俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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挿話

Like the reproduction of that day.

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「……眩しい」

 3月の日差しだというのに、真夏のように目を焼かれる。思わず左手を額に当てて、目を庇いながら空を見上げた。頭上には昨晩の曇天とは打って変わって、透き通るような青みを帯びた空が広がっている。





 今にも泣き出しそうな、真っ黒な曇天の最中。バーが入るビルの階段に、カンカンと軽快な音が響いた。革靴に付けられたトゥスチールから奏でられた独り分の足音に、片桐の敗北を悟って。ほう、と、安堵のため息を大きくついた。

 完敗だ、君たちの勝利だ……と告げた片桐が続けた言葉に、不覚にも背中を押された。

『安心しなよ。君のことはひとつも話してな~いよ?』

 それは、謝罪の言葉を口にしない片桐からの、遠回しな謝罪の言葉。そして、……俺が間違って踏み出してしまった旅路への、餞別の言葉。

『俺、イギリスに帰ることにしたからさ?イギリスに帰って、これから先はMaisieメイジーの菩提を弔って生きていく。知香ちゃんへの償いも込めて。……君も、全部にケリつけてきなよ』

 己の心に、全てにケリをつける。片桐に喫煙ルームで揺さぶられる前に決めていたことを、再度、心に刻み込んだ。淋しそうに、それでいて清々しく笑う片桐に、こう投げかけて。

『……あんたには、そんな顔似合わねぇよ。いつもみてぇに、飄々としてろ、ばーか』

 俺は……階段を上るための一歩を踏み出した。












『大丈夫。……俺が、ちゃんと、お前に言ったように、奪い返してくっから』

 己の心に嘘をつかず、それでいて、強気で、自信家で。不敵に、余裕ぶった、スカした笑みを浮かべるあのダークブラウンの瞳に、真っ直ぐ貫かれた、あの瞬間。


 あぁ。俺は、勝てねぇワケだわ、と。素直に、そう思った。
 

 俺は、きっと。あの強い背中には、届かない。

 俺は間違えた。贖えないほどの間違った選択肢を、選び取った。自分の気持ちに気が付かないフリをして、スタートラインすら、たがえた。

 あいつが俺の立場だったら。あいつは間違えなかった。自分の気持ちに気がつかないフリなんてしなかっただろうし、誰かに誰かを重ねるような選択肢は、選び取らなかっただろう。

 だから……あいつには一生かかっても適わないし、届かないと思う。

 そして、その真っ直ぐな強さに、憧れた。傲慢と怠惰に飲み込まれた俺とは違う、真っ直ぐな邨上のそばにいた彼女だからこそ、一瀬さんは片桐の毒牙から自分のチカラで逃れられた。

 一瀬さんの隣に立つのは、邨上の隣に立つのは。このひとたちじゃなければだめなんだ、と、悟らされた。

 知識の差、という圧倒的な負け試合を逆転させ、勝ちをもぎ取った邨上は。同性の俺の目からみても、かっこよかった。

 酷く腹立たしいけれども。あの、強い姿が。かっこいい、と…思えた。


 だからこそ、俺は。俺の初恋に、自分の手で、幕を下ろすことができた。






 ---







 初恋を終わらせる一歩を踏み出したとて。俺には、もうひとつ…もう一歩。踏み出さなければならないことがあった。

 ふわり、と。人の気配がほとんどしないこの交差点に、風が吹き付ける。

「………」

 待ちぼうけになるとは思っていた。だって、今日は金曜日じゃなくて、土曜日だから。彼女がここに来ることは、有り得ない、という気持ちの方が大きかった。

「……何、してんの」

 それでも、俺がこの誰もいない、いつも待ち合わせた交差点にいたのは、この人と…話したかった、から。この人は、きっと。ここに来てくれる、という、確信めいたものがあったから。

