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息を吐くと、白い靄となって顔に纏わりつく。寒いな、と考えながら、月明かりの下で彼女をぼんやりと待っていた。
コツコツと、足音が近づいてくる。ヒールなのに走ってこちらに向かっているのだと察せられるほどの大きな足音。
「和彦さん、お待たせ。遅くなってごめんなさいね」
ふわり、と。柔和な笑みが目の前に飛び込んできた。今日は大寒波が到来した大晦日だというのに、加奈子さんの額はとても汗ばんでいる。きっとかなりのスピードで走って来てくれたのだろう。
「いえ。俺も今来たところですし、」
「嘘。だって鼻と耳が真っ赤だわ」
気にしないでください、と続けたかったのに。彼女の琥珀色の瞳がじとっとした目に変わって、俺の声を遮った。
「……少しだけ待ちました」
嘘をすぐに暴かれて居た堪れなくなり、そのじと目から思わず視線を外す。
そんな俺の様子にも構わず、彼女がコツコツと俺の前まで歩いて。
「ちょっとね、絶対に落としたい案件に手こずっていて遅くなってしまったわ。本当にごめんなさい。さ、二年詣りに行きましょ? 悪い縁は切ってしまいましょう」
そう。今日は大晦日で。初めてのデートを兼ねた二年詣りに来ている。
俺が夏子に振られたのは、12月25日。クリスマスの時だった。加奈子さんが婚約破棄をされたのも、その日。そうして、俺たちは傷の舐め合いの関係から流れで恋人となって、1週間が過ぎた。
互いに社会人で、時折連絡を取り合うくらい。プロポーズを断られた精神的ショックから立ち直れるか不安に思っていたけれど、同じ傷を負った彼女がそばにいると思うと、考えていたよりも緩やかで優しい時間が過ぎていっている気がする。
そうして、彼女の提案で二年詣りに来ることにした。悪い縁……つまり、お互いに振られたことを過ぎ去ったことにしよう、と。
辿り着いた鳥居をくぐり、手水舎で身を清めて、石段を上っていく。ふたたび大きな鳥居をくぐり、さらに石段を登っていく。ざわめく境内の中に凛と佇む一本の大木の手前で足を止める。二年詣りを行う人はここに並んで待機する形だ。既に長い行列ができていた。
そこに並びながら他愛もない話しをポツポツと交わしていくと、不意に。
「和彦さんはどうして振られたの?」
「……」
ずばっと。彼女が赤い唇を動かして、単刀直入に疑問をぶつけてきた。思わず息が止まって、目を瞬かせる。
「……社内恋愛だったから。表と裏の顔がありすぎるのが嫌だ、と。更に言えば、プロポーズするために根詰めて仕事をしていて……元カノと向き合う時間が減って。家庭を顧みてくれない気がする、と」
淡々と。塞がりかかっていた自分の瘡蓋を捲らないように。淡々と、感情を込めずに。あの時、夏子に言われたことだけをゆっくりと口にした。
「ふぅん。そっか」
彼女はそう口にすると、興味を失ったかのように俺から視線を外した。
「……」
俺も、彼女の振られた理由を聞くべきだろうか。まぁ、興味があるといえばあるけれども。
「……加奈子さんは?」
おずおずと。真横の背の低い彼女を見つめて、小さく問いかけた。
「住む世界が違うんですって」
「……」
彼女は吐き捨てるように。心底つまらなさそうに、声をあげた。
住む世界が違う。なんだか抽象的すぎてよくわからない。けれど、その言葉が彼女にとっての地雷であるということだけはなんとなく察することができた。
お互いにそれからは無言だった。何も言えなかった、というべきだろうか。
「3……2…1……0! ハッピーニューイヤー!!」
どこからともなくカウントダウンが聞こえてきた。その声を聞いて、俺たちは顔を見合わせて。
「……あけまして、おめでとうございます。末長くよろしく」
もう、過去には戻らない。お互いにそんな心持ちで……新しい年を祝う会話を、交わしていた。
本殿への参拝を終えて、ごった返す人並みをかき分けながらお神籤を引いて、ふたりとも『末吉』という結果に笑い合った。
「末吉、って、末広りを意味していて。段々と良くなっていく、っていうことなんですってよ」
「……へぇ、そうなんですか」
彼女が引いたお神籤を手袋をした手で財布の中に入れながら解説をしてくれた。彼女は商社の営業に携わっているからか、通関業一筋で生きてきた俺よりも幅広い分野で知識が豊富で。俺は先ほどから彼女の知識の多彩に舌を巻いていた。
「あ、私、そこのクレープ食べたいわ?」
「え、さっきお好み焼き食べていらっしゃいましたよね」
「失礼ねぇ、女子はスイーツは別腹なのよ」
参道にたくさんの露店が出ている。たくさんの人がごった返す中を縫うように歩く。多彩な知識を披露したかと思えば、こうして普通の女性らしい会話も飛び出してくる。
彼女が持っている顔はいくつあるのだろう。次第に俺の好奇心を強く掻き立てられていく。
「ね、和彦さん。来年も一緒に来ましょうね」
彼女が、飛びっきりの笑顔で笑った。
その笑顔に。あの日のように、胸の奥が言いようのない感情で震えた。
いろんな顔を持つ彼女を、幸せにしたい、と。素直にそう思った。
(……加奈子さん、と……来年も一緒に。また、ここに来よう)
俺は、夏子は幸せに出来なかったけれど。
