【R18】君を酔わせるまで離さない〜ワンナイトのはずが絶倫すぎる俺様副社長に本気で囲われています〜

春宮ともみ

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第二章 人生に計算外はつきものだとしても

9.袋小路

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 奏汰はそう口にして、鮮やかな青いネクタイの結び目をわずかに緩めていく。
 戸惑いと警戒と、確かな熱が晴菜の脳内に渦巻いていた。
 
「どうして……どうして、あなたがここに……」
 
 晴菜は、震える声でやっとそれだけを絞り出した。膝の上に乗せた袖をぎゅっと握るものの、自分でも抑えきれない手の震えはどうしようもなかった。あの夜の空気が、濃密な記憶となって否応なしに脳裏に押し寄せてくる。
 彼はわずかに首を傾げ、その笑みを深めた。

「俺の見合い相手があんただって、鎌倉で会った時点で知ってたよ」

 バリトンの声が、懐かしいほど甘く、それでいて逃げ場を与えない。

「知って、た……?」

 あの夜、互いに名乗りさえしなかった。ただ少しだけ話をして、ほんの短い時間を共に過ごしただけだ。名刺交換をしたわけでも、素性を尋ね合ったわけでもない。ただ酔いにまかせて、知らない人に弱音を零しただけ。あれで晴菜を見合い相手と特定するなんて、不可能なはずなのに。
 喉を引き攣らせた晴菜をよそに、奏汰はふっと口の端をつり上げた。
 
「写真。去年の一周忌の時の家族写真。縁談ならうちの姪っ子をどう? ってな。その写真に映ってたあんたのえくぼと左目の泣きぼくろで、あの夜はなんとなく」
「写真……」
「そう。だけど写真じゃわからなかったな。生身のあんたは、もっとずるい顔してた」

 喉の奥がひりつく。心臓が、嫌な意味で跳ねている。
 彼の視線が肌を撫でるたび、答えが怖くて息が詰まりそうだった。

「知っていて……知らないふりをしたの……?」

 振り絞るように尋ねた声は、震えを隠しきれない。膝の上で固く握りしめた指の感覚が麻痺しそうだった。薄緑の振袖の袖が、ほんのわずかに揺れた気がした。

「言ったら逃げたろ。あの夜のあんた、壊れた顔してたからな」

 淡々と告げる声なのに、それはひどく優しい。晴菜は瞬きを忘れ、ただ彼を見つめ返すことしかできなかった。

「酔ってるくせに、無理に笑って。傷跡をごまかすみたいに強い酒を飲んで。あんな状態の女に『おれが見合い相手だ』なんて言ったら、逃げられるに決まってるだろ?」

 あの夜の自分のすべてが、見ず知らずの他人にそこまで見透かされていたという事実。
 その相手が目の前の奏汰であったという、あまりにも皮肉な巡り合わせ。

「全部……見透かして、何を面白がっていたの」

 喉が詰まり、吐き出した声が掠れる。責めるような響きになってしまったが、止めることはできなかった。頬が熱を持ち、悔しさと恥ずかしさが同時に押し寄せてくる。
 奏汰は心底愉し気に整った眉を跳ね上げた。

「『自分で選ばせたかった』だけさ。あの状態のあんたから奪うのは、ちょっと違うと思っただけだ」
「……選ぶ、って……」
「俺を、だよ」

 晴菜の心臓が、一拍遅れて大きく跳ねた。冷静になりたいのに、相反するように呼吸が浅くなる。反論しようとしても、ひとつも言葉にならない。思考はどう整理していいのかもわからずぐちゃぐちゃだ。
 その沈黙を、奏汰はまた都合よく肯定だと受け取った。

「あんたが俺の釣書を見ていないことくらい、あの日のあんたの態度でわかったさ。俺はあんたに会う前から、あんたに興味を持っていた。写真一枚で、妙に気になった。そして実際に話してみて確信した。――あんたがいい、ってな」

 奏汰は目を細め、まるで獲物を追い詰めた肉食動物のような、静かな満足を瞳に宿した。テーブルを挟んでいるにもかかわらず、その身をわずかに乗り出してくる。

「立ち仕事で体力も必要、夜遅くまで働く男社会の業界でバーメイドは少ないからな。だからあんたとの見合いを受けた。最初は単純な興味だった」
「……」
「その見合い相手が目の前にいる――だから俺はあの夜、『例外』にした。あんたがその相手だって気づいたときには、あんたを放すつもりがなくなってた」
「そ、んな……」
「あの時、あんたは言ったな。『全部から逃げてきた』って。だからあの日の俺は、ただの見知らぬ男でいることを選んだ」

 あの夜の記憶――熱を帯びた空気、息遣い、甘い声。
 過去の残像として封じ込めたはずのものが、鮮烈な色彩を取り戻して晴菜の脳裏に一気に蘇る。
 そんな晴菜の反応を、奏汰は抑えきれない獣めいた熱を瞳に滲ませながら見つめていた。

