一途な猫は夢に溺れる

ことわ子

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一途な猫は夢に溺れる

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***

「いい? 今から父を連れてくるからここから絶対に動かないでね」

 お師匠さんはそう言うと、奥まった場所に設置してあったソファーに僕を座らせた。周りには分厚い赤いベルベットのカーテンがかけられていて、パーティー会場の喧騒が遮られている。人目を憚るにはもってこいの場所だが、パーティー会場にはそぐわないなとも感じる。

「わたしも一緒に行きます」
「だめ」

 お師匠さんは間髪いれずに俺の意見を却下すると背中を向けた。
 置いていかれると思うと自然と声が出た。

「一緒に行った方が都合が良いと思いますが」

 我ながらそれっぽいことが言えたと思う。
 大体、絶対に僕から離れるなと言ったのはお師匠さんだ。
 それなのにパーティー会場に入るや否や、急に機嫌が悪くなり、しまいにはここから動くなと言って離れて行こうとする。お師匠さんのことは尊敬しているが、昔から掴みどころがなくて困ることがある。慣れた出来事とはいえ、今は、はいそうですかと簡単に納得は出来ない。なんと言っても、自分の身の安全がかかっているのだ。
 俺は食い下がってお師匠さんのジャケットの端を掴んだ。
 お師匠さんの身体が少しだけ跳ねたような気がした。しかし、お師匠さんはこんなことでは動揺したりするような男ではない。俺の気のせいだと気持ちを切り替える。

「連れて行ってください」

 俺がそう言うと、お師匠さんは、あー、と投げやりな声を出し、俺の方へ向き直った。金色の髪から覗く耳が少しだけ赤い。
 え、と思う間もなくお師匠さんと目が合う。揺れる瞳に呼応するように遅れて俺の心臓が鳴り始める。

「おししょ――…」
「パーティーに来てる奴らがマオのことを邪な目で見てて気分が良くないの! これで納得してくれた!?」

 早口で紡がれた言葉に呆ける。そもそもこの姿にしたのはお師匠さんなのに、と突っ込むことも出来ないくらい思考が止まる。

「とにかく直ぐに戻ってくるから! ここでいい子にしてて!」

 尚も早口のお師匠さんは、それだけ言うと、俺の返事を待たずに早歩きで離れていってしまった。
 俺は、お師匠さんが持ってきてくれたグラスに入った水を一口飲むと俯き深く息を吐いた。冷たい感触が喉を通り、落ち着いてくる。
 お師匠さんが言っていた意味が全く分からず混乱する。いくら邪な目で見られたところで本当の俺は男だ。別に痛くも痒くもない。それともお師匠さんは性別関係なく、自分の子供のように可愛がって育てた俺をそういう目で見られるのが嫌なのだろうか。
 それなら親愛という意味で分からなくもない。
 相変わらず掴みどころがないな、と思いながらも内心、少しだけ喜んでいる自分に気がついて表情を引き締める。ヘラヘラしている場合ではない。
 お師匠さんが帰ってくるまでなるべく目立たないようにしよう、そう思った瞬間。

「あの、ここ、いいかしら?」

 不意に掛けられた言葉に俺は首をもたげた。

「あ……」

 俺の視線の先には黒髪の女の子がいて、手にグラスを持ちながら微笑んでいた。この子も魔法使いなのだろうか。見た目では分からないが、ここにいるからにはあちら側の人間なのだろう。幼い顔に不釣合いなぴったりとした赤いドレスを着ていて、ちぐはぐな印象を受ける。しかし魔法使いにとって年齢はただの飾りであり、見た目で判断しようとする俺の考えの方が異端なのだろう。
 いい子にしていようと決意した瞬間他人と関わることになってしまった。後でお師匠さんにグチグチ言われている想像が頭の中を駆け巡る。
 お師匠さんって意外と根に持つんだよなぁ……
 どうしたら不可抗力だったと理解してもらえるだろうかと思案していると、女の子がもう一度声を発した。

「少しゆっくりしたいと思って場所を探していたの。そしたらアーネストがここから離れていったのが見えて」

 急に出たお師匠さんの名前に息を飲む。ここはお師匠さんの家なのだから、お師匠さんを知っている人がいてもおかしくない。
 しかし、滅多に当たらない俺の勘が強く訴えかけていた。

「わたしはフェリシーよ。よろしくね」

 フェリシーの不自然に細められた赤い瞳に吸い込まれそうになる。フェリシーは俺の返事も待たずに俺の隣に腰掛けてきた。
 隣に座っているのが小柄な女の子とは思えないほどの圧を感じ僅かに身を引く。

「あなたはアーネストのお友達?」

 フェリシーがわざわざここに来た理由なんて一つしかない。お師匠さんと一緒にいるところを見られていたのだ。下手な言い訳は逆効果だろう。

「フェリシー様はアーネスト様のご友人ですか?」

 質問に質問で返す無礼をしたが、それよりもフェリシーはご友人という言葉が癇に障ったようだ。右頬が一瞬引き攣ったように見えた。

「アーネストはね、わたしの婚約者よ」

 勝ち誇ったような笑みでそう言った。

「ずっとずっと好きだったの。長い時間待ち続けて、ようやく幸せになれることになったのだけど」

 フェリシーは意味ありげに一旦言葉を切ると、少しだけ声を落として俺の耳元で囁いた。

「で、あなたは何者なの?」

 ぞく、と背中を嫌な汗が伝った。フェリシーには俺がお師匠さんの恋人としてここにいることどころか、本当は人間であるこそすらも見透かされているのではないかと、最悪の想像が脳内をよぎる。

