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第六話

先客万来?! その三

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 スタッフの誰も彼もが呆気に取られている中、ただ一人当の妙子だけはニコニコと満面の笑みでみのりを見つめている。バッグの中から携帯を取り出すと、素早く画面を操作し、

「ほら、みのりちゃん。惚れ惚れするくらいいい男よー。30歳初婚。銀行にお勤め。仕事一筋で今まで女性にご縁がなかったんですって。超有料物件よ! 知り合いの息子さんで三男坊。ね、すばらしく良い条件でしょ?」

 と携帯を翳す。さすがに画面は自分側にしたままだったが。

『……だってさ。どうする?』

 太宰はフリーズしたままの蒼介に面白そうに声をかける。勿論、最初に叫び声をあげそうになった彼を制止した時から、姿は彼にしか視せてはいない。もし波長を合わせようとしたならば、体質上真帆には視えるかもしれないが。

(ど、どうって……決めのはみのりさんだし。僕は最初から意識すらされてないし……)

 体を前かがみに丸めて、がっくりと頭を垂れて落ち込む蒼介。

『だぁーーーーーもうっ! 情けない!』

 太宰は神を掻きむしった。

 一番最初に自分を取り戻したのはオーナーだった。慌てて妙子に歩みより、

「これは大変失礼致しました。申し遅れまして申し訳ございません。オーナーの富永倫太郎と申します。こちらが家内の華乃子です」

 すぐに気付き、夫の隣に笑顔で寄り添う華乃子。

「まぁまぁまぁ。私とした事がアポ無しで突然お邪魔してこちらこそすみません。改めまして、早乙女みのりの叔母、笹木妙子と申します。あ……あの、他のお客様のご迷惑でしたわねぇ」

 漸く現実に返った妙子。本当に申し訳なさそうにペコペコ頭を下げる。

「いいえ、とんでもないです。ちょうどお客様も誰もおりませんし、宜しければどうぞ個室の方に。早乙女君も」

 とオーナーは先に立って奥へと誘導した。華乃子は笑顔スタッフと渦中のみのりに指示した。みのりの肩をポン、と軽く叩く。

「さ、お客様お迎えの準備よ。さ、みのりちゃん、しっかり!」

 皆一斉に持ち場について仕事を再開、みのりは「あっ!」と短く声をあげると

「叔母さん、いきなりどう言うこと?」

 慌てて追いかけて行った。真帆はテーブルの上に飾られている薔薇とカスミソウの束を整えながら、ふと、妙子の背後に違和感を覚えて彼女の背を見やった。

 真帆は人ならざるものに己の波長を合わせようにして妙子の背後を視る。さながらラジオの周波数を合わせる感覚と酷似する感じか。すると、彼女の背後からふわりと天井に浮かび上がった。

 それは長身でひどく細身の黒っぽい着物姿の男だった。それは太宰と同じように体全体が透き通って視える。その存在は、店内の壁沿いにびっしりと並べられた本棚の前に舞い降りた。そしてもの珍しそうに本を眺めている。

 髪は癖毛なのか、短くした髪をそのまま伸びるがままにしているのか波打っている。細面、繊細そうで端正な顔立ち……。

……どこかで見た事があるような……

 真帆は感じた。

……あ! まさか、芥川龍之介先生!……

 と気付くのと、当の彼自身が真帆に気付くのが同時だった。彼は驚いたように真帆を見つめ、まるで瞬間移動するようにまばたきをした間に真帆の目の前に舞い降りていた。

『驚いたな、君、私が視えるのかい?』

 と問いかけた。

『あ、はい。まぁ、波長が合えば……』

 真帆は控えめに心の中で答えた。こう行った事は幼い頃から慣れているのだろう。そうしている間も仕事の手は緩めない。

『そうか。驚かせたら悪いと思って姿を消して、偶然ここに向かうご婦人に着いて来たんだ。大人しく本を拝見しようと思ったのだけれど、何やら立て込んでいるみたいだし……』

 ちょうどその頃、意気消沈している蒼介の為と、半分は己の好奇心を満たす為に太宰は引き続き姿を消し、妙子とみのりの様子を見ようとキッチンから壁を通り抜けて個室に舞い降りた。そして天井からみのりと妙子の様子を窺う。

……そう言えば、太宰先生は芥川先生の大ファンだったわね、太宰先生はどちらにおられるのかしら……

 真帆はふとそう感じた。同時に、

……せっかくの大文豪の一人、芥川先生まで来店して頂いたのですもの。皆に紹介したいなぁ……

 とも思った。だが、今はみのりが大変そうだ。

『いいえいいえ、どうぞごゆっくりとご覧下さい』

 真帆は笑顔で応じた。彼は一瞬、虚を突かれたかのように驚くが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。そして

『有難う。ではお断りに甘えて、じっくり拝見させて頂くよ』

 と言うと再び本棚の前にふわりと瞬間移動した。

 その頃、相変わらず嬉しそうにニコニコしている妙子と、困惑したように彼女を見つめるみのりが、白いテーブルを挟んで向かい合っていた。

 太宰は天井に浮かび上がり、みのりと妙子を見守る。対照的な反応を示す二人を、興味深そうに見つめた。勿論、声も姿も隠しているので二人にには気付かれない。

「ほら、見てみて。結構なイケメンでしょう?」

 妙子は携帯をみのりに渡す。明らかに気が無さそうにゆるゆると携帯を受け取り、画面を見つめる。

『ん? イケメンとな? どれどれ?』

 太宰は興味津々でみのりの左真横に降り立ち、携帯画面を凝視する。画面には、見頃を迎えた桜並木を背景に、白のワイシャツに紺色のス-ツをピシッと着こなし、直立不動に立つ青年が写っていた。細身で足がひどく長い。確かに、面長で目鼻立ちはクッキリとしており、整った顔立ちをしている。だが、無機質でどこか冷たい感じがした。

『……はん、僕には負けるな。それに、この御面相で、フリ-なんて、何か訳ありとみた』

 太宰は例によって右手で前髪をかき上げると、ふわりと天井に浮かび上がる。引き続き二人の様子を見守った。

「どう? いい男でしょ。勿論フリ-で、さっき言ったけど初婚よ。お歳は30。一ノ宮英幸《いちのみやひでゆき》さん。七星銀行にお勤めで、支店長。若くして出世コ-スらしいわ」

 得意そうに話す妙子。困惑気味のみのり。

「……確かに、ルックスは悪くないけど……」
「でしょでしょ?」
「でも、地位やお金も兼ね備えていてフリーって。上司から娘やら知り合いやら紹介されたりしなかったの?」
「何回かそんな話しはあったみたいだけど、仕事が面白くて興味が湧かなかったらしいわ」
「……どうしていきなりお見合いなんて?」

 それは妙子以外、その場にいる誰もが同じような疑問を持ったであろう。
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