俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

177 悶々と、考え込んでいた。

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 宿泊しているホテル前のバス停でバスを待っていると、まるで真冬のような冷たい風が吹きつけて、思わず顔を顰める。手袋を着けていても指先がゆっくりと氷のように冷えていく。はぁ、と長いため息をつくと、白く彩られた吐息が朝の日差しに煌めいた。

「………寒いっスね…」

「ん。さみぃな」

 藤宮がふるりと身震いをしながら呟いた小さな言葉に同意する。首に巻いている知香に用意してもらったマフラーを引き上げて鼻元まで隠すが、この気温ではそう大して暖かくもならなかった。結局、諦めてマフラーを元の位置に戻す。


 ノルウェーに来て5日目、土曜日を迎えた。出張日程の3分の2を過ぎた。商談はかなり順調。僅かながらも英会話を勉強していたからか、自分の言葉で伝えられる部分もあり、難航していたイタリアでの交渉時とは違う手応えを感じていた。
 日本とノルウェー間は乗り継ぎも含めて約16時間。次の月曜日の午前中にはすべての商談を終える予定になっている。この商談の順調さは逆に嵐の前の静けさのようで、なんとなく怖い部分もあるが。


(……会いてぇなぁ…)

 このノルウェーは寒いから、人肌恋しいのだろうか。単純な思考だが、とにかく知香に会いたい。

 普段眠るときは知香を抱き枕のように後ろから抱き締めて眠る。割り当てられた部屋で眠っていても、無意識のうちに知香の温もりを探してしまって、真夜中に目が覚めてしまう。

 ふい、と腕時計を見遣る。もうすぐ、バスが到着するはずの朝8時。……日本は今頃、土曜日の15時前後だろう。知香は通関士のテキストや、シンポジウムの資料に向き合っているはずだ。

 スマホを封印して、知香とやりとりをしている日記アプリ。昨日の書き込みでは、ゴールデンウィーク前で通関依頼が立て込んでいるのかかなり遅くまで残業だったらしい。イレギュラーな業務も増えて非常に大変だった上に、そのイレギュラー業務のひとつが三井商社うちの浅田が発端だったという書き込みには思わずホテルの簡易デスクの前で頭を抱えた。自社の人間が迷惑をかけたという点でも頭が痛かったが、知香と浅田を接触させたくはなかったのだ。けれども業務上の接点であれば致し方あるまい。

 そして、三木の豪勢な手料理を食べた、ということを始め、三木のおかげで無事に過ごせている、という言葉が毎日並び、その度にほっと安心している。

 三木の知香への心酔っぷりを鑑みるに、きっと三木と知香はこの1週間、四六時中一緒なのだろう。それはそれで腹が立つけれども。

(………きっと、それも…片桐を近づかせないため、だろうな)

 ほう、と小さく吐息を吐き出すと、ふたたび顔の前に白くなった吐息が風に煽られて自分の顔に纏わりついた。

 三木は恐らく、知香に片桐を近づかせないために。四六時中、知香と一緒にいるという選択をしているのだと思う。最も、彼女が知香を慕っている、という土台はあるにしても。

(それはありがたい……の、だが)

 三木には三木の生活がある。仔犬との関係がどれだけ進展しているかはわからないが、あのお花見歓迎会の帰り道でカマをかけた時に返ってきた三木のあの反応を考えても、仔犬と三木は『友達以上恋人未満』のような関係であることは明らかだ。

 知香とべったりになって、仔犬との関係が拗れてはいないだろうか。他人事ながら心配になってしまう。

(そういや……藤宮は仔犬の…大学の同期、だったか?)

