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今日も最悪【トナミ】
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今日も最悪な日だった。いや、最悪な夜だった。
オレは舌打ちをしながら、髪の毛を手で軽く整えた。タバコの匂いが染み付いていて気持ち悪い。
今日の客はいつもより乱暴に扱ってくるやつが多かった。髪を鷲掴みにして従わせようとしてくるやつは大体下手で、加えて金の羽振りも悪い。
オレとしてもそんなやつと関わりを持っても損しかないので、こっそり店に出禁にしてもらう。
幸い、殴られることはなかったが、大事な商売道具である顔に傷でもついたらどうするんだと、今更怒りが込み上げてきた。
オレにはこれしか無いのに。
朝日が目に染みる。眩しくて目を細めながら、放置されたゴミにカラスが群がるビル群の裏路地から大通りへ出ると、少しだけ人通りが増してきた。みんな足早にどこかへ向かって行く。まともな人間はこれから仕事に向かうのだろう。
オレは下を向きながら、なるべく目立たないように足を早める。仕事はもう終わったのだ。無駄に知り合いに会いたくない。
駅から出てくる大量の人間を掻き分け、オレだけが人の波に逆らいながら進む。
改札を通って一歩足を踏み出し、ハッとして立ち止まる。
そうだ、今日はこっちじゃないんだった。
いつも寝床に使っていたネカフェに向かいそうになる足を逆方向に向ける。ゼンの家はちょうど反対方向だ。
途端に、あれだけ荒んでいた心が少しだけ浮上するのを感じた。帰る家があるのが嬉しい。自然にそう思ってしまった自分が恥ずかしくなる。
オレは一旦心を落ち着けて、ゼンの家に帰るための電車が止まるホームまで軽い足取りで向かった。
「ただい、ま?」
オレがゼンの家に着くと、丁度ゼンが家から出てきた。
「おかえり。お疲れ」
そう言って声を掛けてくれた。お疲れ、なんて言ってもらえるような仕事ではないのに、その言葉が嬉しい。と、同時に罪悪感のようなものも感じた。
……夜勤、っていえば夜勤だけど。
嘘は言っていないが本当のことも言っていない。本当のことを言ったところで、ただの自己満にしかならないかもしれない。本当のことを告げられたところでゼンも反応に困るだろう。嘘はついていないのだから、ゼンとはこのくらいの距離感で良いと自分を納得させる。
「ゼンはこれから仕事?」
「ああ、今日は店開けないといけないからちょっと早いんだ」
帰ってから朝ご飯を作ろうと思っていたが、この調子だとバイトがある日は間に合いそうもない。いきなり約束を破ってしまったな、と少しだけ気が引けた。
「そうなんだ。…………あのさ、ちょっと仮眠とったら仕事場、行ってもいい?」
「え?」
「いや、あの、ゼンが作ってるとこ見てみたいって思って……邪魔なら別に……」
「邪魔なんて思わないけど。興味持ってくれる人が増えるのは嬉しいし」
断られるかと思っていたが、ゼンは快諾してくれた。本当はそこまで興味があったわけではないが、ゼンの姿を見たらなんとなく口から出てしまっていた。
ゼンはただの家主なのだから、これ以上距離を詰めるのは得策ではないと、頭では分かっている。分かっていながらそんなことを言い出してしまった自分に驚いた。
「でもちゃんと寝てからにしろよ。顔色が悪い」
「え……?」
「隈もすごいぞ」
そんな顔をしているなんて気が付かなかった。今までの家主もそんなことを指摘してくれる人はいなかった。
「ん、分かった。ちゃんと寝てから行く」
「待ってる」
ゼンは一旦、言葉を区切って、思い出したように付け加えた。
「あ、ご飯作ってくれる約束だけど、あれ、晩ご飯だけで大丈夫だから。流石に三食用意してもらうのは申し訳ないし」
「え……?」
「もしかしたら気にしたんじゃないかと思って。別に気にしてなかったら今のは忘れて」
そう言ってゼンは顔を背けた。顔が少し赤い気がする。鈍感なように見えて意外と人を見ていると思った。
「あ、本当? そうしてもらえるとオレも助かる~」
気づかないフリをしてそう答える。ゼンの気遣いが自分の中の変化についていけず、少しだけ恐ろしく感じた。
「じゃあおやすみ」
無理矢理話を切ってゼンを見送る。
オレは窓際に置いてあるベッドの前に移動した。昨日は床に雑魚寝だったが、ゼンは今日、ベッドで寝たのだろうか。
オレはベッドに上がろうとして、やめた。
ここはオレが使っていい場所じゃない。
今までベッドは基本、誘い込まれる場所で、自ら使ったことは無かった。家主と一緒に寝る時以外は椅子やソファで寝ていた。それがオレなりの線引きだった。
オレは毛布だけ引き剥がすと、自身に巻き付け床に転がった。固い床でもネカフェよりはずっと快適だ。
