俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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終章

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 ぎゅう、と。腰紐が強く強く結ばれていく。そのあまりの強さに身体がよろけそうで、襦袢の下で踏ん張っている足に更に力を入れた。締められる度に蛙が潰れたような声が喉から飛び出そうになるのを必死に堪える。

 その腰紐の締めが終わると、衣装係さんの導きでゆっくりと真っ白な打掛に袖を通していく。身に纏った打掛の襟の部分からコーリンベルトで一度留められ、胸元に懐剣・筥迫が差し込まれていく。

「………」

 目の前の姿鏡には。銀の糸で施された鳳凰の刺繍が華やかな白無垢を身に纏い、文金高島田の鬘に角隠しを身につけた『私』がいた。

(……智…どんな反応、する、かな…?)

 きっと、章さんとそっくりの……驚愕に彩られたあのダークブラウンの瞳が、まん丸に見開かれるのだろう、と想像するとなんだか照れ臭い。

 私の衣装合わせには敢えて智は付いて来させなかった。今日というこの日に、綺麗に着飾ったきちんとした花嫁姿を見て欲しかったから。


 今日は。6月24日、日曜日。

 あのプロポーズから、もう半年が過ぎようとしている。私と、智の……結婚式の、日、なのだ。


 プロポーズ直後から怒涛のスピードで、そして智主体で結婚の準備が始まった。お正月に智とふたりで私の実家に行きお父さんの許可を得て、こっちに戻ってきたその足で智の実家に行き、亡くなった幸子さんお母様も含めて報告をした。結婚式の会場もあのお正月休暇中に押さえた。3月には結納を執り行い、本格的な結婚式準備に入っていった。

(…………割と猛スピードでコトが進んだから、きっとプロポーズ前から色々手回ししてたんだろうな……)

 お支度が終わり、背後に椅子が置かれる。紫色の色無地の着物を纏った年配の介添さんの手を取りながら、ゆっくりとその椅子に腰を下ろした。ほう、とため息をつきながらこれまでのことを思い返していく。

 プロポーズされた日。あの日、私が残業にならずに確実にあのレストランに行けるように裏で手回ししていた智のことだ。今振り返ればこんな猛スピードで準備が進むなんて……きっとあのプロポーズ以前よりも着々と準備をしていたのだろう。私の返答が『是』であることは疑いの余地もない、と思っていてくれたのだと思う。

 奇しくも明日は智の誕生日で、明日から1週間の結婚休暇を取得している。そのお休み中に、車で数時間の秘境の旅館で温泉を満喫する予定だ。新婚旅行は海外にするか、と言われたけれども、普段から仕事で忙しい智に少しでもゆっくりした時間を過ごして欲しくて、海外よりも国内で羽を伸ばすことを選んだ。

 カチャリ、と、支度室の扉が開かれる。私は椅子に座ったまま、ゆっくりと背後を振り向いた。

「……ほんなごて、綺麗な花嫁さんたいね…」

 お母さんの震えた声が響いた。その声に私も涙が誘われそうになったけれど、メイクさんがしっかり整えてくれたお化粧を崩すわけにはいかない。奥歯を噛み締めて……込み上げてくる感情を必死で堪えて、笑顔を作った。

「お母さま、こちらへどうぞ」

 介添さんが黒留袖を身に纏ったお母さんを誘導していく。私が腰掛けている椅子の前まで歩いてきて、お母さんが私の前に膝をつき、メイクさんから筆を受け取った。

 そうして、お母さんは。私の顎を手に取り、ゆっくりと。メイクさんから受け取った筆で、私のお支度の一番最後の。………口紅を、丁寧に引いてくれた。

「………おめでとう、知香……幸せになるとよ…」

「……ん…あり、がとう……お母さん」

 挙式自体は、智の実家の近く……二年詣りに行っていたあの神社で神前式にて執り行うこととなった。智の両親、そしてお兄さんである圭さんとみゆきさんが挙式をした神社でもあるらしく、チャペルがいいなら無理強いしないが、と、智に言われた。

 チャペルでの挙式に憧れがなかったわけではなかったけれど、あの神社には苦い思い出もある。その苦い思い出を幸福で上書きしたい、と考えて、智の提案通り神前式で執り行うことにした。……記憶を上書きしたい、なんて発想が出てくること自体、なんというか……ワイルドな見た目とは裏腹に案外ロマンチストな智に、私も似てきたのかもしれない。

