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六 手紙
五
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──危なかった。
寝起きで頭がうまく回らないだけに、本音が出そうになる。
艶やかな髪も、透き通る肌も、羞恥で涙をためる瞳も──何もかもが艶めかしくて、全てがゼイヴァルを誘惑する。
気づいた時には押し倒していて、何もかも貪りたくなっていた。
汚したい。壊したい。
黒い感情が渦巻く。この神々しい聖女を、ぐちゃぐちゃにしたい。
そんな嗜虐心が疼いてしまった。
まだ日も高いうちから、自分は一体何をしようとしていたのか。
──女官が来て良かった。
誰もが往来するあんな所で、酷い事をしそうだった。
寝ぼけて理性の糸が緩んだとはいえ、これでは彼女に引かれても仕方ない。
執務室に向かいながら、隣を歩く妻を見る。白い肌が、頬だけ熟れた果実のように赤かった。
──触りたい。
そんな欲求が出てきて、顔をしかめた。自分の理性の糸をしっかり結ぶ。
「それで、用事もないのにわざわざ起こしに来たわけじゃないだろう?」
問いかけても、彼女はこちらを見ない。ただひらたすら前を見て、眉を寄せている。
「ええ。ラリアの恋文相手が私に変更したの。だから、それを伝えに」
その言葉に、ゼイヴァルの足がピタリと止まる。
アランシアも合わせて立ち止まり、ようやくこちらを見た。
まだ頬に熱を宿していたが、ゼイヴァルを見る目はひたすら鋭い。
「ラリアと話したの?」
「ええ」
ラリアは一体どこまで話したのだろう。
それを聞こうにも、彼女の視線が鋭くて聞けない。ゼイヴァルは息を吐き、再び歩き出す。
「じゃあ、今までラリアから来た手紙を渡すよ」
「わかったわ」
アランシアは素直についてくる。
ゼイヴァルは付いてきてくれる事に安堵し、やがて執務室にたどり着く。
扉前で待っていたゾアを睨みつつ、彼女を部屋に入れる。
「彼女から来た手紙はこれで全部だよ」
鍵付きの箱に入った手紙を見せ、その箱ごと渡す。
「……これは、読んでいいの?」
「いいよ」
ゼイヴァルが部屋の隅にある椅子を指差す。
「ここで読んでいくといい」
「いいの?」
「いいよ」
ゼイヴァルは自分の執務用のテーブルの前に置かれた椅子に座り、大量の資料を手に取る。
「俺はここで仕事をするから。君はそこで読んでいて」
「部屋では駄目なの?」
自分の部屋で読みたいのだろうアランシアがそう尋ねてきて、ゼイヴァルはにこやかな笑顔で返した。
「駄目だよ」
言葉か笑顔が気に入らなかったのか、アランシアが顔をしかめた。
──可愛いな。
前より素直に彼女の事を受け止められる自分の変化に、ゼイヴァルは心の中で苦笑した。
***
執務用のテーブルで書類を裁いていくゼイヴァルを、アランシアはちらりと見る。
しかし、いつまで見ていても仕方ないので、膝に置いて抱える箱から一番古い手紙を取り出す。
わざわざ送られた順に揃えるなんて律儀な事だ。
毒を吐きながら手紙を開き──首を傾げた。意味がわからない。
大好きな私のリアド様、から文章は始まり、何気ない近状の報告と──
『リアド様は死んでしまったの?』
最後に追記として書かれていたその文字は、なぜか滲んでいた。
何か液体が紙面に染み付いたようで──書きながら涙を流していたのだと気づく。
二通目に移り、やはり最後には似たような言葉。
『リアド様のお葬式は明日ですって』
冒頭からずっと普通の文章なのに、なぜか最後に必ず文字が滲んだ追記がある。
ラリアの恋人は遠くへ行ったのではない。亡くなったのだ。そして、ラリアは捨てられた訳ではなかった。
流暢な字が羅列する手紙が、くしゃりと歪む。
気づけば両手には力がこもっていた。
──おめでたいのはラリアじゃないわ。
おめでたくて、愚かなのはアランシアの方だ。恋人を失って平気なはずがない。
それを一方的に決めつけて、彼女が夢を見ているだけの女かと思った。
遠くへ行ってしまった恋人と過ごした場所にいたいと彼女は言った。アランシアと変わらない年で、最愛の恋人を失った彼女がそれを願って、何がいけないと言うのだろう。
「……このリアド様って誰なの?」
質問にしては声が小さかったが、それでもゼイヴァルはきちんと聞き取ってアランシアの方を向く。
「リアド──リアドゥードは俺の兄で、この国の第一王子だった人だよ。……君の、最初の許嫁でもある」
その言葉に、アランシアは硬直した。何を言われているのか理解できない。
なぜ亡くなった第一王子がアランシアの許嫁なのか──
「……雑草男?」
零れた呟きは無意識だった。
幼い日に、自分に唯一雑草を渡したあの少年。どこにも彼と同じ髪色をした王子はいなかった。
ゼイヴァルがアランシアの言葉を不可解そうな顔をしているのを見て──自分が失言をした事にようやく気づいた。
「あ、違うの! 昔、雑草を送ってくれたからで、別に馬鹿にしてるわけじゃ……っ」
──王子を雑草男だなんてあまりにも失礼すぎる!