疲れていたせいか、安心したせいなのかは分からないが、目を閉じた瞬間、オレは直ぐに眠りに落ちた。
オレは舌打ちをしながら、髪の毛を手で軽く整えた。タバコの匂いが染み付いていて気持ち悪い。
今日の客はいつもより乱暴に扱ってくるやつが多かった。髪を鷲掴みにして従わせようとしてくるやつは大体下手で、加えて金の羽振りも悪い。
オレとしてもそんなやつと関わりを持っても損しかないので、こっそり店に出禁にしてもらう。
幸い、殴られることはなかったが、大事な商売道具である顔に傷でもついたらどうするんだと、今更怒りが込み上げてきた。
オレにはこれしか無いのに。
朝日が目に染みる。眩しくて目を細めながら、放置されたゴミにカラスが群がるビル群の裏路地から大通りへ出ると、少しだけ人通りが増してきた。みんな足早にどこかへ向かって行く。まともな人間はこれから仕事に向かうのだろう。
オレは下を向きながら、なるべく目立たないように足を早める。仕事はもう終わったのだ。無駄に知り合いに会いたくない。
駅から出てくる大量の人間を掻き分け、オレだけが人の波に逆らいながら進む。
改札を通って一歩足を踏み出し、ハッとして立ち止まる。
そうだ、今日はこっちじゃないんだった。
いつも寝床に使っていたネカフェに向かいそうになる足を逆方向に向ける。ゼンの家はちょうど反対方向だ。
途端に、あれだけ荒んでいた心が少しだけ浮上するのを感じた。帰る家があるのが嬉しい。自然にそう思ってしまった自分が恥ずかしくなる。
オレは一旦心を落ち着けて、ゼンの家に帰るための電車が止まるホームまで軽い足取りで向かった。
「ただい、ま?」
オレがゼンの家に着くと、丁度ゼンが家から出てきた。
「おかえり。お疲れ」
そう言って声を掛けてくれた。お疲れ、なんて言ってもらえるような仕事ではないのに、その言葉が嬉しい。と、同時に罪悪感のようなものも感じた。
……夜勤、っていえば夜勤だけど。
嘘は言っていないが本当のことも言っていない。本当のことを言ったところで、ただの自己満にしかならないかもしれない。本当のことを告げられたところでゼンも反応に困るだろう。嘘はついていないのだから、ゼンとはこのくらいの距離感で良いと自分を納得させる。
「ゼンはこれから仕事?」
「ああ、今日は店開けないといけないからちょっと早いんだ」
帰ってから朝ご飯を作ろうと思っていたが、この調子だとバイトがある日は間に合いそうもない。いきなり約束を破ってしまったな、と少しだけ気が引けた。
「そうなんだ。…………あのさ、ちょっと仮眠とったら仕事場、行ってもいい?」
「え?」
「いや、あの、ゼンが作ってるとこ見てみたいって思って……邪魔なら別に……」
「邪魔なんて思わないけど。興味持ってくれる人が増えるのは嬉しいし」
断られるかと思っていたが、ゼンは快諾してくれた。本当はそこまで興味があったわけではないが、ゼンの姿を見たらなんとなく口から出てしまっていた。
ゼンはただの家主なのだから、これ以上距離を詰めるのは得策ではないと、頭では分かっている。分かっていながらそんなことを言い出してしまった自分に驚いた。
「でもちゃんと寝てからにしろよ。顔色が悪い」
「え……?」
「隈もすごいぞ」
そんな顔をしているなんて気が付かなかった。今までの家主もそんなことを指摘してくれる人はいなかった。
「ん、分かった。ちゃんと寝てから行く」
「待ってる」
ゼンは一旦、言葉を区切って、思い出したように付け加えた。
「あ、ご飯作ってくれる約束だけど、あれ、晩ご飯だけで大丈夫だから。流石に三食用意してもらうのは申し訳ないし」
「え……?」
「もしかしたら気にしたんじゃないかと思って。別に気にしてなかったら今のは忘れて」
そう言ってゼンは顔を背けた。顔が少し赤い気がする。鈍感なように見えて意外と人を見ていると思った。
「あ、本当? そうしてもらえるとオレも助かる~」
気づかないフリをしてそう答える。ゼンの気遣いが自分の中の変化についていけず、少しだけ恐ろしく感じた。
「じゃあおやすみ」
無理矢理話を切ってゼンを見送る。
オレは窓際に置いてあるベッドの前に移動した。昨日は床に雑魚寝だったが、ゼンは今日、ベッドで寝たのだろうか。
オレはベッドに上がろうとして、やめた。
ここはオレが使っていい場所じゃない。
今までベッドは基本、誘い込まれる場所で、自ら使ったことは無かった。家主と一緒に寝る時以外は椅子やソファで寝ていた。それがオレなりの線引きだった。
オレは毛布だけ引き剥がすと、自身に巻き付け床に転がった。固い床でもネカフェよりはずっと快適だ。
疲れていたせいか、安心したせいなのかは分からないが、目を閉じた瞬間、オレは直ぐに眠りに落ちた。
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