 チャペル挙式だとベールダウンが身支度の仕上げになるけれど、和装はそれがこの「紅差しの儀」に値する。どうしても……お母さんには最後の身支度を手伝って欲しくて。唯一、結婚式の準備でわがままを言わせてもらった部分だ。

「あとはメイクさんに直してもらいんしゃい……」

 手に持った筆をお母さんがメイクさんに返して、私から顔を背け震える声で言葉を紡いでいく。

 お母さんは心臓が悪かった。もしかしたら私が大人になるまで生きられないかもしれない、と言われていた。だからきっと……私の花嫁姿を見られてよかった、という、安堵感が胸を支配しているのだと思う。

「……お母さん。今まで大切に育ててくれて、ありがとう。絶対、幸せになるけんね」

 私も震える声のまま。ゆっくりと、お母さんに声をかけた。





 介添さんに導かれるままに、支度室を出た。鬘と身に纏った白無垢のずっしりとした重さに、足が自然とゆっくりとした歩みを生み出していく。

 廊下を歩いていくと、この建物の突き当たりの一室に……黒の紋付き羽織袴を身に纏った、愛おしい人の姿があった。

「………」

 想像通り。智の瞳は、これ以上ないほどまん丸。思わずくすりと笑みが溢れた。介添さんに支えられながら、智の前までゆっくりと歩みを進めた。

「……綺麗、だ。知香」

 智が、声を詰まらせながら。ゆっくりと、言葉をかけてくれる。

「………ありがと。智も、なんかサムライって感じで…かっこいいよ?」

 お互いに視線が絡み合って、お互いに上気させた頬を揶揄い合うようにくすりと笑い合った。




 その部屋に控室で待機していた親族たちが入室してくる。続柄と名前を双方の親族に伝えていき、粛々と親族紹介が進んでいく。

「弟の章と、婚約者の中河薫さんです。年明けに挙式入籍の予定となっています」

 智の声に、緊張したような面持ちの薫が小さく頭を下げた。そうして、私に視線を合わせてはにかんだように微笑んでいく。

 そう。実を言うと薫も年明けには邨上家の一員となる。ちょうど1週間前に結納を交わしたのだそう。あの時薫が私を揶揄うように発した言葉が現実になったのだ。

 まさか地元から離れた都会の地で高校の同級生と偶然の邂逅から親友となり、さらに義理の姉妹になるとは思ってもみなかった。私の両親も薫の両親も、顔見知りがいる家に嫁ぐことになって親同士も安心、という会話を繰り広げていたらしい。



 親族紹介を終えて、ゆっくりと神殿に向かう。雅な雅楽が流れる中を歩幅を合わせて歩き、介添えさんの補助を受けて神殿の前の椅子に腰掛けた。

 修祓しゅばつを受け、神主さんが行う祝詞奏上を聞き届け、誓いのことばを智が読み上げていく。

「神前に申し上げます。私達は今日を良き日と定めて結婚の儀禮を行います。今より後は互いに睦み親しみて、家庭の生活を始めます。何卒将来の平和と幸福をお守りくださいますようお祈りいたしますと共に謹んで御誓い申し上げます。……邨上智」

 智の溌剌とした言葉。感慨深そうに一拍置いて、最後の名乗りが紡がれていく。

 私も智と同じく、神前に名乗っていく。

「……一瀬、知香」

 名乗る声が、思わず震えた。生まれてきてからずっとずっと慣れ親しんできた、『一瀬』という苗字。もう、この名前でいられるのも……あと、1時間ほど。




 挙式を執り行ったあとは怒涛のようだった。披露宴を執り行うホテルへの移動中に市役所に寄って、ふたりで婚姻届を提出してきた。

 その瞬間から。私は『一瀬 知香』から『邨上 知香』となった。

 ホテルに到着すると、正面玄関に『鳳凰の間 邨上家 一瀬家 結婚披露宴会場』という表示があった。その文字を確認して、ようやっと実感が湧き上がってくる。

「……」

 荘厳な雰囲気の中で誓いの言葉を述べて、三三九度をして、指輪の交換をしても。ふたりで横並びになって婚姻届を提出しても。なんとなく……ふわふわした夢を見ているんじゃないか、という感覚があった。だけど夢なんかじゃなくて、これは現実である、ということをようやく思い知らされた気がする。

