【R18】星屑オートマタ

春宮ともみ

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22.翻った夏の星座

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『抱えた段ボールを愛車から何度も運んで床に下ろす彼。今日は少ない方だとニカッと笑う彼の額には汗の雫が光る。普段は取材の場所に指定されたコワーキングスペースを拠点とし、ノマドチックに活動しているそうだ。仕事の時に持っていく道具はもっと多いのだとか。おかげで両腕の筋肉がつきましたと困ったように眉を下げて笑う目の前の彼は、業界内ではひそやかに名前が広まっている稀代のメイクアップアーティスト、Ryuリュウ。』

 イヤホンを片耳に付け、PCに取り込んだボイスレコーダーのデータを聴き流しながら、記事の入りの部分をパタパタとキーボードを叩き文字を打ち込んでいく。私は普段から、インタビュー記事を起こす時は取材対象者の声で頭をいっぱいにして文章を書くと決めている。自分の耳で聞いたこと・自分の目で見た表情を文字で表現するために、私にとってはこれが一番合っていると思っているからだ。10年近い経験の中で得たテクニックのひとつ。

 取材が終われば、文責を負う私は記事執筆に取り掛かることになる。いくらボイスレコーダーで録音をしていても、メモを山ほど取っていても。その瞬間に感じた心の機微や臨場感は少しずつ失われていってしまうものだ。なるべく早く執筆に取り掛かるべき――なのだけれど。

「鷹城。体調、大丈夫?」

 背後から、ポン、と。上司――古川ふるかわ編集長から肩を叩かれ、はっと現実世界に引き戻される。原稿に執筆に集中していたからか、無意識に遮断していた周囲の音がざわざわと耳に届き始めた。ふっと顔をあげれば、不安そうに揺れる編集長の視線とかち合う。

「もう、編集長。心配性すぎますよ。朝から何度目ですか? ほら、病院でお薬もいただいているので、大丈夫ですってば」

 デスクの上に広げた辞書や資料の奥から、昨日薬局で処方してもらった薬の袋に手を伸ばし、それをひらひらと彼女の前で揺らす。細かい気配りで有名な編集長。先日の立て続けに行った取材の疲労からか、その後2日間も寝込んでしまった私を案じてくれている。それは本当にありがたい限りなのだが、朝から何度もこの質問を投げかけられており……ありがたいけれど、正直にいって集中力が途切れてしまうので、いい加減私の「大丈夫」という言葉を信じて欲しいなとも思っている。


 3日前の取材のあと、亀ちゃんとともにオフィスに帰社すると編集長から食い気味で代打を振ったことを謝罪をされ、速攻で帰宅するように指示された。こうした雑誌に載せるインタビューは日常ではなく、非日常の延長線上に存在するモノだ。日々たくさんの取材を受ける芸能人などは慣れっこだろうが、取材慣れしていない人間にはインタビュアー側も気を遣う。緊張のあまり思ってもみない斜め上の言葉が対象者から出てくることも多い。そうなれば、言いたいことも飛んでいってしまうのがオチだ。聞きたいことを聞きながらも相手の緊張をほぐし、単調な一問一答にならぬよう、相手から自然な言葉や感情を引き出しやすい雰囲気を構築する技術が求められる。要するに、取材する側が取材される側から『求める回答モノ』を違和感なく引き出すことが求められるのだ。
 それ故に、取材する側も一件の取材だけでも相応の心的負荷ストレスを抱えてしまう。特に私の場合、今回は関係を切ったはずの千歳と遭遇してしまったという個人的な事情も相まって、取材の翌日から熱を出してしまった。