 つい、と。俺の隣に立っている藤宮の顔を見遣る。鼻の頭も耳も真っ赤だ。きっと俺も、鏡を見れば藤宮と同じように顔の至る部位が寒さで赤くなっているのだろう。

 俺の視線に気が付いたのか、藤宮が俺に視線を向け、申し訳なさそうに眉を下げた。身体ごと俺を向いて白いマフラーに隠された口を開く。

「そういえば報告が遅れたんですが。先月………小林に先輩の連絡先を聞かれて、先輩の社用携帯の番号を教えています。勝手なことしてすんません……」

 藤宮は一気にその言葉を言い終えて、そのままぺこりと頭を小さく下げた。告げられた予想外の言葉に呼吸が止まり、ゆっくりと瞠目した。

 あの夜……仔犬が俺に連絡をつけられたのは、今目の前にいる藤宮のアシストがあったからだ、と。今更ながらに気が付いた。


(……そう、か…)


 心の内でそう呟いて、ほう、と。小さく息をつく。今思えば、どうして仔犬が俺の連絡先を知っていたのか。まずそこに疑問を抱くべきだった。

 あいつは。形振り構わず、自分に出来うる手段の全てを駆使して―――知香を救い出そうとしていたのだ。

 知香に本気で惚れていたからこそ、あの時。俺に託すという身を引き裂くような選択をした仔犬だから。あいつには、どうしたって幸せになって欲しい。その感情が、俺の心の中を大きく支配していく。

「勝手なことして……本当に、すみませんでした」

 もう一度、藤宮が謝罪の言葉を口にして、ぺこりと頭を下げた。いつもなら大型犬のようにきゃんきゃんとまとわりついてくる大柄な藤宮が、心無しか小さく見える。

「……その。小林が、先輩が狙ってる例のカノジョさんを好いている、ってことは知ってるんで。本当に勝手なことだったろうなと」

 しゅん、とするようなその様子に、ふっと小さく笑みが漏れる。藤宮が、俺も仔犬も大事に思っていることは知っている。だからこそ、俺にも仔犬にも幸せになって欲しいという感情から、板挟みになっているような心持ちなのだろうと察した。

 今、本当の事情を、藤宮に話すわけにはいかない。こいつのことは可愛く思っているが、若いが故に口が軽い節がある。譴責処分を受けて反省しているだろうが、年明けに極東商社の喫煙ルームで伏せなければならないはずの新部門のことを喋った前例もある。俺と知香のことを伝えたとして、いつ黒川の前で口を滑らすかわからない。

「わーってるよ。別に気にしてねぇよ。そもそも俺は営業だからな、電話番号を知られて困るこたぁねぇさ」

 その感情を押し殺しながら、にっと。藤宮に笑いかける。

 そう、俺は営業だから、社用の電話番号に関しては誰に知られたって困ることはない。気にするな、と言わんばかりにしょぼくれる藤宮の肩を叩くと、目的地へのバスが目の前に滑り込んできた。運転手に向かって軽く手を上げ、乗る意思を伝える。

 ノルウェーの首都の公共交通機関は地下鉄・バス・路面電車・フェリーの4種類があり、これらの乗車券はいずれも共通。乗車券の料金は時間によって金額が設定されていて、時間内であれば別の交通機関への乗り換えは自由。この共通乗車券を購入せず都度都度購入する形にすると非常に割高になる。俺たちは共通乗車券の1週間チケットを、降り立った空港で円をクローネに両替する際に事前に購入していた。

 共通乗車券を持っている場合はどのドアから乗車しても構わない。目の前に停まったバスの、後方のドアから藤宮とふたり揃って乗車する。

 バスは思ったよりも空いていた。藤宮と横並びになって乗り込んだ入口からすぐの座席に沈み込む。目的の商社までは30分ほど。今日は初日からついてくれている通訳とは現地合流だ。

 血流が途絶えて氷のように冷えた指先を、暖房の効いた車内で手のひらを握ったり開いたりして血流を良くしていく。無言でしばらくバスに揺られていると、藤宮が俺に小さく語り掛けてきた。

「先輩。そういえばこの前のマカロン、ありがとうございました」

「ん?ああ……美味かったか?」

 片桐が知香に贈った、香典返しのマカロン。知香の口に入れさせたくなくて、かといって食品に携わる人間として……食べられるために作られたものを、贈り手が気に入らないからと棄てる気にもなれず。

