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第一話
隠り世・中編
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父、英彦も、母、富貴も、口癖のように言っていた。
『茜丸や、お前は神様に捧げる為に生まれて来たこの世で最も清浄で誇り高い存在なのだ。お前が人柱となる事で、信濃国の民は平和に豊かに暮らしていける』
それは周りの侍従たちにも大切に扱うように厳しく申し伝えていた。
『お前たち、茜丸は神へ捧げる大切な御方だ。くれぐれも粗相の無いように!』
それはそれは大切に大切に育まれていった。けれども、茜丸には父や母を始め周りの者からはまるで触れたら罰が当たる、とでもいうように怖々と扱われる距離感が寂しかった。誰も彼もがよそよそしい、そんな風に感じていた。多くの者に囲まれていても、胸にはいつも孤独感と寂寥感に溢れていた。
そして予め卜で決められていた十六を迎える歳、元服の儀式が粛々と執り行われた。そして幼名茜丸から『炎帝』と改められる……。
ぽっかりと瞳を開けた。翡翠色の瞳に映し出されるのは、木製の天井……。瞬時に全ての経緯を思い出す。そして溜息をついた。
「……情けねーなぁ。結局、背追い切れずにこのザマだ……」
と呟き、自嘲の笑みを浮かべる。
「無様に、弱音吐いて……」
己が意識を失った際の事がありありと脳裏に浮かび上がり、唇を噛みしめた。
隣の部屋で控えていた侍女二人は、炎帝の意識が戻った事を気配で察する。互いに顔を見合わせ、頷き合うと静かに立ち上がり、その場を立ち去った。
続いて、炎帝の脳裏に月黄泉命の焦りと戸惑いを浮かべた面持が思い出される。
「……面目ねぇ……」
溜息と同時に呟いた。トントン、と入口の襖を叩く音と同時に、「月黄泉だ、入るぞ」という声が聞こえた。慌てて上体を起こそうとする炎帝に、すかさず冷たく凛とした声がそれを阻止する。
「そのまま! 寝ていろ。私は愚かな人間どもと違って、病み上がりの者に平伏させるよな陳腐な真似はせん」
当の月黄泉命だった。ゆっくりと炎帝の傍に行くと、仰向けに寝いる彼の右肩あたりに静かに腰をおろした。
「やぁ、具合はどうだい?」
月黄泉命の左肩にチョコンと腰をおろしていた少彦名命は、気さくに話しかけ、ふわりと炎帝の鼻先辺りに舞った。
時を同じくして、氷輪と琥珀は美濃の刀剣職人たちが集う集落に足を踏み入れていた。
「……確か、この辺りの筈だ」
氷輪は立ち止まった。適度に湿り気のある土の上に、六件ほどの家が転々と建っている。
「だな。目印は……龍の墨絵が壁に描かれてるらしいけど……おっ! あれじゃないか?」
琥珀は右斜め前方の家を指差す。家の外壁に黒で長い物が描かれているようだ。
「そのようだな。では、参ろう」
二人は連れ立ってその家に向かって歩き始めた。
その場所は、白地に松と鶴が描かれた十六畳程の畳の部屋だった。更、に金色の地に紅梅と白梅が描かれた屏風で部屋を囲んでいる。四隅に燭台の焔が優しく揺れ、辺りは菊の花を元にした気品あふれる香りがそこはかとなく漂う。
部屋の中心部に、深い紫を基調にし、翠と赤を重ねた『竜胆の襲』に身を包んだうら若き乙女がいた。机に向かい、和紙に墨汁で何か文字を書き連ねている。ハッとするほど艶やかな漆黒の髪は足首まで伸ばされ、頭頂からサラサラと滝のように流れている。目も覚めるような雪白の肌、高く上品な鼻、紅い椿の蕾のような唇。細面の輪郭に優しい三日月型の眉。長い長い漆黒の睫毛に囲まれた瞳は緩やかに弧を描きこっくりと深く澄み渡る、吸い込まれてしまいそうな程深い漆黒だった。
まさに、『傾国』という隠れた名が相応しい美貌の姫君であった。彼女は筆を止め、何かにハッとしたように虚空を見上げる。
「……もう少しでお会い出来る! あぁ、やっと……」
