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孤児編
02 炎の中で失ったもの
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火が怖くなってしまったのは、あの戦火に焼かれてから。
その時、アサヒは十に満たない子供だった。
今だって子供だけれど、あの頃はもっと子供だった。
きっと裕福な家だったのだろう。
両親のことを思い出したくないアサヒには、幼少の記憶は曖昧で、自分がどんな生活をしていたか思い出せない。
ただ食事に白いパンやサラダや肉類、果物が出たし、ベッドはふかふかだった。家の壁は厚く、柱は太く、何ひとつ不自由は無かった。
あの日が来るまでは。
家の一室にこもっているように言われて、アサヒは姉のように親しい年上の女の子と一緒にいた。彼女が何者なのかは分からない。けれど、血は繋がっていないと思う。家族のように面倒を見てくれていつも一緒だった。
名前……そう、名前だけは思い出せる。
彼女の名前はミツキ。
とても綺麗な銀色の髪をした女の子。
「アサヒ、大丈夫よ。ぜったい、父様達が何とかしてくれる」
ミツキはそう言って励ましてくれた。
情けないことに、その時のアサヒは甘えん坊の弱虫だった。ミツキの影に隠れて震えていた。
家の中にアウリガの兵士が踏み込んできたその時も、震えているだけだったのだ。
「無礼者め! 恥を知りなさい!」
勇ましい少女の声。
アサヒはそれを洋服ダンスの中で聞いた。そこで隠れているように、彼女に言われたのだ。
「おお、さすがに気丈なことだ。この娘が目的の」
「神代竜の巫女か。炎竜王はどこだ?」
「いないようだが別に良い。連れていけ」
「いやっ、離して!」
兵士がミツキを連れていく様子を、アサヒは物陰でただ見ていた。怖くて一歩も動けなかった。
やがて兵士達がいなくなると、焦げ臭い匂いが漂い始める。
アウリガの者達が屋敷に火を放ったのだ。
このまま部屋の中にいれば焼け死ぬだろう。
アサヒは意を決して部屋を出た。高熱地獄になった屋敷の階段を降りる。一階のホールを抜ければ外に出られるはずだ。
しかし、ホールには先客がいた。
「ああ……まだ子供がいたのか」
それは竜騎士らしい、立派な胸当てを身に付けた男だった。装飾の入った上等な衣服を着て屋敷の出入口に立っている。
男の側には巨大な鋼色の竜が座して、何かを旨そうに食っている。
赤い、人の形をした何か。
それはもしかしたら、アサヒの親だったかもしれない。だからアサヒは両親のことはなるべく思い出さないようにしている。
子供のアサヒは、出入口をふさいでいる男と竜を前に立ち往生する。
「あ、ああ……」
火が屋敷を覆おうとしている中、男は悠然と構えていた。
竜がいるからいつでも逃げられるのだ。
「子供の血肉の方が美味いぞ、ブライド」
男の声に反応して竜が頭を上げる。
竜に見つめられたアサヒは、悲鳴を上げて炎の中に逆戻りした。
「ははっ、そうだ、逃げろ逃げろ」
男の哄笑が響いた。
熱い、熱い、熱い。
アサヒは灼熱地獄を懸命に走って逃げた。
こんな風に逃げたことが、いつかにもあった気がする。
あの時も誰かに嘲笑われて。
熱で朦朧となった脳裏に見知らぬ風景がチラ付く。
黒い石で固められた地面、灰色の壁。数十階に及ぶ高層の建物が乱立する街並み。清潔でシンプルな衣服に身を包んだ人々。
後ろから笑い声が追いかけてくる。
お前は逃げ出したのだと。
炎に包まれた過去の夢の中から、アサヒは悲鳴を上げて飛び起きた。
荒い息を吐きながら冷や汗を拭う。
隣を見ると、一緒に寝ていた子供達は眠ったままだ。
どうやら悲鳴は夢の中だけで実際には叫んでいなかったらしい。
みっともない悲鳴を聞かせて孤児の仲間達を起こしたくなかった。