……彼女を幸せにする。そう、心に決めた。
そう、思っていたのに。
コツコツと、足音が近づいてくる。ヒールなのに走ってこちらに向かっているのだと察せられるほどの大きな足音。
「和彦さん、お待たせ。遅くなってごめんなさいね」
ふわり、と。柔和な笑みが目の前に飛び込んできた。今日は大寒波が到来した大晦日だというのに、加奈子さんの額はとても汗ばんでいる。きっとかなりのスピードで走って来てくれたのだろう。
「いえ。俺も今来たところですし、」
「嘘。だって鼻と耳が真っ赤だわ」
気にしないでください、と続けたかったのに。彼女の琥珀色の瞳がじとっとした目に変わって、俺の声を遮った。
「……少しだけ待ちました」
嘘をすぐに暴かれて居た堪れなくなり、そのじと目から思わず視線を外す。
そんな俺の様子にも構わず、彼女がコツコツと俺の前まで歩いて。
「ちょっとね、絶対に落としたい案件に手こずっていて遅くなってしまったわ。本当にごめんなさい。さ、二年詣りに行きましょ? 悪い縁は切ってしまいましょう」
そう。今日は大晦日で。初めてのデートを兼ねた二年詣りに来ている。
俺が夏子に振られたのは、12月25日。クリスマスの時だった。加奈子さんが婚約破棄をされたのも、その日。そうして、俺たちは傷の舐め合いの関係から流れで恋人となって、1週間が過ぎた。
互いに社会人で、時折連絡を取り合うくらい。プロポーズを断られた精神的ショックから立ち直れるか不安に思っていたけれど、同じ傷を負った彼女がそばにいると思うと、考えていたよりも緩やかで優しい時間が過ぎていっている気がする。
そうして、彼女の提案で二年詣りに来ることにした。悪い縁……つまり、お互いに振られたことを過ぎ去ったことにしよう、と。
辿り着いた鳥居をくぐり、手水舎で身を清めて、石段を上っていく。ふたたび大きな鳥居をくぐり、さらに石段を登っていく。ざわめく境内の中に凛と佇む一本の大木の手前で足を止める。二年詣りを行う人はここに並んで待機する形だ。既に長い行列ができていた。
そこに並びながら他愛もない話しをポツポツと交わしていくと、不意に。
「和彦さんはどうして振られたの?」
「……」
ずばっと。彼女が赤い唇を動かして、単刀直入に疑問をぶつけてきた。思わず息が止まって、目を瞬かせる。
「……社内恋愛だったから。表と裏の顔がありすぎるのが嫌だ、と。更に言えば、プロポーズするために根詰めて仕事をしていて……元カノと向き合う時間が減って。家庭を顧みてくれない気がする、と」
淡々と。塞がりかかっていた自分の瘡蓋を捲らないように。淡々と、感情を込めずに。あの時、夏子に言われたことだけをゆっくりと口にした。
「ふぅん。そっか」
彼女はそう口にすると、興味を失ったかのように俺から視線を外した。
「……」
俺も、彼女の振られた理由を聞くべきだろうか。まぁ、興味があるといえばあるけれども。
「……加奈子さんは?」
おずおずと。真横の背の低い彼女を見つめて、小さく問いかけた。
「住む世界が違うんですって」
「……」
彼女は吐き捨てるように。心底つまらなさそうに、声をあげた。
住む世界が違う。なんだか抽象的すぎてよくわからない。けれど、その言葉が彼女にとっての地雷であるということだけはなんとなく察することができた。
お互いにそれからは無言だった。何も言えなかった、というべきだろうか。
「3……2…1……0! ハッピーニューイヤー!!」
どこからともなくカウントダウンが聞こえてきた。その声を聞いて、俺たちは顔を見合わせて。
「……あけまして、おめでとうございます。末長くよろしく」
もう、過去には戻らない。お互いにそんな心持ちで……新しい年を祝う会話を、交わしていた。
本殿への参拝を終えて、ごった返す人並みをかき分けながらお神籤を引いて、ふたりとも『末吉』という結果に笑い合った。
「末吉、って、末広りを意味していて。段々と良くなっていく、っていうことなんですってよ」
「……へぇ、そうなんですか」
彼女が引いたお神籤を手袋をした手で財布の中に入れながら解説をしてくれた。彼女は商社の営業に携わっているからか、通関業一筋で生きてきた俺よりも幅広い分野で知識が豊富で。俺は先ほどから彼女の知識の多彩に舌を巻いていた。
「あ、私、そこのクレープ食べたいわ?」
「え、さっきお好み焼き食べていらっしゃいましたよね」
「失礼ねぇ、女子はスイーツは別腹なのよ」
参道にたくさんの露店が出ている。たくさんの人がごった返す中を縫うように歩く。多彩な知識を披露したかと思えば、こうして普通の女性らしい会話も飛び出してくる。
彼女が持っている顔はいくつあるのだろう。次第に俺の好奇心を強く掻き立てられていく。
「ね、和彦さん。来年も一緒に来ましょうね」
彼女が、飛びっきりの笑顔で笑った。
その笑顔に。あの日のように、胸の奥が言いようのない感情で震えた。
いろんな顔を持つ彼女を、幸せにしたい、と。素直にそう思った。
(……加奈子さん、と……来年も一緒に。また、ここに来よう)
俺は、夏子は幸せに出来なかったけれど。
……彼女を幸せにする。そう、心に決めた。
そう、思っていたのに。
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