろし、雰囲気を楽しむ。両隣には同じ棚機女を努めた少女が座っていた。二人とも鳳仙花より二つか三つ年上のようだ。出来れば話し掛けて親しくなりたい、そう思っていた。しかし、二人ともツンとすました感じで取り付く島もない。
(特に聞いていなかったけれと、棚機女同士あまり親しくなってはいけないのかな……)
鳳仙花はそう解釈し、大人しくしている事にした。少し浮かれていたが、冷静な気持を取り戻した。
辺りはザワザワとざわめく。やんごとなき姫君は御簾の中から、お付きの者に里芋の葉にたまった夜露を葉ごと持ち寄らせ、更には墨と筆が用意されている。そして梶の葉が配られていた。
他の者は里芋の葉が繁る場所に佇み、葉の状態、大きさ等を品定めしている。鳳仙花も一同に加わり、里芋の葉を選んでいた。皆、手には予め配られた梶の葉と、墨を含ませた筆を手にしている。
墨自体は竹筒入れられ、広場の中央にいくつか用意されていた。
(お願い事は決まってるから。なるべく大きくて丈夫な葉がいいわ。雫も大きなのが乗ってるのがいいな)
ワクワクしながら、葉を選ぶ。
(あっ!)
一際キラリと雫が光った。すぐ目の前の葉だ。それは一際大きく、丸みを帯びたものだった。
(厚みも十分。これにしよう)
鳳仙花は雫を眺めながら、梶の葉に筆を走らせた。梶の葉は一晩天の川の光に当てられ、翌朝川、もしくは海に流すのだ。願い事は誰にも言わない、また人の書いたものは見ない。こうする事によって、願いが叶うとされていた。
(帝も定子様が末永く幸せでありますように。道隆様始め伊周様隆家様文壇の皆、そしてお母様、我が家の皆、私も。皆みんな、幸せでありますよう……。そして実光様と沢山会えて仲良くなれますように)
書き終わると、満足気に夜空を見上げた。星は冴え冴えと輝いていた。
本当に、願い事が叶う気がした。
カサカサカサ
……何? まさか……
茂みで何やら動く気配がする。期待と不安が一気に体中を駆け巡った。あの白い子猫が脳裏をかすめる。そして自動的に彼の事が浮かぶ。けれども、得体の知れないものかもしれない。
カサカサカサカサコソッチョコンと顔を出したのは……
「あ! 猫ちゃん!」
そう、待ち望んでいた幸運の使者、真っ白くてふわふわの小さな生き物。
ミャーン
その子猫は甘えたように一鳴きすると、鳳仙花の足元に顔を擦りつけた。顔を綻ばせながら、優しく抱き上げる。期待に胸を膨らませながら。
ガサガサガサ
何かがが茂みを掻き分ける音。ドキリと鼓動が弾む。
「失礼します」
控えめな声と共に顔を出したのは、空色の水干姿の待ち人だった。
「実光様!」
あれほど待ち望んでいたのに、にわかに気恥ずかしさが込み上げ、はにかみながらその名を呼んだ。
「鳳仙花殿」
凛とした涼し気な目元で、嬉しそうに真っ直ぐに彼女を見つめる。二人はしばし見つめ合った。
やがて彼は、ふと我に返り微かに頬を赤らめつつ、
「その御猫様、こちらの庭園がお好きのようです。お陰で、またあなたとお会い出来ました」
と鳳仙花から目を反らさず、言の葉を紡いだ。
「またお会い出来て嬉しいです。可愛らしい子猫ちゃんですね」
鳳仙花も釣られたように頬をほんのりと紅に染めた。彼の目をしっかりと見つめながら。
ミャーン 子猫は一声甘えたように鳴くと、鳳仙花の足元に体をこすりつけた。鳳仙花はしゃがみ込んで子猫の咽元を撫でる。子猫はゴロゴロと気持ち良さそうに目を細めた。その可愛らしさに、顔を綻ばせる二人。
「その御猫様のお名前は『ましろ』と名付けられております」
「ましろ、様?」
「はい、真っ白いところからそう名づけられたそうです」
「あぁ、可愛らしいお名前ですわ。本当にお似合いのお名前」
「私もそう思います」
「本当に真っ白ですもの。ふわふわで、柔らかくてふかふかしてて」
「雪白と迷われたそうですが、この子は丸くて温かい感じがするので『ましろ』と」
ふたりはしばし会話を楽しんだ。
ミャアーン
ましろが甘えたように鳴く。実光はハッと気付いたようにましろを見た。相変わらず鳳仙花の足元、緋の袴にジャレついている。
「そろそろ戻らないと、ましろ様」
彼は優しく子猫に話しかけた。鳳仙花はそれを聞いて、彼がましろを抱き上げたいのだと察する。自らの足元に居たのではそれはやりにくかろうと、丁寧にましろを抱き上げた。
