俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第二部

121

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 ぼんやりと、声がする。




 大好きな人の声が……する。



「-----」
「----------」



 なにを、話しているのだろう。

 身体がふわふわする。それでも、大好きな人の声だから。

 一週間、恋焦がれた人の声だから。


 ……起き、なきゃ。


「……ぅ、…ん、ぅ……」


 瞼がひどく重たい。なんだか、縫い針と糸でぎゅうと縫い付けられたみたいに……重たい。


「知香、おはよう?」


 左の耳元で、声がする。低く、甘い、声がする。私を愛して、揶揄って、意地悪して、私を翻弄する、大好きな人の声……のはずなのに。なんだか、大嫌いな人の声にも聞こえて。


(どうしてだろう……?)


 ひどく重たく感じる瞼を震わせて、目の前に広がる暗黒の世界にオレンジ色の光が広がって、眩しくて目を細めた。


 細めた目をゆっくり開いていくと、カメラのフォーカスが合うみたいに、目の前に大好きなダークブラウンの瞳が飛び込んでくる。


 なんで、今にも泣きそうな顔をしてるの? なんで、傷ついたような、世界に絶望したような表情をしてるの?

 唇は切れてるし、さらさらの髪も乱れてるし、前髪から覗いてる額の真ん中がぷっくり腫れ上がってる。ジャケットから赤いネクタイも飛び出しちゃってるし、いったいどうしたの、そのカッコ……。

 あぁ、ちょっと痩せたな。なんだか、肌も焼けた感じがする。イタリアの、ご飯……どうだったんだろう。商談、ちゃんとまとまったのかな? 手土産の別送、ちゃんと出来たかな? 税関での申告もちゃんと出来たかなぁ…?






「……さとしさ……ん…おかえり……」






 やっと会えた、やっと……帰ってきてくれた。



「ね……ちょっと、痩、せた? 日、焼けも、した……ね? あっち……そ、んなに、暑、かった?」



 あれ? なんか、息が……上がってて…ゆっくり話せない。鼓動が早くて、頭がズキズキする。











「な、な……!?」

 私の左側で、大嫌いな声が驚きを孕んで紡がれる。

 つい、と、重たい身体を必死に動かして首だけを捻り、声のする方向に視線を向けると、驚愕に彩られ今にも零れ落ちそうな、ヘーゼル色の瞳が飛び込んできた。

 そう、あの日みたいな……片桐さんが、2課に初めて来た日のような、そんな瞳。

「……え、ええ? かた、ぎりさ…なんで、ここ、に……?」

 片桐さんの名前を口にした瞬間、意識が途切れる前の出来事が、断片的に浮かんでくる。

「あの暗示を……自分で!?」

 片桐さんが、信じられない、という表情で私を見つめた。ヘーゼル色の瞳が動揺でひどく大きく揺れ動いている。

「ど、うして……自力でなんて、解けるわけがないのに!!」

 こんなことはありえない、何かの間違いだ、と言わんばかりに、片桐さんが、首をふるふると振っている。




「……勝負あったな。俺の、勝ちだ。片桐…柾臣」




 テーブルを挟んで、私の目の前に座る智さんが、今にも泣き出しそうに…声を震わせて、私の隣に座る片桐さんに話しかけた。


 断片的に、さっきまでのいろいろな記憶が、いろいろなシーンが、まるで早送りした映画のように思考のあちらこちらを駆け回っている。

 片桐さんがお母様が亡くなったことをひどく哀しんでいたこと。智さんが心理学の応用をして私を絡めとった、という話しをされたこと。

 それから。

「か、たぎりさ…」

 ―――いるのに、、その、ヘーゼル色の瞳のこと。

 ズキズキと痛む頭を抑えたいのに、腕が重たい。身体が、動かない。それでも、ヘーゼル色の瞳を真っ直ぐに見つめて、必死に言葉を紡いだ。

「かた、ぎりさん……あなたは、誰を、みて……いるの……?」

 そう。この人は、私のことを見ていない。

「……な、」

 ヘーゼル色の瞳が、これ以上ないくらい見開かれて、片桐さんの呼吸が止まった。

「あなた、は、私を通して、誰を……みて、いるの?」

 この人は。私を通して……その向こう側にいる、"誰か"を、見ている。ずっと、ずっと……マスターがいる喫茶店でケニアのコーヒーを飲んで、片桐さんもそれを頼んで、そして、君に興味が湧いた、と、片桐さんが言った……あの瞬間から。

