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2.本当の名前
本当の名前④
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先ほど師匠が言っていたのはその書道展の話だ。この『東部書道展』という展覧会は会派を問わず参加できるもので、歴史もあり有名なものだった。
香澄も毎年出品している。
作品を書くためにはまずは『何を書く』かを考えなくてはいけない。そして書いたものを師匠に見てもらったり、会の中での錬成会という一日中書く日などもあってそこでも練習を重ねる。半年ほど前から準備を開始するものなのだ。
香澄はお手本となる本の中から印象深い言葉を書き出して書にすることにしていた。
おそらく師匠が手にしていたのもその参考資料になりそうな本なのだろう。
お稽古用の部屋にはそういう参考資料がたくさんあった。
香澄はその本棚の前に立ち、なにか書の参考になるものはないかとチェックを始める。
「柚木さん、最近なにかあった?」
夢中になって本棚を見ていた香澄はそう声をかけられて、思わず手を止める。
師匠が香澄のことをにこにことしながら見ていた。
「いえ……なにもないですよ?」
強いて言えば、お見合いをした。
けれどあれはお断りして終わりとなったのだし、香澄はもともと身代わりだったのだ。
出会ったのは素敵な人だったけれど、それは終わったことだ。
「ふぅん? なんか雰囲気が違うんですけどね」
「気のせいだと思いますよ」
「そうかなぁ? 僕はその手の勘は非常に良いと自負しているんだけれど。君がそう言うなら、まぁいい」
実際に師匠の勘が鋭いのも確かではある。
「そうだな……そんな柚木さんには大正とか昭和初期の文豪の小説の作品を書にするのも良いかもしれない」
香澄は首を傾げた。
「宮沢賢治とか、夏目漱石とかですか?」
頭の中を『雨ニモマケズ……』などの文章がふとよぎる。学校で覚えさせられた記憶があった。暗唱のテストとかあったように思う。
「泉鏡花とか谷崎潤一郎とかね」
「読んだことないです……」
「面白いよ。まあ、けど書きやすいのは近代の小説だろう」
師匠に差し出されたそれは少し前に発売されたベストセラー小説で、映画化もされて有名になったものだった。
「あら? 谷崎潤一郎とかではないんですか?」
「そうだね。君にはこちらの方が向いているだろう」
差し出された文庫本は、香澄の記憶では賞を受賞していたし、ミリオンセラーにもなっていた本ではあった。
「これを、書に?」
「よく読み込んでみて」
香澄はその本を受け取った。見覚えがある表紙だ。本のタイトルが流行語にノミネートされており、一世を風靡した作品なのだ。よく探せば自宅にもあるはずだ。
昔は何度か読んだ記憶があったけれど、内容はもう忘れていた。
「うちにもあった気がしますけど。どこにやったかな……」
「それは資料だから持ち帰っていいよ」
「ありがとうございます」
香澄も毎年出品している。
作品を書くためにはまずは『何を書く』かを考えなくてはいけない。そして書いたものを師匠に見てもらったり、会の中での錬成会という一日中書く日などもあってそこでも練習を重ねる。半年ほど前から準備を開始するものなのだ。
香澄はお手本となる本の中から印象深い言葉を書き出して書にすることにしていた。
おそらく師匠が手にしていたのもその参考資料になりそうな本なのだろう。
お稽古用の部屋にはそういう参考資料がたくさんあった。
香澄はその本棚の前に立ち、なにか書の参考になるものはないかとチェックを始める。
「柚木さん、最近なにかあった?」
夢中になって本棚を見ていた香澄はそう声をかけられて、思わず手を止める。
師匠が香澄のことをにこにことしながら見ていた。
「いえ……なにもないですよ?」
強いて言えば、お見合いをした。
けれどあれはお断りして終わりとなったのだし、香澄はもともと身代わりだったのだ。
出会ったのは素敵な人だったけれど、それは終わったことだ。
「ふぅん? なんか雰囲気が違うんですけどね」
「気のせいだと思いますよ」
「そうかなぁ? 僕はその手の勘は非常に良いと自負しているんだけれど。君がそう言うなら、まぁいい」
実際に師匠の勘が鋭いのも確かではある。
「そうだな……そんな柚木さんには大正とか昭和初期の文豪の小説の作品を書にするのも良いかもしれない」
香澄は首を傾げた。
「宮沢賢治とか、夏目漱石とかですか?」
頭の中を『雨ニモマケズ……』などの文章がふとよぎる。学校で覚えさせられた記憶があった。暗唱のテストとかあったように思う。
「泉鏡花とか谷崎潤一郎とかね」
「読んだことないです……」
「面白いよ。まあ、けど書きやすいのは近代の小説だろう」
師匠に差し出されたそれは少し前に発売されたベストセラー小説で、映画化もされて有名になったものだった。
「あら? 谷崎潤一郎とかではないんですか?」
「そうだね。君にはこちらの方が向いているだろう」
差し出された文庫本は、香澄の記憶では賞を受賞していたし、ミリオンセラーにもなっていた本ではあった。
「これを、書に?」
「よく読み込んでみて」
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昔は何度か読んだ記憶があったけれど、内容はもう忘れていた。
「うちにもあった気がしますけど。どこにやったかな……」
「それは資料だから持ち帰っていいよ」
「ありがとうございます」
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