「そう? 大丈夫ならいいけれど」
「本当に大丈夫ですってば。むしろ仕事に穴をあけてしまいましたから、今日は頑張らないとです」

 不安げに首を傾げたままの編集長を宥め、にこりと笑みを浮かべた。取材当日は編集長の言葉に甘え、名刺の整理とボイスレコーダーのバックアップしかせずに帰宅した。そのうえ2日間の休暇を取ったのだ。今朝出社し、デスク上の書類の山を目にし慌ててそれらを片付けていき、終業間際にようやく取れた原稿起こしの時間。予期せぬ出来事に遭遇し寝込んでしまうなど、本当にいい大人が情けない――私はそう自嘲するしか出来なかった。

「あまり無理しないでね。鷹城はすぐ無理をするから、心配なんだよ」
「……すみません。でも今回は本当に大丈夫です。2日間しっかり休ませていただきましたから」

 あまり心配ばかりされると、自分の情けなさを改めて突きつけられるようで、居心地が悪い。そういった意図が編集長にはないとはわかっているけれど、見えない何かに押しつぶされそうになってしまう。編集長を納得させるようにへらりと笑みを浮かべた私は、そのままふたたびPCへと向き直った。


 ***


「鷹城さん。今帰り?」
「あ、はい。金沢かなざわ部長も?」
「ん。俺もさっき終わったとこ」

 星霜出版社のホームページやその他諸々のシステム関係を管理するIT部の彼はビジネスバッグを肩から斜め掛けし、いつもくたびれたような表情をしている。入社したころ、これが彼のデフォルトだからと彼の背中をバンバンと叩いていた編集長。このふたりは同期にあたるらしい。

 自然と漏れ出てくるあくびを噛み殺しながら、オフィスビルのエレベーター前まで歩いた。Ryuさんの記事を区切りのよいところまで仕上げると時刻は20時を回ってしまっていた。原稿執筆は決められた文字数の中で上手く文章に纏めるテクニックも求められる。その場の臨場感を伝えるために勢いも必要だが、その反面冷静な部分も必要になってくる。数日寝かせたときのクールな状態でそれまでの原稿を読み直すため、明日は千歳の方の原稿に手をつけようと考えると、目の前のランプがエレベーターの到着を報せた。金沢部長とそのエレベーターに乗り込み、階数が表示される液晶パネルをぼんやりと眺める。

(……連絡、無かったなぁ)

 数日前。逃がさない、と私に向かって言い放った千歳。けれど、あの時渡した名刺に記しているスマートフォンの電話番号にも、社用のメールアドレスにも。全く連絡がない状態だった。終業間際にも社外メールをくまなくチェックしたけれど、それでも千歳からの連絡はなかったのだ。


 何を考えているのか。彼が何を思っているのか――いつだって、私はさっぱり読めない。


 ぼうっとしていると、エレベーター独特の浮遊感で我に返る。金沢部長がエレベーターの扉を押えてくれていることに気が付き、「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。

「古川から聞いたぞ。そういや、お前、体調崩してたんだって?」
「……すみません。ご心配をおかけして」

 編集長と金沢部長は同期ゆえに仲がよい。互いにそれぞれ家庭を持っているが、男女の垣根を越えた戦友のような関係性でもあるのだろう。喫煙室で互いに話し込んでいる場面を見たことがある。

「さっきもぼーっとしてたろ。仕事溜め込んでっからって気張りすぎんなよ」

 金沢部長は口調こそ乱暴だが、彼も編集長と同じく細やかな気配りが得意だ。それらも上に立つ人間としての必要な要素なのかもしれない。

「……はい」

 けれど、彼らのその言葉が、今回に関してはやはり私は自分の弱さや不甲斐なさを強烈に突きつけていく。胸の奥にどろどろとした何かが沈殿する。自力では排除できない何かが、ゆっくりと落ちていく。

 エントランスを抜け、自動ドアをくぐる。外の空気は意外とひんやりとしていた。初夏とはいえ、夜はまだ冷える。ふるり、と身体の奥から込み上げる寒さに肩を揺らした――――次の瞬間。


「……こんばんは」


 何年も焦がれていたテノールが、困ったような吐息とともに響いた。
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