【R18】星屑オートマタ

春宮ともみ

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23.狂気が紛れた夢の先

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(っ……)

 思わぬタイミングで響いた声に、ひくりと喉が鳴る。彼が社長を務める景元証券のオフィスビルは、ここから電車で1時間ほどかかる都内にあったはず。なのに、どうしてここに彼がいるのだろう。どうして彼の声が、私の脳を占領するのだろう。

 ひどく緩慢な動作で声がした方向に顔を向ける。企業ビルが立ち並ぶこの付近の道路は、日中はそれなりに交通量のある真っ直ぐな道路。けれど明かりの消えたビルが多い今の時間はほぼ人通りが少ない。皮肉にもそのおかげか、路地へと入り込む交差点の角に立つ彼の姿を視界の端にとらえることができた。穏やかな笑みを浮かべ、困ったように小さく首を傾げた端正な千歳の顔。ぼんやりとした電灯の明かりに照らされた彼の表情は、相変わらず何を考えているのかさっぱり読めない。それはさながら、一月前に決別した――あの夜と同じ。


 薄暗い中でも鮮明に伝わってくる、私を射抜く熱を帯びた視線。
 この視線に絡め取られてはいけない、と。そう、わかっているのに。


 今、私はどんな表情をしているのだろうか。想定もしていなかった出来事に思考回路が固まって動かない。何かを言葉にしなければと思うのに、何ひとつ唇に乗せることが叶わない。

「一昨日の取材ではお世話になりました。いやぁ、をすっぽかされたかと思いましたよ。遅くまでお疲れさまです、鷹城さん」

 苦笑いを浮かべながらゆっくりとこちらへ近づいてくる千歳。品のあるスーツは皴のひとつさえ見当たらない。

「あぁ、先日ご紹介するとお約束していた例の喫茶店、もうすぐ閉まってしまいますね。また日を改めていただいた方が私としても助かるのですが」

 彼が腕時計にちらりと視線を落とす。ふわりと私の頬をなぞる風に乗って、森林を思わせるような爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

「あ? 鷹城、お前このあとアポあったのか?」

 私の隣から驚いたような声が小さくあがる。その瞬間、はっと我に返った。アポなんて取っていない。あるわけがない。だって、千歳からは全く連絡がない状態だったのだ。ついさっき退勤する直前にもチェックした社外メールにだって。

 違います、と声を上げようとするものの、次の瞬間に脳裏に過った考えにひゅっと喉を遮られた。ここでアポがないと明言してしまえば、私があれから千歳からの連絡を待ちわびて、隅から隅までチェックしていたことが露呈してしまうような気がした。それでは良くない方向に転がってしまう。だって私は、あの瞬間。お互いのために千歳の手を取らないのだと心に決めたのだから。千歳の想いに、気が付かないふりをすると決めたのだ。だからこのままアポがないと言ってしまえば千歳の思う壺。

「お世話になっております。星霜出版社の金沢と申します。この度は鷹城がお待たせして申し訳ございませんでした」
「こちらこそお世話になります。いえ、今日は私も時間を取っていましたから」

 混乱する私の隣で金沢部長がゆっくりと頭を下げた。彼は私たちの因縁を知らない。知るはずもない。だって、一昨日ともに取材に行った亀ちゃんですら知らないのだから。けれど金沢部長は、この時ばかりは部門を超えた上司としての応対を選択した。それもそうだろう。彼の目には、『鷹城とアポを取っていたが待ち合わせ時間を過ぎてしまい、また改めて日程を調整したい』と申し出ている『取引先の人間』として、千歳が映っているのだ。

(詰んで、る)

 あの取材の日、千歳が初対面のふりをして、マスターのお店を紹介すると口にしたのはきっとこの瞬間のためだ。初めから私が誰かと一緒に退勤をするタイミングで声をかけるつもりだったのだろう。こうして私が彼から逃げられない状況を作るため。ひとつひとつの言動が計算の上。私の行動と思考を縛る、蔦なのだ。



