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第六話

先客万来?! その一

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(はぁ……だけど、いつ見ても可愛いよなぁ……)

 ここ、フォーチュン喫茶「本源郷」の調理担当の小椋蒼介《おぐらそうすけ》、28歳。人の本音や潜在意識の声を感じ取れる『エンパス体質』を特質に持つ彼は、自らの作ったまかないの五目チャーハンと根菜スープを食し終わり、溜息をついた。しみじみと感じる。その人物が誰なのか判明する前に、彼は何となく過去に想いを馳せた。

 昼時の忙しい時間を過ぎ、時刻は午後四時。オーナーと華乃子に調理場を任せ、90分ほど昼休みを取る。大体、いつもこのパターンだ。何かと休憩も休日もままならない飲食業界、非常に有り難く働き易い職場だと感謝している。何よりもオーナー夫妻始め、スタッフ達はみな人情味溢れる人達ばかりだった。

 『エンパス』(※)と言う非常に敏感で特殊な体質の中でも、彼は人の隠している本音の部分を感じ取り易いタイプな為、幼い頃から人の二面性と言うものに触れ過ぎて人間と接するのが苦手だった。その為、飼い犬や飼い猫を友達として幼稚園に行けなくなってしまった時期もある。近所に小さな子供がいなくて、両親と接するだけの機会がほとんどだった事、母方や父方宅の実家にお盆休みや正月休みに顔を出しても、双方とも初孫ということでベタベタに甘やかされ可愛がられた。故に、人の本音を感じ取る必要のなかったのである。ただ、母親をスーパーに買い物に行く時、道行く人、またスーパーの店員さんなど、顔ではニコニコしているのにどうして心の中ではイラついてるのだろう? と不思議な感じはしていた。

 初めて幼稚園に行った時は衝撃だった。まず、先生が顔ではニコニコしながら、心の中では「あー、めんどくさいなぁ。仕事山積みなのに」とイライラしている本音が伝わった来た。直接耳に響く、という感じか。続いて、子供たちの先生の前だけ良い子ぶって、目が届かないところで縫いぐるみを虐めたりする裏表の激しさに眩暈がしたのを今でも鮮明に思い出す。

 両親たちが必死に治療法を探しあて、アメリカ人のスピリチュアルに精通したセラピストを探し当ててくれた。心療内科、子供メンタルクリニックなど散々回った挙句に見つかったのだった。

 その時初めて、自分が「エンパス」という体質である事を知ったのだった。それから、最初は週2回。徐々に回数を減らし、週1、月2回……となり、今では年に1度顔を出す程度になっている。対処方法は、セラピストに両親にも言えない本音を話すこと。要は本心を曝け出せる安心安全の場所を確保する事で、メンタルの安定をはかることが目的だ。更には瞑想やヨガで心身をリラックスさせることが主だった。

 その中で判明したのが、料理や菓子を作る事に興味がある、であった。

 それでもなかなか本当に親しい友達は出来にくかったが、何とか引き籠ることなく高校普通科を卒業後、調理の専門学校を卒業するに至った。しかし、社会はシビアだった。生き馬の目を抜くような激しい競争を生き抜け無ければいけなかった。だがそれは、人一倍繊細な感性を持つ彼。通常よりも何十倍も敏感に感じ取ってしまったのもあるであろう。就職先がなかなか見つからず、また入社しても人が怖くて続かず、そんな自分に嫌気が差していた。学校を卒業して1年が経過しようとしていた。

 そんな時、たまたま引き寄せられるようにして入ったのが「本源郷」であった。彼が21歳の時である。

 店内に足を踏み入れた途端、ふわりとした温かい雰囲気。そして仕事を心から楽しみながら行っているスタッフ達にササクレだった気持ちがふっと和んだのを今でも覚えている。エンパスだからこそ感じ取れる感覚だった。

(最初に頼んだカモミールティーが、本当に自然を大切にして、何というか。食べられる命に感謝、て感じで丁寧に摘んで入れられてるのが分かったし、フレンチトーストも作り手の優しい人柄がにじみ出ていたんだよな……)

 自宅から近かった事もあり、それ以来「本源郷」に週に2.3回ほど通うようになった。就職活動が上手くいかなくても、ここに来る事によって癒しと活力を得た。それからひと月ほど過ぎて、スタッフ募集の張り紙を見つける。

 彼が「フォーチュン喫茶『本源源』」の一員になる切っ掛けであった。


 調理担当として働くようになって3年ほど経過した。普段は調理場にいてほとんど接客をしない事が殆どだったが、人と接する事にそれほど抵抗が無くなっていた。そしてアルバイトを含めスタッフとは良好な関係を築いていた。だが……

(女の子に興味が無い訳じゃないけど、恋愛とか、まして結婚なんて一生縁が無さそうだ、なんて思ってたんだよな)

