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神様の家族

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 食事を終え、後片付けを済ませ、洗濯をしている最中に朝陽は伊呂波の姿が見えないことに気がついた。先程まで朝陽の傍にべったりと張り付き、行動を興味深そうに眺めていたのに、一体どこに行ったのだろうか。
 少し鬱陶しい……、というかやりづらさを感じていたため、解放された気分になったが、伊呂波の様子が分からないのもそれはそれで気になる。
 朝陽は洗濯機のスタートボタンを押すと、部屋の中を確認しつつ掃除機をかけ始めた。部屋同士はふすまで仕切られており、どんどん開け放ちながら進む。
 大きくない古民家なため、部屋数は多くなく、居間を除くと朝陽が寝室に使っている部屋とその横にもう一部屋、更に奥に小さい部屋がある程度だった。
 一人暮らしには充分過ぎる大きさだが、伊呂波と同居となると少し手狭に感じる。区切りがふすましか無いのも心もとない。
 伊呂波のことを警戒しているわけではなく、単純にふすまで区切られた空間で生活したことがないため、どの程度プライバシーが守られるのか心配なのだ。
 それでもこの事実は変えようがない。
 そういえば、と朝陽は思い出しながら部屋の中を歩いた。
 昨日全ての部屋を見てまわった時に伊呂波の姿はなかった。朝陽が寝ているすきに帰ってきたことも考えられるが、それにしてはあまりにも気配というものがなかった。神様だからそんなことを考えても仕方ないのは分かっているが、朝陽は少しだけ心に引っかかりを感じた。

 結局全ての部屋を掃除し終えたが伊呂波の姿はなかった。
 きっと出かけたんだろう。
 一言も声を掛けられなかったことに若干拗ねながら、朝陽は一番奥まった場所にある部屋へと向かった。
 全部の部屋がきちんと管理されていたこの家で、この部屋だけが何故か古びた空気を醸し出していた。それなのに今村からこの部屋についての言及はなく、朝陽は不思議に思っていた。
 足を踏み入れると、悪寒、とまではいかないが少しだけ気分が落ち込む。
 朝陽は所謂、霊感やそれに近い何かを感じた経験はなく、そういう世界とは無縁で生きてきた。幽霊はホラー映画を見た後に多少背後が気になってしまう程度で、本気で信じているわけではなかった。
 そんな朝陽も伊呂波に出会ってその認識が変わり始めた。神様と幽霊を同列に語っていいものか悩むが。
 もしかしたら、この部屋にも何か秘密があるのではないかと思った。
 この部屋には陰気な空気感の他にもう一つ奇妙な箇所があった。
 他の部屋にはほとんど家具が設置されていないのにも関わらず、この部屋だけはまるで誰かの部屋のように四方が本棚で囲まれていた。それなのに本は一つも入っていない。
 朝陽は不思議に思い、本棚を横にずらしてみた。本棚の後ろに隠し通路があるのは定番の話で、内心わくわくしていた。
 しかし、後ろにはクリーム色の土壁があるだけだった。

「なんだ」

 朝陽は拍子抜けし、本棚を元の位置に戻そうとした、が。
 バリバリ、と乾いた音が本棚の下からして動きを止めた。よく見ると何か紙が挟まっている。朝陽はしゃがみ込み紙を抜き出すと広げてみた。
 真ん中に最早なんの花か分からないくらい変色した押し花が貼られた便箋だった。文字は何も書かれていない。花を触ろうとすると、それを止めてあった、とうの昔に粘着力を失ったセロハンテープが落ちてしまった。

「あ……」

 朝陽はセロハンテープを広い、ゴミ箱に捨てようとした。

「駄目!」

 急に背後から声を掛けられ、飛び上がる。驚いて振り返ると伊呂波が焦ったようにこちらを見ていた。

「伊呂波さま……?」
「捨てないで!」

 伊呂波がなんの事を言っているのか分からず固まっていると、少しだけ強引な力で便箋もセロハンテープも奪われてしまった。

「え」
「あ……ごめん」

 伊呂波は申し訳なさそうに頭を垂れたが、朝陽は伊呂波が強引な行動に出たショックで更に固まった。

「朝陽……?」

 伊呂波に名前を呼ばれてようやく我に返る。よく考えてみれば他人の家のものを例え一般的にはゴミに分類されるようなものでも捨てようとした自分が悪い。謝るのはこちらだと、朝陽は伊呂波を見た。

