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番外編/Bright morning light.
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しおりを挟むヒーロー・智視点にてストーリーが進みます。時系列は少し遡りますが、智が知香へプロポーズしようと奮闘するエピソードです。お楽しみ頂けましたら幸いです。
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コンコン、と、ドアがノックされ、廊下からドア越しに浅田の声が響いた。
「邨上、入るぞ」
「ん」
このシチュエーションにも、もう随分と慣れたものだ。手元の書類から視線を上げずに短く返答する。
「年始の食事会の件。いつものように仕出し弁当予約しておくが、いいか?」
浅田がこのブースと廊下を仕切る扉をカチャリと閉めた瞬間、そう言葉を紡いだ。腕に下げているミニバッグがゆらゆらと揺れ動いている様子が視界の端に映りこんでいる。
三井商社では年明けの第1営業日には昼休みに仕出し弁当を取り全社員に配る。新年会の代わりだ。例年、その仕出し弁当は浅田の親戚、……知香の後輩である三木の実家の料亭に発注している。池野課長からの引き継ぎ書には浅田を経由して発注している、ということが記載されていた。
もう11月に入り、そろそろ浅田に話を通して手配しなければと考えていた頃だった。先に巻き起こった例の事件に絡み、俺は参考人としての警察の事情聴取や三井商社としての報道対応等で忙殺されていた。
あの事件はそのインパクトの大きさから全国ニュースで報道された。俺や知香の名前は出なかったものの、れっきとした被害者である片桐の名前はミドルネームまで含めて報道され、更に逮捕された黒川は現社長の私生児、ということを週刊誌のひとつに暴かれてしまい、そちらの対応にも追われた。
現社長は三井商社の創業者ではあるが、今回の件で責任を感じているのかあっさりと辞任の意向を固めた。年明けに臨時の株主総会を開いて役員改選の承認を得る運びとなり、俺は株主総会の準備にも奔走している。
そのため、浅田がこうして水面下で俺の片腕として動いてくれていることは本当に有難い。現状、俺だけでは通常業務を回すにも手が回らないのだ。
「いつもすまない。助かる」
椅子に腰かけたまま浅田のぱちりとした二重の瞳を見つめて小さく頭を下げた。俺のその言葉を、浅田は先ほどの問いの『是』と取ったのだろう。「ん」と小さく返事をしながら手に持った手帳に何かを書きこんでいる。
「ったく、あの一件だってなんで俺に一言言わなかったんだ。一言あれば今の忙しさも経験せずに済んだかもしれねぇだろうが、バカ」
浅田が手に持った手帳から顔をあげ、憮然たる面持ちで言葉を放っていく。耳に胼胝ができるほど何度も聞かされたその言葉に、自分の眉が下がっていくのを自覚した。
「……それは、本当にすまないと思っている」
黒川が何かを企んでいるかもしれない、ということは、結局浅田には伝えきれなかった。確証が無かったこともあるが、納涼会の運営を率先して受け持ってくれていた浅田にあれ以上の負担をかけたくなかったのだ。
今考えれば、あの時点で―――黒川と、オフィスビルの下ですれ違ったあの時点で。浅田や藤宮に一言相談をすべきだった。そうすれば、黒川の不正を暴いた時のように何かしらの対応が出来た可能性だって大いにあったのだ。知香を危険に晒すこともなかったし、片桐が生死の境を彷徨うような大怪我を負うこともなかったかもしれない。
『部長』という立場になった俺を以前と同じような調子で窘めてくれる浅田には感謝しかない。俺にとってはまさに頼れる参謀のような存在だ。
「んで?」
「あ?」