(……ちょっぴり寂しいけど………幸せ、だ…)

 込み上げてくる寂しさと幸せを噛み締めながら、介添さんに手を取られてゆっくりとホテルのロビーに足を踏み入れた。



 支度室に入り、白無垢からウエディングドレスに着替えていく。智も別室でタキシードに着替えていく。ちなみにウエディングドレスもお色直しで着るカラードレスも、智には一切見せていない。

 披露宴を執り行う会場は『鳳凰の間』。伝統と格式が息づくこのホテル最大級のメインバンケット。老舗の風格を感じる、ラグジュアリーなパーティ会場。天井高6mの広々とした空間、華やかできらびやかな意匠が特徴的な会場に負けないように、王道のクラシカルスタイルのウエディングドレスを選んだ。デコルテから肩にかけてのオフショルダーの美しいVラインが印象的。トレーンはサテンとレースの組み合わせで、レースから床のカーペットが透けるようになっているデザイン。

 ウエストニッパーを付けられて、純白のウェディングドレスを身に纏っていく。プロポーズ以降少しだけ伸ばした髪も綺麗に纏められ、キラキラとしたネックレスなどを付けて。身支度が着々と進んでいく。

(……やっぱり、1ヶ月前から厳命してて良かった…)

 最後に智から贈ってもらったイヤリングをつけてもらいながら、目の前の鏡の中の自分の姿にほっと安堵のため息をついた。

 独占欲・所有欲が強い智は、セックスの度に、いや、生理中であっても。セックスはしないまでも胸元をはだけさせていつだって私に所有痕を残していく。けれど洋装はデコルテや背中をあらわにするから我慢してくれ、我慢してくれないなら結婚式はしない!とまで言って痕を残さないように厳命していたのだ。それが功を奏しているなとちょっと実感する。

 施されていた和装用のメイクを洋装用のメイクに軽く直されて、肘まで隠れる純白のグローブを身につけて、支度が整った。年配の介添さんから比較的若い、私と同年代くらいの介添えさんにバトンタッチされてゆっくりと椅子から立ち上がる。

「生花で水を吸っているので重たいですよ、大丈夫ですか?手、離しますね」

 介添えさんから大きなブーケが手渡される。ウェディングドレスに合わせるブーケのデザインは、私と智の想い出の花……ラナンキュラスのブーケ。イタリア出張に出る前に、智がホワイトデーで買ってきてくれたお花を選んだ。もう、随分と前の出来事。

