宝石箱なんていらない

天嶺 優香

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一、次女の結婚

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──盗賊?
 粗野そやな口調。淑女の馬車を覗くという礼儀知らず。おまけに黒い外套で身を包んでいて、いかにも怪しい。腰にあるふくらみは、おそらく剣だろう。
「あなた、私が誰か知っていて?」
 尋ねながら、エミリアはちらりと馬車の中を確認する。
 アレクサンダーは垂れた耳はいつものままだが、警戒して男を見ている。唸っていないのは慎重に判断しているのだろう。
 賢い犬だ。それに比べて、侍従のヘイムスは馬車の奥で膝を抱えてプルプル震えている。
──本当に、役に立たない屑虫ですわね。
 そうして心の中で悪態をついていると、口元を男が歪めて笑ったのを目の端でとらえ、すぐに男の方を向く。
「お前が誰かだと? もちろん知っている。ラガルタの第二王女、エミリア・ローズだろ?」
 男は外套がいとうの留め具に指をかけて外す。ばさり、と落ちた。
 男の服装は簡素で、ごわごわとした庶民の服。腰にさした剣だけがやけに高級感を漂わせているが、どうせ盗品だろう。
「お前こそ、俺を知っているか?」
 ぐ、とこちらへ身を乗り出し、男の骨ばった指がエミリアのおとがいを掴んで引き寄せる。
 焼けた男の肌は、粗野な盗賊のくせにきめ細かく、男の眼光は鋭かったが、瞳は綺麗なエメラルドグリーンだった。
 意外と顔が整っている。乱暴な口調や、皮肉げに歪んだ口元でよくわからなかったが、よく見てみれば端正な顔立ちだ。
 しかし、そのまま唇が近づいてきて、我に返った。
 なんて至近距離だ。ヘイムスが息を呑む気配を背中で感じ、やけに間近な男の目が、笑っていた。
 お互いの吐息が交差して、唇が重なる──直前で、エミリアは平手打ちを繰り出した。
 ぱん、と乾いた音が響いた。男は体勢を崩し、馬車の扉に体がぶつかる。
「いってぇ」
「……あら、わたくしの唇を奪おうとなさった虫けらにはそれくらい当然ではありませんこと? ぜひ、泥とごみにまみれてあの世に行って頂きたいですわ」
 にこやかに微笑みながらエミリアは暴言を吐く。まさか女──しかも一国の王女の口からそんな言葉が出るとは露程も思っていなかったのだろう。
 男の笑みを浮かべた口元が引きつっているのに満足して、エミリアは姿勢を正した。
「ひどいな。王女がこんな事していいのかよ」
「よく言いますわね。痛くもなかったくせに」
 ち、と男は舌打ちした。
 腕力のないエミリアの平手打ちなんて、ほとんど効かない。
 これが腕力自慢の妹、メルメレンナであったなら男の顔が腫れ上がっていたかもしれないが。
「フェドルセン様!」
 ばたばたと騒がしい足音が聞こえ、一人の兵士がやってきた。
「なんて格好をなさってるのですか! お願いですから早く着替え下さい!」
 訳がわからず目を丸くさせるエミリアだったが、素早く頭を回転させた。フェドルセンという名前に、聞き覚えがある。
「フェドルセン……って、まさか……」
 ようやく思い当たって、今度は真っ青になりながら呟いた。
 彼はこちらを向いて、口の端を持ち上げる。
「ああ、気づいたか」
 フェドルセンは兵士から黒衣の外套を受け取り、羽織る。庶民服が隠れ、上質な絹に細かい金の刺繍が入った生地が広がった。──王族のみが許される、金の刺繍。
 派手ではないが、上品なデザインの外套で、エミリアはため息をつきたくなる気持ちを抑え、微笑んだ。
「……シュゼランの第二王子様が、どうしてこちらに?」
 彼は、エミリアの婚約者である第一王子の弟。エミリアの、未来の弟になる人物だった。
「兄の変わりにお前を迎えに来てやったんだよ」
 なんて横暴な言葉遣いなのだろう。
 エミリアは内心うんざりしながらも、口元の笑みは消さなかった。
 そうですの、と口から零れた呟きが、顔の表情とは比較にならないほど冷えた声音になった。
 長年の経験から何かを感じとったヘイムスが、エミリアを止めようと手を伸ばすが、容赦なくそれを叩き落とす。
「まあまあ、婚約者の弟君がわざわざ迎えに来て下さるなんて有り難いことですわ」
 ゆっくりと唇を動かしながら、生まれた時から培われてきた王族の優美な仕草で相手の視線をこちらに向かせる。
「──でも、弟君なら未来の姉であるわたくしの事をお前、などと呼んではいけませんわ。どうか、お姉様とお呼びになって」
 さあどうぞ呼んで見て、と目で訴えると、フェドルセンの顔が不愉快気に歪んでいく。
「その横暴な口から可愛らしくお姉様と呼んで頂きたいわ」
 まあ、絶対無理でしょうけど。
 そんな裏の言葉も滲ませて、挑むようにフェドルセンを見つめる。
「未来の弟君なら姉の言う事に従うべきではなくて? 可愛らしく言って下されば……」
 どん、と大きな音がして。エミリアが気づいた時にはフェドルセンによって馬車のシートに横たえられていた。
 いきなりの事に驚いて、続く言葉は喉の奥へ引っ込み、シートに横たわったまま、自分に覆い被さるようにして睨むフェドルセンを見上げた。
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