俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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 南里くんも無事に農産販売部へ挨拶させ、水産販売部にも書類を預けて。通関部のフロアに戻り、午後の業務を再開して終業時刻を迎えたけれど。

「……三木さん…私、昼休みに貰ってきた申請書を、失くしてしまって……」

 加藤さんが真っ青な顔で三木ちゃんに報告している。昨日今日は黙々と業務に取り組んでいる姿を見ていたから、そんな初歩的なミスをしているとは思っておらず意外に感じて目を見張る。

「え……そうなの?どこかに紛れ込ませたってこと?」

 三木ちゃんが勝気な瞳を瞬かせながら加藤さんの顔を見遣る。

 思えば、加藤さんは午後からは少し上の空だったような気もする。私は南里くんの教育に集中していたからはっきりとはわからないけれど。

(……片桐さんの…影響、よね)

 片桐さんと3ヶ月間一緒に仕事をしていた私ですら、あの低く鋭い空気感は味わったことがなかった。社会人に成り立ての彼女にとっては衝撃的な出来事だっただろう。心の中で小さく息を吐いて、加藤さんと三木ちゃんに声をかける。

「私も探すの手伝おうか?」

 今日はすべての仕事を片付けてしまっていたから、そろそろ帰ろうと、席を立って三木ちゃんのデスクの後ろに吊り下がっている行動予定表のマグネットを動かそうとしていたところだった。
 どこかに紛れこませたのなら、手分けして探した方がいい。そう感じての言葉だったけれど。

「先輩、大丈夫です。私が残って加藤とふたりで探しますから!」

 三木ちゃんがにこっと笑って私に視線を合わせる。その表情に一瞬戸惑った。

「え、でも」

 ぐっと、三木ちゃんが私の腕を引っ張って、ふっくらした赤い唇を私の耳元に寄せて、小さな声で囁いた。

「先輩、今週、残業続きだったじゃないですか?せっかくの定時上がり、彼氏さんとゆっくり過ごしてくださいよぅ」

 三木ちゃんが何かを企んでいるように、悪戯っぽく笑う。その言葉の意味を理解してかぁっと顔が熱くなっていくのを自覚した。

「え、えぇ??」

「私、恋人もいないし、今日は特に予定も無いですから。ていうか、加藤の教育係は私ですし、私が残るのが筋です」

 そうして、にっこりと再び三木ちゃんが笑う。

 そういう風に言われてしまえば、私まで無理に残るのは三木ちゃんの心遣いを無駄にしてしまう。ごめんね、ありがとう、と三木ちゃんに伝えて、加藤さんにも視線でお先にと伝えて。通関部のフロアを退出した。










 カチャリと音を立てて玄関を開くと、足元に智の革靴が綺麗に揃えて置いてあった。

「ただいま」

 会社を出る時にメッセージアプリで見た通り、智はもう帰宅していた。今日は新部門の件で協力してくれている下請け会社さんに、夕方から訪問して直帰するということだった。
 スプリングコートを脱いで腕にかけて、リビングの扉を開ける。

「おかえり、知香」

 智がカウンターキッチンで料理をしながら、ふわり、と笑顔を向けてくれる。

 最近、私の方が帰宅する時間が早くて。ただいまという言葉を紡いでも返事が来ることが無かったから。なんとなく、嬉しい気持ちが湧いてくる。

「うん、ただいま、智」

 智の低く甘い声が私の身体に染み渡っていくのを感じて、心が弾む。弾んだ心のままに、再びただいまと口にする。それだけで途方もなく幸せな気持ちが込み上げてくるのだから、恋とは不思議なものだ。

 トントンと軽快な包丁の音が響く。私は脱いだコートをハンガーにかけて、洗面台で手を洗い、ベランダに出していた洗濯物を取り込んで。

「ご飯、まだかかる?」

 タオルを干しているピンチハンガーを手に持ってベランダからリビングに戻りながら、カウンターキッチンに立つ智に向かって声を少し張り上げる。

「ん、さっき白米炊き始めたからまだかかるぞ」

 私の声に、智が手元から視線を外さずに返答してくれる。トントンと軽快な音が響いているから、きっとキャベツを刻んでサラダを作っているのだろうと察した。

「はーい。じゃ、アイロン使うね」

 まだかかる。それなら、智のスーツやワイシャツ、私のブラウスにアイロンをかける時間もあるだろうと踏んで、リビングに折り畳んで立て掛けているアイロン台を取り出して広げて、その上に智のワイシャツをふわりと乗せた。

 一人暮らしをしている頃。アイロン掛けは単なる家事のひとつだった。けれど、ここに引っ越してきて。アイロンをかけるだけなのに、この時間がとても幸せに感じる。

 智は、恋人フィルターがかかっている私の目からでなくても、ワイルドでかっこいい部類の人。だからこそ、スラックスはピシッとして会社に行ってほしいし、ジャケットも肩とか腰の部分はシワが気になる。

(アイロン掛けって、その人を応援するって意味も含んでるのかなぁ)

 そうして、何より。柔軟剤の香りだけじゃない、智自身のにおいに包まれることが出来るこの瞬間が、途方もなく幸せに感じるのだ。

(口にしたら変態チックだから、智には絶っ対言わないけど……)

