「堅香子」~春の妖精~

大和撫子

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第十五話

現実はやっぱり厳しかった・弐

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 さっさと着替えて掃除をしに行こう、と真凛は与えられたロッカーの鍵をバッグから取り出す。『久川真凛』とネームプレートがつけられているのがとても嬉しかった。部室案内の際に、番号つきの鍵を一人一人渡されたのだ。案内をしてくれたのは、あのポニーテールの快活そうな可愛らしい先輩女子だった。仁科爽子にしなさわこ場所は一番下の壁よりだった。中を開けてみる。縦長で少し広めのロッカーだった。バッグからTシャツとジャージ、そして指示された水の入った500mlのペットボトルとタオルを取り出し、鞄とバッグをロッカーの中にしまう。そして素早く着替え始めた。

 嫌でも背中に感じる八つの視線。居心地の悪さはこの上無い。

(早く来たなら、さっさと舞台掃除すれば良いのに)

 と思う。

(こういう事、面と向かってハッキリ言える子だったら誰も馬鹿にしたりしないんだろうな。陰口は言われるだろうけど気にならないだろうし……)

 着替え終わり、予め渡されていた名札をつける。忘れものはないかと確認する。メモ用紙とボールペンがない、と気付き鞄から取り出すとペットボトルとタオルを入れた大きめの巾着袋に仕舞い込む。

「何あの袋、婆臭ーい」
「趣味悪ーい」
「ほーんと、あんな地味子がよく役者志望で入ったよね」
「凄い度胸じゃない?」

 真凛はビクッと体を震わせた。巾着はパステル調のミントグリーンの無地のものだ。内側にはチャック付きの内ポケットがあり、そこにロッカーの鍵を入れられるし、ミニリュックサックのように紐もついていて背負えるのでちょうど良いの思ったのだ。母方の祖母より、京都旅行に行った際のお土産として貰ったものだった。ロッカーの鍵を閉めてそこに鍵を入れ込む。

(落ち込んだりして見せたらあっちの思うツボだ。益々ネタにされる! 反応するな、何も気付かないふりをするんだ、さっさと掃除しに行くぞ!)

 何も聞こえなかった風を装い、巾着を背中に背負い部室を出た。

「ちょっと! 無視するつもり?」
「態度悪くなーい?」

 去り際、女子たちに声をかけられる。

(……ていうけど、先にこちらが挨拶しても無視したのそっちじゃん、理不尽な)

 と思うものの、どう反応しても完全無視か嫌味を言われるかぼどちらかだ、と判断した真凛は、そのまま何も聞こえなかった事にして静かに部室のドアを閉めた。そしてとにかく掃除用具を取りに向かう。倉庫は舞台の一階部分、外と通じるドア入り口の左奥に設けられていた。

(倉庫は普通、ノックしないものだよね……)

 そう思いながらも、念の為ノックしてみる。コンコンコン……

(誰も居ないよね)

 何の返事もない事から、そっと引き戸を右引く。ガラガラと音を立てて開いた。モップと小さな箒、チリ取りを取り出してドアを閉め、舞台へと向かう。居心地の悪さ、疎外感をひしひしと感じながらも先ずは舞台の上手かみてから下手しもてに向かってモップを走らせる。

(この感覚、またかぁ……)

 いつも真面目な真凛は、大人しくて口数が少ない事から各グループでわりふられた場所を掃除する際、他の子かた体よく押し付けられたりする事が数多くあった。小学校あたりまでは教員に見抜かれたりしてサボった子たちは注意を受けたりしていたが、中学生あたりになって来ると……。掃除をしているふりをして雑談に花を咲かせ、結局は真凛一人で掃除をする事になった、そんな事が少なからずあった。真凛としては、やって当たり前の事を黙々とこなしてるだけだったのだが、

『いい子ぶってる』
『地味子で何も取柄がないから必死で教師に取り入ろうとしている』

 等とよく陰口たたかれたものだ。陰口と言っても、本人の耳に届く程度の小声で話しているので正確には陰口とか言わないかもしれないが。真凛自身がどう反応して良いか分からず、言われるままにしていた。無反応つまらなかったのか徐々に誰も陰口すら叩かれなくなっていった。

(デジャヴ、てやつだよなぁ、この感覚……今までにみたいに無反応でいたら、そのうち飽きられて空気扱いになるかなぁ……)

 その時、

「お早うございます! 久川さん、早いっすね!」

 と気さくに話しかける男子の声が響いた。背後を振り返る。

「あ、お早うございます。楠木くすのきさん」

 そうご、とだけ覚えていたので、一目でふフリガナつきのフルネームで分かる名札は有り難い。彼はお隣のクラス、一年C組らしい。

「どこまでやりました?」
「ちょうどあっちの端からここまでです」
「じゃ、自分は反対側からやります。半分以上やって貰っちゃってすんません」
「いえいえ、たまたま早く来ただけですから」

 そんな会話をしている内に、壮吾は素早くモップをかけ、あっいう間に真凛に追い付いた。

「後は掃除用具を倉庫に戻して先輩たちを待つだけですよね?」
「あ、はい、多分」

 壮吾の問いかけに応じながら、二人は掃除用具を倉庫に置きに行く。倉庫に着くと、壮吾がドアを開け、まず自分が手にしていたモップを中に置くと、両手を差し出して真凛の持つモップとチリ取りを受け取ると倉庫にしまった。「すみません」「いえいえ」そんなやり取りを軽く交わし、二人連れ立って戻る。

「初めてで自分緊張してます」
「私もです」

 一階入り口で左右に別れ、先輩たちを待つ。

(壮吾、て書くのか。本当に親切な人だなぁ、私みたいな地味子にも親切にしてくれて。いるんだぁ、今時こんな男子。赤の他人の男子で緊張しないで話せたの、この人が初めてだな。この人なら、学校の先生も向いてそう。お笑い芸人の夢、叶うといいなぁ)

 そんな事を思っているところへ、

「あ、もしかして掃除、もう終わっちゃった?」
「ごめんなさい」
「遅くなって」
「初めてで戸惑っちゃって」

 明るい声で口々にそう言いながらやって来る一年四人組女子。

「お早うございます」

 と彼女たちは朗らかに真凛と、そして壮吾に挨拶をする。

(えっ?)

 先程までの言動のギャップに真凛は絶句する。

「ウス」

 壮吾はぺこりと頭を下げてこたえた。

「お早うございます」

 慌てて真凛も挨拶を返す。彼女たちは何食わぬ顔で真凛の右隣に二人、壮吾の左隣に二人と二手に分かれて並んだ。すぐに彼女たちの企みを悟った。

(成る程、ここで私がさっきの事を引きずって挨拶返さなかったら、私の方が悪者になっちゃう。それが狙いなんだ。これからもそうやって掃除をサボって、美味しいところだ持っていく、そういう企みだ!)

「お早うございます。日直で遅くなりました」

 礼儀正しく頭を下げ、そう声をかけるのは森村太陽だった。

「お早うございます」

 皆で挨拶を交わし合う。太陽は壮吾側に並んだ。その後は無言で先輩を待つ。

(とにかく、今は部活に集中しよう。対策を考えるのは後だ)

 真凛は兎に角部活に集中しようと決意した。
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