【R18】君を酔わせるまで離さない〜ワンナイトのはずが絶倫すぎる俺様副社長に本気で囲われています〜【完結】

春宮ともみ

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第一章 運命がずれた瞬間

2.逃避行

 数日後。気づけば、晴菜は鎌倉行きの電車に乗っていた。
 何もかもを、いったん手放したかった。康介のために尽くした二年間、彼のために重ねた無理、流した涙――そのすべての思い出を、海の向こうに置いてきたかった。
 
「……すご」
 
 鎌倉の街は初夏の熱気に包まれていた。
 改札を抜けた途端、潮の匂いと焼き立てのクレープの甘い香りが混ざり合った風が頬を打つ。
 鶴岡八幡宮の方向へと流れる人の波。日傘をさす観光客、アイスを片手に笑い合う学生グループ、カメラを構える外国人。誰もが休日の光の中で、何かに夢中だった。街全体が、少し浮き足立っているように見えた。
 
「…………」
 
 どこを見ても、穏やかで、賑やかで、完璧に『幸せそうな景色』が晴菜の眼前に広がる。
 だからこそ、胸の奥が静かに痛んだ。晴菜は海辺へ向かいながら、ぼんやりと空を見上げた。
 
 ――康介は……あの人と結婚するのかな……
 
 心の中で独り言ちたあと、晴菜はきっとそうだと自分に言い聞かせた。あの淡い水色のショップバッグのブランドは、いわゆる婚約指輪の定番ブランドだ。
 思えば、この二年間で数えるほどしかデートしていない。彼のレコーディングやライブがあると言われ、いつもドタキャンばかり。彼の音楽活動の支援のために、自分の給料を康介の生活費に回すだけでなく、彼の機材費やスタジオ代まで貸してきた。
 康介の夢を支えることが、自分の幸せだと信じていたから。いや、そうだと信じたかったのかもしれない。彼の機嫌を損ねないよう、常に一歩引いて、彼の夢を第一に考えてきたのに。
 晴菜の両親には引き合わせたが、康介の両親には「まだ早い」の一点張りで会わせてもらえなかった。あの時は、彼が真剣だからこその配慮だと思っていた。
 きっと、晴菜の方が『浮気相手』だったのだろう。いや、浮気相手でもなく、ただの『金づる』だったのかもしれない。これが真実のような気がした。
 本命の彼女がいるからこそ――デートに行ってもいつだって「金がない」と言われ、安い居酒屋やファストフードで済まされた。それらは本命の彼女に高価な指輪を準備するために、晴菜には金を使いたくなかったからなのではないだろうか。
 彼の成功を信じて何度も食事を奢り、様々な場面で貢いできた自分の愚かさに喉の奥がヒリヒリと痛んだ。
 
 ――ほんと……バカみたい……
 
 突如として降りかかった現実に吐き気がした。数日経っても、康介からは何もない。何の連絡も、弁解も、謝罪も。
 彼の音楽に対する熱意と才能を愛していたはずなのに、あの女性と笑う彼の姿は、晴菜の心から愛の残滓を根こそぎ奪い去っていった。残ったのは、空っぽの胸と、ひどい自己嫌悪だけ。
 
「……きれい」
 
 鎌倉の海は、思っていたよりも静かだった。湿気はまだ少ないものの、空気は熱を帯び始めていた。寄せては返す波の音が、心の奥のざわめきを洗い流すように優しく響く。
 どこか現実感のないまま、晴菜は砂浜に腰を下ろした。膝を抱え、遠い水平線を眺める。
 すぐ目の前まで優しく打ち寄せる波が、乾いた砂を濡らし、また引いていく。その単調な繰り返しが、今の晴菜には心地よかった。
 
「お兄ちゃん待って~!」
「待たないよ、こっちー!」
 
 波打ち際で、小さな子どもたちが歓声を上げながら走り回っている。彼らにとって、この瞬間が世界のすべてなのだろう。無邪気に笑う声が響くたび、自分とは全く別の、濁りのない時間の中にいるようで――それが少し羨ましかった。
 海を見つめながら、ぽつりと心の声が漏れた。
 
「もう、……どうでもいいや……」
 
 諦めにも似た自暴自棄なその呟きは、初夏の海風にさらわれて消えていく。さすがに死にたいとまでは思わないが、何かを失う痛みから、もう一度立ち上がる力は海を眺めていても湧いてこなかった。
 生きているというより、ただ時間に運ばれているだけ。全身の力が抜け落ちて、ただ呼吸をしているだけ。そんな気分だった。
 このまま、潮が満ちるようにすべてが過去になってしまえばいい――晴菜はただひたすらに願った。
 どれくらい海を眺めていただろうか。太陽は緩やかに西へ傾き、晴菜の横顔をオレンジ色に染め始めた。晴菜は重い身体をゆっくりと持ち上げ、そっと立ち上がる。
 ハンドバッグのポケットからスマホを取り出して、ネットの検索窓に「鎌倉」「ホテル」と打ち込む。最初に表示されたモダンなデザインのホテルの写真を眺め、そのまま深く考えることなく「予約」ボタンを押した。
 どんな立地かなんて興味はなかった。どんな部屋かも、どんな値段かも見なかった。今夜泊まれる場所があれば――それでよかった。
 予約したホテルは、海沿いの静かな場所に佇んでいた。ロビーに入ると、潮風とは違う洗練された柑橘系のアロマの香りが迎えてくれる。フロントで名前を告げ、無表情なままカードキーを受け取った。
 チェックインを済ませた部屋は、白を基調としたやわらかな空間だった。
 レースカーテンを開けると、窓の向こうには水平線が広がっていた。茜色の空と海の境界が、ゆるやかに溶け合って混ざり合っていく。
 
「きれい……」
 
 今日何度目かの言葉が、空虚にこぼれた。その瞬間、なぜか晴菜の胸が強く痛んだ。この美しい景色を、康介と二人で見たかった。そんな詮ない思考が頭を巡る。彼と見た景色は、いつも薄暗いライブハウスの楽屋か、彼が金を気にせず買ってくる高級な酒瓶が積まれた彼の部屋ばかりだった。
 
「……は~~……」

 晴菜はベッドの上に倒れ込むように身体を投げ出した。天井の貝の形をした照明が、ゆっくり回って見える。
 
 ――このまま……寝ちゃいたい。
 
 そんな淡い願いを抱きながらも、心は静かに疼いていた。部屋の静けさが、逆に晴菜の心を締め付けていくようで――息が詰まるような錯覚を覚えてしまう。
 音がほしい。人の声が聞きたい。
 何でもいい、何かに紛れたかった。
 そんな衝動に背を押されるように、晴菜は再び身体を起こす。

「……」

 ふと、テーブルに置いてあった黒い布張りの館内案内が目に入った。表紙を捲ると、「バー&ラウンジ《Seaside》」の文字が視界に飛び込んでくる。宿泊者が利用する場合の代金は、チェックアウトの時で構わないらしい。身一つのまま行けるのは、今の晴菜にとってひどく魅力的だった。
 
「もう……飲まなきゃやってらんない……」
 
 晴菜は額を抑えながら誰に聞かせるでもなくそう呟き、カードキーだけを手に持って部屋を出た。

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