 コンコン、と、支度室の扉がノックされた。介添えさんがパタパタと扉に駆け寄っていき、その扉が開かれる。

「……知、香…」

「……」

 純白のタキシードを身に纏った智は、言葉には出来ないほど、かっこよくて。私はただ目の前の智を言葉なく見つめることしかできない。

 頬に熱が集まっていくのが自分でも分かる。智のはにかんだような、それでいて嬉しそうな表情から目を逸らすこともできない。

 極上の喜びを湛えた切れ長の瞳が、眩しそうに細められて。智の左手が私に伸ばされていく。

「知香。本当に綺麗だ。……おいで?」

 その言葉には抗い難い吸引力のような何かがあって。私は介添えさんに手を引かれて、ゆっくりと智の前まで歩いた。

 目の前に伸ばされた智の左手には、私と同じ白金プラチナの繊細な光が宿っている。その光を掴むように、目の前の手を取った。





 目の前にある扉の向こうから、オープニングムービーが流れている音がする。段々と……扉が開かれ、披露宴会場に入場する瞬間が近づいている。次第に鼓動が早くなっていく。

 私の隣に立っている智が、薄く笑って。

「……緊張、してんな?」

「ぅ…」

 図星を突かれて変な声が上がる。だって、これから一世一代の大舞台。正直、通関士試験よりも緊張する。

「思いつめた顔すんなって。大丈夫。俺が一緒だから」

「……っ」

 反則だ。一緒、というその言葉だけで、全身が沸騰するほど熱くなる。恥ずかしさと、嬉しさが込み上げて。私はゆっくりと、真横の智を見上げた。

 視線が絡まっていく。それだけで……妙に不安だった心が、軽くなっていく。

「はい、そろそろです。5、4、3、2、1……行ってらっしゃいませ!」

 ドアの前に立つスタッフさんが声をあげて扉を開いてくれる。こちら側に向けられたスポットライトの明るい光が視界に飛び込んできた。

 大きく息を吸って智と一緒に一歩を踏み出すと、盛大な拍手の音が……まるで、祝福の雨のように。私たちを大きく包んでいった。





 緊張していた入場から始まった披露宴も順調に進んでいった。智と私それぞれの来賓祝辞を経て乾杯に移り歓談が始まって、大勢の人が高砂に来てくれた。

 私の職場で言えば、通関部メンバーはもちろん、小林くんも招待していた。彼には本当に色々と感謝しかないから、智と相談の上、引き出物を少しだけランクアップしている。

 智の学生時代のお友達には初めてお会いした。集まったお友達は全員優しそうで、それでいて智を時折揶揄うような言葉を投げかけていく。きっと智の周りのお友達は、浅田さんのような心を許せるお友達ばかりなのだろうと察した。

 途中、ケーキ入刀とファーストバイトをした。お互いに料理をし合う仲だから、お互い同時にスプーンを差し出した。

 私の地元の友人や大学時代の友人も出席してくれて、高砂にも会いに来てくれた。想い出話しに華が咲く中。

「これよりブーケプルズとなります、女性ゲストの皆さま、ぜひ後方のステージへお越しくださいませ」

 あっという間に私の中座の直前に組み込んだブーケプルズの時間となった。中座の際のエスコート役。このブーケプルズでブーケを引き当てた女性ゲストと中座をしようと考えていた。誰になるのか、私もワクワクする。

「行ってくるね」

「ん」

 高砂に来てくれた浅田さんと話している智に声をかけて、介添えさんと一緒に後方のステージに向かう。数多のリボンが繋がっているブーケを手に持って、女性ゲストがテーブルから席を立って集まってくる様子を眺めた。

(……ほんと、誰になるだろ…)

 会場に入る時は緊張でドキドキしていたのに、今はとてもワクワクする。不思議だなぁと口元を綻ばせていると、準備されていたリボンが集まった全員に行き渡った合図が介添えさんから送られてくる。

「いきま~す、せ~の!」

 声をあげながら、手元のリボンをパッと放す。私が持っているブーケに繋がっている赤いリボンが、一本だけピンっとつっぱった。

 そちらの方向に視線を向けると―――ブラックのアイライナーに囲まれた、勝気な瞳と視線が交差した。

「わ!三木ちゃんだった!」

 まさか彼女が、私の大切な後輩がブーケを引き当てるなんて。驚いて硬直している彼女をステージに呼び寄せてカメラマンさんに記念の写真を撮ってもらう。

 途中、会社の人たちが座るテーブルに視線を向けると……小林くんが、じっと。澄んだ瞳をこちらに向けて。嬉しそうに微笑む三木ちゃん見つめているように思えた。




 三木ちゃんと一緒に中座して、彼女にエスコートしてもらったお礼を述べて支度室に再度入った。純白のウェディングドレスを脱いで、ゆっくりと……私が選んだカラードレスに袖を通していく。

 髪型も少しだけ変えてもらった。メイクもラメの強いアイシャドウを重ねてもらい、デコルテにもラメパウダーをはたいてもらう。

 しばらくすると、コンコン、と、支度室の扉がノックされた。披露宴前と同じく介添えさんがパタパタと扉に駆け寄っていき、その扉がゆっくりと開かれる。

「………」

「……」

 深みのあるグレーのタキシードに着替えた智がそこにいた。いつもは赤いネクタイが似合う智だけれども、グレーのタキシードも華麗に着こなしていて本当に惚れ惚れする。

「……も、しかして…指輪に合わせた色に、してくれたのか…?」

 ダークブラウンの瞳がひどく大きく揺れ動いている。驚きで詰まったようなその声に、私は照れたように笑みを浮かべた。

 私が選んだカラードレス。プロポーズの時に贈ってもらった深くて複雑な色をしたタンザナイトの色を引き立たさせる、グレイドネイビーのドレス。腰の部分を中心に胸元に向かって、そしてスカートの裾に向かって、銀のラメが散りばめられているデザイン。

