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留学準備編
02 留学の条件(2017/12/3 改稿)
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どうやらアサヒが選んだ新しい寮の建物は幽霊屋敷らしい。
そう知ったものの、アサヒ自身は幽霊屋敷をどうとも思っていなかった。孤児として貧民街をさまよった頃、空き家に忍び込んで夜露をしのぐことはしょっちゅうあった。
空き家は理由があるから空き家になるのである。殺人事件や火事や不吉なことがあった空き家も、アサヒが寝泊まりした中にはあったのだ。
選んできた物件をヒズミ・コノエに報告する際に、アサヒは幽霊屋敷だとは話さなかった。
しかし賢い先輩はお見通しらしい。
「相場より安い物件だな……安すぎるくらいだろう」
「水道が通ってなかったんで安かったんだよ」
「ふむ。それだけとは思えないが」
上等な家具が設置されたこの部屋は、ヒズミ・コノエの執務室らしい。
学院内に特別に彼専用に設けられていると聞いて、アサヒはこれも一等級の権限なのだろうかと疑問に思った。実際のところヒズミ自身が炎竜王の影武者として振る舞うためのブラフだったのだが、当の炎竜王であるアサヒ自身はそれを知らない。
深紅の髪の男は物件の詳細が書かれた書類を指ではじいて、アサヒを黄金の瞳でにらんだ。
却下されるかな、と不安に思ったアサヒだったが、ヒズミは溜息をひとつ付いて話題を変える。
「……まあいい。学院長に話は通しておこう。新しい寮については、アサヒ、お前の好きなようにするがいい」
投げた。面倒くさかったのかな、とアサヒは思った。
「それよりも、他国の竜王と会談の機会を設けるという話だが」
「向こうからは来てくれないだろ、当然」
「そうだな。しかし、お前が島の外に出ることに懸念を示す者達もいる。女王も不安に思われている。島の外に出たお前が、アウリガの娘と一緒に竜王の役目から逃げないかと」
「信用ないのな、俺」
アウリガの竜騎士を放逐した天の火は、見る者が見れば竜王の力だとすぐに分かるもので、女王や女王の側近、竜騎士部隊の隊長クラスの者は竜王の復活を喜んでいる。しかしそれだけに、復活した竜王が島の外に出ていくことは彼らには受け入れがたかった。
しかも竜王はまだ子供である。
アサヒは15歳。ピクシスで成人とされる18歳に達しておらず、ユエリに関する一連の騒動の件もある。大人達の不安も当然かもしれない。
「せめて成人してから……」
「遅いよ! 何年掛かるんだよ!」
「ならせめて二次試験をクリアしてからにすると良い。それなら成績によっては他島留学の条件も満たせる。今のところ、お前の唯一のプラス評価は、一次試験の成績が良かったことくらいだ」
「くっ……」
ヒズミは淡々と言う。
そこに竜王に対する敬意はない。まるで近所の子供か、手のかかる弟に対するような扱いに、アサヒは少し悔しくなった。
アサヒにとってヒズミ・コノエは単なる先輩というには複雑な関係だ。関係者に彼は、若き竜王の後見人として周知されている。そのせいか微妙に逆らいにくい。しかも不可解なことに、世話を焼いてくるヒズミに対してアサヒは心のどこかで嬉しいと感じているのだ。それがどこから来るものなのか分からず、腹立たしさとの間でアサヒは戸惑っている。
「分かったよ」
多少、自分の行動に後ろめたさを感じていたアサヒは大人しく引き下がった。
用事が終わったので執務室から出ていこうとする。
「待て」
退室しようとしたアサヒに、ヒズミが大股で歩み寄る。
嫌がるアサヒを引き留めて腕を伸ばした。
「上着のボタンがずれている。これからは、もう少し身だしなみにも気を使え」
「う、自分で直すってば!」
ボタンに伸ばされた彼の手を振り払って、自分でボタンを留めなおす。
その時、部屋の外でガタンと音がした。
「?」
「……気にするな、アサヒ。ネズミがいただけだろう」
何か知っているらしいヒズミは無表情で言う。
疑問に思いつつもボタンを留めなおしたアサヒは、素早く居心地の悪い部屋から退散することにした。
新しい寮にする予定の、古い洋館の中は埃だらけで住むには掃除が必要だった。
ヒズミは掃除に人手を寄越すと言ったのだが、アサヒは断って自分で掃除をすることにした。勢い、ユエリやカズオミの手も借りることになったが、それは仕方ない。
一通り埃を払い、ゴミを捨てて、何とか人が住めるようになった日、アサヒとカズオミは洋館にそのまま泊まって一夜を過ごした。女の子のユエリに水浴びなどの設備が整っていない場所で夜を過ごさせるのは可哀そうなので、彼女には先に帰ってもらった。遅くまで家具の移動や掃除をして疲れ切ったカズオミは、アサヒの隣の床で爆睡している。
お腹の上にイグアナのような姿の緑色の竜ゲルドが乗っているせいで、カズオミは眠りながら時折苦しそうにうめいていた。どんな夢を見ているのだろう。
疲れてはいるが目がさえたアサヒは、蝋燭に火を灯して壁際にもたれ、静かな洋館の中で物思いにふけっていた。
この洋館は6年前のアウリガ侵攻の戦火で残ったものらしい。
屋敷はほとんど無傷で残ったものの、ここに逃げ込んだ人々がアウリガの兵士に殺され、その怨念が洋館に染みついているのだという噂だった。