「あの、こちらこそごめんなさい。大事なものだって知らずに……」
「えっ、あーうん。大丈夫、気にしないで」

 便箋を見る、愛しむような伊呂波の顔に気付きたくないことに気が付いてしまう。
 この便箋は、きっと大切な人からの贈り物なのだろうと。
 ざわざわする。

「あ、そういえば僕の家族を紹介してなかったよね。今呼んでもいい?」
「は、へ? 家族?」
「うん。駄目かな?」

 気を利かせて話を振ってくれたことは分かるがあまりにも突拍子もない。

「大丈夫……ですけど……」

 神様の家族というものがどういうものか分からずに身構えてしまう。

「よかった。玄(くろ)、おいで」

 伊呂波が声をかけると、どこからともなく、イタチが姿を現した。

「あ、昨日の!」

 間違いない。昨日の泥棒騒ぎの犯人のイタチだ。

「よう」

 そのイタチが尊大な態度で挨拶してくるから空気が固まる。

「玄ー! ちゃんとしてって言ったよね!?」
「オレはいつだってちゃんとしてるだろ」
「してないよ!」

 伊呂波と玄の小競り合いを眺めながら、朝陽は頭の中を整理する。
 伊呂波は神様なのだ。しゃべる動物がそばに居てもおかしくない。当面の間伊呂波と暮らしていく以上、こういうことには慣れていかなければいけないと思った。

「は、はじめまして……?」

 思わす疑問形になる。

「昨日会ってるけどな」

 ああ、やっぱり昨日のイタチだった。

「風呂に入ったのを見計らったのに、オレとしたことがヘマしちまった」
「玄って時々とんでもない失敗するよね」
「うるせぇ。大体伊呂波が薔薇の水を替えてこいなんて無茶言うからだろ」
「だって、プレゼントした薔薇の様子が心配だったし……それにいきなり僕が現れて朝陽を驚かせちゃったらどうするんだよ」
「ずっと隠れて見つめ続けてたくせに。その事実の方が驚きだわ」
「ちょ──」

 待って。今すごく衝撃的なことを聞かされた気がする。

「ずっと隠れて……?」
「ああああの、隠れてっていうか出ていくタイミングを見失って、それで」
「覗きしてたんだよな」
「だから違う!」

 沸騰でもしているのかというほど伊呂波の顔が赤い。隠れていたことは気になるが、いたしかたない気もする。大体こちらが勝手にお邪魔したのだ。一方的に伊呂波を責める気にはなれない。

「あたし、気にしてな──」
「思ったよりはスタイルよかったよな、な、伊呂波」
「…………え?」
「ちがっ、いや、あの、朝陽のスタイルが悪いって意味じゃなくて」
「なんだよ、ばっちり見てたくせに」

 なんの話?
 スタイル? 誰の?
 まさか、あたしの?

 朝陽は昨日の自分の行動を思い返した。
 一日中掃除して、ご飯を食べて、その後お風呂を沸かして。それで。
 つい、いつもの癖で部屋で服を脱いだことを思い出した。誰もいないと思っていたからだ。しかし。

「もしかしてあたしが服脱ぐの見てたんですか!?」

 掴みかかりそうな勢いで朝陽が詰め寄る。

「見てない! 見てないよ!」
「神様ともあろう存在が嘘はいけないな」
「う、……………………ちょっと、だけ…………」

 伊呂波の告白に身体中の体温が急激に上がっていく。

「だって、いきなりだったし、……」

 恥ずかしくて埋まりたくなる。
 朝陽は羞恥心と伊呂波への怒りに堪えられなくなって、部屋から逃げ出した。
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