「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第三十四帖 雲居の花

枕草子の夢⑤ ~手蔓・弐~

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 八畳ほどの広さの部屋、四隅の仕切りは御簾と白地に梅の花が描かれた屏風である。黒の台を挟んで向かい合って座る藍色の直衣姿の源経房みなもとのつねふさと、二藍の小袿姿の鳳仙花。この部屋はこの時の為に臨時で作らせたものらしい。

……御公家様が、わざわざ私に何の御用だろう。私に対して横柄にならず、とても丁寧に接して頂いているけれど、藤原斉信様の件もあるし、何とも言えないわね……

 上品な目鼻立ち、涼し気な目元の聡明な眼差しは一見すると悪い人には見えない。穏やかに鳳仙花を見つめながら、口元に優しい笑みを浮かべている。

「警戒しなくて大丈夫ですよ、と言いたいですが。言われて『はいそうですね』と言う訳にもいかないでしょうね」

 彼はゆっくりと語りかけた。

「あ、いいえ。滅相もございません」

 態度に出してしまっていたのかと鳳仙花は慌てて姿勢を正す。

「どうぞ楽になさってください」

 と彼は軽く右手あげて制した。そして静かに話を続ける。

「あなたはお仕事柄、沢山の場所に出入りして色々なお話を聞くでしょう? あ、別にあなたに密偵の真似ごとをさせようという事ではありませんからご安心ください。端的に言いますと、あなたはお仕事がら秘密はしっかりと守れる方だ、とお見受け出来る、という事です」

 鳳仙花は益々彼の真意を図り兼ね、ただ静かに彼の言の葉に耳を傾ける。

「つまり、あなたなら安心して話せる。清少納言さんは長期に渡りお休みを頂く際、あなたにも居場所を告げていったでしょう? 私にも事情と居場所を知らせてくだった際、あなたにも教えた、と伺いましたよ」

……あぁ、そうか。この方は今から話す事、そもそもこの人と話した事も他言無用と言いたいのだ……

 漸く話が見えた事にホッとする。

「はい、勿論です。こうしてお二人でお話した事、そしてそれらに関わる全ての秘密は必ずやお守り致します」

 とはっきりと答え、微笑んで見せた。すると彼は、感心したように大きく目を見開く。

「あなたはとても賢い方ですね。やはり紅殿によく似ておられる」

 彼は懐かしむように目を細めた。母親を見知っているらしい事、そして自分だけでなくさり気無く母を褒めてくれた事が嬉かった。

「恐れ入ります」

 と軽く頭を下げる。

「本題に入りましょうね」

 と、彼は声を潜める。鳳仙花は右袖で右耳に添えるような仕草をして少し身を乗り出し、彼に耳を傾けた。

「清少納言さんの居場所は摂津国せっつのくにでしょう? 彼女の様子を、見てきては頂けませんか」

 と切実な様子で鳳仙花を見つめた。清少納言は、二番目の夫である藤原棟世 ふじわらのむねよの元に、しばらく身を寄せる。そう言い残していたのだ。


……何だか半分はうつつ、もう半分は夢の中にいるみたい。まさか公卿様に手筈を整えて頂けるなんて……

 それから二日後の夜、自邸の庭で夜空を見上げる鳳仙花の姿があった。煌々と照る月は黄金色がかった白に輝く。ほぼ満月に近い。星々はキラキラと瞬き、明るい藍色の空に彩を添える。
 休みの日は、出来るだけ邸に帰るようにしていた。女主人である自分が、ずっと家を空けている訳にはいかない。侍従たちとの心がバラバラである事を鑑みてそう決めたのだった。

 経房との最終的なやり取りを思い浮かべる。

『あなたが戻ってくるまで私が良いよう計らっておきましょう。今から二日後より十日間ほどお休みを。十一日目からは通常通りのお仕事が始動出来るようにしておきますから。詳細は赤染衛門さんに託しておきます。旅の道中、危険がないように誰か手配しておきましょうね』

……ここまでして頂いて、良いのだろうか。でも、裏を返せなそこまでして清少納言さんを引き戻したいという事なんだわ。考えてみれば私の立ち場って、時の世には残らずに埋もれていく影の身だし。色々な立ち場の方々からのお話も耳にしやすいし。その上、秘密厳守と言ったら、色々利用しがいがあるのかも。気をつけないとなぁ……

「おやおや、またぼんやりして」

 背後から凛とした声が響く。心臓が口から飛び出そうなほど驚いて「ひっ!」と短く悲鳴をあげた。聞ける筈もないその声……

「驚かせてすまないね」

 忘れようとしても忘れられないその声。そしてそこはかとなく漂う若草の香りに、恐る恐る振り返る。

「……月読命つくよみのみこと、様……」

 思わず息を呑んだ。月を背に、卯の花色の狩衣に藤色の指貫姿の彼はまさに月の光を身にまとっているように見えた。

「これはまた、しばらく見ない間に世辞が上手くなったものだな。神に例えて貰ったのは初めてだ」

 と彼は零れるような笑みを浮かべた。

「久しいな。思いの外元気そうで安心したぞ」

 と続ける彼に、残酷な現実に返る。

「隆家様……」

 彼の美貌に賛辞を呈する女性は数多あまたいるのだ。

「どうした? せっかく会えたのに、悲しそうな顔をして」

 会ったばかりは夢見るように恍惚とした表で自分を見つめる彼女が、一瞬にして悲しそうな、いや、自嘲の笑みとも取れる表情が気になった。月の光の元で見る彼女は、憂いを秘めて佇む月の精のように見えた。

 しばらく見つめ合う二人を、夜空は優しく見守っていた。
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