 グローブは敢えて着けずに結婚指輪と婚約指輪を重ねづけ。ブーケはリースブーケにして摘むように持つようにし、タンザナイトを全面に押し出すようなコーディネートにした。

 私の意図を察してくれたのだろうその言葉に、心が弾んでいく。

「……うん。せっかく贈ってもらったから。みんなの想いが詰まってる、この指輪……みんなに見せないと意味がないじゃない?」

 照れたような笑みを浮かべる私に。智が、ふうわりと優しく笑ってくれた。




 お色直し入場は、挙式がチャペル式ではなかったからエスコート役をお父さんに頼めなかった。それを智が気にかけてくれていて、バージンロードを歩くさながらの演出で再入場をした。智の手に私の手が移る時。泣いた顔を見たことがないお父さんがくしゃくしゃに泣いていて、思わず私も涙が溢れた。




 智に手を引かれて高砂に着くと、琥珀色の瞳と視線が絡まった。

「よ、さとっちゃん、知香ちゃん」

 白髪混じりの髪と髭。柔和な笑みが目の前にあった。智側のゲストとしてお呼びした、マスター……池野和宏さん。

「マスター、忙しいのに来てくれてありがとうな」

 智が身体の前で小さく手を合わせた。その声に、私も「ありがとうございます」とぺこりと会釈をしていく。

「俺の大事な息子のうちのひとりの結婚式だ、来るに決まってるだろう?」

 マスターが苦笑したように肩を竦めて声を上げた。その声に、私もくすりと声が漏れる。

 彼にも、本当に感謝しなければならない。マスターがいたからこそ、智は困難にぶつかっても、マスターのアドバイスを受けてたくさんの壁を乗り越えてきたのだと知っているから。

「ところで。ソレが加奈子とマサが用意したってヤツ?」

 マスターがすっと指を動かして、私の左手を指差した。

「あ、はい、そうです」

 私はそっと左手を持ち上げて、マスターに見えるようにタンザナイトの指輪が煌めく手の甲を差し出していく。マスターはそれをじっと眺めて、ゆっくりと顎の髭を触っていた。

 しばらく私の手に煌めくタンザナイトを見つめていたマスターが、不意に心底面白そうに声を上げた。

「マサが知香ちゃんに迫った時は肝が冷えたが、まさかこんな形に収まるなんてなぁ……そういや、加奈子から祝電届いたか?」

 マスターの表情は、なんだか含みがあるように思えたけれど。マスターの問いかけに、智がきょとん、とした表情を浮かべて、私はその違和感の正体がわからなくなってしまった。

「いや、届いてなかったぞ。知香も見てねぇよな?」

 そう返答しながら、智が私に視線を向けて問いかけてくる。お支度が始まる前にホテルに届いていた祝電の確認がプランナーさんから入ったけれど、そこに加奈子さんの名前は見当たらなかったはず。

「うん、見てなかったと思う」

 私の声に、マスターが不思議そうに首を傾げた。

「そうか。一応、日取りを聞かれたから加奈子には6月24日だって返事しているが、タンザニアからだから時間がかかってるのかもしれねぇな。後から届いても許してやってくれ」

「ん、りょーかい。そんなことまで色々とありがとうな、マスター」

「いやいや。これからは夫婦で俺の店に遊びに来いよ?」

 マスターはそうして穏やかに笑って、高砂から下がっていった。






 その後も順調に披露宴は進んだ。キャンドルサービスを終えて花嫁の手紙を読み上げた。しゃくりを上げながらの読み上げだったけれど、智がゆっくりと背中をさすってくれていて、とても安心した。

 最後にゲストのお見送りをして、身に纏っていたドレスを名残惜しくも脱いで私服に着替えて、予約していたスイートルームにふたりで滑り込んだ。

「っ、あ~~~……疲れた…」

 ボフ、と音を立てて智がキングサイズのベッドに倒れ込んでいく。その様子を苦笑しつつ眺めて、ゆっくりとバスルームに向かった。

 花嫁用のメイクだからか、クレンジングにかなり苦戦した。ゆっくりと湯船に使っていると眠ってしまいそうで、慌ててお風呂から上がって備え付けのガウンを羽織った。

「智~、お風呂上がったよ?」

「ん、行く」

 私がお風呂から上がると、疲れたと言いながらも持ち込んだノートPCをベッドに腰掛けた膝の上に置いてパタパタと打ち込んでいた。明日からお互いに結婚休暇だというのに、本当に仕事人間の人だ。