「また、遊びにおいで」
と幼な子に話しかけるようにして言うと、そっと彼に差し出した。
「有難うございます」
実光は大切そうにましろを受け取ると、優しく胸に抱きしめた。
「ましろ様は、こちらの庭園がお好きなようです。また、きっといらしてしまうと思われます」
笑顔で鳳仙花に語る。それは穏やかな中にも、非常に確信に満ちた口ぶりであった。
……また、会いに来てくださると暗喩してくださってるのだわ……
そう感じたら、自然に嬉しさが込み上げてくる。
「はい、お待ち申し上げておりますわ」
右手を伸ばし、ましろを優しく撫でながらそう応じた。視線は真っ直ぐに彼を見つめながら。
二ャア
ましろはそれに答えるようにして鳴いた。二人は微笑み合う。サヤサヤと花木が風に揺れた。
「では、また」
彼は丁寧に頭を下げると、軽やかな足取りで去って行った。心なしか、鳳仙花は頬が熱く感じた。
鳳仙花は、宮中の女房の一人から依頼があり、爪の長さと形を整えに行っていた。彼女は炊事場を担当しており、月野と呼ばれている。噂を聞き付けて、依頼してくださったのだ。初めて、文壇以外からの指名に心が震えた。彼女の退出時に、用意して頂いた牛車に共に乗り、邸へとやって来たのだ。
「綺麗に整ったわ。やっぱり玄人にして貰うと全然違いますわね」
月野は本当に嬉しそうに自らの爪を見ている。ごく基本的な技なのだか、それ故きっちりとした技が求められる。粗が目立つ行程なのだ。
「お気に召して頂けて嬉しいです」
鳳仙花は自然に唇が弧を描くのを覚えた。何よりも、まだ子供である自分を大人として扱って頂ける事が本当に嬉しかった。「粗相のないように!」厳しくたしなめて送り出した母親も、その瞳は誇らしそうに輝いていたのを思い出す。
「次は是非、爪紅をして頂きたいわ」
「私で良ければ喜んで」
二人は顔を見合わせて微笑み合う。
……もっと、爪以外でも教養を深めたいな。施術中に交わす会話、相手の話題に乗るにしても、こちらから仕掛けるにしても話題って大切だもの……
帰り、用意して頂いた牛車に乗りながら、そんな事を考えるのだった。外は黄昏時だ。宮中に着いた時はすっかり暗くなっていた。
「お帰り、鳳仙花。お前に朗報ですよ」
顔を見るなり、紅は嬉しそうに話す。
「今年の棚機女に選ばれたそうです。しっかりとお務めなさい」
「え? 棚機女にですか?」
棚機女とは、七夕を迎える前に選ばれた乙女たちが水辺の小屋に籠って、「棚機」と呼ばれる着物を織る際に使用する手織り機械で、神にお供えする着物を織る。それに選ばれた女性を指すのだ。鳳仙花は密かにこの棚機女に憧れを抱いていた。
「まぁ、棚機女に? 何とそれは御目出度い!」
保子は手放しで喜んでいる。邸に戻るなり、真っ先に乳母である彼女に報告したのだ。
「この保子も鼻が高うございます。紅様から文を頂いた際は打ち震えたほどでございました」
「幸運が巡ってきた、て感じよね。是非とも成功させないと。……でも、上手く織れるかしら。昔、教えて貰っただけで今はほとんど爪紅ばかりになってたから」
正直に不安な事を打ち明ける。
「大丈夫でございますよ。まだ十日もお日にちはございます。こちらにご帰宅まされる際は、着物を織る事に致しましょう。すぐに体が思い出しますよ」
「わぁ、有難う。じゃ、明日はちょうど非番だから、早速やってみようかしら」
「ええ、ええ、是非。棚機に相応しい良い生地と柄の決め方も教しましょうね」
「宜しくお願いします」
そんな二人を優しく見守っていた紅は、静かに口を挟む。
「私からも、宜しくお願いしますね」
「勿論でございますとも」
保子は張りきって応じた。
今で言う七夕の事は、当時は棚機という文字で書かかれていた。前述したが、前日の6日に棚機神女が水辺の小屋にこもり、着物を織る。そして織った着物やアワビ、鯛、大豆、桃や茄子などを供えるて神をお迎えする準備をするのである。
そして7日当日、神様が帰られた後に供え物を川や海に流して禊《みそぎ》を行う。これは「棚機送り」と呼び、こうすることで水害や飢饉などから神が守ってくれると信じられてた。その後は、薫物を焚き、管弦や詩や和歌の宴を楽しむのである。
