32 / 86
7.香澄ちゃんの冒険
香澄ちゃんの冒険 ①
名前で呼ぶこともそうだが、恋愛には超えなくてはいけないハードルがたくさんあるらしい。
それでも、神代と離れることを考えたくはなかった。
きっとこれからも香澄の前にはたくさんのハードルが現れるはずだ。その度に逃げてはいられない。
香澄はベッドの上で愛用のクッションをきゅっと抱きしめた。
「柚木さん、東部書道展に出す文字は決まりましたか?」
香澄がお稽古で文字を練習していると師匠にそう声をかけられ、香澄は顔を上げる。
書道展に出す文字はまだ決まっていない。正直を言えばそれどころではなかったのだ。けれど、そうもいっていられないだろう。
立ち上がった香澄は師匠に頭を下げる。
「すみません。まだ決まっていなくて……」
「もちろんまだ時間はあるから大丈夫です。珍しいですね。迷っていますか?」
「いえ……まだしっかり自分が書きたいものに向き合えていないというか……迷っているというところまでもいっていませんね」
自嘲するような笑みしか浮かんでこなかった。恋愛のことでばかり悩んでもいられない。やらなければならないこともあるのだから。
「もう一度、自分が書きたいものを見つめ直します」
「とてもいい顔をしていますね」
師匠はそういって微笑む。自分ではダメダメだと思うのに、師匠からはそうは見えないらしい。
「頑張ります」
「新しい柚木さんの書が楽しみですね。どんな文字を選ぶのかも含めて」
──どんな文字を選ぶのか……。
それは自分が選択することだ。
今の自分はどういう文字を選ぶのだろう。
お稽古から帰ってきて、香澄は書道用の平屋の方に足を向ける。確かに師匠に言われた通り、早く文字を決めなくては練習もままならないのだから。
先日持ち出した小説の付箋が貼ってあるところを再度チェックしているときだ。香澄のスマートフォンが振動しているのに気づいて、カバンから取り出す。画面に表示されていたのは知らない番号だった。
それでも生徒さんの保護者の可能性もあるので、香澄はすべての着信には出ることにしている。
「はい……」
『香澄ちゃん?』
それは従姉妹の菜々美の声だった。
叔父からは家出をしたまま、どこに行ったかも分からないと聞いている。美人で魅力的で行動的な従姉妹だ。
「菜々美ちゃん……?」
『うん!』
「今、どこにいるの? 叔父さますっごく探しているわよ!」
『知ってる……。ごめん! 香澄ちゃん』
突然聞こえたお詫びの声に香澄は驚いてしまった。お詫びされる心当たりはなかったから。
「どうしたの?」
『私、結婚させられると思って家を出たの。なんか父がお見合いをセッティングしていたでしょう。私がいなくなれば諦めると思った。そうしたら、香澄ちゃんを身代わりにしたんだね!』
それでも、神代と離れることを考えたくはなかった。
きっとこれからも香澄の前にはたくさんのハードルが現れるはずだ。その度に逃げてはいられない。
香澄はベッドの上で愛用のクッションをきゅっと抱きしめた。
「柚木さん、東部書道展に出す文字は決まりましたか?」
香澄がお稽古で文字を練習していると師匠にそう声をかけられ、香澄は顔を上げる。
書道展に出す文字はまだ決まっていない。正直を言えばそれどころではなかったのだ。けれど、そうもいっていられないだろう。
立ち上がった香澄は師匠に頭を下げる。
「すみません。まだ決まっていなくて……」
「もちろんまだ時間はあるから大丈夫です。珍しいですね。迷っていますか?」
「いえ……まだしっかり自分が書きたいものに向き合えていないというか……迷っているというところまでもいっていませんね」
自嘲するような笑みしか浮かんでこなかった。恋愛のことでばかり悩んでもいられない。やらなければならないこともあるのだから。
「もう一度、自分が書きたいものを見つめ直します」
「とてもいい顔をしていますね」
師匠はそういって微笑む。自分ではダメダメだと思うのに、師匠からはそうは見えないらしい。
「頑張ります」
「新しい柚木さんの書が楽しみですね。どんな文字を選ぶのかも含めて」
──どんな文字を選ぶのか……。
それは自分が選択することだ。
今の自分はどういう文字を選ぶのだろう。
お稽古から帰ってきて、香澄は書道用の平屋の方に足を向ける。確かに師匠に言われた通り、早く文字を決めなくては練習もままならないのだから。
