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四 事件
三
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「……でも、ひっかき傷程度ですんだのは幸運だったわね」
「その幸運に感謝しよう」
彼は椅子から腰を上げる。政務に戻る時間なのだろう。
立ち上がりざまにアランシアの額にキスを落とし、柔らかく微笑んだ。そうして立ち去っていく姿を、アランシアは暫く見つめていた。
今朝のささくれた心はすっかり穏やかになっている。
部屋を出るとゾアが待っていた。彼は一礼し、文字がずらりとならぶ書類を手渡した。
「これで全員か?」
一面に並ぶ女の名前を見て、ゾアに尋ねる。
「はい」
「それで、原因は?」
ゆっくりとした歩調で歩きながら紙に連なる名前に目を通す。ゾアも後を付いてきながら答えた。
「アランシア様のドレスを破いたそうです。侍女の話も聞くと、祖国の家族が見繕ったものとかで……」
「この女達はなぜドレスを?」
「妬みでしょう。それぞれ各国の貴族の出です。王族とはいえ、小国の王女であるアランシア様に納得できないのかと」
ふん、と鼻をならす。愛人は隣国の貴族令嬢だ。大国の旧家の娘はアランシアを小国の王女と馬鹿にしているのだろう。
「だから女は嫌いだ。契約を無視する。だいたい外見ですでに負けているのだ。大人しくしておけばいいものを、面倒な」
つい苛立ちから毒をはく。どうしてか腹が立つ。やはり配偶者ともなると気になるものなのだろうか。
「ゼイヴァル様」
「なんだ」
「ヒヤシンスからの恋文です」
「……ああ」
ゾアが差し出す手紙を受け取る。封は切らず、そのままポケットの中に突っ込んだ。
「読まれないのですか?」
「いい。後で読む」
手紙は一人で読みたい。それを察したのか、ゾアはそれ以上何も言わなかった。
***
ひっかき傷ですんだアランシアは翌日、身支度を整えて部屋を出た。
愛人達はさすがに一日で腫れや色までは消えないから今日は大人しく部屋に閉じこもっているだろう。
そんな事を思って階段を下り、一階フロアに行くと、長い髪で痣を隠した愛人達が数人いた。
しかし昨日よりも人数はかなり少なく、やはり愛人達の間で召集をかけても出てきたくない者もいるのだろう。
現に、今目の前にいる愛人達の顔は酷かった。口は切れているし、目は晴れているし、腕なども所々青い。
少しは手加減するべきだったかな、と思った。
さすがに昨日は頭に血が登っていたから無我夢中だったが、一日たってよく見てみれば、相当酷い事になっている。
「……痛くない?」
「痛いに決まってるでしょ、この野蛮人!」
「でも最初にドレスを破いたのは貴女達よ?」
野蛮人とは失礼な。確かに足や手のひらを使って襲いかかる喧嘩しか知らない彼女達にしたら、拳で容赦なく殴るアランシアはさぞや野蛮人に映っただろう。
だが最初に喧嘩を売ってきたのは向こうだ。売られた喧嘩を買って何が悪い。
「あなた、顔がいいからって、ゼイヴァル様に気に入られたからっていい気にならないで!」
別にゼイヴァルに気に入られているとは思っていない。たとえ小国でも王女の身分であった自分の妻をぞんざいには扱えないだけだろう。
「殿下に気に入られているかは知らないけど、まあ顔がいいのは当然よね」
そう言ってやると、愛人達が一瞬固まった。後ろに控えているポーラがくすりと笑う。
「当然ですって?」
「だって、当然でしょう? あなた達も言ったじゃない。誉められているのにわざわざ否定する必要がある?」
「謙遜って言葉を知らないの!?」
キンキンとした声でわめく女に耐えられず、軽く耳をふさいだ。
「うるさいわね。いいじゃない。なぜわざわざ事実を否定しなければいけないの?」
「あなた、頭おかしいわ。何が事実よ! 偉そうに!」
実際に彼女達よりかは地位は上なのだから偉そうなのは仕方ないだろう。顔がいいのも当然で、それなりの努力をしてきたからだ。美人には美人を保つ為の努力がいるのだ。
「そんなに怒ると血管切れるわよ?」
「黙りなさい! なによ、寵姫にもなれていないくせに!」
「……寵姫?」
その発言は軽く受け流せない。愛人達の中で寵姫がいるのだろうか。
「そうよ。いつも文のやり取りをしているのよ」
「その女性こそあなた達の妬みの対象じゃないの?」
アランシアのドレスを破いたりした彼女達が黙っているはずもない。しかし、愛人達は俯いて何やらごにょごにょと口ごもっている。
「だって……」
「ねえ?」
「私、まだ国に帰りたくないわよ」
それぞれが何か言いにくそうにしているのを、アランシアはうんざりとした気持ちで見つめる。
──言いたくないなら別にいいのだけど。
正妻のいる王太子が囲う愛人の中に寵姫がいるだなんて、不貞極まりない噂が本当かどうか知りたいだけなのだ。
「どうして寵姫なの?」
「……だって、いつも文のやり取りをしているし、この国の出身は彼女だけだもの」