「……三木さんこそ…何をしているんですか」

 ゆっくりと。凭れかかっていた電柱から離れて、姿勢を正す。……ブラックのアイライナーに彩られた、いつもの勝気な瞳が目の前にあった。

「髪を切りに行ったの。その帰り」

 その言葉通り、三木さんの髪は、肩甲骨の辺りから肩に触れるくらいまで短くなっていた。

「あんた、休みの日もスーツなの?変わってるわね」

 呆れたように眉根を顰めて、三木さんが言葉を紡いでいく。

 普段から休日にスーツなんて着ない。今日は……俺の、間違った選択肢を選び取った過去の自分と決別すると決めた、その決意の証として。敢えて、スーツを身に纏った。

 普段は選ばない、新品の灰色のネクタイを選んだ。白と黒が混ぜこぜになった、俺たちの関係を、はっきりさせるための……決意として。

「………昨日。なんで、俺が片桐に揺さぶられたと、わかったんですか」

 ずっと疑問だった。邨上に連絡を付けて、邨上の到着を見届けて。勝負の行方をビルの外で見守っているときも、ずっと……考えていた。

 俺の問いに、愚問だわ、とでもいうように。三木さんが鼻で笑った。

「簡単じゃない。片桐のスーツから、あんたの煙草の匂いがしたから。あんた、辞めたって言ってたもの。どうせ私たちの関係を盾に揺さぶられているんだろうって思ったから」

 だから。今度こそ間違ってはダメ、と、あの紙に書いたのか、と……ストン、と胸に落ちてきた。

 そうして、その言葉に。やっぱり、俺は三木さんには隠し事が出来ないのだと。思い知らされた。

 だったら。きっと―――昨日の結末も、俺の本心も。この人には……わかりきっていることだろう。

「……結局、ヒーローが駆けつけて行ったってわけね」

 三木さんが呟いた瞬間。さぁっと、春の優しい風が吹き抜けていく。開花したての桜の甘い香りを孕んで吹き抜けていく穏やかな風は、俺の決意を後押ししてくれているような気がした。




「三木、さん。俺は、一瀬さんを忘れるなんて、出来ないかもしれない。こんな風に言うのは、逃げでしかなくて…卑怯だと、自分でも思っています。でも……それでも、俺は、死ぬときに後悔したくない。傲慢に、怠惰に、飲み込まれたくない。だから。こんな中途半端な関係は止めて、ちゃんと……」





 都合がよすぎる、虫が良すぎるともわかっている。それでも。

 いつからか。彼女の白い背中を、見ていた。彼女を、見ていた。

 だから。ちゃんと。彼女を………背中からじゃなく、正面から。彼女の顔を見て、これから先を生きていきたい。



 三木さんの顔が、じんわりと歪んでいく。込み上げてくる何かを堪えきれず、ゆっくり視線を落とした。



 籠の中で空に憧れているだけの鳥だった俺が、今日のような晴天の青い空に向かって、この羽根を羽ばたいて飛び出せたのは。

 他の誰でもない―――三木さんのおかげだから。三木さんが、俺のための人生を歩むように、この生命が尽きる瞬間に後悔しないように、と、叱ってくれたから。



 言霊、というのは、本当にあるのだと。願えば、足掻けば、抗えば……運命のシナリオさえ砕けるのだと、知ったから。

 だから、俺は。今、ここで。一歩を踏み出す。



 ぐっと。顔を上げて。目の前の、三木さんの……強い瞳を、まっすぐに見つめて。



「ちゃんとした関係を、俺たちで築いていけ―――」



 『築いていけませんか』と。言葉を、続けたかったのに。


 最後まで、言えなかった。







 だって。







 三木さんが、俺の灰色のネクタイを思い切り引っ張ったから。


 身体が、固まる。
 呼吸が、出来ない。
 目を離したいのに、離せない。
 目の前にある…三木さんの、顔から。

 目を瞑った三木さんは、思っていたよりも、まつ毛が長くて。瞑られたままのその瞼には、ブラウンで綺麗なグラデーションを作っていたアイシャドウが、春の陽射しにキラキラと煌めいていた。


 まるで。


 あの日の。
 俺たちの偽りの関係が始まった、あの夜の―――邨上と一瀬さんの、再現のよう、だった。


 三木さんの、柔らかい唇が、ゆっくり離れた。








「……じれったいのよ、あんた」



 呆れたように。それでいて、俺の事を労わるような声色で。三木さんが言葉を紡いでいく。



 何が起きたのか把握するのに、軽く1分はかかったと思う。



 はぁっ、と。肩を上下させながら、大きなため息を三木さんがついて。その勝気な瞳と、視線が交差した。

「要は、事でしょ? 男なら、こういう時くらいばしっと決めなさいよ。私、なんでこんなじれったいヤツが好きなのかしら」

 低い位置にある、その瞳が。ひどく優しくて。その声色も…ひどく、優しくて。涙が、溢れた。

 一筋の涙が零れていくと同時に、ゆっくりと、三木さんの手が、伸ばされる。




「ほら。行くわよ」




 行く、という言葉。その言葉の意味が噛み砕けなくて、思わず、何処に? と、訊ねた。

 すると、三木さんが……桜の花がゆっくりと綻ぶように、やわらかく、笑った。

「『彼女』の買い物に付き合うくらいしなさいってこと」


 ふわり、と。甘い香りが漂う風が、明るい髪を攫って。切られたばかりの短い髪が、三木さんの整った顔の輪郭に、纏わりついた。


 その瞬間。先ほどから吹き付ける風に乗ってくる甘い香りは、桜の香りではなくて。






 ―――三木さんの、甘い香り、ということに。






 やっと…気が付けた、気がした。




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