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051 魔の導き

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 俺たちは森を進む。さっきまでより足取り軽く進めるのは、ステラの様子を心配しなくても良くなったことが大きい。
 今、彼女は熊に跨り、獣道を進んでいる。

「私は不服」
「言わなくてもわかるよ」

 言葉通りの表情で俺に告げるので、思わず笑ってしまう。元々マージベアに対して良い印象を持っていない彼女だ。俺と熊はステラの可愛さを通じて心で繋がりあった確信があるのだが、彼女にそれを説明することは難しい。
 俺がいくら大丈夫だと告げても、彼女はいまいち信じきれない様子だった。
 マージベアが彼女に懐いた様子を全力でアピールし、俺もそれに乗っかって全力で説得したところ、何とか納得を勝ち取れたのだ。
 そしてマージベアの要望で、今はステラがその背に乗っている。

「そもそも魔物の言葉がわかるの、リドゥ」
「いや全然。でもこいつの言いたいことは何となくわかるような気がするだろ?」
「……いいえ、わからないけど」

 ステラがそう言うと、マージベアは少し寂しそうに唸った。……やっぱり結構わかりやすい気がするんだけどなあ。それでもステラにはわからないらしい。魔物の中でもかなり人間に近い感情を持っているように俺は感じるのに。
 マージベアはステラのことを気に入っており、俺に対しては理解者のような心境を抱いている。と、俺は思っている。勝手な妄想なのかもしれないが、実際その通りの振る舞いをしているからそう思わざるを得ない。
 これがもし、ステラを最高の捕食対象として捉えており、俺はそれを守るボディーガードみたいに思われていたら。俺は今すぐこのマージベアを、ボコボコにしないといけなくなるわけだけど。

「……私のこと食べるの」
「グル!? グルル、グラァ!」
「マージベアがそんなことないってさ」
「マージベアは今唸っただけ。リドゥ、やっぱり勝手な解釈をしている」
「グルル! グルルァ!」
「俺の言ってることは合ってるみたいだ。あとマージベアって呼び方が気に入らないってさ」
「……絶対にそんなこと言ってないと思う」

 そんなこと言わずに何か呼び名を付けてやってほしい、と俺は伝える。
 ステラは少し眉をひそめ訝しげに俺を見た後、顎に手を当てて 考える。

「ジベ……」
「シンプルだな」
「グルぅっ」

 マージベアだからジベ。種族名の間の文字だけで構成されたあだ名だというのに、マージベアは嬉しそうに唸った。
 本人が気に入ったようで良かった。

「それで、お前たちはどういうつもりだ?」

 一つ目の山を越え、谷へ下り、森の中。山賊と言うには多少装備が整い過ぎた連中が俺たちを囲む。
 黒いローブの魔術師のように見える四人。ただ、ガタイの良さを感じさせることから魔術のみで戦うとも思えない。
 警戒は緩めずに俺は彼らへ訊ねた。

「そちら、マージベアですよねぇ……。物のついでにその魔力を頂こうかと。大変貴重なんですよ、その魔物」

 リーダーのような男が嫌に暗い目でこちらを見ながら返した。薄ら浮かべた笑みが気持ち悪さを一層引き立てている。
 狙いはどうやらマージベア、ジベのようだ。俺が静かに剣を抜くと、二人が同じように剣を抜いた。残り二人が杖をこちらに向ける。
 ……俺一人ならともかく、ステラを守りながら、ジベを傷つけないように戦うのは分が悪い。ここはどうにかして逃げたいところだ。

「ジベは傷つけさせないぞ」
「おや、魔物を庇いますか。そのマージベアもそうですが、人間と魔物が共に行動しているとは中々珍しいですねぇ」
「我々の目的はその魔物の全魔力……即ち命だけだ。貴様やそこの女は傷つけるつもりはない」
「俺は女は味見させてもらいたいけどなァ」

