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五 寵姫の娘
二
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まずい、と焦っているのが自分でもよくわかる。
政略結婚だが、仮にも妻である女をあのように泣かせるなんて、男失格だ。せめてもの償いに、二人だけの夕食に誘った。受けてくれたと言うことは、許してくれようとしているのだと期待したい。彼女のためにとっておきの場所を確保し、料理にも気合いを入れたものを選んでおいた。これで少しは機嫌をなおしてくれるだろうか。
タイを締めながら支度をしていると、ゾアが部屋に入ってきて、手紙を差し出す。そろりと手紙を出す様子からして、何か気乗りしないのだろう。
「誰からだ」
受け取りながら尋ねる。
「ヒヤシンスからです」
今日で二通目だ。そんなに手紙にしたためる事があるのかと半ば呆れながら手紙を開き──固まった。
「……ゾア」
自分が思ったより固い声が出た。腕にはめた時計を確認し、顔をしかめる。
アランシアとの夕食の時間はもう始まろうとしている。なんてタイミングが悪いのか。彼女がまた泣くのではないかと肝が冷えた。
怒るならいい。だが、怒るのではなく泣いてしまったら、どうしていいかわからない。アランシアの泣き顔は見たくない。
しかし、優先すべきはアランシアではないのだと、自分に言い聞かせた。
「彼女に……、アランシアに言伝を」
「……はい」
内容は知っていたのだろう。ゾアは不満気に頷いた。
***
「……もう一度言ってもらえる?」
きゅ、と膝に置いた両手に力がこもる。中庭のテーブルに用意された豪華な料理を目の前に座りながら夫を待っていたらゾアが「ゼイヴァル様は来れない」などと吐いた。
「誠に申し訳ございませんが、ゼイヴァル様は急な用事が入りまして……」
「急な用事? もしかして噂の寵姫とやらの所かしら」
ぐつぐつと自分の中が煮え上がる心地に吐き気を覚えながら、あくまでも優雅に尋ねた。
「…………」
ゾアは答えない。アランシアが寵姫の存在を知っていたことに驚いたようだ。
「あの、アランシア様……」
「結構よ。それ以上何も言わないで」
ゾアの弁解を冷たい声で遮る。来れなかった言い訳など聞きたくない。ゾアに思い切り文句を言ってやりたかったが、それは本人に言うべきだ。彼に非はない。
「ひとまず私は食事を始めますね。ゼイヴァル様には、お気になさらずとお伝えして。……ああ、でも」
紅を差した真っ赤な唇を持ち上げて最大級の笑みを浮かべる。
「──この冷めた料理は一生の思い出になります、というのも忘れずに」
アランシアにとっては料理が温かろうと、冷めていようと、わからないのでどうでも良い。
だが、これくらいの嫌みを言わせてもらってもいいだろう。
約束をまともに果たせない男なんて最低だ。
握りしめた拳に力を入れすぎて、爪が皮膚に刺さる。この痛みが唯一自分の怒りを理解してくれたみたいで、少しだけ怒りがおさまる。
「ゼイヴァル様は来たがっていましたが……」
「結構だと言ったでしょう。言い訳は聞きません」
言い訳を聞いた所で変わる訳がない。今この状況が全ての答えなのだから。
アランシアはため息をついて拳を緩めた。手のひらに深い爪の痕がついていた。そのままフォークを握って料理を口に運んで咀嚼するが、やはり何も感じない。
「……まずいわ」
料理の温度も味も、アランシにはわからない。だが、一人で冷めた料理を食べるのだから、まちがいなく“まずい料理”と言えるだろう。
味は関係ない。気持ちの問題だ。
無機質な物を食べている感覚が口の中に広がる。ゼイヴァルとの関係は冷めた料理などではない。今食べているものみたいに何も感じない無機質なものだ。
今アランシアが食事する場所は庭の端にある小さなガゼボ。わざわざキャンドルで灯され、豪華な料理が並ぶが、それも一人ではただの嫌みにしか見えない。
王族の姫には政略結婚がつきものだ。幼い頃から覚悟はしていたが想像よりもずっと心に響く。そうしてこれほどあの男に心がこうも簡単に翻弄されるのか、自分のことがもうわからない。
そのまま知りたくない答えに蓋をして、どこかに仕舞い込んでしまいたい。
アランシアは目の前の料理にナイフを突き刺し、口に運ぶ。腹は満たされても心は一向に満たされない。