「…………知香、ちゃん……小林くんに、Maisieメイジーの……Margaretマーガレットのことを……聞いた、の?」

 片桐さんの声が、ぐっと低くなる。それは、まるで……怒りを孕んだような、憎しみを孕んだような。低く、低く……地を這うような声。

 片桐さんの身体に次第に力が入っていく様子に、小林くんの名前が出てきたことに、さらに混乱した。

「……え、え? こば、やしくん……? なんで、こば、やしくんの、はな、しに……?」

 訳が分からない。何の事だろう。

 片桐さんが整った顔に浮かべた鋭い形相の意味が飲み込めなくて、困惑したまま片桐さんに問いかける。

「…聞いて……ないの……? なのに……なんで、Margaretのこと…」

 片桐さんが、ふたたび……そのヘーゼル色の瞳を大きく揺らして、片桐さんの身体がゆっくりと弛緩していく。その様子に軽く安堵して、私は言葉を続けた。
  
「わたし、は、誰の……代わりにも、なれない……あなた、が…求めているひとには、なれ、ない……」

 身体が重たい。腕が重たい。呼吸も、荒い。

 だけど、今は……きっと、こうしなきゃいけない。私の言葉を、片桐さんに届けなきゃ、いけない。

 だって。

 三木ちゃんのおばぁ様のお通夜の時。片桐さんは、私に忠告をしてくれた。


『もう少し、君は周りの人が君にどんな感情を向けているのか、考えた方がいい。そうでないと、本当に……を犯してしまうよ』


 それは、きっと。片桐さんが、取り返しのつかない過ちを犯して、それを心から悔いているから。

 だから、私も。取り返しのつかない過ちを、繰り返したく、ない。

「あなたが、とりかえしの、つかない、間違いをして……それを償い、たいのなら…こんな、方法じゃ、だめ…」


 きっと、この人は。私の向こう側にいる"誰か"になにかを償おうとして……私に、執着している。なんとなく、そう思った。


「わたしは、わたし、です……あなたの、求めているひとには、なれ、ない」

 私は。一瀬、知香。私は、誰の代わりにもなれない。『一瀬知香』という人生を歩む、ただひとりの、人間だから。


 誰も、誰かの代わりにはなれない。

 私が私であるように、三木ちゃんは三木ちゃんだし、小林くんは小林くん。

 片桐さんは片桐さんだし、智さんは、智さん。

 誰も……誰かの代わりにはなれない。
 誰かに誰かを重ねても、幸せには、なれない。



 ともすればすっと眠りに落ちてしまいそうなほどのグラグラとした意識を必死に保って、片桐さんのヘーゼル色の瞳を見つめた。







 ヘーゼル色の瞳が、湿り気を帯びて。ぽろぽろと、涙が零れ落ちていく様子を、零れ落ちた涙が、片桐さんの精悍な顔の輪郭を滑り落ちて、顎の先から重力に逆らわずぽたぽたと。私たちが座る長椅子のベルベットのカバーに吸い込まれていく様を、ぼんやりと眺めた。

「……涙なんて…もう、何年ぶりだろ……Margaretを亡くした時にすら、出てこなかったのに…泣けなかったのに……」

 片桐さんが、長い指で必死に涙を拭う。それでも、こぼれ落ちていく涙の速度の方が早くて、間に合っていない。

「おかしいな……」

 片桐さんが泣きながら、それでも…屈託なく笑いながら、私に視線を向けた。


「give up……降参、だよ。知香ちゃん」


 そう口にした片桐さんは、憑物が落ちたようにすっきりとした瞳をしていた。

「智くん。I concede……俺の、負けだ」

 そうして、私の目の前に座る智さんに向き直った片桐さんが、その大きな手で髪をかきあげ、智さんに笑いかけた。

「知香ちゃんから、手を引く。約束する。もうこの約束は、一生、違えない」

 視線を向けられた智さんが、ダークブラウンの瞳に強い感情を宿して、低い声で片桐さんに問いかける。

「……信じて、いいのか」

 その問いに、ようやく涙が止まった、と声を上げた片桐さんが正反対の明るい声を上げた。

「だってさ? 俺と智くんを挿げ替える暗示を強めに入れ込んだのに、それをも知香ちゃんは自力で解いちゃった。俺がに所属していた頃に身に付けた技術だよ? 現場から離れて約4年にはなるけれど、あらゆる心理学や分析を叩き込まれて身につけた、筋金入りの確固たる技術だったのに。挙句に俺が誰にも言ってない、おくびにも出したつもりもなかったMargaretのことすら、知香ちゃんにだけは見抜かれちゃってさ~ぁ? もう、これは無理でしょ?」

 くすり、と。自らを嘲笑するかのように肩を竦めて、片桐さんが笑った。

「あ、んじ…ちょう、ほう……?」

 片桐さんが紡いだ言葉の意味が飲み込めず、茫然とその単語を口にした。片桐さんはそんな私の様子に、ふっと笑って、私を優しく見つめる。

「ごめ~んね? 知香ちゃん。俺だけを見てもらおうと思って。君の心に細工をしようとしたんだけど、俺には無理だった。安心しなよ、君が智くんへ向ける愛は本物だって」
「え…ええ??」

 私が、智さんに向ける愛が、本物。あまりの衝撃的な言葉に顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかった。

「あ~あ……勝てる試合だと思ってたのにな~ぁ。嫌になっちゃうね?」

 くすくすと、楽しそうに。何かを企んで愉しそう、ではなく、心から、楽しそうに。片桐さんが笑い声を上げた。

「でも。負けたのに、悔しくもなんともないや。ここまで清々しく完敗したと感じるのは初めてだ。諦め? いや、きっと、これが当然の結果だったんだろうっていう、達観?」

 そう口にしながら、片桐さんが席を立った。

二次会ここの領収証、もらってくるよ。知香ちゃん、月曜日にまたね?」

 片桐さんが、私たちに背中を向けて。ヒラヒラと手を振って。ゆっくりと……消えていった。





















「知香…!」




 片桐さんが席を立って、空白になった私の左隣に。智さんが、駆けてくる。







「さ、と……!?」







 私が、名前を呼び終わる前に。ぎゅう、と。私の存在を確かめるように。その乱れたスーツの中に、私の身体を納めていく。



「…ただいま、知香……」



 あったかい。あたたかくて、幸せで。

 あぁ、そうだ。今なら、言えそう。

 一週間、恋焦がれた人の、名前を。





 壁を、またひとつ、取り払えそう。


 こう呼ぶのは、まだ恥ずかしい、と思っていたけれど。


 今なら……きっと。


 私たちの関係を、またひとつ、進め、られそう。






「おかえり……


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