16 / 38
四 事件
一
しおりを挟む
ちちち、と小鳥の囀りが耳に届く。
少しひやりとする風が肌を撫で、身震いしてアランシアは目を覚ました。自分が衣服を身にまとっていない事に気づき、慌てて起き上がり──下半身に走った鈍い痛みに、顔を歪めた。
隣を見て、誰もいない事に胸がちくりと痛む。彼が居ただろう場所のシーツを撫でるとひやりと冷たい。
「……こんなものよね」
求められているのは自分ではない。妻という立場の女だけ。わかっていた事だ。政略結婚なんてそんなもの。悲しむほどアランシアはあの男の事を知らない。
だから。こんな事で悲しんでいたらそれこそ敗北だ。
アランシアが起き上がると、扉がノックされる。
「姫様、ポーラです」
起こしに来たのだろう。ポーラは扉を開けて入ってくると、アランシアの着る服を用意する。
「ありがとう、ポーラ。朝食はいつ?」
少し腹が減ったアランシアはそう尋ねるが、何故かポーラは答えない。顔色も悪く、表情も暗い。
「どうしたの?」
「……朝食は、ゼイヴァル様に頼んでご一緒にとって下さい」
「どうして?」
あんなにアランシアからゼイヴァルを遠ざけたがっていたポーラが、一体どうしたというのだろうか。
「ポーラ?」
アクセサリーを並べているポーラの手が、ふるえている。
「申し訳あり……ません。なんでもないです」
ポタポタと涙をこぼしながらそう言うポーラを、アランシアはとりあえず素肌に上着を羽織って彼女に近づいて抱きしめる。
「ポーラ、大丈夫よ。落ち着いて。ゆっくり深呼吸するの」
小さな彼女の背中を撫でてやりながらアランシアは言う。そうするとポーラは深呼吸を繰り返す。
「ここに座って。ゆっくりでいいから話してちょうだい」
ベッドの端へ座り、その隣にポーラを座らせる。元気づけようと、彼女の手を握った。ポーラは顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら、吐き出すように口にした。
「……あの愛人達は、非道です!」
「非道?」
きゅ、と握った手をポーラは強く返してくる。
目は真っ直ぐ前を向いていて、その目は怒りの色がちらついていた。大人しいポーラがここまで怒っているのは久しぶりに見た。ただならない様子にアランシアが彼女の言葉を待っていると、信じられない言葉が飛び出した。
「あの女達は……アランシア様が着る夜会ドレスを全て破いたんです」
「……え?」
嫁入りするときに祖国から持ってきたドレスの中に、夜会用のドレスもあった。
それらは、それぞれアランシアへの贈り物で、妹からの贈り物や、国の侍女達が一生懸命に刺繍したもの。自分を慕う者達が贈ってくれたドレスは特に思い入れが深い。
そのドレスは別室でポーラが保管していた。きちんと施錠され、ポーラが必要な時に持ち出してくれる。主にプレゼントされたものがしまってあったその部屋を、荒らされたという事だろうか。
鍵はポーラが保管している。ドレスの部屋を開けれたと言うことは、鍵を見つけるため、ポーラの部屋も荒らされたのだろう。
可愛い次女のエミリアがせっかく用意してくれたドレス。
いつも澄ました顔で冷たい態度をとる、そんな彼女がわずかに見せた優しさなのに。几帳面な侍女達は自分が納得するまで刺繍を何度もやり直し、それをアランシアに送った。
そんな大切な品々が、消えたと言う。
「その切り刻まれたドレスはどこにあるの?」
ポーラは小さなテーブルに置かれた小ぶりの箱を持ち、蓋を開けてアランシアに中身を見せた。
「…………っ」
部屋から破れたドレスを箱にしまってもってきたのだろう。しかし、相変わらず几帳面な事だ、と笑うことがアランシアにはできなかった。
無残に引き裂かれて布の残骸になってしまったそれらを見て、言葉を失ってしまう。
私が彼女達に何をしただろうか。なぜよく知りもしない他人にこんな事をされなくてはいけないのか。
沸々と怒りがこみ上げ、アランシアは箱を持ったまま感情にまかせて大股で部屋を出て行く。
「姫様!?」
足音を荒くして階段を下り、一階フロアでだらしなくしている愛人達の目の前に立った。
「……あら、王太子妃様。どうかなされて?」
無礼な事に愛人達はソファーにくつろいだまま、ちらりとこちらに視線を向けてそう言う。礼儀があるならば、目上の者が来たら立ち上がり一礼して挨拶をする。そして席を譲るものだ。
しかし、今のアランシアはそんな事に腹を立てている訳ではない。
「……あなた達は何か私に恨みでもあるの?」
例え愛人という立場であっても、それぞれ出身はそれなりの身分があるはずだ。
「身分ある者がそんな礼儀のなっていない事をするなんて、よほど愚かなんでしょうね」
何のことかは言わない。彼女達もわかっているだろう事だ。あえて教えてなどやらない。
「なによ。礼儀がなっていないからって何か問題でもあるの? 立場はあっても力なんてないくせに!」
愛人達が立ち上がってそれぞれ非難し始めた。ゼイヴァルとの結婚は政略結婚だ。彼には愛されてもいないし、それは愛人達もわかっているのだろう。だからこそ彼女達はこうも強気でいられるのだ。
なんて、愚かな女達なのだろうか。
「だからと言って私の侍女の部屋を荒らして贈り物のドレスまで台無しにして。……それは、つまり。私の怒りを買っても構わないと言う事よね」