 その様子を眺めていると、パタン、とノートPCを閉じて、智がお風呂に向かった。

 私もさっきの智と同じように、ベッドにダイブする。ふわりと鼻腔をくすぐる、石鹸の香り。



 さっき智が腰掛けていたベッドに寝転がりながら、神前式で智がはめてくれた左手の薬指の指輪を、じっと……ただただ、智がお風呂からあがってくるまで、じっと眺めていた。



「危うく寝るところだった…」

 智がそう口しながらバスルームから出てくると、不意に、コンコン、と。スイートルームの出入り口の扉がノックされた。

「はい」

 智が声をあげてバスルームから出た足でそのまま出入り口に向かった。カチャリと扉を開ける音が響き、智と誰かが会話を交わしている。寝室から出入り口の方向は死角になっていて、誰がそこにいるのかはわからない。

「……?」

 こんな時間に誰だろう。そんなことを考えていると、智が扉を閉めて鍵をおろした音が耳に届く。そうして、何かを持った手元に視線を落としたままこちらに戻って来た。

「……どうしたの?」

 ベッドに横たわったまま、戻ってきた智に問いかけた。すると、智はふっと口元を緩めてやわらかく笑いながら、視線を手元から私に向けて何かを差し出してくる。

「タンザニアからのエアメール」

 差し出された四角い封筒。四方が赤と青の線で縁取られていて、一目で国際郵便とわかる。左上の差出人の名前の英字を、ゆっくりと目で追うと。

「加…奈子、さん?」

 差出人欄には『池野加奈子』と英字で記されていた。思わぬ人物からのエアメールに思わずパチパチと目を瞬かせる。

「お色直しの後、マスターが言ってたろう?多分、これのことだ」

 智はベッドサイドに置いていた自分のビジネスバッグから筆箱を取り出し、私が横になっているベッドに沈み込みながらその封筒を慎重に開封していく。

「あ……祝電の話か、なるほど」

 そういえば、マスターがそういうことを言っていた。これのことか、と納得しつつ、ベッドから身体を起こして腰掛けた智の真横に正座で沈み込んだ。

 開封した封筒の中から封入されている便箋を、智が取り出した。その便箋が私にも見えるように広げてくれる。

 その便箋は白と金色でブーケの箔押しがされた一目で慶事用とわかる便箋だった。目に飛び込んで来たのは、見慣れた片桐さんの筆跡で始まる文章。

『ご結婚おめでとうございます
 お二人の輝かしい門出を祝福し 心より、』

 便箋の上部のメッセージはそこで一度途切れている。途切れている……というよりも、「心より」の「り」ののペン先が、ぐにゃり、とブレている。

 それは……まるで。したためていたのに、途中で誰かにその便箋を奪われた、というような……そんな様子だ。

「ふふ、片桐さんってば、本当に加奈子さんに振り回されているんだね……」

 なんというか、その様子が目に浮かぶようだ。きっと、加奈子さんに私たちの結婚式の日取りを聞いてメッセージをしたためてくれていたところを加奈子さんに見つかって、「私も書く」と便箋を奪われたのだろうと察して笑みが溢れる。

 そうして、その下の文章に視線を向けると。それ以降はやっぱり想像通り、加奈子さんの筆跡で。


『Congratulations on your happy wedding May you be forever happy!!