「あなた達の中でルクート出身者はその人だけなの?」
「その幸運に感謝しよう」
彼は椅子から腰を上げる。政務に戻る時間なのだろう。
立ち上がりざまにアランシアの額にキスを落とし、柔らかく微笑んだ。そうして立ち去っていく姿を、アランシアは暫く見つめていた。
今朝のささくれた心はすっかり穏やかになっている。
部屋を出るとゾアが待っていた。彼は一礼し、文字がずらりとならぶ書類を手渡した。
「これで全員か?」
一面に並ぶ女の名前を見て、ゾアに尋ねる。
「はい」
「それで、原因は?」
ゆっくりとした歩調で歩きながら紙に連なる名前に目を通す。ゾアも後を付いてきながら答えた。
「アランシア様のドレスを破いたそうです。侍女の話も聞くと、祖国の家族が見繕ったものとかで……」
「この女達はなぜドレスを?」
「妬みでしょう。それぞれ各国の貴族の出です。王族とはいえ、小国の王女であるアランシア様に納得できないのかと」
ふん、と鼻をならす。愛人は隣国の貴族令嬢だ。大国の旧家の娘はアランシアを小国の王女と馬鹿にしているのだろう。
「だから女は嫌いだ。契約を無視する。だいたい外見ですでに負けているのだ。大人しくしておけばいいものを、面倒な」
つい苛立ちから毒をはく。どうしてか腹が立つ。やはり配偶者ともなると気になるものなのだろうか。
「ゼイヴァル様」
「なんだ」
「ヒヤシンスからの恋文です」
「……ああ」
ゾアが差し出す手紙を受け取る。封は切らず、そのままポケットの中に突っ込んだ。
「読まれないのですか?」
「いい。後で読む」
手紙は一人で読みたい。それを察したのか、ゾアはそれ以上何も言わなかった。
***
ひっかき傷ですんだアランシアは翌日、身支度を整えて部屋を出た。
愛人達はさすがに一日で腫れや色までは消えないから今日は大人しく部屋に閉じこもっているだろう。
そんな事を思って階段を下り、一階フロアに行くと、長い髪で痣を隠した愛人達が数人いた。
しかし昨日よりも人数はかなり少なく、やはり愛人達の間で召集をかけても出てきたくない者もいるのだろう。
現に、今目の前にいる愛人達の顔は酷かった。口は切れているし、目は晴れているし、腕なども所々青い。
少しは手加減するべきだったかな、と思った。
さすがに昨日は頭に血が登っていたから無我夢中だったが、一日たってよく見てみれば、相当酷い事になっている。
「……痛くない?」
「痛いに決まってるでしょ、この野蛮人!」
「でも最初にドレスを破いたのは貴女達よ?」
野蛮人とは失礼な。確かに足や手のひらを使って襲いかかる喧嘩しか知らない彼女達にしたら、拳で容赦なく殴るアランシアはさぞや野蛮人に映っただろう。
だが最初に喧嘩を売ってきたのは向こうだ。売られた喧嘩を買って何が悪い。
「あなた、顔がいいからって、ゼイヴァル様に気に入られたからっていい気にならないで!」
別にゼイヴァルに気に入られているとは思っていない。たとえ小国でも王女の身分であった自分の妻をぞんざいには扱えないだけだろう。
「殿下に気に入られているかは知らないけど、まあ顔がいいのは当然よね」
そう言ってやると、愛人達が一瞬固まった。後ろに控えているポーラがくすりと笑う。
「当然ですって?」
「だって、当然でしょう? あなた達も言ったじゃない。誉められているのにわざわざ否定する必要がある?」
「謙遜って言葉を知らないの!?」
キンキンとした声でわめく女に耐えられず、軽く耳をふさいだ。
「うるさいわね。いいじゃない。なぜわざわざ事実を否定しなければいけないの?」
「あなた、頭おかしいわ。何が事実よ! 偉そうに!」
実際に彼女達よりかは地位は上なのだから偉そうなのは仕方ないだろう。顔がいいのも当然で、それなりの努力をしてきたからだ。美人には美人を保つ為の努力がいるのだ。
「そんなに怒ると血管切れるわよ?」
「黙りなさい! なによ、寵姫にもなれていないくせに!」
「……寵姫?」
その発言は軽く受け流せない。愛人達の中で寵姫がいるのだろうか。
「そうよ。いつも文のやり取りをしているのよ」
「その女性こそあなた達の妬みの対象じゃないの?」
アランシアのドレスを破いたりした彼女達が黙っているはずもない。しかし、愛人達は俯いて何やらごにょごにょと口ごもっている。
「だって……」
「ねえ?」
「私、まだ国に帰りたくないわよ」
それぞれが何か言いにくそうにしているのを、アランシアはうんざりとした気持ちで見つめる。
──言いたくないなら別にいいのだけど。
正妻のいる王太子が囲う愛人の中に寵姫がいるだなんて、不貞極まりない噂が本当かどうか知りたいだけなのだ。
「どうして寵姫なの?」
「……だって、いつも文のやり取りをしているし、この国の出身は彼女だけだもの」
「あなた達の中でルクート出身者はその人だけなの?」
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