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◆第六章 古き大妖◆
第六十六話 顕現の拒絶
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本堂から抜け出したスミジは大源寺裏手の山に居た。
そこは寺の境内の外側……当然ながら焚き火などの灯りはなく、ただ月明かりのみがスミジの姿を浮かび上がらせている。寺で行われている談笑も届かない静寂の中でスミジはその手に筆を持ち立っていた。
「…………」
良く見れば周囲には黒いシミのようなものが撒き散っている。その内幾つかはまだ朱色を放っていたが、時間が経つにつれ闇に溶け込むように色を失った。
と……スミジは背後に気配を感じ振り返る。そこに居たのは筧椿姫だった。
「筧さん……」
「済まないな。姿が無かったので捜したのだが……邪魔をしてしまったかな?」
「いえ……」
スミジは竹筒に筆を納め懐に仕舞った。
「……。こんな所で何をしていたのか聞いても?」
「問題無いですよ。ただ、この場所の方が都合が良かっただけなので……」
「……?」
「道祖土の術に関しては大体わかりましたよね?」
「ああ……」
「その中でも核心になる霊気写法……【あやかし】の顕現は目で見た幽世の存在から力を借りる術です。でも、顕現には条件があってですね……」
一つは討滅されていないこと。
討滅は存在の力を大きく奪う……たとえ人が強く認識を持っていても一度討滅された【あやかし】は存在の力を失っている為に形を保てない。再び力を得るには永き時と更に多くの認識を獲得しなければならない。
そしてもう一つ……討滅されていない場合でも【あやかし】を顕現できない時がある。
「実は……牛鬼を顕現しようとしていました」
「………」
少し目を見開いた筧だったが直ぐに小さな溜息を吐いた。その顔は明らかに呆れている。
「やれやれ……。今日死闘を繰り広げた相手だぞ? ああ……だからこんな人気の無い場所に一人で……」
「はい。闇の中の方が顕現させやすいのも理由ではあるんですけどね……。折角の祝宴をぶち壊さないとも限らないので……」
倒した筈の牛鬼の姿を誰かに見られたら騒ぎになるのは間違いない。だからスミジは一人で目立たぬよう試していたのである。
「理由は分かった。それで結果は……駄目だった訳だな?」
周囲に飛び散っているシミは牛鬼を形作れず崩れたスミジの墨……。その量から一度ならず何度か試した様子が窺える。
「通常、討滅じゃないなら失敗したことは無いんですけどね……牛鬼、意地でも力を貸したくないみたいだ」
それが霊気写法で顕現できないもう一つの理由……『あやかし側の拒絶』──。
道祖土の術に由る顕現は『存在の力を借りる』ものである以上、幽世側の【あやかし】にも術を行使されている自覚はある。そして基本的に【あやかし】は道祖土の術で顕現されることを拒まない。理由としては姿をより多くの人間に認識されることで自らの存在の力も高まる為。
【あやかし】にとって認識されることは自らの存在維持に繋がる。幽世に居ても現世に居てもそれは変わらない。
更には霊気写法で顕現させた際の【あやかし】の行動は干渉はできずとも幽世側で間接的に見ることができる。それもまた現世に興味を示す【あやかし】にとっては魅力的な対価……。
だが、牛鬼はそれらの利点を無視し力を貸すことを拒絶している。要はスミジが気に入らないという意思表示だ。
「現世を追放されたことが余程悔しかったのか、いつか自力で現世に戻るという俺への当て付けなのか……」
「まぁ仕方ないだろうさ。結局のところ牛鬼を倒したのは我々ではない。負けた相手ではない以上は力を貸さない……牛鬼にもその程度の気位はあるのではないか?」
「確かにそうですね……」
「道祖土殿も牛鬼の力を欲した訳でも無いのだろう……何故、顕現させようと?」
「……ちょっと言いたかったことがあったんですよ」
「牛鬼に……か?」
「ええ」
道祖土は幽世との意思疎通ができる手段がある訳ではない。術の体系が宗教ではない為に神仏との疎通ができる巫術は使えない。
存在の力を通した飽くまで一方的な伝達……それでも戦いとは別の形で伝えたかった言葉があった。
もっとも……今回はそれさえも叶わなかった訳だが……。
「人間を観察して学んだなら人間の悲しみも理解しろ……って言いたかったんです」
「…………」
この言葉に筧は再び呆れた表情を見せるも、やがて楽しそうに笑い始めた。
「フフフ……ハハハハハ。やはり面白いな、道祖土殿は」
契約を用いて【あやかし】と繋がる術者の様な例外を除き、【あやかし】側と理解し合おうという思考は殆どの祓い師が持ち合わせていない。ましてや人を死に追いやった凶妖に説教をしようとする者など現代でも確実に変わり者の部類である。
それでも……筧はスミジの在り方を否定はしなかった。
人と【あやかし】の関係は恐らく永遠に変わることは無いだろう。その中で道祖土という存在はどんな変化を齎すのか……筧は少し興味を持った。
「……さあ、そろそろ戻ろうか。酒はまだまだある……無くなるまで今宵は逃げられないぞ、道祖土殿?」
