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052 ステラとの時間
しおりを挟む彼女の言う追加の素材は鉱石だというのは、先程彼女に見せてもらった地図から読み取れていた。
しかし、なんというか……。
「この中から鉱石を掘り当てないといけないのか!?」
山の中に唐突に表れたのは大きく削られた穴。全長何百メートルなのだろうか。先日昇格試験に使った演習場なんて比にならない。深さはさほど無いように見えるが、底が見えない。
というか底なのかどうかわからない。黒くて何かわからないものがうごうごと、それも大量に這っている。
「魔物いるよな! それもすごい数!!」
「そう。だから私には無理。リドゥなら大丈夫」
「無理だ! 絶対無理! ソリスとルーンを連れてきた方が良かったよこれは!」
山の頂上から見ている為、魔物の正体は分からない。だが、その種類は何種類もの魔物が集まっているのは見える。
何種類も、何百体もが集まる穴の中に飛び込めと、ステラはそう告げてくる。
「なんで二人は連れてきちゃダメだったんだ……?」
訊ねると、彼女は俺の服の裾を静かに摘まんだ。何かを言いたそうにしているが、言い淀んでいるように見える。彼女の大きくて丸い、薄灰色の瞳が俺を映す。
数秒の後、彼女はポツリと告げた。
「……だって、リドゥと二人で冒険、してみたかったから」
「っ」
言って、彼女は顔を赤くしてモジモジとする。
胸の奥の方がきゅっと締まるような感覚がやって来る。何とも言えない堪らない感情が込み上げてきて、急に手持ち無沙汰な気がしてきてしまう。
俺は意を決して呼吸を一つ。
「ステラ」
「ひゃ」
小さな両肩を掴むと、彼女は可愛らしい小さな声を上げる。俺の顔をじぃと見た後、俯き、何かを決めたように頷く。
更に何かを覚悟したように口の端を結ぶと、彼女は目をつむって俺の方へ首を差し出した。
彼女の綺麗な唇が静かに震える。緊張しているんだ。俺になら良いと決心したようであったが、それでも彼女は緊張して……。
なら、その覚悟に応えなければならない。俺は静かに目を閉じ――
「――い、いや! 違う! そういうことじゃない!!」
「……惜しかった。リドゥの感情をかなり揺さぶれた自信があった」
俺が叫ぶと、彼女はいつもの冷静な顔にスッと戻る。もしかして……今の演技!? え、どこからどこまでが!?!?
「あと少しでリドゥのファーストキスは私のものだった。そして私のファーストキスもリドゥのものになるところだったのに」
「ステラ!? ちょっと、今の、え?! な、何がどうなって俺をどうしようとしてたの!?!?」
「私をリドゥのものにする計画、フェーズ141」
「知らないうちに滅茶苦茶段階進んでるんだね!?」
リドゥを私のものにする、ではないのがミソらしい。俺にはよくわからないが!!