「でもあんたは次の朝に勝手に消えた。あれは計算外だったな」
「え……」
「割と腹立った。追って捕まえる、っつう楽しみは増えたけどな」

 自信に満ちた声音のくせに、どこか不満げな、そんな気配がかすかに滲んでいた。
 奏汰はふっと力を抜くように背もたれに体を預けた。晴菜は耐えきれず、唇を震わせる。

「つ……捕まえる、って」
「欲しいものに手を引く理由はない。だからすぐに俺は乗り気だって華子さんに返事したろう? あんたを抱く前に華子さんに連絡取ってたんだ」

 確かに――逃げるようにあの部屋を後にした直後、華子から相手が会いたいと言っている旨の連絡があった。それに、奏汰が宿泊する部屋へ行く直前、彼が誰かに連絡を取っていたような気がする。
 点が線になるように、あの日の出来事がひとつずつ繋がっていくたび、逃げ場が狭められていく。
 辻褄が合っていくほど、奏汰の熱だけが鮮明になっていくような気がして、息がうまく吸えなかった。

「じゃ……じゃぁ……あの朝、たぬき寝入りしてたのは……どうして……?」
 
 問い返す声は、情けないくらい弱い。けれど、聞かずにはいられなかった。
 晴菜がぽつりと落とした言葉に、奏汰はわずかに眉を動かした。

「気づいていたのか」
「……全部……わざとらしかったから」

 奏汰はゆるく笑って腕を組んだ。衣擦れの音が、やけに耳についた。

「最終的にあんたを捕まえりゃいいって思ってたからな。お見合いっつうこの場で正式に手を伸ばせる瞬間が来るまで遠慮してやったんだ、感謝しろよ?」

 温度の低い声なのに、言葉はあまりにも熱い。その熱に当てられて、胸の奥がぐっと詰まったような気がした。
 晴菜の胸の奥で、ようやく怒りが熱を伴って立ち上がった。
 知らないうちに追い詰められ、知らないうちに囲い込まれていた――その事実が、何よりも悔しい。
 
「あんたみたいな……ワンナイトで女を引っ掛ける男なんて――まっぴらごめんよ!」
 
 声を張り上げた瞬間、自分の鼓動が耳の奥で跳ねたのがわかった。晴菜は思わず椅子を押しのけるように立ち上がった。照明のせいかなのか、怒りのせいなのか。視界がほんのり滲んだ。
 強く出たつもりなのに、手が震えていた。怒りなのか、悔しさなのか、自分でも判断できない熱が喉を焼いていく。立ち上がった拍子に膝がわずかに笑ったのも、彼に気づかれていた気がした。
 奏汰は眉一つ動かさず、むしろ余裕たっぷりの薄笑いを浮かべている。

「……へぇ」

 低く落とされた声が耳の奥までじんと響いてくるようだった。自分の意志とは裏腹に肌が粟立った。挑発してくる獣の喉鳴り――そんな、危うい響き。

「引っかけた? あんたが転がり込んできたんだろ?」
「言い方っ……!」
「事実だろ」

 切れ味のいい言葉がぴしゃりと放たれる。悪びれない、謝る気なんて一ミリもない。それどころか、晴菜がどう反応するか見ているようだった。

「……で? どうする気だ、晴菜」

 名前を呼ばれるだけで、肩がぴくりと跳ねた。声が直接、頬に触れたように熱く感じられる。

「お見合いは『家同士』の話でもある。もちろん俺はあんた狙いだが、向こうは向こうで体裁がある。ここであんたが『無理です』って蹴ったら、華子さんがどれだけ気まずい思いするか、わかるよな?」

 叔母の名前を出され、胸の奥がぎゅぅと痛んだ。思わぬ角度から罪悪感を突かれ、呼吸が浅くなる。こんな風に弱点を押さえるなんて、反則だ。

「な、なにそれ……脅し?」
「人聞きわりぃな。ただの現実だ」

 平然と言い切る声音にふたたび心臓がきゅっと縮こまる。退路がじりじりと塞がれていく感覚が晴菜の全身を包んでいた。彼はテーブルの向こう側にいるというのに、距離がどんどん近づいてくるように思える。

「一ヵ月」
「……え、」

 晴菜の目の前にすっと差し出された、奏汰の人差し指。それがなにを示すのか理解が及ばず、晴菜は数度目を瞬かせた。

「一ヵ月は俺の女でいろ」

 どこまでも強引で、けれどどこか当然のような口ぶりだった。晴菜の中の反発心が大きく膨れ上がるのに、それ以上に呑まれてしまいそうな熱を孕んでいる。

「そしたら親戚関係の顔も立つ。華子さんもお試し期間ってことで納得するだろ」
「一ヵ月……」
「そうだ」

 晴菜の言葉に小さく頷いた奏汰がゆっくりと立ち上がる。ガタリと椅子が引かれる音が、やけに大きく聞こえた。彼の影が揺れて、ゆっくりと晴菜の方に近づいてくる。
 
「俺と付き合って、まだ俺から逃げられると思うなら試してみりゃいい」
「……っ」

 抗えない。選択肢なんてひとつしか残されていない。いつの間にか巡らされていた巧妙な罠が晴菜を取り巻いていた。気づいた瞬間にはもう絡め取られているような、タチの悪い蔓だ。
 トス、と、革靴の音が近づいてくる。熱を帯びた奏汰の指先が晴菜のおとがいに触れ、ゆっくりと上を向かせられる。全身の神経がビリビリと痺れるような錯覚を覚えた。
 奏汰はゆっくりと腰を曲げる。
 
「ま、一ヵ月もいらねぇと思うけどな」

 囁くように落とされた声音には、挑発と揺るぎない自信が静かに混ざっていた。捕食者の余裕を纏った笑みが、まっすぐに晴菜を貫いていく。
 どこまで逃げても、その先で彼が待っている――そんな想像が、晴菜の思考を占領していた。
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