 浅田は片桐と俺の因縁を、その事情を知っている。結局、底意地が悪いとは自覚しているが事情を全く知らない藤宮に手渡した。

 美味かったか、と訊ねたが、美味いに決まっている。知香にホワイトデーのお返しとして贈るために、俺もあの百貨店に足を運んで自分の舌でもあのマカロンの味を確認したのだから。

 そういえば。片桐は、知香が出席するはずのシンポジウムに農産販売部として参加するらしい。昨日の日記アプリの書き込みで、片桐が参加するのは確定事項のようだ、と、知香から伝えられた。

(……知香に指一本でも触れてみろ。帰国したらぶち殺しにいってやる…)

 ふつふつと込み上げる言いようのない感情を押し殺す。ポーカーフェイスを駆使して顔には笑顔を貼り付けながら、隣に座る藤宮に視線を合わせた。

「美味かったっす!実家に持って帰ったんですが、家族も大喜びでした。というより、俺、マカロンってクッキーみたいに型抜きして作るんだと思ってたんっすよ。アレ違うんですね」

 ニカっと笑いながら、藤宮が手を前に出して、絞り袋を身体の前で回すような仕草をした。

「こう、って絞って作るんっすねぇ。実家の姉に言われて初めて知りました」

「……」

 藤宮のその仕草に。俺の中のなにかに引っかかるものがあった。ゆっくりと足を組んで、口元に手を当てる。

……?)

 そうして。今月の初旬に、知香がコーヒーを淹れた後に……洗濯物を畳みながら、言いづらそうに顔を顰めて寝室のPCデスクに向かう俺にかけた言葉が、不意に蘇った。

『えっと………その。黒川さん、片桐さんと商談してたらしくて』

 片桐と、黒川。片桐は、極東商社農産販売部。黒川は、三井商社営業2課農産チーム。互いに、取引がある。商談をしていてもおかしくはない。

(……ぐるぐる)

 再度、その単語を小さく心の中で呟いた。

 あのヘーゼル色の瞳が、脂でテラついた髪が、脳裏に浮かぶ。その瞬間、暖房が効いているはずの車内で、ぞわり、と。足元から冷気が一気に駆け上がる。


 片桐。知香の心を狙っている。俺と同じように用意周到に網を張り巡らせ、囲い込みを得意とするタイプ。

 黒川。俺の地位を妬んでいる。年下の俺が自分よりも早く昇進したことを逆恨みしており、俺を引き摺り下ろすために、恋人である知香を巻き込もうとしている。


「……」

 この胸の騒めきは、勘違いだと。

 片桐と初めて出会ったあの日に……俺の思い過ごしだと、そう思い込んだ結果が、片桐が知香と共に働く、ということで。

 イタリアで、片桐の母親の訃報を知った夜に……何を見落としているのだろう、と漠然と考えていた。結果、電磁遮蔽シールドによる連絡手段の断絶、心理学の応用による催眠暗示を…片桐が知香に施そうとしていた、ということだった。

 だから。今、胸の奥から込み上げるこの騒めきは。

 きっと。
 いや、間違いなく。



(何かしらの、予兆、だ)




 俺は―――一体、何に引っかかっているのだろう。




 自分を落ち着けるように、足を組みなおして。視線を落として、革靴に包まれてもなお冷えた足のつま先を、じっと眺める。

 よく分からない不快感が、焦燥感が。胸の奥に膨らんでいく。腰掛けているバスの座席が揺れる度に、その感覚がさらに黒く大きく広がって。俺の心をじくじくと蝕んで、苛んでいる。

(……ぐるぐる…)

 引っかかっている、この言葉の意味。この言葉に、ひどく不安感が募る。何かが綻びて、この手から落ちていくような。そんな感覚が次々と湧き上がっていく。


(…………)



 俺の、この手から。何かが零れ落ちていくような。そんな感覚に口元に当てていた手のひらを外し、手袋をつけたままの黒い手のひらをじっと見つめた。

 ぐるぐる。この言葉から生まれた拭いきれない不安感の正体を。




 ただ悶々と、考え込んでいた。




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