 ほわっとした、とっても幸せな気持ち。その気持ちに口元が緩んでいく。ワイシャツの襟から順々にアイロンを当て、洗濯皺が綺麗になっていくその様子を眺めながら。

(……幸せ、だなぁ…)

 ずっとずっと。この幸せな日々が続きますように、と。心の中で小さく呟いた。





 食事を終えて、私が淹れたコーヒーを手に持って、智が寝室のPCデスクに置いているノートPCに向き合い始めた。毎日、食後は必ずPCでメールチェックをしている。その様子に、私は途中だった洗濯物を畳む作業を再開した。

 悪戦苦闘しつつも隣で智にアドバイスされながら淹れた今夜のコーヒー。今回は智に教わって初めて淹れた時よりも、かなり上手に淹れられたような気がする。

 硝子天板のテーブルにマグカップを置いて、ふと思い出して。あっと声をあげる。

「そう言えば、今日、うちの会社で黒川さんに遭遇した」

「なんだって?」

 ぴしりと智が固まって、その視線をノートPCから私に滑らせる。ダークブラウンの瞳に、言いようのない感情が渦巻いているのを認めて、思わず「ごめん」と口にする。

「……えっと…その。黒川さん、片桐さんと商談してたらしくて。片桐さんとも…」

 智の気持ちを慮ると、業務上とはいえ申し訳ない気持ちが湧き出てくる。タオルを畳みながら視線を落として呟いた私の言葉に、智が、ほう、と、大きなため息をついて。今度は椅子ごとくるりと私に向き直って私に視線を合わせた。

「………なにもなかったんだな?」

 確認するかのように、真っ直ぐに強い視線を向けられる。

「うん、大丈夫だったよ。業務上のことしか話してないし、何か言われたということも無かったから」


 私は、知っている。この穏やかな日常が、壊れてしまうかもしれない、ということを。

 穏やかな日常。穏やかな日々。
 変わらない風景。変わらない、毎日。

 変わらない時間を過ごせること。それがどれだけ幸せなことか。
 智と出会うまで、智を好きになるまで、知らなかった。

 あの夜に。当たり前の日常が当たり前でなくなる可能性を、嫌というほど突きつけられたのだから。


 智を安心させるように。しっかりと、智の切れ長の瞳を見つめて、ゆっくりと。言い聞かせるように、返答する。

「そうか。……ありがとな、隠さず言ってくれて。あのふたりに関することは、小さなことでも、報告してほしい」

 智のその言葉に、改めて自分が置かれている状況を思い出して、ふるりと身震いをしながらこくんと首を縦に振った。

 私のそんな仕草に、智も安心するようにふっと笑みを漏らした。




 しばらくノート PCに向き合っていた智が、唐突に椅子から立ち上がり、本棚から買ったばかりの英字辞書を引っ張り出して、ふたたび椅子に腰かけて。ノートPCと再度睨めっこを始めた。

「……どうしたの?」

 私の問いかけに、智が心なしか沈鬱な表情を浮かべて私に視線を合わせる。

「この前イタリア出張に行ったろう?向こうで偶然見つけた乾燥食材の問屋と商売が出来ないか掛け合ったんだよ。その返事がメールで来てるんだ。自動翻訳にかけたんだが、文脈が一部わからなくて」

 なるほど。確かに自動翻訳だと突拍子もない翻訳になっていることもままある。通関部の仕事の中で海外の乙仲とビジネスメールの遣り取りをしているから、少しなら力になれるかもしれない、と思い立って、畳んでいた洗濯物を脇に退けて立ち上がった。

「私、海外の企業とメールの遣り取りしてるし、ちょっとなら力になれると思うけど…三井商社の商売に関わることだろうから、私、関わらない方がいい?」

 力にはなりたいけれど、智の仕事の妨害をしたくはない。お互いに取引先だからこそ、知っちゃいけないこともあるだろうと考えて、そう口にする。私の言葉に、少し智が考え込んで。

「……なんとなくだが断られてるメールだと思う。だから知香に見られても問題ないはずだ。頼めるか?」

 その言葉に、だから落ち込んでいる表情なのか、と納得しつつ、ノートPCを覗き込んだ。智が指差す部分を読み上げて。

「ん~…と、『嬉しい申し出ですが本国の規制の問題もあり貴社との取引は難しい』、ってことだと思う」

 私の言葉に、智が大きく肩を落とした。

「……まぁ、そうだろうなとは思っていたが…いざこうやって突き付けられると落ち込むなぁ。やっぱ当初の構想通り原料仕入れて日本で加工する会社を見つけた方が効率がいいか」

 そう呟いて、智が長い脚を組みながら、左手を口に当てる。…智の、考えるときの癖。様になっているその姿勢に、ほう、と見惚れていると、智が私の視線に気が付いたようで。



「……知香。月曜日、言ったよな?週末ならいくらでも相手するって。その言葉、忘れてねぇよな?」



 情欲に染まった切れ長の瞳が、ゆっくりと歪んで。

 私を、捕らえた。

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