ただ生きながらえるために咀嚼し、嚥下して取り込むこの作業は、今夜は特に悲しかった。
政略結婚だが、仮にも妻である女をあのように泣かせるなんて、男失格だ。せめてもの償いに、二人だけの夕食に誘った。受けてくれたと言うことは、許してくれようとしているのだと期待したい。彼女のためにとっておきの場所を確保し、料理にも気合いを入れたものを選んでおいた。これで少しは機嫌をなおしてくれるだろうか。
タイを締めながら支度をしていると、ゾアが部屋に入ってきて、手紙を差し出す。そろりと手紙を出す様子からして、何か気乗りしないのだろう。
「誰からだ」
受け取りながら尋ねる。
「ヒヤシンスからです」
今日で二通目だ。そんなに手紙にしたためる事があるのかと半ば呆れながら手紙を開き──固まった。
「……ゾア」
自分が思ったより固い声が出た。腕にはめた時計を確認し、顔をしかめる。
アランシアとの夕食の時間はもう始まろうとしている。なんてタイミングが悪いのか。彼女がまた泣くのではないかと肝が冷えた。
怒るならいい。だが、怒るのではなく泣いてしまったら、どうしていいかわからない。アランシアの泣き顔は見たくない。
しかし、優先すべきはアランシアではないのだと、自分に言い聞かせた。
「彼女に……、アランシアに言伝を」
「……はい」
内容は知っていたのだろう。ゾアは不満気に頷いた。
***
「……もう一度言ってもらえる?」
きゅ、と膝に置いた両手に力がこもる。中庭のテーブルに用意された豪華な料理を目の前に座りながら夫を待っていたらゾアが「ゼイヴァル様は来れない」などと吐いた。
「誠に申し訳ございませんが、ゼイヴァル様は急な用事が入りまして……」
「急な用事? もしかして噂の寵姫とやらの所かしら」
ぐつぐつと自分の中が煮え上がる心地に吐き気を覚えながら、あくまでも優雅に尋ねた。
「…………」
ゾアは答えない。アランシアが寵姫の存在を知っていたことに驚いたようだ。
「あの、アランシア様……」
「結構よ。それ以上何も言わないで」
ゾアの弁解を冷たい声で遮る。来れなかった言い訳など聞きたくない。ゾアに思い切り文句を言ってやりたかったが、それは本人に言うべきだ。彼に非はない。
「ひとまず私は食事を始めますね。ゼイヴァル様には、お気になさらずとお伝えして。……ああ、でも」
紅を差した真っ赤な唇を持ち上げて最大級の笑みを浮かべる。
「──この冷めた料理は一生の思い出になります、というのも忘れずに」
アランシアにとっては料理が温かろうと、冷めていようと、わからないのでどうでも良い。
だが、これくらいの嫌みを言わせてもらってもいいだろう。
約束をまともに果たせない男なんて最低だ。
握りしめた拳に力を入れすぎて、爪が皮膚に刺さる。この痛みが唯一自分の怒りを理解してくれたみたいで、少しだけ怒りがおさまる。
「ゼイヴァル様は来たがっていましたが……」
「結構だと言ったでしょう。言い訳は聞きません」
言い訳を聞いた所で変わる訳がない。今この状況が全ての答えなのだから。
アランシアはため息をついて拳を緩めた。手のひらに深い爪の痕がついていた。そのままフォークを握って料理を口に運んで咀嚼するが、やはり何も感じない。
「……まずいわ」
料理の温度も味も、アランシにはわからない。だが、一人で冷めた料理を食べるのだから、まちがいなく“まずい料理”と言えるだろう。
味は関係ない。気持ちの問題だ。
無機質な物を食べている感覚が口の中に広がる。ゼイヴァルとの関係は冷めた料理などではない。今食べているものみたいに何も感じない無機質なものだ。
今アランシアが食事する場所は庭の端にある小さなガゼボ。わざわざキャンドルで灯され、豪華な料理が並ぶが、それも一人ではただの嫌みにしか見えない。
王族の姫には政略結婚がつきものだ。幼い頃から覚悟はしていたが想像よりもずっと心に響く。そうしてこれほどあの男に心がこうも簡単に翻弄されるのか、自分のことがもうわからない。
そのまま知りたくない答えに蓋をして、どこかに仕舞い込んでしまいたい。
アランシアは目の前の料理にナイフを突き刺し、口に運ぶ。腹は満たされても心は一向に満たされない。
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