奇跡を呼ぶ旋律

桜水城

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「あたしの母さんは病気なんだ。もう一年も目を覚まさない」
 水場で待っていた私のところにやってきたミラはそう切り出した。
「死んだってわけじゃないよ。息はしてるし、心臓も動いてる。でも、目を覚まさないんだ……」
 そんな話を突然されても私は困ってしまう。私は吟遊詩人であり、医者ではない。しかも、生きたまま目を覚まさない病気など、どんな名医でもさじを投げることだろう。
「それで、私に何をしてほしいんだ? そんな病気、治せと言われても無理だぞ」
 ミラは苦笑した。どうやらその病気を治してほしいわけではないらしい。
「母さんの傍で歌を歌って欲しいんだ。セインテの建国叙事詩をさ」
 そんな簡単なことで良いのか。しかし、眠ったままの人間に歌など聞かせても無駄だろう。それに……。
「どうして私に? 私の歌を聞いたこともないのに……」
「歌えれば誰でも良いのさ。でも、あたしは歌を覚えちゃいないからね」
 誰でも良いと言われては私も些か気分を害さないわけではない。しかし、やはり世話になっている身だ。ミラの願いはかなえてやらねばならないだろう。
「母さんは特にビシアデステさまとメルトレシアさまの恋物語の部分が大好きでね……。歌ってくれるかい?」
「勿論だ。しかし、その前に部屋に天馬琴を取りに戻っても良いか?」
 その言葉でミラは思い出したように腕に抱えていた包みを私に渡してきた。
「今日、市場で買って来てもらったんだ。その粗末な服じゃさまにならないだろ?」
 開いてみると、それは吟遊詩人の旅装束だった。男物だ。単純な意匠だが、重みから考えても着易そうな服だった。
「わかった。着替えてから行くとしよう」
 ミラは微笑みながら頷いた。
「部屋の前で待っているよ。よろしくな」
 私はミラと共に黄昏の間とやらに足を向けた。
 
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