と感極まったように呟いた。琴調べを思わせる美しい声だ。瞳に薄っすらと透明の膜が張り潤んだように艶めいた。
『茜丸や、お前は神様に捧げる為に生まれて来たこの世で最も清浄で誇り高い存在なのだ。お前が人柱となる事で、信濃国の民は平和に豊かに暮らしていける』
それは周りの侍従たちにも大切に扱うように厳しく申し伝えていた。
『お前たち、茜丸は神へ捧げる大切な御方だ。くれぐれも粗相の無いように!』
それはそれは大切に大切に育まれていった。けれども、茜丸には父や母を始め周りの者からはまるで触れたら罰が当たる、とでもいうように怖々と扱われる距離感が寂しかった。誰も彼もがよそよそしい、そんな風に感じていた。多くの者に囲まれていても、胸にはいつも孤独感と寂寥感に溢れていた。
そして予め卜で決められていた十六を迎える歳、元服の儀式が粛々と執り行われた。そして幼名茜丸から『炎帝』と改められる……。
ぽっかりと瞳を開けた。翡翠色の瞳に映し出されるのは、木製の天井……。瞬時に全ての経緯を思い出す。そして溜息をついた。
「……情けねーなぁ。結局、背追い切れずにこのザマだ……」
と呟き、自嘲の笑みを浮かべる。
「無様に、弱音吐いて……」
己が意識を失った際の事がありありと脳裏に浮かび上がり、唇を噛みしめた。
隣の部屋で控えていた侍女二人は、炎帝の意識が戻った事を気配で察する。互いに顔を見合わせ、頷き合うと静かに立ち上がり、その場を立ち去った。
続いて、炎帝の脳裏に月黄泉命の焦りと戸惑いを浮かべた面持が思い出される。
「……面目ねぇ……」
溜息と同時に呟いた。トントン、と入口の襖を叩く音と同時に、「月黄泉だ、入るぞ」という声が聞こえた。慌てて上体を起こそうとする炎帝に、すかさず冷たく凛とした声がそれを阻止する。
「そのまま! 寝ていろ。私は愚かな人間どもと違って、病み上がりの者に平伏させるよな陳腐な真似はせん」
当の月黄泉命だった。ゆっくりと炎帝の傍に行くと、仰向けに寝いる彼の右肩あたりに静かに腰をおろした。
「やぁ、具合はどうだい?」
月黄泉命の左肩にチョコンと腰をおろしていた少彦名命は、気さくに話しかけ、ふわりと炎帝の鼻先辺りに舞った。
時を同じくして、氷輪と琥珀は美濃の刀剣職人たちが集う集落に足を踏み入れていた。
「……確か、この辺りの筈だ」
氷輪は立ち止まった。適度に湿り気のある土の上に、六件ほどの家が転々と建っている。
「だな。目印は……龍の墨絵が壁に描かれてるらしいけど……おっ! あれじゃないか?」
琥珀は右斜め前方の家を指差す。家の外壁に黒で長い物が描かれているようだ。
「そのようだな。では、参ろう」
二人は連れ立ってその家に向かって歩き始めた。
その場所は、白地に松と鶴が描かれた十六畳程の畳の部屋だった。更、に金色の地に紅梅と白梅が描かれた屏風で部屋を囲んでいる。四隅に燭台の焔が優しく揺れ、辺りは菊の花を元にした気品あふれる香りがそこはかとなく漂う。
部屋の中心部に、深い紫を基調にし、翠と赤を重ねた『竜胆の襲』に身を包んだうら若き乙女がいた。机に向かい、和紙に墨汁で何か文字を書き連ねている。ハッとするほど艶やかな漆黒の髪は足首まで伸ばされ、頭頂からサラサラと滝のように流れている。目も覚めるような雪白の肌、高く上品な鼻、紅い椿の蕾のような唇。細面の輪郭に優しい三日月型の眉。長い長い漆黒の睫毛に囲まれた瞳は緩やかに弧を描きこっくりと深く澄み渡る、吸い込まれてしまいそうな程深い漆黒だった。
まさに、『傾国』という隠れた名が相応しい美貌の姫君であった。彼女は筆を止め、何かにハッとしたように虚空を見上げる。
「……もう少しでお会い出来る! あぁ、やっと……」
と感極まったように呟いた。琴調べを思わせる美しい声だ。瞳に薄っすらと透明の膜が張り潤んだように艶めいた。
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