ふと、蝋燭の火が風に揺れる。
白い人影が廊下の奥にたたずんでいた。
そう知ったものの、アサヒ自身は幽霊屋敷をどうとも思っていなかった。孤児として貧民街をさまよった頃、空き家に忍び込んで夜露をしのぐことはしょっちゅうあった。
空き家は理由があるから空き家になるのである。殺人事件や火事や不吉なことがあった空き家も、アサヒが寝泊まりした中にはあったのだ。
選んできた物件をヒズミ・コノエに報告する際に、アサヒは幽霊屋敷だとは話さなかった。
しかし賢い先輩はお見通しらしい。
「相場より安い物件だな……安すぎるくらいだろう」
「水道が通ってなかったんで安かったんだよ」
「ふむ。それだけとは思えないが」
上等な家具が設置されたこの部屋は、ヒズミ・コノエの執務室らしい。
学院内に特別に彼専用に設けられていると聞いて、アサヒはこれも一等級の権限なのだろうかと疑問に思った。実際のところヒズミ自身が炎竜王の影武者として振る舞うためのブラフだったのだが、当の炎竜王であるアサヒ自身はそれを知らない。
深紅の髪の男は物件の詳細が書かれた書類を指ではじいて、アサヒを黄金の瞳でにらんだ。
却下されるかな、と不安に思ったアサヒだったが、ヒズミは溜息をひとつ付いて話題を変える。
「……まあいい。学院長に話は通しておこう。新しい寮については、アサヒ、お前の好きなようにするがいい」
投げた。面倒くさかったのかな、とアサヒは思った。
「それよりも、他国の竜王と会談の機会を設けるという話だが」
「向こうからは来てくれないだろ、当然」
「そうだな。しかし、お前が島の外に出ることに懸念を示す者達もいる。女王も不安に思われている。島の外に出たお前が、アウリガの娘と一緒に竜王の役目から逃げないかと」
「信用ないのな、俺」
アウリガの竜騎士を放逐した天の火は、見る者が見れば竜王の力だとすぐに分かるもので、女王や女王の側近、竜騎士部隊の隊長クラスの者は竜王の復活を喜んでいる。しかしそれだけに、復活した竜王が島の外に出ていくことは彼らには受け入れがたかった。
しかも竜王はまだ子供である。
アサヒは15歳。ピクシスで成人とされる18歳に達しておらず、ユエリに関する一連の騒動の件もある。大人達の不安も当然かもしれない。
「せめて成人してから……」
「遅いよ! 何年掛かるんだよ!」
「ならせめて二次試験をクリアしてからにすると良い。それなら成績によっては他島留学の条件も満たせる。今のところ、お前の唯一のプラス評価は、一次試験の成績が良かったことくらいだ」
「くっ……」
ヒズミは淡々と言う。
そこに竜王に対する敬意はない。まるで近所の子供か、手のかかる弟に対するような扱いに、アサヒは少し悔しくなった。
アサヒにとってヒズミ・コノエは単なる先輩というには複雑な関係だ。関係者に彼は、若き竜王の後見人として周知されている。そのせいか微妙に逆らいにくい。しかも不可解なことに、世話を焼いてくるヒズミに対してアサヒは心のどこかで嬉しいと感じているのだ。それがどこから来るものなのか分からず、腹立たしさとの間でアサヒは戸惑っている。
「分かったよ」
多少、自分の行動に後ろめたさを感じていたアサヒは大人しく引き下がった。
用事が終わったので執務室から出ていこうとする。
「待て」
退室しようとしたアサヒに、ヒズミが大股で歩み寄る。
嫌がるアサヒを引き留めて腕を伸ばした。
「上着のボタンがずれている。これからは、もう少し身だしなみにも気を使え」
「う、自分で直すってば!」
ボタンに伸ばされた彼の手を振り払って、自分でボタンを留めなおす。
その時、部屋の外でガタンと音がした。
「?」
「……気にするな、アサヒ。ネズミがいただけだろう」
何か知っているらしいヒズミは無表情で言う。
疑問に思いつつもボタンを留めなおしたアサヒは、素早く居心地の悪い部屋から退散することにした。
新しい寮にする予定の、古い洋館の中は埃だらけで住むには掃除が必要だった。
ヒズミは掃除に人手を寄越すと言ったのだが、アサヒは断って自分で掃除をすることにした。勢い、ユエリやカズオミの手も借りることになったが、それは仕方ない。
一通り埃を払い、ゴミを捨てて、何とか人が住めるようになった日、アサヒとカズオミは洋館にそのまま泊まって一夜を過ごした。女の子のユエリに水浴びなどの設備が整っていない場所で夜を過ごさせるのは可哀そうなので、彼女には先に帰ってもらった。遅くまで家具の移動や掃除をして疲れ切ったカズオミは、アサヒの隣の床で爆睡している。
お腹の上にイグアナのような姿の緑色の竜ゲルドが乗っているせいで、カズオミは眠りながら時折苦しそうにうめいていた。どんな夢を見ているのだろう。
疲れてはいるが目がさえたアサヒは、蝋燭に火を灯して壁際にもたれ、静かな洋館の中で物思いにふけっていた。
この洋館は6年前のアウリガ侵攻の戦火で残ったものらしい。
屋敷はほとんど無傷で残ったものの、ここに逃げ込んだ人々がアウリガの兵士に殺され、その怨念が洋館に染みついているのだという噂だった。
ふと、蝋燭の火が風に揺れる。
白い人影が廊下の奥にたたずんでいた。
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