 男たちが各々話しかけてくる。話を聞く限り連中は共に行動し、何か共通の団体に属しているように見えるが、一枚岩ではないようだ。
 ジベだけでなく、ステラまで毒牙に掛けるつもりなら、俺も全力で迎え撃たなければならない。

「ステラ、ここは一度逃げたい。俺が隙を作るからジベと逃げてくれ。いいな?」
「……わかった」
「グル!!」

 俺は静かに耳打ちした後、男たちに向き直る。四方を囲まれている為、逃げ場は少ない。一人だけでも無力化できれば良いのだが……。
 思案しているところへ、剣を構えた男が俺の方へ向かって来る。先程ステラを襲おうと考えていた男だ。
 俺は目をつむり、一呼吸。

「練術!」

 初めに目に気を集め、即座に全身に気を込める。
 男の動きの一つ一つがゆっくりと捉えられる。今は剣に練術を使わず、全身の強化にのみ使用する。あまり殺傷能力が高くなっても手加減が難しくなるためだ。
 向かって来る男以外の声が聞こえる。……これは、詠唱か。

「闇より出でて、影に潜め。動かざるを是とせし鎖、彼の者を汝にとっての是とせよ! 闇魔法、シャッド!」
「それは、知ってるぞォ!」

 剣を振る男の背後に回り込み、柄を首に叩き込む。空気を吐き出した声と共に、白目を剥いてそいつが倒れると、俺は詠唱する声の主へと駆けていく。
 シャッド。ルーンに掛けられたことのある魔術だ。闇魔法による拘束術。やはりというか、ルーンは魔法名のみで魔術を繰り出すのに対し、ある程度の魔術師は詠唱が必要らしい。
 その時間が俺にかなりの猶予を与えてくれる。黒いモヤのようなものが魔術師から現れ、俺の影目掛けて飛び出そうとしている。

「練術、金剛剣」

 気を増加させ、俺は剣を強化する。いくらルーンより弱い魔術師と言えど、俺の力ごときで素の剣が魔法を切れるとは思っていない。
 練術を通した剣はモヤを断ち切る。そのまま黄金に輝く剣を地面に突き刺し、力を込める。

「ステラ!!」

 俺が叫ぶと、ステラが頷いた。ジベの体を二度叩き、その耳へステラが何かを呟いている。
 ジベが了承するように唸ると、一人分空いた包囲を潜り抜けて魔物と少女が飛び出していった。 

「待て!!」
「行かせない」

 追いかけようとする三人の男を足止めする為に、俺は剣を振り上げる。
 地面に深々と突き刺さっていた剣を、ただの腕力で振り抜くと土や草が大量に巻き上がった。土砂が降るその中で、男たちはそれぞれ頭や目を庇って蹲る。
 練術を使用している俺は、その中でも軽々と走り去ることが出来た。俺が逃げようとしているのに気付いたリーダー格の男がこちらへ叫ぶ。

「逃げられると思わないでください! 我々『魔の導き』が、いずれマージベアもろとも貴方たちも捕えて見せますからね!」

 魔の導き、という集団。聞き覚えはない。負け惜しみにも聞こえるその声が遥か遠くなる頃、俺はステラと合流した。
 流石に山に住む魔物だけあり、短時間にも関わらずジベはかなりの距離逃げることに成功していた。それこそ練術をフルに使用した俺がやっと追いつける程度に。
 ステラと話し、もう少し先まで進み逃げ切ったと確信を持てたところで、彼らの言っていた名を伝える。

「魔の導き……」

 小柄な少女は眉をひそめて顎に手を当てる。何かを思い出そうとしているようにも見えるし、苦い何かに耐えているようにも見えた。
 商人ということもあり、より情報通なのはステラだ。俺なんて田舎から出てきただけで世情にも疎い。
 彼女が数秒黙っているのを、俺は待つ。

「……面倒な連中に目を付けられてしまったかもしれない」

 少し経ってから、彼女は深くため息を吐きつつ俺に告げた。
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