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第二十二話

琥珀の秘密・前編

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蛇比礼へびのひれかぁ。それって確か……元々はむかーし昔の鑪製鉄の神事だかで、溶鋼から下半身を守るための前掛けだったんだろう?」

 琥珀は興味深そうに二眸を輝かせる。

「あぁ、その通りだ。後に地から這い出してくる邪霊から身を守る為の神器となった……と、言われている。毒蛇に遭遇した際にも身を守れるそうだ」 

 氷輪は何気ない風を装いながら答えるものの、その実琥珀の傷口が心配で仕方がない。そして蟒蛇が言いかけた『妖狐と……』のその先の言葉が気になる。恐らく、最初に出会った際の傷口の再生、回復具合の異常な速さからして今回も大丈夫だろうとは思うものの……。蟒蛇と別れた後、一度怪我の具合を聞いたら「とっくに傷口なんか塞がってるよ」とあっさり答えた。心なしか、い頬を少しくれないに染めて。それ以上しつこく聞くのも良くまいと判断、通常の会話に戻したのだ。

「つーか、ただの真っ赤っかな布にしか見えねーけどな」
 
 と言って琥珀はヘヘへッと笑った。蛇比礼は琥珀がしとね代わりに身に着けている。

「そうだな。鮮やか過ぎる赤が意外だった。まるで巫女の緋の袴を思わせる」
「褥なんてまともに着た事ねーから、動き難くて仕方ねーや」
「まぁ、そう言わず。慣れて貰うしかないな」
「分かってるって。雲水の弟子が直垂ひたたれで飛んだり跳ねたりしてたらおかしいもんな」

 氷輪は会話を交わしながら、先程の蟒蛇とのやり取りを思い返した。

『オ前タチ気二入ッタ』

 蟒蛇は上機嫌でそう言ってニヤリと笑った。そして

『ツイテ来イ! 蛇比礼ヲクレテヤル!』

 と言って首を氷輪と琥珀に向かって下げた。結果的に抱き合う形になっていた二人は、慌て手サッと離れる。

『カッカッカッカッ、良イ相棒ジャノ。マ、ドチラモ訳有リノヨウジャ、ソレ以上聞カヌ。乗レ』
「ヤッホーイ、コイツハ乗リ心地良さそうだ。んじゃ遠慮無く、ホイッと」

 琥珀は言われるままに蟒蛇の頭の上にひらりと跳び乗り、角を両手で掴んだ。

「兄者! 早く来いよ!」

 と右手を振った。

「すまない、何の礼も満足に出来そうに……」

 戸惑う氷輪に、蟒蛇はガハハと笑った。

『妖魔ヤ妖術使イジャアルマイシ、代償ナンカイランヨ。ワシハタダ、己ノ意思二シタガウノミジャ』

 氷輪は、ふわりと舞うようにして琥珀の右隣に乗り込んだ。そして頭上に無造作に置かれていた蜂比礼を拾い、退魔の剣を包み込む。

『シッカリ捕マッテオレヨ!』

 蟒蛇はそう一声かけると、サ―――――ッと殆ど音を立てずに森に向かって動き出した。思いの外滑らかに、滑るようにして進んで行く。しかもかなりの速度だ。

「ヤッホー! すっげー気持ちいい!」

 琥珀は目を閉じて顔に当たる風を感じた。己の感情に素直な琥珀を、氷輪は微笑ましく思うと同時い少しだけ羨ましいと感じた。


「……巳頭治みづちのおっちゃん、良い奴だったな!」

 琥珀の無邪気な声に、我に返る。巳頭治とはあの蟒蛇のまことの名である。彼は古びて廃れた祠に祀られた蛇比礼を氷輪に取るよう促しながらこう言った。

『コレハ選別ダ。オ前タチノ目的ハ知ラヌガ……コレカラ先、幾ツモノ困難ガ襲ッテ来ルヤモ知レヌ。ワシモツイテ行ッテヤリタイガ、イササカ老イボレ過ギタ。ソコデ、オ前サン、琥珀トヤラノ短刀二、ワシノ真ノ名ヲ封ジ込メルトシヨウ。ワシノ名ハ巳頭治。大蛇おろちオサ也』

 蟒蛇がそう言うと、鉛色の不気味な闇がが角の先端から漏れ出し、琥珀が何気なく右手に取り出した二本短剣を包み込み始めた。

『戦イノ時、ワシノ名ヲ呟ケバ敵方二毒ヲ巻キ散ラシ弱ラセル事ガ可能ダ。二回唱エレバスグサマ眠リニ、三度唱エレバ死二至ラシメル事ガデキヨウゾ』

 気付けば二人は祠の前に立っていた。いつの間にか蟒蛇は消えていた。

『無事デ目的ヲ叶エタラ、ワシノトコロ二報告二来イ。ソレマデノ間、ワシハ眠リ二ツクトシヨウ』

 と言う声だけを残して。

「あぁ、そうだな」

 氷輪は破顔した。琥珀は笑顔で頷くと、ハッと何かに気付いたように瞳を輝かせる。

「あ! 兄者! 泉だ!!」

 と前方を指さす。琥珀の指差す先に、キラリと陽の光を受けて輝く泉が見えた。
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