「わたしは……」
「まぁ、あなたが誰だろうと関係ないわ。アーネストは渡さない。それを伝えに来たのよ」

 どうやら俺が人間であることはばれてはいないらしいが、敵意を向けられていることには変わりない。

「いい? アーネストとあなたじゃどう考えても釣り合わない。アーネストと一緒にいていいのはわたしだけなの」
「そんなことない」

 思わず言い返してしまった。突然の反撃に一瞬面食らったような顔をしたフェリシーだったが、次の瞬間には俺の首を鷲掴みにしていた。今の俺は華奢な体型をしているため、首筋も細い。フェリシーの手は平均的な女性の大きさだったが、丁度長い爪が食い込むように当たっていて痛みが走る。

「はぁっ」

 大きく仰け反るとフェリシーの手が離れた。掴まれていた場所に堰き止められていた血が通っていくのが分かる。咄嗟に手で覆って傷の有無を確認する。
 本気で絞め殺そうとするつもりはなかったのか、フェリシーは優雅に佇まいを戻すと、グラスに口をつけた。

「分かった?」

 彼女は警告しにきたのだ。お師匠さんに近づくたら容赦はしないと。それを今、身をもって痛感させられた。

「フェリシー」

 背後から聞きなれた声がした。フェリシーも誰の声だか分かったのか、冷たかった空気は一変して、柔らかい声を出した。

「アーネスト!」

 フェリシーは急いで立ち上がり、お師匠さんに駆け寄って、まるでいつもそうしているみたいに抱きついた。
 今までの出来事を知らない他人から見たら、恋人同士の美しい場面だろう。それくらいフェリシーはアーネストと似合っていた。魔法を掛けるまでもなく、すらりとした身体に美しい髪。お師匠さんより低い身長で見上げるように目線を送ることが出来る。
 何より、フェリシーはお師匠さんとずっと一緒にいられる。

「離れて」

 お師匠さんは冷たくフェリシーを突き放すと、俺の方を向いた。

「ごめんね、遅くなって。ちょっと面倒なことになって……」
「あ、いや……」

 完全に背中を向けられて、蚊帳の外に出されてしまったフェリシーの恨みの篭った顔がお師匠さん越しに見える。

「寂しくなかった?」

 恋人に向かって言葉を掛けてくるお師匠さんはとにかく甘い。いつもとは違う、初めて見るお師匠さんの顔に身体が熱くなってくる。

「アーネスト、ここに来た目的を思い出してください」

 それとなく小声で促してみるが、お師匠さんは俺の手をとると、唇を寄せてきたり、大事そうに手の甲をなぞったりして全く話を聞いていない。フェリシーに自分には恋人がいるということを見せ付けているつもりなのだろうが、逆効果だと早く気づいて欲しい。お師匠さんの背後からどんどん増していく殺意に冷や汗が止まらない。

「大切な話をしにきたんですよね?」

 俺は何食わぬ顔でやんわりとお師匠さんを引き離すと、もう一度念押しした。するとお師匠さんは少し不機嫌そうな顔でフェリシーの方を見た。

「久しぶり」

 俺に話しかけている時とは雲泥の差で声を低く言葉を掛けた。

「ええ! ずっと会いたかった」

 そんな態度では怒り出してしまうのではないかと焦ったが、意外にもフェリシーは嬉しさを隠し切れないといった様子で声を跳ね上げた。完全に俺の存在は忘れてしまったようで真っ直ぐにお師匠さんを見つめている。

「話があるんだけど」
「わたしも! わたしもアーネストに話したいことがたくさんあって!」
「ここじゃ話し辛いから移動しようか」
「そうね、そうしましょう!」

 お師匠さんと声を交わしたことが嬉しくて、フェリシーは先程の恨みがましい顔からは想像つかないほどの可憐な少女のような笑みで答えた。そしてまた勝ち誇ったような顔で俺の方を見る。
 お師匠さんは俺に向かって小さく手を振り、直ぐに帰ってくるとジェスチャーで合図してその場を離れていった。フェリシーも軽やかなステップで着いて行く。
 俺は二人を見送ると、一気に緊張が解けたのか、重たい身体でソファーに沈み込んだ。それと同時に自分の気分も沈んでいく。
 そうしてくれと望んだのは自分なのに、もしこのまま二人の仲が進んでしまったらどうしようなどと、無意味なことを考えてしまう。お師匠さんがそれを望むなら、俺は黙って去っていくしかない。分かっているのに覚悟ができない。
 俺はどうにか気分を紛らわしたくて、ふらふらと立ち上がった。お師匠さんが去って行った方を見たが、もう二人の姿は見えなかった。
 同じ空間にいるのが急に辛くなって、俺は無意識に外に足を向けて歩き出していた。
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