「ハ……ハハハ……。お、お手柔らかにお願いします~……」
この日、人の脅威となる大妖が祓われた。その事実を平和な日常を暮らす人々が知ることはない……。
そこは寺の境内の外側……当然ながら焚き火などの灯りはなく、ただ月明かりのみがスミジの姿を浮かび上がらせている。寺で行われている談笑も届かない静寂の中でスミジはその手に筆を持ち立っていた。
「…………」
良く見れば周囲には黒いシミのようなものが撒き散っている。その内幾つかはまだ朱色を放っていたが、時間が経つにつれ闇に溶け込むように色を失った。
と……スミジは背後に気配を感じ振り返る。そこに居たのは筧椿姫だった。
「筧さん……」
「済まないな。姿が無かったので捜したのだが……邪魔をしてしまったかな?」
「いえ……」
スミジは竹筒に筆を納め懐に仕舞った。
「……。こんな所で何をしていたのか聞いても?」
「問題無いですよ。ただ、この場所の方が都合が良かっただけなので……」
「……?」
「道祖土の術に関しては大体わかりましたよね?」
「ああ……」
「その中でも核心になる霊気写法……【あやかし】の顕現は目で見た幽世の存在から力を借りる術です。でも、顕現には条件があってですね……」
一つは討滅されていないこと。
討滅は存在の力を大きく奪う……たとえ人が強く認識を持っていても一度討滅された【あやかし】は存在の力を失っている為に形を保てない。再び力を得るには永き時と更に多くの認識を獲得しなければならない。
そしてもう一つ……討滅されていない場合でも【あやかし】を顕現できない時がある。
「実は……牛鬼を顕現しようとしていました」
「………」
少し目を見開いた筧だったが直ぐに小さな溜息を吐いた。その顔は明らかに呆れている。
「やれやれ……。今日死闘を繰り広げた相手だぞ? ああ……だからこんな人気の無い場所に一人で……」
「はい。闇の中の方が顕現させやすいのも理由ではあるんですけどね……。折角の祝宴をぶち壊さないとも限らないので……」
倒した筈の牛鬼の姿を誰かに見られたら騒ぎになるのは間違いない。だからスミジは一人で目立たぬよう試していたのである。
「理由は分かった。それで結果は……駄目だった訳だな?」
周囲に飛び散っているシミは牛鬼を形作れず崩れたスミジの墨……。その量から一度ならず何度か試した様子が窺える。
「通常、討滅じゃないなら失敗したことは無いんですけどね……牛鬼、意地でも力を貸したくないみたいだ」
それが霊気写法で顕現できないもう一つの理由……『あやかし側の拒絶』──。
道祖土の術に由る顕現は『存在の力を借りる』ものである以上、幽世側の【あやかし】にも術を行使されている自覚はある。そして基本的に【あやかし】は道祖土の術で顕現されることを拒まない。理由としては姿をより多くの人間に認識されることで自らの存在の力も高まる為。
【あやかし】にとって認識されることは自らの存在維持に繋がる。幽世に居ても現世に居てもそれは変わらない。
更には霊気写法で顕現させた際の【あやかし】の行動は干渉はできずとも幽世側で間接的に見ることができる。それもまた現世に興味を示す【あやかし】にとっては魅力的な対価……。
だが、牛鬼はそれらの利点を無視し力を貸すことを拒絶している。要はスミジが気に入らないという意思表示だ。
「現世を追放されたことが余程悔しかったのか、いつか自力で現世に戻るという俺への当て付けなのか……」
「まぁ仕方ないだろうさ。結局のところ牛鬼を倒したのは我々ではない。負けた相手ではない以上は力を貸さない……牛鬼にもその程度の気位はあるのではないか?」
「確かにそうですね……」
「道祖土殿も牛鬼の力を欲した訳でも無いのだろう……何故、顕現させようと?」
「……ちょっと言いたかったことがあったんですよ」
「牛鬼に……か?」
「ええ」
道祖土は幽世との意思疎通ができる手段がある訳ではない。術の体系が宗教ではない為に神仏との疎通ができる巫術は使えない。
存在の力を通した飽くまで一方的な伝達……それでも戦いとは別の形で伝えたかった言葉があった。
もっとも……今回はそれさえも叶わなかった訳だが……。
「人間を観察して学んだなら人間の悲しみも理解しろ……って言いたかったんです」
「…………」
この言葉に筧は再び呆れた表情を見せるも、やがて楽しそうに笑い始めた。
「フフフ……ハハハハハ。やはり面白いな、道祖土殿は」
契約を用いて【あやかし】と繋がる術者の様な例外を除き、【あやかし】側と理解し合おうという思考は殆どの祓い師が持ち合わせていない。ましてや人を死に追いやった凶妖に説教をしようとする者など現代でも確実に変わり者の部類である。
それでも……筧はスミジの在り方を否定はしなかった。
人と【あやかし】の関係は恐らく永遠に変わることは無いだろう。その中で道祖土という存在はどんな変化を齎すのか……筧は少し興味を持った。
「……さあ、そろそろ戻ろうか。酒はまだまだある……無くなるまで今宵は逃げられないぞ、道祖土殿?」
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