欲しいのは林檎とあなた

天嶺 優香

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四 事件

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 ちちち、と小鳥の囀りが耳に届く。
 少しひやりとする風が肌を撫で、身震いしてアランシアは目を覚ました。自分が衣服を身にまとっていない事に気づき、慌てて起き上がり──下半身に走った鈍い痛みに、顔を歪めた。
 隣を見て、誰もいない事に胸がちくりと痛む。彼が居ただろう場所のシーツを撫でるとひやりと冷たい。
「……こんなものよね」
 求められているのは自分ではない。妻という立場の女だけ。わかっていた事だ。政略結婚なんてそんなもの。悲しむほどアランシアはあの男の事を知らない。
 だから。こんな事で悲しんでいたらそれこそ敗北だ。
 アランシアが起き上がると、扉がノックされる。
「姫様、ポーラです」
 起こしに来たのだろう。ポーラは扉を開けて入ってくると、アランシアの着る服を用意する。
「ありがとう、ポーラ。朝食はいつ?」
 少し腹が減ったアランシアはそう尋ねるが、何故かポーラは答えない。顔色も悪く、表情も暗い。
「どうしたの?」
「……朝食は、ゼイヴァル様に頼んでご一緒にとって下さい」
「どうして?」
 あんなにアランシアからゼイヴァルを遠ざけたがっていたポーラが、一体どうしたというのだろうか。
「ポーラ?」
 アクセサリーを並べているポーラの手が、ふるえている。
「申し訳あり……ません。なんでもないです」
 ポタポタと涙をこぼしながらそう言うポーラを、アランシアはとりあえず素肌に上着を羽織って彼女に近づいて抱きしめる。
「ポーラ、大丈夫よ。落ち着いて。ゆっくり深呼吸するの」
 小さな彼女の背中を撫でてやりながらアランシアは言う。そうするとポーラは深呼吸を繰り返す。
「ここに座って。ゆっくりでいいから話してちょうだい」
 ベッドの端へ座り、その隣にポーラを座らせる。元気づけようと、彼女の手を握った。ポーラは顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら、吐き出すように口にした。
「……あの愛人達は、非道です!」
「非道?」
 きゅ、と握った手をポーラは強く返してくる。
 目は真っ直ぐ前を向いていて、その目は怒りの色がちらついていた。大人しいポーラがここまで怒っているのは久しぶりに見た。ただならない様子にアランシアが彼女の言葉を待っていると、信じられない言葉が飛び出した。
「あの女達は……アランシア様が着る夜会ドレスを全て破いたんです」
「……え?」
 嫁入りするときに祖国から持ってきたドレスの中に、夜会用のドレスもあった。
 それらは、それぞれアランシアへの贈り物で、妹からの贈り物や、国の侍女達が一生懸命に刺繍ししゅうしたもの。自分を慕う者達が贈ってくれたドレスは特に思い入れが深い。
 そのドレスは別室でポーラが保管していた。きちんと施錠せじょうされ、ポーラが必要な時に持ち出してくれる。主にプレゼントされたものがしまってあったその部屋を、荒らされたという事だろうか。
 鍵はポーラが保管している。ドレスの部屋を開けれたと言うことは、鍵を見つけるため、ポーラの部屋も荒らされたのだろう。
 可愛い次女のエミリアがせっかく用意してくれたドレス。
 いつも澄ました顔で冷たい態度をとる、そんな彼女がわずかに見せた優しさなのに。几帳面な侍女達は自分が納得するまで刺繍を何度もやり直し、それをアランシアに送った。
 そんな大切な品々が、消えたと言う。
「その切り刻まれたドレスはどこにあるの?」
 ポーラは小さなテーブルに置かれた小ぶりの箱を持ち、蓋を開けてアランシアに中身を見せた。
「…………っ」
 部屋から破れたドレスを箱にしまってもってきたのだろう。しかし、相変わらず几帳面な事だ、と笑うことがアランシアにはできなかった。
 無残に引き裂かれて布の残骸ざんがいになってしまったそれらを見て、言葉を失ってしまう。
 私が彼女達に何をしただろうか。なぜよく知りもしない他人にこんな事をされなくてはいけないのか。
 沸々と怒りがこみ上げ、アランシアは箱を持ったまま感情にまかせて大股で部屋を出て行く。
「姫様!?」
 足音を荒くして階段を下り、一階フロアでだらしなくしている愛人達の目の前に立った。
「……あら、王太子妃様。どうかなされて?」
 無礼な事に愛人達はソファーにくつろいだまま、ちらりとこちらに視線を向けてそう言う。礼儀があるならば、目上の者が来たら立ち上がり一礼して挨拶をする。そして席を譲るものだ。
 しかし、今のアランシアはそんな事に腹を立てている訳ではない。
「……あなた達は何か私に恨みでもあるの?」
 例え愛人という立場であっても、それぞれ出身はそれなりの身分があるはずだ。
「身分ある者がそんな礼儀のなっていない事をするなんて、よほど愚かなんでしょうね」
 何のことかは言わない。彼女達もわかっているだろう事だ。あえて教えてなどやらない。
「なによ。礼儀がなっていないからって何か問題でもあるの? 立場はあっても力なんてないくせに!」
 愛人達が立ち上がってそれぞれ非難し始めた。ゼイヴァルとの結婚は政略結婚だ。彼には愛されてもいないし、それは愛人達もわかっているのだろう。だからこそ彼女達はこうも強気でいられるのだ。
 なんて、愚かな女達なのだろうか。
「だからと言って私の侍女の部屋を荒らして贈り物のドレスまで台無しにして。……それは、つまり。私の怒りを買っても構わないと言う事よね」
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