先日持ち出した小説の付箋が貼ってあるところを再度チェックしているときだ。香澄のスマートフォンが振動しているのに気づいて、カバンから取り出す。画面に表示されていたのは知らない番号だった。
それでも生徒さんの保護者の可能性もあるので、香澄はすべての着信には出ることにしている。
「はい……」
『香澄ちゃん?』
それは従姉妹の菜々美の声だった。
叔父からは家出をしたまま、どこに行ったかも分からないと聞いている。美人で魅力的で行動的な従姉妹だ。
「菜々美ちゃん……?」
『うん!』
「今、どこにいるの? 叔父さますっごく探しているわよ!」
『知ってる……。ごめん! 香澄ちゃん』
突然聞こえたお詫びの声に香澄は驚いてしまった。お詫びされる心当たりはなかったから。
「どうしたの?」
『私、結婚させられると思って家を出たの。なんか父がお見合いをセッティングしていたでしょう。私がいなくなれば諦めると思った。そうしたら、香澄ちゃんを身代わりにしたんだね!』
あなたにおすすめの小説
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた
歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。
亡き姉の身代わりとして嫁いだ私ですが、離縁状を置いた翌朝、夫が私の「真実」に気づいたようです』
まさき
恋愛
「サインはもう、いただきました。あとは私がこの屋敷を出るだけです」
五年間の結婚生活。侯爵令嬢エルゼが演じ続けたのは、亡き姉・ロザリーの「身代わり」という配役だった。
夫であるカイル公爵が愛していたのは、かつて雪の中で自分を救ってくれた初恋の少女・ロザリー。
生き写しの妹であるエルゼを娶りながらも、彼は一度も彼女を「エルゼ」と呼ぶことはなかった。
冷淡な視線、姉と比較される日々。
「君はどこまでいっても、ロザリーの代わりにはなれない」
その言葉を最後に、エルゼは静かに離縁状を置き、屋敷を去る決意をする。
しかし、彼女が消えた翌朝。
カイルは、エルゼが大切に遺していった古い小箱を見つける。
そこにあったのは、十五年前のあの日、彼が「命の恩人」に預けたはずの片方のカフスボタン。
そして、幼いエルゼが綴った、あまりにも切ない真実の日記だった。
――「あの日、雪の中で貴方を抱きしめていたのは、お姉様ではなく、私だったのです」
真実を知り、絶望の中でエルゼを追うカイル。
だが、すべてを捨てて「自分」を取り戻したエルゼは、もう二度と、彼の隣で微笑む仮面の妻には戻らない。
これは、名前を奪われた女が自由を掴み、愚かな夫が真実の愛を失うまでの、静かで鮮やかな再生の物語。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
「離縁状の印が乾く前に、王太子殿下から花束が届きました」〜五年間「置物」と呼ばれた侯爵夫人、夫が青ざめるのは王家との縁が切れてからでした〜
まさき
恋愛
侯爵夫人として過ごした五年間、夫に名前を呼ばれたことが一度もなかった。
愛人を夜会に連れてきた翌朝、私は離縁状を置いて屋敷を出た。
夫は「すぐ戻る」と思っていたらしい。
でも届いたのは、王太子殿下からの白薔薇だった。
「五年、待ちすぎました。今度こそ私の隣に」
幼馴染の殿下は、いつも私を「アメリア」と呼んでくれた。
ただそれだけで、五年分の何かが、ほどけていった。
夫が全てを失うのはこれからの話。
私が本当の笑顔を取り戻すのも、これからの話。
あなたと別れて、この子を生みました
キムラましゅろう
恋愛
約二年前、ジュリアは恋人だったクリスと別れた後、たった一人で息子のリューイを生んで育てていた。
クリスとは二度と会わないように生まれ育った王都を捨て地方でドリア屋を営んでいたジュリアだが、偶然にも最愛の息子リューイの父親であるクリスと再会してしまう。
自分にそっくりのリューイを見て、自分の息子ではないかというクリスにジュリアは言い放つ。
この子は私一人で生んだ私一人の子だと。
ジュリアとクリスの過去に何があったのか。
子は鎹となり得るのか。
完全ご都合主義、ノーリアリティなお話です。
⚠️ご注意⚠️
作者は元サヤハピエン主義です。
え?コイツと元サヤ……?と思われた方は回れ右をよろしくお願い申し上げます。
誤字脱字、最初に謝っておきます。
申し訳ございませぬ< (_"_) >ペコリ
小説家になろうさんにも時差投稿します。