子供達は床に擦りきれた毛布をひいて寝ていた。家屋は傷んでいて、扉は立て付けが悪く戸締まりは不可能な状態だ。
アサヒは静かに身を起こすと、暗いあばら屋の、開いたままの扉から外に出る。
静かに欠けた月を見上げた。
「地球と同じ月なんだな……」
あの戦火に見舞われた日、アサヒによみがえったのは、地球と呼ばれる世界で暮らした記憶だった。
突然、見知らぬ人間の記憶が流れ込んできたアサヒは混乱した。
炎に包まれた屋敷からどう逃げ出したのか、その記憶の混乱のせいもあってあやふやだ。気がつけば街をさまよっていて、同じ親や家を亡くした子供達と協力して暮らすようになっていた。
「……お。お前も起きてたのか」
月を見上げていたアサヒは、壁に這う小さな蜥蜴に似た動物の姿を見て微笑む。その蜥蜴は、地球の記憶で見たヤモリという生き物に似ていて、アサヒに不思議な懐かしさと親しみを感じさせた。
ヤモリは手のひらより少し小さいくらいの体長で、枯れ葉色の身体をしている。平べったい胴体に付いた短い手足の指先はふくらんでいて、垂直の壁に貼りつくことができる。まぶたの無い黒い目が月光に光っていた。
近くまで這ってくるヤモリを指でつつく。
ヤモリの肌は鱗に覆われて固く、手触りは冷たかった。しかし鱗の下は柔らかいのか、押したら凹む。面白くてアサヒはヤモリをふにふにした。
ヤモリは逃げずに大人しくしている。まるでアサヒの行動に危険は無いと承知しているように。
「お前は何歳? ちょくちょく見かけるけど、同じ個体なのかな。子供か家族と見間違えてる? それとも何年も生きるのか」
ひとり言を言いながらアサヒは気分が落ち着くのを感じた。
悪夢を見た夜は、必ずと言っていいほどヤモリが出る。
まるでアサヒを励ましてくれているように。
「俺の火傷の跡が竜紋だなんて、あり得ない。そうそううまい話は現実に起こりはしない。だって、そうじゃなければ、俺はこんなところにいないじゃないか」
ヤモリは小さな頭を左右に振る。
それは「違う」と言っているようだったが、アサヒは目の錯覚だと思った。
その時、アサヒは十に満たない子供だった。
今だって子供だけれど、あの頃はもっと子供だった。
きっと裕福な家だったのだろう。
両親のことを思い出したくないアサヒには、幼少の記憶は曖昧で、自分がどんな生活をしていたか思い出せない。
ただ食事に白いパンやサラダや肉類、果物が出たし、ベッドはふかふかだった。家の壁は厚く、柱は太く、何ひとつ不自由は無かった。
あの日が来るまでは。
家の一室にこもっているように言われて、アサヒは姉のように親しい年上の女の子と一緒にいた。彼女が何者なのかは分からない。けれど、血は繋がっていないと思う。家族のように面倒を見てくれていつも一緒だった。
名前……そう、名前だけは思い出せる。
彼女の名前はミツキ。
とても綺麗な銀色の髪をした女の子。
「アサヒ、大丈夫よ。ぜったい、父様達が何とかしてくれる」
ミツキはそう言って励ましてくれた。
情けないことに、その時のアサヒは甘えん坊の弱虫だった。ミツキの影に隠れて震えていた。
家の中にアウリガの兵士が踏み込んできたその時も、震えているだけだったのだ。
「無礼者め! 恥を知りなさい!」
勇ましい少女の声。
アサヒはそれを洋服ダンスの中で聞いた。そこで隠れているように、彼女に言われたのだ。
「おお、さすがに気丈なことだ。この娘が目的の」
「神代竜の巫女か。炎竜王はどこだ?」
「いないようだが別に良い。連れていけ」
「いやっ、離して!」
兵士がミツキを連れていく様子を、アサヒは物陰でただ見ていた。怖くて一歩も動けなかった。
やがて兵士達がいなくなると、焦げ臭い匂いが漂い始める。
アウリガの者達が屋敷に火を放ったのだ。
このまま部屋の中にいれば焼け死ぬだろう。
アサヒは意を決して部屋を出た。高熱地獄になった屋敷の階段を降りる。一階のホールを抜ければ外に出られるはずだ。
しかし、ホールには先客がいた。