 Kanako Katagiri』


 ……と。さらっと、当たり前のように。彼女の署名が、筆記体で。さらりとそこに記してあった。

「…………か…たぎり……かな…こ……?」

 最後の署名を読み上げる智の声が掠れている。その言葉の意味を……私は、理解、した。

「………ぇ、ええええええ!?」

 片桐、加奈子。彼女の苗字が、変わっている。池野、ではなくなっている。ここから導き出される……衝撃的な答え。

「え、ちょっ、まっ、………っ!?」

 衝撃のあまり、途切れ途切れの言葉しか紡ぎ出せない。

 確かに、片桐さんは。加奈子さんの呼びかけヘッドハンティングに応じて、あの事件をきっかけに極東商社を退職しタンザニアに移住された。ヘッドハンティング、ということだったから、それはてっきりビジネスパートナーとして、ということだと思っていた。


 片桐さんと、池野さんが。日本からタンザニアに移住した、このふたりが。人生のパートナー同士に、なっていた。つまり。

 ―――ご結婚、されていたのだ。


「………」

「…………」

 私たちは、ただただ。目の前の便箋から視線が離せない。言いようのない、沈黙が続いていく。

「あん時、マスターが意味深に笑ってたのはコレのことか……」

 智は呆然としたように小さく呟いた。マスターが高砂に来てくれた時……なんというか、何かを含んだような笑みをしていたけれど。智が言う通りこのことなのだろう。

 マスターは加奈子さんのお兄さん。ふたりの結婚を知っていても、不思議ではない……というか、きっとこの事実を真っ先に知っていた人物、だろう。

「……何か…お祝い、したいね」

「………そう、だな…」

 智がふっと口元を緩めた。身体を支えるためにベッドについている左手に、私の右手を重ねる。そうして、私たちが選んだペアの指輪が光る智の薬指を、そっと撫でていく。

「何がいいと思う?日本を連想させるものがいいね、ペアのお茶碗とかお箸とか?あとは……あ、片桐さんは緑の目で、加奈子さんは琥珀色の目だから、お互いにそんな色がいいんじゃない?」

「お、いいな……そうするか」

 智が重ねた私の手のひらを、そっと恋人繋ぎにしていく。絡まった手のひらから伝わる、智の鼓動が心地よい。

 不意に。その手が、ぎゅっと持ち上げられて。

 トスンと。気がつけば、ベッドの上に、組み敷かれていた。

 目の前には。不服そうに細められた……ダークブラウンの、瞳。

「………知香。しばらくつけるな、って言われてたけど、もういいだろ?」 

「へ?」

 智が口にした言葉の意味が噛み砕けなくて。よくわからない声が私の喉から発せられた。私のその表情に、するり、と。繋がれた智の手が離されて、私の寝間着代わりのガウンにかけられていく。

「っ、ちょ!?」

 まさか。お互いに疲れたねと言い合った、今夜。こんなに体力を使ってヘトヘトになった、結婚式当日の夜に。気、なのでは。ざぁっと血の気が引いて、慌てて智の手を制止するけれど、私の手は間に合わなくて。チリチリと、デコルテに小さな痛みが刺していく。

「……っ、ふ…」

 1ヶ月振りに感じる、所有痕をつけられる感覚。智の吐息が胸元に触れて、強制的に心拍数が上がっていく。

「今日。まじで幸せだったけど……なんか色々ムカついた」

 ムスッとした声で、私に返事をさせる間も与えないまま。私の胸元に顔を埋めたまま、言葉が紡がれていく。

「知香は俺だけのなのに。式場の配膳スタッフにもめっちゃ注目されてた。ここに痕つけて俺のだって言いたかった」

「……へ…?」

 何を言っているのだ、この人は。注目されてたのは私だけじゃなくて、智もだと思うのですが……!?

 紡がれていく言葉に混乱していると、智はゆっくりと顔を上げた。そうして、不機嫌そうに眉を顰めて言葉を続けていく。

「あと、挙式の時。介添さんがずーっとくっついてたのもなんかムカついた。白無垢も俺が手を引いて歩いて回りたかったのに」

「え、えええ??」

 思わぬ言葉に、困惑の声が転がっていく。おばぁちゃん世代の介添さんにすら、嫉妬するのか、この人は……!


 元々から、嫉妬深い人だとは思っていたし、独占欲だって強い人だと知っていた。けれど……まさか。まさか、結婚式のスタッフさんにすら、嫉妬するとは。


 あまりの独占欲っぷりに目を白黒させていると、噛みつかれるような口付けが降ってくる。智の熱い舌が、私の腔内に差し込まれて。




 私は―――私たちは。ただただ、夫婦になってはじめての。


 愛と快楽に……溺れていった。
 



《Fin》
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