更には、里芋の葉にたまった夜露を、天の雫と見なし、梶《かじ》の葉に墨を含ませた筆で和歌や詩をしたため、天にお願い事をするのだ。
7月6日未明。まだ藍色の空に星が煌めき、煌々と月が照る頃。空色の生地を大切に胸に抱え、木製の杖を右手に静々と川辺を歩く鳳仙花。緑色を基調に、淡い緑を重ねた壺装束に市女笠、つばの周りに垂れる白の薄絹、つまり虫の垂衣がふわりふわりと風に揺れる。
檜皮色と狩衣に身を包んだ家臣二人が、鳳仙花を守るように付き添う。川は上流に近いせいか、幅は狭くさほど深くない。サラサラと涼しげに流れている。
程なくして、進行方向右側に木製の小さな小屋が見えてきた。一同は迷わずそこに向かう。近づいてくると、家臣は鳳仙花に頭を下げて足早に小屋に向かった。先に着くと、中に不審者がいないか、不備はないか素早く確認し、手にしていた箒と布で手早く室内を掃除する。特に棚機は念入りに拭いた。
鳳仙花は清掃が終わるまで静かに外で待つ。今日も明日も晴れである事が、澄んだ藍色の空に見て取れた。
「鳳仙花様、お待たせ致しました」
家臣達の声に、小屋に入る。ゆっくりと棚機の前に設けられた木製の椅子に腰を下ろした。
「では、我々は外で警護致します故、何か御座いましたらお声かけくださいませ」
「有難う。頼りにしていますよ」
「勿体ない言の葉にございます」
家臣達はさは丁寧に頭を下げると、その場を辞した。
鳳仙花は軽く目を閉じ、深呼吸を三度ほどすると布を広げ始めた。
程なくすると、トントンカラリと機織りの軽快な音が川辺に響いていく。
トントンカラリ、トンカラリ、トントンカラリ、トンカラリ……
深い藍色から明るい藍色に移り変わっていく空に、規則正しい機織りの音が軽快に溶けて行く。
トントンカラリ、トンカラリ
東の空が薄らと白み始める頃、ピタリと音が止んだ。夜通し見守り続けた侍従達は、静かに小屋に歩み寄る。程なくしてガラリと引き戸が開いた。空色の記事を大切そうに胸に抱え、誇らし気に瞳を輝かせた鳳仙花が姿を現した。
「お疲れ様でございました」
「お体は大丈夫でしょうか?」
まずは鳳仙花を労《ねぎら》い、体調を気遣う侍従達。
「大丈夫よ、有難う。さ、戻りましょう」
鳳仙花はにっこりと微笑んだ。これから宮中に行って棚機の準備を始めるのだ。他にもいる棚機女たちも、別の場所……川辺の小屋で織っており終わる頃だろう。
機織女も初、宮中での棚機も初。何もかもが初めての経験で心弾む。緊張もしていたが、それよりもワクワク感の方が勝っていた。
やがて、牛飼い童と数名の侍従達が控えている牛車へと近づいた。彼らもまた、夜通し待ってくれていた。それは彼らに取っては普通の業務であるにしても、鳳仙花は自分が特別扱いされているようでくすぐったい気持ちがした。
予め用意されている供え物のアワビ、鯛、大豆、桃や茄子などが美しく朱の御膳に盛られている。そこに鳳仙花たちが織った着物も供えられている。見た目にも艶やかだ。陰陽師達がそれらを両手に持ち、掲げて歩く。皆その後に続く。祈りを捧げた後、供え物を川流して禊を行い「棚機送り」をする。水害や飢饉などから神が守ってくださる儀式だ。
せっかく織った着物を流してしまうのは、少しだけ惜しい気もしたが、川に供え物が流れていく様は美しかった。
その後は、薫物を焚き、管弦や詩や和歌の宴を楽しむのである。母親は自邸で今頃楽しんでいるだろう。鳳仙花は初めて宮中で過ごす棚機にワクワクしていた。一同が棚機送りより戻って来ると、酒やつまみ等の準備は既に整っていた。鳳仙花には酒ではなく、麦湯が用意されている。皆、楽しげだ。
かなりの人数がいて、見知った人が何人いるかなどの詳細はつかみ切れていない。けれども、秘かに彼に逢えないだろうか、と期待していた。そしたら、彼がどなたに仕えているのかも知る事が出来るかもしれない。
演奏者たちが、管弦の宴の準備をはじめた。
間近で見る管弦の演奏は圧巻だった。一つ一つ音は個性的なのに関わらず、全体に調和が取れており奥行きのある深い音色を奏でている。
鳳仙花は実光を探しあてる事は控え、演奏を静かに拝見する事にした。ソワソワしては、はしたい。そう考えたからである。
演奏が終わると、周りの大人達は酒を酌み交わし、楽しそうに会話を交わし始めた。