 彼自身、女性にモテない訳ではない。チョコレート色のサラサラ髪を少し長めのショートカットにし、長身細身、どことなく牡鹿を思わせる大きめの切れ長の瞳。色白でも黒くもない中間色の肌色に面長の端正な顔立ちをしており、学生時代、また常連の中でも女性からのアプローチが無い訳ではなかった。しかし、どうもその女性の心の奥にある「この人がダメだったらB君とC君に行くからいいわ」という打算的な本音を感じ取ってしまい、心を開けずにいた。お陰で自他ともに認める『草食系男子』で通っていた。


 そんなある日……

カランカランカラン

「すみません、お電話で予約した早乙女です。悩み事に合わせて本を選んでくださる、て聞いて……」

 来客を知らせるベルと共にやってきたのは、まだ年若い女性であった。ちょうどその時、休憩から戻ってきた彼はオーナーを始めとしたスタッフに仕事に戻る報告をしに店内にやってきたところであった。対応は、華乃子がしていた。

 その娘は、漆黒の艶ややかな髪は見事なストレートを誇り、肩の辺りで前下がりに切り揃えたボブヘアー。目尻がキュッと上がった大きな瞳は深い深い漆黒の泉のように、濡れたように艶めいている。肌理《きめ》細やかなクリーム色の肌に、逆三角形の顔の輪郭。高めの身長、スリムなモデル体型に白の半袖ブラウスに紺色の膝丈フレアースカート姿のその女性は、さながらアメリカンショートヘアの子猫のようであった。

 一目見た瞬間、彼の脳天に稲妻が落ちたように衝撃を受けた。

(もろ、好みだ……)

 彼女の名は早乙女みのり。文字通り、蒼介は一目惚れをした瞬間であった。

(声も、ちょうど子猫ちゃんみたいで可愛いんだよなぁ……)

 今も売り場で働いているみのりを、蒼介は恍惚として思い浮かべる。

『ほほぅ、なるほどねぇ。そうだったんだ』
「う、うわぁっ!」

 突然に目前に現れた太宰治に、彼は椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。

「だ、太宰先生……」

 現れた主を確認して、安堵する彼。

『嫌だなぁ。人を幽霊みたいに』

 太宰は右手で前髪をかきあげながら苦笑する。

「……て。幽霊なんじゃないんですか?」

 蒼介は初めて彼の姿を見た時の衝撃を思い出す。本当に、3D映像の太宰治だ! と感じた後、背筋がゾーッと冷たくなったのだ。

『だーかーら、そんじょそこらの浮遊霊やら低級なもんと一緒にしないで、て何度も言ってるだろう? 第一、僕にはやるべき事があって人間界に……』

 そこまで言いかけて、ハッと気付いたように口をつむぐ。そして『コホン』と軽く咳払いをした。

「そのやるべき事とは……」
『誰にも話せない上に、なんだかんだともう5年も経つのに未だに進展無しみたいだから、ちょいと話を聞いてあげようかと思っただけじゃないか』

 その話題になると、途端に歯切れの悪くなる太宰。今回もそれ以上追及されぬよう、上手く彼の気を引くような話題で遮る。

「え、あ……それは……」

 途端に頬が茜色に染まり、はにかんだように俯く。

『どうした? 当の彼女自身も、君の想いに全く気付いても居ないみたいじゃないか』

 太宰は彼の耳元で同情したように囁く。

「う、いいえ……その、まぁ、彼女にも好みがあるでしょうし。もし彼女が僕に気があるなら、何かしらサインと言うか、そういうの感じ取れると思うんですけど。そう言うの、全然感じないんで。絶望的脈無しかなぁ……て」

 蒼介は自嘲気味に答えた。

『おいおい、何もアクションを起こしてない内からそんな弱腰じゃ……』
「先生みたいに!」

 彼にしては珍しく、ムッとしたように声を荒げて遮った。驚いて彼を見つめる太宰。慌てて表情緩め、笑顔を作る彼。

「先生みたいに、死ぬほど女にモテまくったタイプには、分からない感覚ですよ、きっと」

 と寂しそうに笑う。

「さて、休憩時間がそろそろ終わりだ。では、先生、失礼します」

 と言ってゆっくりと立ち上がると、空になった食器をトレイに乗せて持ち、その場を去った。

『……やれやれ、どうやら色々と抱えてそうだなぁ、彼』

 太宰は彼が去ったあと、そう呟き軽くため息をつくとスッと消えた。



(※エンパス…共感力。日本人の五人に一人はエンパスであると言われている。本人も気づいていない場合も多い。他者の体調や感情などを、まるで自分の感情や体調であるかのように生々しく感じ取ってしまう体質を言う。他人の体調面を感じ取り易いタイプ、他人の感情面を感じ取り易いタイプ、その両方など、大きく三つに分けられる【諸説あり】)
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