浅田は意味ありげな視線を俺に向けて短く問いかけてきた。唐突なその問いの意味が飲み込めず、デスクを挟んだ向こうに立ったままの浅田を呆けたように見つめる。
「タイムリミット。もうすぐだろ?」
「……」
投げかけられたその言葉に、自分でも苦虫を噛み潰したような表情になるのがわかった。
タイムリミット。知香がこちらに引っ越してきた時に改めて決めた、俺の中の期限。
同棲は、あくまでも期間限定。1年を目安に、結婚に踏み切れるように。絢子との時のように、長い春にならないように。自分の中でそう決めたのだ。
それまでには、いろいろなことに決着をつける。そう区切りをつけていた、知香の26歳の誕生日である今年の―――12月25日。その日が着々と迫っているというのに、諸々の対応に追われあまりにも多忙で、……レストランの予約しか、出来ていないのである。
俺の表情に浅田が呆れたように眉を顰め、「やっぱり」という声とともに盛大にため息を吐き出していく。
「その顔だと全く進んでねぇのな」
このままだと間に合わない、ということは自分でもわかっているが、如何せん今の俺には時間が無さすぎる。『交際の申し込みをした思い出のレストランでディナー』という事までは決めているが、どういう風に切り出すか、その時に指輪を用意しておくのか、指輪は後からふたりで選ぶことにするか、ならば代わりに花束を用意するか、という……そういった詳しい事は全く決められていない。考えが纏まらない、というのが正解かもしれない。
俺の斜め前の予備デスクに浅田が腰掛け、トン、と手に持った小さなバッグから弁当箱を取り出した。その動作に腕時計に視線を落とせば、時計の針はもう昼休みに入る時刻を指していた。今日はここで昼食を取るつもりなのだろう。ついでに俺のこのとっちらかった考えについても聞いてやる、という事なのだと察した。
俺も手元の資料をデスク脇に避け、知香と色違いで揃えたミニバッグから弁当箱を取り出し、ぽつぽつと言葉を発していく。
「……とりあえず、ディナーの予約はした。それ以外は決められてねぇ」
「は、まじか。思ってたより詰んでんな」
揶揄うような浅田の言葉に思いっきり顔を顰めた。詰んでいる、ということを改めて突き付けられると焦燥感しか湧き上がってこない。最良の日にしてやりたい、という思いだけが空回りしているような気がする。
目の前の浅田は今年の春先に入籍し、6月に挙式している。同い年で親友だが、そういった部分では人生の先輩とも呼べる。どういう風に切り出すか、については、自分の中の気持ちを真っ直ぐに伝えるため全てを自分で考えるつもりだが、その他の項目については人生の先輩でもある浅田に素直に頼るべきかと判断し、決められていない細々した事項の参考にさせて貰おうと意を決して口を開いた。
「……俺は、前の時に指輪を用意しなかった。だから……用意してやりたいと思ってる」
前の時、という風に言葉を濁しながら弁当に入れた卵焼きを頬張り、ずいぶんと遠く感じる1年半ほど前のあの日に想いを馳せた。
絢子にプロポーズした時は、指輪は絢子本人が一緒に選びに行きたいと常々口にしていた。それ故に、……同じようにはしたくないのだ。知香へは婚約指輪を用意してプロポーズしたい、という気持ちがある。
「まぁ、お前の気持ちもわかるけどな、俺は後で一緒に見にいったぞ。下手なもん贈るよりは本人の納得いくデザインにしてやりたかったから。大体、雛子の薬指のサイズもわからなかったしな」
ふたりでそれぞれ目の前に置いた弁当をつまみながらぽつぽつと言葉を交わしていく。
「……前の彼氏と一緒に指輪を見に行っていたらしいんだ」
公私ともに支え合っている浅田だからこそ打ち明けられる感情もある。口に入れた卵焼きを飲み下して小さくため息を吐き出しながら、己の中にある毒のようなものを吐き出した。
「あ~……。なるほどな」