真っ青になりながら慌てていると、いきなり荒々しく扉が開いた。
ドアを開けた張本人であるゾアをゼイヴァルは顔をしかめて睨む。
「入室を許可した覚えはないけど」
「──ラリア様がお倒れになりました」
寝起きで頭がうまく回らないだけに、本音が出そうになる。
艶やかな髪も、透き通る肌も、羞恥で涙をためる瞳も──何もかもが艶めかしくて、全てがゼイヴァルを誘惑する。
気づいた時には押し倒していて、何もかも貪りたくなっていた。
汚したい。壊したい。
黒い感情が渦巻く。この神々しい聖女を、ぐちゃぐちゃにしたい。
そんな嗜虐心が疼いてしまった。
まだ日も高いうちから、自分は一体何をしようとしていたのか。
──女官が来て良かった。
誰もが往来するあんな所で、酷い事をしそうだった。
寝ぼけて理性の糸が緩んだとはいえ、これでは彼女に引かれても仕方ない。
執務室に向かいながら、隣を歩く妻を見る。白い肌が、頬だけ熟れた果実のように赤かった。
──触りたい。
そんな欲求が出てきて、顔をしかめた。自分の理性の糸をしっかり結ぶ。
「それで、用事もないのにわざわざ起こしに来たわけじゃないだろう?」
問いかけても、彼女はこちらを見ない。ただひらたすら前を見て、眉を寄せている。
「ええ。ラリアの恋文相手が私に変更したの。だから、それを伝えに」
その言葉に、ゼイヴァルの足がピタリと止まる。
アランシアも合わせて立ち止まり、ようやくこちらを見た。
まだ頬に熱を宿していたが、ゼイヴァルを見る目はひたすら鋭い。
「ラリアと話したの?」
「ええ」
ラリアは一体どこまで話したのだろう。
それを聞こうにも、彼女の視線が鋭くて聞けない。ゼイヴァルは息を吐き、再び歩き出す。
「じゃあ、今までラリアから来た手紙を渡すよ」
「わかったわ」
アランシアは素直についてくる。
ゼイヴァルは付いてきてくれる事に安堵し、やがて執務室にたどり着く。
扉前で待っていたゾアを睨みつつ、彼女を部屋に入れる。
「彼女から来た手紙はこれで全部だよ」
鍵付きの箱に入った手紙を見せ、その箱ごと渡す。
「……これは、読んでいいの?」
「いいよ」
ゼイヴァルが部屋の隅にある椅子を指差す。
「ここで読んでいくといい」
「いいの?」
「いいよ」
ゼイヴァルは自分の執務用のテーブルの前に置かれた椅子に座り、大量の資料を手に取る。
「俺はここで仕事をするから。君はそこで読んでいて」
「部屋では駄目なの?」
自分の部屋で読みたいのだろうアランシアがそう尋ねてきて、ゼイヴァルはにこやかな笑顔で返した。
「駄目だよ」
言葉か笑顔が気に入らなかったのか、アランシアが顔をしかめた。
──可愛いな。
前より素直に彼女の事を受け止められる自分の変化に、ゼイヴァルは心の中で苦笑した。
***
執務用のテーブルで書類を裁いていくゼイヴァルを、アランシアはちらりと見る。
しかし、いつまで見ていても仕方ないので、膝に置いて抱える箱から一番古い手紙を取り出す。
わざわざ送られた順に揃えるなんて律儀な事だ。
毒を吐きながら手紙を開き──首を傾げた。意味がわからない。
大好きな私のリアド様、から文章は始まり、何気ない近状の報告と──
『リアド様は死んでしまったの?』
最後に追記として書かれていたその文字は、なぜか滲んでいた。
何か液体が紙面に染み付いたようで──書きながら涙を流していたのだと気づく。
二通目に移り、やはり最後には似たような言葉。
『リアド様のお葬式は明日ですって』
冒頭からずっと普通の文章なのに、なぜか最後に必ず文字が滲んだ追記がある。
ラリアの恋人は遠くへ行ったのではない。亡くなったのだ。そして、ラリアは捨てられた訳ではなかった。
流暢な字が羅列する手紙が、くしゃりと歪む。
気づけば両手には力がこもっていた。
──おめでたいのはラリアじゃないわ。
おめでたくて、愚かなのはアランシアの方だ。恋人を失って平気なはずがない。
それを一方的に決めつけて、彼女が夢を見ているだけの女かと思った。
遠くへ行ってしまった恋人と過ごした場所にいたいと彼女は言った。アランシアと変わらない年で、最愛の恋人を失った彼女がそれを願って、何がいけないと言うのだろう。
「……このリアド様って誰なの?」
質問にしては声が小さかったが、それでもゼイヴァルはきちんと聞き取ってアランシアの方を向く。
「リアド──リアドゥードは俺の兄で、この国の第一王子だった人だよ。……君の、最初の許嫁でもある」
その言葉に、アランシアは硬直した。何を言われているのか理解できない。
なぜ亡くなった第一王子がアランシアの許嫁なのか──
「……雑草男?」
零れた呟きは無意識だった。
幼い日に、自分に唯一雑草を渡したあの少年。どこにも彼と同じ髪色をした王子はいなかった。
ゼイヴァルがアランシアの言葉を不可解そうな顔をしているのを見て──自分が失言をした事にようやく気づいた。
「あ、違うの! 昔、雑草を送ってくれたからで、別に馬鹿にしてるわけじゃ……っ」
──王子を雑草男だなんてあまりにも失礼すぎる!
真っ青になりながら慌てていると、いきなり荒々しく扉が開いた。
ドアを開けた張本人であるゾアをゼイヴァルは顔をしかめて睨む。
「入室を許可した覚えはないけど」
「──ラリア様がお倒れになりました」
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