勿論、高貴な女人達は室内から御簾越しに外を眺めており、お付きの女房達が飲み物や食事の御世話をしている。
鳳仙花は外に用意された女人専用の末席に腰をおろし、雰囲気を楽しむ。両隣には同じ棚機女を努めた少女が座っていた。二人とも鳳仙花より二つか三つ年上のようだ。出来れば話し掛けて親しくなりたい、そう思っていた。しかし、二人ともツンとすました感じで取り付く島もない。
(特に聞いていなかったけれと、棚機女同士あまり親しくなってはいけないのかな……)
鳳仙花はそう解釈し、大人しくしている事にした。少し浮かれていたが、冷静な気持を取り戻した。
辺りはザワザワとざわめく。やんごとなき姫君は御簾の中から、お付きの者に里芋の葉にたまった夜露を葉ごと持ち寄らせ、更には墨と筆が用意されている。そして梶の葉が配られていた。
他の者は里芋の葉が繁る場所に佇み、葉の状態、大きさ等を品定めしている。鳳仙花も一同に加わり、里芋の葉を選んでいた。皆、手には予め配られた梶の葉と、墨を含ませた筆を手にしている。
墨自体は竹筒入れられ、広場の中央にいくつか用意されていた。
(お願い事は決まってるから。なるべく大きくて丈夫な葉がいいわ。雫も大きなのが乗ってるのがいいな)
ワクワクしながら、葉を選ぶ。
(あっ!)
一際キラリと雫が光った。すぐ目の前の葉だ。それは一際大きく、丸みを帯びたものだった。
(厚みも十分。これにしよう)
鳳仙花は雫を眺めながら、梶の葉に筆を走らせた。梶の葉は一晩天の川の光に当てられ、翌朝川、もしくは海に流すのだ。願い事は誰にも言わない、また人の書いたものは見ない。こうする事によって、願いが叶うとされていた。
(帝も定子様が末永く幸せでありますように。道隆様始め伊周様隆家様文壇の皆、そしてお母様、我が家の皆、私も。皆みんな、幸せでありますよう……。そして実光様と沢山会えて仲良くなれますように)
書き終わると、満足気に夜空を見上げた。星は冴え冴えと輝いていた。
本当に、願い事が叶う気がした。
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そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
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さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
楽将伝
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三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
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「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
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天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
江戸の夕映え
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歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
大和型重装甲空母
ypaaaaaaa
歴史・時代
1937年10月にアメリカ海軍は日本海軍が”60000トンを超す巨大戦艦”を”4隻”建造しているという情報を掴んだ。海軍はすぐに対抗策を講じてサウスダコタ級戦艦に続いてアイオワ級戦艦を12隻建造することとした。そして1941年12月。日米は戦端を開いたが戦列に加わっていたのは巨大戦艦ではなく、”巨大空母”であった。
表紙はNavalArtというゲームの画像で、動画投稿者の大和桜花さんに作っていただきました
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