浅田は俺のその言葉だけで俺の心の奥底に潜む本心まで汲み取ったのだろう。その言葉とともに、手元の弁当箱から顔をあげ苦々しい表情を俺に向けていた。
思い出されるのは、初めて俺の実家に連れていく前に立ち寄った商業施設での出来事。思い出の店だ、と言って涙していた瞬間の、知香の……感情を失くした表情。あの表情を脳裏に思い浮かべるたび、俺が抱えた傷さえ抉られていくような感覚に陥ってしまう。じりじりと……心を手折られていくような、引き攣れた痛みがするのだ。
(……引き摺られすぎ、だな…)
最近、焦りから少々ナーバスになっている気がする。心の中で小さく頭を振り、その日に向けての思考回路に戻していく。
知香はあの時、正式なプロポーズをされるという時に振られた、と言っていた。その前に指輪を選びに行った、とも。きっとあの店だけではなくいくつかの店を回っていたはずだ。下見に立ち寄った店の指輪すらも贈りたくない。それこそ、下手なものを贈ってふたたび知香にあのような表情をさせてしまったら、と―――考えるだけでぞっとする。
絢子の時と同じようにはしたくない。出来るだけ事前に用意してやりたい。ディナーのあとに小箱を開ける、という演出めいた形でその日を迎えたい。
かといって、元カレと指輪の下見に行った店はどこか、なんて口が裂けても確認などしたくない。春先、偶然一緒になった電車の中で「楽しみにしていろ」と言い放った手前、知香には事前に情報を与えたくないのだ。
我が儘で、自分勝手な醜い感情、身勝手なプライドでしかないことも理解している。……が、こればかりはどうしても譲りたくない項目だった。
「お前の元カノとも、彼女の元カレと被らない選択肢、ねぇ。……お前が詰むのも当然っちゃ当然か」
ふい、と、浅田がふたたび弁当箱に視線を落とした。俺もそれに倣い浅田から視線を外して箸を進めていく。
「指輪じゃなくてネックレス……いや、ダイヤモンドって時点で被りか」
浅田が妙案だ、という表情をしながら言葉を紡ぐも、途中から悩まし気な表情に切り替わった。百面相のようなその表情に思わず苦笑いのような吐息が零れ落ちていく。
(確かに……ダイヤモンドって時点で被り、か……)
その観点は思いついてすらいなかった。やはり浅田は俺とは全く違う着眼点を持っている。違う視点から見ることが出来る浅田という存在だからこそ、あの時きちんと相談すべきだった、と……改めて痛感する。
まるで自分の事のように頭を悩ませてくれている親友の存在に心から感謝しつつ、互いに思い付いた案を口にしていくものの、結局、この昼休みの時間では打開策は見い出せなかった。
そうして昼食を取り終えた浅田が「仕事しながらちょっと考えとくわ」と言いながらこの企画開発部のブースを後にした、のだが。
四角く切り取られた窓枠を遮るアイボリーのブラインドから、秋から冬へと変遷していく茜色の光がやわらかく降り注ぐ、夕刻。バタバタと廊下を誰かが走ってくるような。革靴の底が叩きつけられて響く足音がこのブースに近づいてくる。
「邨上! あるじゃねぇか!」
ノックすらせず、ガチャリ、と激しい音を立て浅田が飛び込んで来た。浅田の手にはスマホ。胸の前で斜めがけしたビジネスバッグ。呼吸が乱れているのもそのままに、浅田はニヤリと口元をつり上げた。
「……は?」
俺は営業課2課の新規取引の信用情報の資料と突き合わせつつ、与信枠について頭を悩ませているところだった。2課農産チームは黒川の不正取引の影響で成績不振気味だったが、ここ最近盛り返して来ているのだ。
浅田の「ある」という言葉の意味が噛み砕けず、手に資料を持ったまま、ぽかんと口を開いて浅田の表情を見つめ続けた。浅田は俺のそんな様子にも構わず、畳み掛けるように言葉を投げかけていく。
「だから!! ぜってぇ被らねぇ選択肢、あるじゃねぇか!!!」
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