宝石箱なんていらない

天嶺 優香

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一、次女の結婚

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 ゆるやかに波打つ黒髪が、王族だけに許される金ののブラシでとかれていく。
 侍従じじゅうが丁寧に髪を持ち上げて、艶やかな髪にブラシをさし、とく。それを繰り返してもらいながら、エミリアはちらりと侍従を見上げた。
 馬車の中で揺られて早八時間。退屈したとわめく侍従に、ならばとブラシを手渡して今に至る。いつもは何をしている時も口を閉じたりしないはずのこの男は、なぜか今日に限って静かだ。
「ヘイムス」
 思わず名前を呼ぶと、侍従──ヘイムスは大きく肩をゆらして髪をとく手を止めた。
 急に話しかけたので驚かせてしまったらしい。
「ちょ、黙ってて下さいよ、エミリア様。あなたの性格のようにひねりまくった髪を今整えているんですから!」
 ぴくりと眉が跳ね上がる。
 どうやらヘイムスは髪をとかすのに夢中になっていたようだ。
 叱ってやろうかと思ったが、馬車の外にはエミリアを護衛する兵士たちがいる。王女が乗る馬車から怒鳴り声かが聞こえては体裁が悪い。
 そこで、怒鳴るかわりに向かいのシートで寝そべる番犬の名前を呼んだ。
「アレクサンダー」
 主に名前を呼ばれて顔を上げた大型犬は、心得たとばかりに、エミリアには愛らしく尻尾を振り、ヘイムスには食い殺さんとばかりに牙を見せて唸る。
 普段は温和で大人しい犬だが、主の為にはその滑らかなクリーム色の毛を逆立たせて猟犬として使われてきた犬種ならではの鋭い牙を見せる。
「わ、怒るな、怒るなよアレクサンダー!」
 今まで何度もアレクサンダーに尻を噛まれているヘイムスは顔を真っ青にしてすぐにエミリアの髪から手を離した。
 ブラシまできっちり足元に置いた小さなバッグにしまい込み、アレクサンダーから出来るだけ距離を取る。──と言っても狭い馬車の中。思い切り背もたれに引っ付くぐらいしか出来ないが。
「こないだお前に噛まれた尻の傷がまだ治ってないんだよ!」
 涙目になって訴えるヘイムスの顔に満足して、エミリアはにっこり微笑んだ。
 唸るアレクサンダーの柔らかい頭を撫でて落ち着かせてやりながら、エミリアは小鳥が囀るかのような声で、言葉をつむぐ。
「あなたごとき屑虫くずむしにはそれくらいの“アクセサリー”が必要でしょう? どうせならもっと目立つ所につけてはいかが?」
 ひくり、とヘイムスの口元が引きつった。
 天使の様に清廉せいれんで愛らしく微笑みながら、口から出るのはまるで想像できない真っ黒な嫌み。
 エミリア・ローズ。ラガルタ王国の第二王女で、自称・ラガルタ一の性格の悪さと賢さを備えたうら若き十八歳。
 異母姉の第一王女・アランシアが嫁いでから一年が経ち、今度はエミリアが隣国シュゼラン王国へと嫁ぐことになった。
 今日はそのシュゼラン王国へ向かう一行の、馬車での出来事である。
 現王である王女達の弟・イーリは齢十七で王位を継ぎ、最初の命として異母姉のエミリアを嫁がせることにした。
 そして、彼からの厳命を、エミリアは果たさなくてはならない。
 “シュゼランの王妃”になること。
 側室ではなく、正妃に。しかし、この厳命には裏言葉が隠されている。
──絶対に“シュゼランの後継ぎ”を産むこと。
 正妃になれなくても後継ぎを産めば王妃、そして後には王太后として君臨できる。
 つまり、次の王となる王子の男児を何が何でも孕んでみせろ、という事だ。
 エミリアは異を唱えなかった。それが王女としての義務で、約束を果たすためでもある。
 アランシアとエミリアは隣国の王妃となる。そうすれば末姫であるメルメレンナは好きな人の所へ行ける。
 想い人がいなかったアランシアとエミリアは自分達が王妃となることで、メルメレンナから“王女の義務”を放棄できる権利を、当時王太子だったイーリに頼んだのだ。
 だから、絶対に果たさなくてはならない。そのためならどんな事も厭わない。
 エミリアは、にっこりと微笑んだ。
──わたくしの全てを駒にして、必ず後継ぎを孕んでみせますわ。
 愛らしい顔には似合わない真っ黒な事を心の中で呟き、エミリアは再度決意を固めた。

    ***

「エミリア様、どうやら国境に着いた様です」
 小さな窓にへばりついて外を窺っていたヘイムスが、そう報告したと同時に、乗っている馬車の動きが停止した。
 国境を通る手続きをしているのだろう。エミリアは愛犬の羽毛のように柔らかくふさふさとした毛触りを楽しみながら、手続きが終えるのを待つ。
 しかし、そんなに時間はかからないはずなのに、一向に出発する気配がない。
 外はがやがやと少し騒がしい。やがて誰かがこちらに近づく足音が聞こえて、エミリアは居住まいを正した──と同時にいきなり馬車の扉が開けられた。
「……へえ? 上玉だな」
 無遠慮にこちらを値踏みする男を、エミリアは少し顔を動かして見る。
「どなたでしょう。許可もなく扉を開けるなんて、礼儀に反しますわよ」
 男は言葉を返さない。愉快そうに口元を歪めただけだ。
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