少しひやりとする風が肌を撫で、身震いしてアランシアは目を覚ました。自分が衣服を身にまとっていない事に気づき、慌てて起き上がり──下半身に走った鈍い痛みに、顔を歪めた。
隣を見て、誰もいない事に胸がちくりと痛む。彼が居ただろう場所のシーツを撫でるとひやりと冷たい。
「……こんなものよね」
求められているのは自分ではない。妻という立場の女だけ。わかっていた事だ。政略結婚なんてそんなもの。悲しむほどアランシアはあの男の事を知らない。
だから。こんな事で悲しんでいたらそれこそ敗北だ。
アランシアが起き上がると、扉がノックされる。
「姫様、ポーラです」
起こしに来たのだろう。ポーラは扉を開けて入ってくると、アランシアの着る服を用意する。
「ありがとう、ポーラ。朝食はいつ?」
少し腹が減ったアランシアはそう尋ねるが、何故かポーラは答えない。顔色も悪く、表情も暗い。
「どうしたの?」
「……朝食は、ゼイヴァル様に頼んでご一緒にとって下さい」
「どうして?」
あんなにアランシアからゼイヴァルを遠ざけたがっていたポーラが、一体どうしたというのだろうか。
「ポーラ?」
アクセサリーを並べているポーラの手が、ふるえている。
「申し訳あり……ません。なんでもないです」
ポタポタと涙をこぼしながらそう言うポーラを、アランシアはとりあえず素肌に上着を羽織って彼女に近づいて抱きしめる。
「ポーラ、大丈夫よ。落ち着いて。ゆっくり深呼吸するの」
小さな彼女の背中を撫でてやりながらアランシアは言う。そうするとポーラは深呼吸を繰り返す。
「ここに座って。ゆっくりでいいから話してちょうだい」
ベッドの端へ座り、その隣にポーラを座らせる。元気づけようと、彼女の手を握った。ポーラは顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら、吐き出すように口にした。
「……あの愛人達は、非道です!」
「非道?」
きゅ、と握った手をポーラは強く返してくる。
目は真っ直ぐ前を向いていて、その目は怒りの色がちらついていた。大人しいポーラがここまで怒っているのは久しぶりに見た。ただならない様子にアランシアが彼女の言葉を待っていると、信じられない言葉が飛び出した。
「あの女達は……アランシア様が着る夜会ドレスを全て破いたんです」
「……え?」
嫁入りするときに祖国から持ってきたドレスの中に、夜会用のドレスもあった。
それらは、それぞれアランシアへの贈り物で、妹からの贈り物や、国の侍女達が一生懸命に刺繍したもの。自分を慕う者達が贈ってくれたドレスは特に思い入れが深い。
そのドレスは別室でポーラが保管していた。きちんと施錠され、ポーラが必要な時に持ち出してくれる。主にプレゼントされたものがしまってあったその部屋を、荒らされたという事だろうか。
鍵はポーラが保管している。ドレスの部屋を開けれたと言うことは、鍵を見つけるため、ポーラの部屋も荒らされたのだろう。
可愛い次女のエミリアがせっかく用意してくれたドレス。
いつも澄ました顔で冷たい態度をとる、そんな彼女がわずかに見せた優しさなのに。几帳面な侍女達は自分が納得するまで刺繍を何度もやり直し、それをアランシアに送った。
そんな大切な品々が、消えたと言う。
「その切り刻まれたドレスはどこにあるの?」
ポーラは小さなテーブルに置かれた小ぶりの箱を持ち、蓋を開けてアランシアに中身を見せた。
「…………っ」
部屋から破れたドレスを箱にしまってもってきたのだろう。しかし、相変わらず几帳面な事だ、と笑うことがアランシアにはできなかった。
無残に引き裂かれて布の残骸になってしまったそれらを見て、言葉を失ってしまう。
私が彼女達に何をしただろうか。なぜよく知りもしない他人にこんな事をされなくてはいけないのか。
沸々と怒りがこみ上げ、アランシアは箱を持ったまま感情にまかせて大股で部屋を出て行く。
「姫様!?」
足音を荒くして階段を下り、一階フロアでだらしなくしている愛人達の目の前に立った。
「……あら、王太子妃様。どうかなされて?」
無礼な事に愛人達はソファーにくつろいだまま、ちらりとこちらに視線を向けてそう言う。礼儀があるならば、目上の者が来たら立ち上がり一礼して挨拶をする。そして席を譲るものだ。
しかし、今のアランシアはそんな事に腹を立てている訳ではない。
「……あなた達は何か私に恨みでもあるの?」
例え愛人という立場であっても、それぞれ出身はそれなりの身分があるはずだ。
「身分ある者がそんな礼儀のなっていない事をするなんて、よほど愚かなんでしょうね」
何のことかは言わない。彼女達もわかっているだろう事だ。あえて教えてなどやらない。
「なによ。礼儀がなっていないからって何か問題でもあるの? 立場はあっても力なんてないくせに!」
愛人達が立ち上がってそれぞれ非難し始めた。ゼイヴァルとの結婚は政略結婚だ。彼には愛されてもいないし、それは愛人達もわかっているのだろう。だからこそ彼女達はこうも強気でいられるのだ。
なんて、愚かな女達なのだろうか。
「だからと言って私の侍女の部屋を荒らして贈り物のドレスまで台無しにして。……それは、つまり。私の怒りを買っても構わないと言う事よね」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる