欲しいのは林檎とあなた

天嶺 優香

文字の大きさ
21 / 38
五 寵姫の娘

しおりを挟む
 まずい、と焦っているのが自分でもよくわかる。
 政略結婚だが、仮にも妻である女をあのように泣かせるなんて、男失格だ。せめてもの償いに、二人だけの夕食に誘った。受けてくれたと言うことは、許してくれようとしているのだと期待したい。彼女のためにとっておきの場所を確保し、料理にも気合いを入れたものを選んでおいた。これで少しは機嫌をなおしてくれるだろうか。
 タイを締めながら支度をしていると、ゾアが部屋に入ってきて、手紙を差し出す。そろりと手紙を出す様子からして、何か気乗りしないのだろう。
「誰からだ」
 受け取りながら尋ねる。
「ヒヤシンスからです」
 今日で二通目だ。そんなに手紙にしたためる事があるのかと半ば呆れながら手紙を開き──固まった。
「……ゾア」
 自分が思ったより固い声が出た。腕にはめた時計を確認し、顔をしかめる。
 アランシアとの夕食の時間はもう始まろうとしている。なんてタイミングが悪いのか。彼女がまた泣くのではないかと肝が冷えた。
 怒るならいい。だが、怒るのではなく泣いてしまったら、どうしていいかわからない。アランシアの泣き顔は見たくない。
 しかし、優先すべきはアランシアではないのだと、自分に言い聞かせた。
「彼女に……、アランシアに言伝ことずてを」
「……はい」
 内容は知っていたのだろう。ゾアは不満気に頷いた。

    ***

「……もう一度言ってもらえる?」
 きゅ、と膝に置いた両手に力がこもる。中庭のテーブルに用意された豪華な料理を目の前に座りながら夫を待っていたらゾアが「ゼイヴァル様は来れない」などと吐いた。
「誠に申し訳ございませんが、ゼイヴァル様は急な用事が入りまして……」
「急な用事? もしかして噂の寵姫とやらの所かしら」
 ぐつぐつと自分の中が煮え上がる心地に吐き気を覚えながら、あくまでも優雅に尋ねた。
「…………」
 ゾアは答えない。アランシアが寵姫の存在を知っていたことに驚いたようだ。
「あの、アランシア様……」
「結構よ。それ以上何も言わないで」
 ゾアの弁解を冷たい声で遮る。来れなかった言い訳など聞きたくない。ゾアに思い切り文句を言ってやりたかったが、それは本人に言うべきだ。彼に非はない。
「ひとまず私は食事を始めますね。ゼイヴァル様には、お気になさらずとお伝えして。……ああ、でも」
 紅を差した真っ赤な唇を持ち上げて最大級の笑みを浮かべる。
「──この冷めた料理は一生の思い出になります、というのも忘れずに」
 アランシアにとっては料理が温かろうと、冷めていようと、わからないのでどうでも良い。
 だが、これくらいの嫌みを言わせてもらってもいいだろう。
 約束をまともに果たせない男なんて最低だ。
 握りしめた拳に力を入れすぎて、爪が皮膚に刺さる。この痛みが唯一自分の怒りを理解してくれたみたいで、少しだけ怒りがおさまる。
「ゼイヴァル様は来たがっていましたが……」
「結構だと言ったでしょう。言い訳は聞きません」
 言い訳を聞いた所で変わる訳がない。今この状況が全ての答えなのだから。
 アランシアはため息をついて拳を緩めた。手のひらに深い爪の痕がついていた。そのままフォークを握って料理を口に運んで咀嚼するが、やはり何も感じない。
「……まずいわ」
 料理の温度も味も、アランシにはわからない。だが、一人で冷めた料理を食べるのだから、まちがいなく“まずい料理”と言えるだろう。
 味は関係ない。気持ちの問題だ。
 無機質な物を食べている感覚が口の中に広がる。ゼイヴァルとの関係は冷めた料理などではない。今食べているものみたいに何も感じない無機質なものだ。
 今アランシアが食事する場所は庭の端にある小さなガゼボ。わざわざキャンドルで灯され、豪華な料理が並ぶが、それも一人ではただの嫌みにしか見えない。
 王族の姫には政略結婚がつきものだ。幼い頃から覚悟はしていたが想像よりもずっと心に響く。そうしてこれほどあの男に心がこうも簡単に翻弄されるのか、自分のことがもうわからない。
 そのまま知りたくない答えに蓋をして、どこかに仕舞い込んでしまいたい。
 アランシアは目の前の料理にナイフを突き刺し、口に運ぶ。腹は満たされても心は一向に満たされない。
 ただ生きながらえるために咀嚼し、嚥下して取り込むこの作業は、今夜は特に悲しかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...