「ち、違うんだ。ステラの言葉が嬉しかったのは確かだけど、そういうことじゃなくて。ええと、なんだっけ」
「落ち着いて、私はいつでも準備が出来ている」
「なんの!? だから、そういうのが俺を乱してくるんだよ! 黙って待ってて」
「してやったり」
俺が慌てる様子を見て、彼女は嬉しそうに口の端を緩めた。
「その、俺と冒険したいと言ってくれたのが嬉しかった。だからその気持ちに応えたい。俺、頑張って魔物の穴の中に飛び込むから、何か良い方法はないか? って、そういうようなことが言いたかったんだ!」
「……なるほど、つまり私をリドゥのものにするってこと? 魔物の穴……ちょっと私の解釈が合ってるかわからないけど、準備した方がいいかもしれない」
「多分解釈ミスってる!! 俺のズボンは何の関係もないし、ベルトを外す必要もない!! 手を離して!!」
表情に対して、ぐいぐいと迫ってくるステラを引きはがす。
……無意識だけど、今少し練術を使ったかもしれない。それほど必死になって引きはがさないと離れてくれない密着度だった。良くない。思春期のこの体に、彼女の態度は非常に良くない。
「冗談」
「そう言ってくれて心底安心するよ……」
「リドゥをからかうのは楽しい」
からかわれる側はかなり心労があるのだが……。
彼女は俺から離れると、大きなリュックを下ろしてその中をゴソゴソと探る。
と、後ろから誰かが俺の背を突く。
「お、ジベおかえり。食料は無事獲れたか?」
「グル!」
先程から離れていたジベが帰ってきた。口の端が薄く濡れている。
魔の導きという集団から逃げる際、かなり体力を使ったらしく、彼(彼女なのか?)は腹を空かせていた。俺たちが食べるようなもので魔物の腹が膨れるとは到底思えないし、そもそもジベにとって俺たちの飯は大して旨いと感じないらしかった。
そういうわけでジベは自分で山を駆け、食事をしてきたということだ。
「グルルルァア」
「口の中を見せるな! 何食ってきたんだよ」
「ガアー」
「いや、だから見ないってば」
ジベの口の中には恐ろしく尖った牙。ずらりと並んだそれには、何かの肉やら葉っぱやら、更には石の破片のようなものまであった。ほんと、何食べたんだ……?
「あった。これを使うといいかもしれない」
ステラがリュックから何かを取り出す。
パッと見は黒いワインボトル。何か液体が入っているらしく、中からジャブジャブと音がする。
彼女が栓を抜くと、何とも言えない臭いが漂ってきた。
「魔物から身を守る香水の一種。人間には大した臭いじゃないけど、魔物が凄く嫌がる成分が含まれているから、ほら」
そう言ってステラが指を差す。
隣にいたはずのジベがいない。辺りを見回すと、かなり離れた所の木からこちらを覗いている。
……なるほど、魔物はああなるわけだ。
「要はドラゴンとか、伝説級の魔物の匂いみたいなもの。実力差がこの香水から伝わるから、並の魔物は逃げていく」
「そういう仕組みなんだ。これをどうすればいい?」
「髪や服に染み込ませるのが一番効果が高くていい。私が付けてあげる。腰を下ろして」
彼女に言われるままに俺は膝立ちになり、姿勢を低くする。ステラがボトルの中身を綿のようなものに染み込ませ、俺の頭に塗っていく。
香水の臭いと共に、彼女の香りがふわりと舞う。頭を抱えられるような体勢だと気付いた瞬間、俺の心臓が激しく音を鳴らす。ステラがわざとやっている様子もない。
表情を窺う。無表情ながら、どこか楽しそうに目をキラキラとさせている。俺を魔物の穴の中に放り込むのだ。おふざけは一切なく至って真面目に、懸命に香水を塗り付けていく様子に、俺の心臓が更にキュッと締まる。
思えば誰かに頭を撫でられたり、抱き締められたことはなかった。村での俺はひ弱なただのお荷物で、孤独なものだった。
俺はそれでも大丈夫だと思っていたし、そうなるのが当然だと思っていた。誰かを憎んだり、恨んだりはなるべくしないようにしていた。客観的に見て俺は不遇な扱いを受けていたのは間違いないが。村人がそういう態度を取ってしまうことも容易に想像できていたからだ。
そう。俺は平気だった。誰かのぬくもりを感じずとも大丈夫なんだと、ずっと思っていた。
「リドゥ?」
ステラが俺を呼ぶ。
「ごめん、少しこのままで」
無意識に、俺は彼女の服の裾を少し握っていた。
俺は知らなかった。
ここまで誰かのぬくもりに飢えていたことに。少し優しく触れられただけで、自分がここまで弱く心の内をさらけ出しそうになるとは。
彼女は何も言わなかった。ただ何かを察したように薄く微笑み、俺の頭を優しく撫でていた。
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