 ***



「……どういうつもり」
「ごめん、やよさん」

 千歳の少し前をカツカツと大股で歩きながら乱暴に言葉を放てば、少し落ち込んだような声色で千歳が言葉を紡いだ。

 あれから金沢部長に一言釘を刺された。さっきのエレベーターでもぼーっとしていただろう、だから無理するなと言っただろう、と。違うのだと声を上げたかった。けれど、3日前の取材時の千歳の言動の全てが計算ずくのことだったのだと気が付いてしまえば、もう反論する気力さえ湧かなかった。金沢部長からしてみれば私がアポをすっ飛ばしたという事実が目の前にあるのだ。社会人として、ライターとしての沽券にも関わる。ここは一旦退くべきだと判断し、私も千歳に向かってビジネスとしての応対をした。金沢部長は今回の件を取引先のひとつとしてきちんとリカバリーするよう言葉を残し、帰路についた。

「これのために仕組んでたのね」
「……ごめん。でも、僕はどうしてもやよさんを諦めたくない」

 ふたり残され、妙なタイミングで汚名を着せられた苛立ちを隠すこともせず千歳にぶつける私に、彼は自分の思惑が私に全て伝わったのだと理解したのか。彼はふと立ち止まった。思わず足を止めちらりとそちらを向けば、しょげたような横顔が視界に映り込む。その表情に、この期に及んで見惚れてしまう。

 ああ、好きだ、と。私は千歳が好きなのだと。そう思い知らされるようだった。心の底から湧き上がる恋しさ。彼の胸の中に飛び込めたらいいのに。この5年間、ずっとずっと、彼の面影を追いかけていたのに。

 でも、だめなのだ。ここで彼の手を取ってしまうということは、破滅への道筋なのだ。千歳は景元グループを支える人物。然るべき女性に支えてもらい、日本の経済界の柱となる人物。子どもが欲しい私が、子どもが欲しくないという彼を求めてしまっては、結局誰も幸せにならない未来が待っている。だから、私は彼を突き放さなければならない。

「いい加減にして。私はあの夜、答えをあなたに伝えたはずよ」
「一昨日僕が初対面を装ったとき。傷ついた顔をしてたよね。やよさん」
「……そんなこと、あるわけない」
「そんなことある。僕がどれだけやよさんを想ってるか、ずっとやよさんを見てきたか。やよさんがそれを知らないだけ」

 そんなこと、知らない。だって今までそんなこと言わなかったじゃない。そんな言葉が心からまろび出そうになった。けれど、この言葉は絶対に言ってはいけない。想いを悟られてはならない。じわりと眦が熱くなるのと同時に、ぎゅっと胸の奥が傷んだ。

「っ……知るわけ、ないじゃない。だって私たち、ただのセフレだったもの!」

 半ば叫ぶような声が口をついた。すぐ横の道路を通った車のヘッドライトの明かりが眩く感じる。その明かりに照らされた千歳の表情。私が放った決定的な言葉に、千歳が苦しそうに眉を顰めた気がした。

「やよさん」

 ちいさく、ちいさく。囁きかけるような言葉が落ちてくる。私に何度も口付けを落としたその唇で紡がれていく、紛れもない私の名前の音。胸がきつく締め付けられる。叫びだしたくなるほど、千歳に焦がれていたのに。

 そっと、縋るように伸ばされた手。千歳を突き放すように咄嗟に身体を引いた。

「触らないで」
「いやだと言ったら?」

 私の拒否にかぶせるように、千歳が一歩を踏み込んだ。伸ばされた手が、私の右腕に触れる。その手のひらは、彼の想いを宿したかのように熱く燃えているようだった。

「っ、やだってば!」

 彼の手を振り払おうと、全身に力を入れた瞬間。

「お前ら、何やってんだ」

 こんなオフィス街にいるはずのない、マスターが。私たちの間に、割って入った。
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