きせかえ人形とあやつり人形

ことわ子

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人形の追憶

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 眩しいライトの光を浴びて、俺は思わず目を細めた。急激に狭くなる視界の端にボヤけた人影が映る。
 今更、意識する必要もないくらいの見知った顔だが、どこかいつもと違う空気を纏っていることに気が付いた。
 どこが、と聞かれると答えることは出来ない。違和感は感じるのに、言葉には表せない。笑っている顔にも、泣いている顔にも見える人影はいつものように表情を変えることなく、ゆっくりと近づいて来た。

 俺の前で立ち止まると、椅子に座っている俺を見下すように正面に立った。男にしては小柄なほうだと思っていたが、座りながら見上げるとさすがに大きく感じる。普段は感じることも無い威圧感のようなものも存在している気がしてきて、少し鳥肌が立った。

 丁度逆光になっていて、俺を見下す人影の表情は分からない。元々線が細いと思っていた身体はボヤけた光に包まれていつもの何倍も頼りなく見える。何も言わない人影は脱力したように右手に持ったカメラを俺に向けてきた。
 いつもなら、すぐに聴こえてくるシャッター音がいつまで経っても聴こえてこない。不思議に思って目を細めると、人影は項垂れたように頭を下げた。

 そしてポツリと吐き出すように空気を漏らした。

「脱いで」

 俺は目を伏せて一拍置いた。そして深く息を吸う。

 少し悩むような素振りを見せた後、俺は自分の着ているシャツに手をかけると時間をかけてボタンを外し始めた。まるで音を出すことを禁じられたような張り詰めた空気が充満する室内で、ライトに照らされた身体に熱が篭っていくのを感じる。いっそ、全て脱ぎ捨ててしまえば、少しこの焦ったい熱から解放されるのではないかと考えてしまう。それでも俺はボタンを外す手を早めたりはしなかった。

 俺の動きにあわせて、布の擦れる渇いた音だけがやけに強調されて耳まで届いた。何をやっているのだろうと考えたら負けだよな、と自問自答してみる。すると、少し笑えてきて緊張感が緩んだ気がした。

 全部のボタンが外れる頃には、今までの事を振り返るには十分過ぎるくらいの時間が経っていた。






 「宮秋……まさと、くん」

 最初に久城望(くじょうのぞむ)に出会ったのは誰もいない美術室だった。
 厳密に言うと、最初に久城望と接近したのは、授業が終わったのにも関わらず、クラスメイトの誰にも起こして貰えず、一人取り残された美術室で惰眠を貪っていた時の事だった。接近、という言葉を選んだのには理由がある。
 久城望はこの学校では有名人で、名前くらいは普通科の俺でも聞いた事があったからだ。

「…………ん?」

 気持ちよく寝ていた所を揺さぶられ、少しの苛立ちを感じながら机にうつ伏せになっていた頭をゆっくりと上げた。頭が覚醒していくにつれて、停止していた嗅覚も同時に動き始める。美術室特有の埃っぽさと絵の具の油っぽい匂いが混ざって少しの不快感に眉を細める。
 それでも今自分がどこに居るのかまでは理解が追い付かず、ボヤけた視界を晴らす為に軽く頭を振った。

「あの、」

 随分歯切れの悪い言葉を発するな、と思った。人の至福の時間を奪っておいてこの煮え切らなさに苛立ちが募る。

「…………」

 それでもいきなり怒鳴ったりはしない。頭がクリアになってくればなってくるほど、この場にそぐわないのは自分の方なのだとちゃんと理解できているからだ。
 辺りを見渡すと教室には二人しかいない。置いてけぼりにした薄情な友人達を恨むならまだしも、目の前の気弱そうな有名人に当たるのは間違っている。

「あ~~~~、ごめん、俺寝ちゃってたみたいだ」

 そんな事見れば分かるのに、敢えて説明するような口調になってしまう。誰にも起こして貰えずに今ここにいる事実をうやむやにしたくて、急いで立ち上がる。
 ふと、揺れるカーテンの隙間から強くて鮮やかな光が漏れているのが目に留まった。

「あれ? 今何時だ?」

 時計を探そうと視線を動かす前に久城がボソリと呟いた。

「四時半」
「うわっマジか! 授業終わってんじゃん! じゃあもう放課後?」

 思っていたより爆睡だったらしい。昨日オールでゲームをしていたのが原因だと言うことは分かる。分かるが、やめるつもりはない。もう放課後だと言うのなら早く帰って昨日の続きがやりたい。

「あ、じゃあ、久城は部活でここに来たの?」

 特に意識するでもなく、何となく会話を続けたつもりだった。しかし、久城は驚いたように黒目がちの瞳を大きく開いて俺のことを見た。人にこんなに見つめられる経験なんてそう無い。俺は小さく息を飲み込むと、どうしていいか分からず久城から視線を逸らせなかった。

「なんで、名前」

 あぁ、そういうことか、と納得する。一度も話したこともない、ましてや科すら違う俺に名前を呼ばれたから驚いたのか。

「だって久城、有名人じゃん。よく分かんねぇけど、何とかって賞たくさん貰ってるんだろ? すごいじゃん」

 久城は旧校舎にある美術科の二年生だ。俺と同級生だけど、基本違う棟で生活している美術科の生徒とすれ違う機会はほとんど無く、なんとなく顔を知っている程度だった。

「そんなことないよ」

 謙遜も言い慣れている感じがして、住む世界が違うことを感じる。
 俺はこんな機会でも無いと一生喋ることはないだろう、と更に久城に質問してみた。

「美術科ってどんな感じ? やっぱりみんな優秀なの?」

 俺たちが通っている高校は普通科よりも先に美術科が存在していた珍しい高校だ。普通科が出来たのはここ数年で、校舎も増築された綺麗な場所で勉学に励んでいる。
 一方、由緒正しい歴史を持つ美術科の生徒さま達は格式高い校舎で、まるで俗世とは関わる気が無いと言わんばかりの閉鎖された空間で作品作りに打ち込んでいる。

 美術科の生徒は皆が皆優秀だけどその中でも久城はその容姿も相まって、この学校の有名人になっていた。
 俺は噂話に興味が無く、久城のこともなんかすごい人、という程度の印象しか無かったが。

「優秀…………な人も中にはいるんじゃないかな。俺は、違うけど」

 ここまで謙遜されるとむしろ自慢されているような気がしてくる。邪推だと分かっていても、平凡な俺に対しての返事にしては謙遜が過ぎる。
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