「ああ……まだ子供がいたのか」
それは竜騎士らしい、立派な胸当てを身に付けた男だった。装飾の入った上等な衣服を着て屋敷の出入口に立っている。
男の側には巨大な鋼色の竜が座して、何かを旨そうに食っている。
赤い、人の形をした何か。
それはもしかしたら、アサヒの親だったかもしれない。だからアサヒは両親のことはなるべく思い出さないようにしている。
子供のアサヒは、出入口をふさいでいる男と竜を前に立ち往生する。
「あ、ああ……」
火が屋敷を覆おうとしている中、男は悠然と構えていた。
竜がいるからいつでも逃げられるのだ。
「子供の血肉の方が美味いぞ、ブライド」
男の声に反応して竜が頭を上げる。
竜に見つめられたアサヒは、悲鳴を上げて炎の中に逆戻りした。
「ははっ、そうだ、逃げろ逃げろ」
男の哄笑が響いた。
熱い、熱い、熱い。
アサヒは灼熱地獄を懸命に走って逃げた。
こんな風に逃げたことが、いつかにもあった気がする。
あの時も誰かに嘲笑われて。
熱で朦朧となった脳裏に見知らぬ風景がチラ付く。
黒い石で固められた地面、灰色の壁。数十階に及ぶ高層の建物が乱立する街並み。清潔でシンプルな衣服に身を包んだ人々。
後ろから笑い声が追いかけてくる。
お前は逃げ出したのだと。
炎に包まれた過去の夢の中から、アサヒは悲鳴を上げて飛び起きた。
荒い息を吐きながら冷や汗を拭う。
隣を見ると、一緒に寝ていた子供達は眠ったままだ。
どうやら悲鳴は夢の中だけで実際には叫んでいなかったらしい。
みっともない悲鳴を聞かせて孤児の仲間達を起こしたくなかった。
子供達は床に擦りきれた毛布をひいて寝ていた。家屋は傷んでいて、扉は立て付けが悪く戸締まりは不可能な状態だ。
アサヒは静かに身を起こすと、暗いあばら屋の、開いたままの扉から外に出る。
静かに欠けた月を見上げた。
「地球と同じ月なんだな……」
あの戦火に見舞われた日、アサヒによみがえったのは、地球と呼ばれる世界で暮らした記憶だった。
突然、見知らぬ人間の記憶が流れ込んできたアサヒは混乱した。
炎に包まれた屋敷からどう逃げ出したのか、その記憶の混乱のせいもあってあやふやだ。気がつけば街をさまよっていて、同じ親や家を亡くした子供達と協力して暮らすようになっていた。
「……お。お前も起きてたのか」
月を見上げていたアサヒは、壁に這う小さな蜥蜴に似た動物の姿を見て微笑む。その蜥蜴は、地球の記憶で見たヤモリという生き物に似ていて、アサヒに不思議な懐かしさと親しみを感じさせた。
ヤモリは手のひらより少し小さいくらいの体長で、枯れ葉色の身体をしている。平べったい胴体に付いた短い手足の指先はふくらんでいて、垂直の壁に貼りつくことができる。まぶたの無い黒い目が月光に光っていた。
近くまで這ってくるヤモリを指でつつく。
ヤモリの肌は鱗に覆われて固く、手触りは冷たかった。しかし鱗の下は柔らかいのか、押したら凹む。面白くてアサヒはヤモリをふにふにした。
ヤモリは逃げずに大人しくしている。まるでアサヒの行動に危険は無いと承知しているように。
「お前は何歳? ちょくちょく見かけるけど、同じ個体なのかな。子供か家族と見間違えてる? それとも何年も生きるのか」
ひとり言を言いながらアサヒは気分が落ち着くのを感じた。
悪夢を見た夜は、必ずと言っていいほどヤモリが出る。
まるでアサヒを励ましてくれているように。
「俺の火傷の跡が竜紋だなんて、あり得ない。そうそううまい話は現実に起こりはしない。だって、そうじゃなければ、俺はこんなところにいないじゃないか」
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それは「違う」と言っているようだったが、アサヒは目の錯覚だと思った。
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