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嵐の前
元春の目の上のコブ
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首相官邸に、突然の来客が現れた。
総理大臣・阿相元春と面会するには、通常であれば厳重な事前調整が必要だ。
にもかかわらず、手続きもなく姿を見せられるというのは、相当に差し迫った危機の知らせであるか、あるいは――よほどの“大物”に限られる。
「まさか海外で何か……?」
身構えた阿相だったが、来客の顔を見た瞬間、その予想は別の意味で裏切られた。
全身を、冷たいものが駆け抜ける。
――現れたのは、政界十常侍の別格。門関幸太郎。
元総理。かつて権力の中枢を握った男。十年以上も前に総理の座を退いたものの、なおも政界に影を落とし続ける存在。
阿相より十歳年上。すでに七十を越えている。
通常ならば健康寿命を過ぎ、そろそろ死神と差しで向き合っていてもおかしくない歳だ。
だが――門関は今も杖ひとつつかず、顔色は血色良好。背筋も伸び、歩みは確かだった。
「いやいや……門関さんも、まだお若いですね」
阿相の言葉は、決してお世辞ではなかった。
ただ、その裏には「もう少し大人しくしてくれないか」という皮肉が込められている。
(総理を辞めて、いったい何年になる。いい加減、引退してはどうだ)
言葉にはせずとも、阿相の視線がそう語っている。
「……外務省の、丸目君はどうしているかね」
門関は脈絡もなく、かつての部下の名を口にした。
丸目――門関政権時代に、“日本が大国の一角として新たな国際秩序を構築する”という理念のもと、その道を模索していた外交官だった。
だが、門関が政権を退いたと同時に左遷され、構想ごと潰された。
阿相にしてみれば、そんな官僚が今どこで何をしているかなど、すぐには答えられない。沈黙する彼を前に、門関は続ける。
「私もね、総理の頃は……日本を元気にしようと、粉骨砕身の思いで取り組んだんだよ」
――あんたが日本の“養分”を吸い尽くしただけじゃないのか。
阿相は心の中で吐き捨てた。
門関は、権力闘争の天才だった。
政策を盾に、ありとあらゆる政敵を追いやり、自身の影響力を拡大した。
だが、最後はスキャンダルが自身の利権に及ぶことを恐れ、あっさりと政権を放り出した。
その裏切りで、門関に与していた者たちは多くが失脚したはずだ。
「私はね、日本を元気にするために総理の地位を賭して奔走したんだ。しかし――時間切れだった。人には天命というものがある。誰が悪いとは言わんよ」
(いや、それ自分に都合よく言い換えてるだけだろう)
門関が高齢で就任したわけではなかった。
政権を維持できなかった理由は、自身にあったはずだ――と、阿相の目が語る。
「だがね……やはり、日本は元気にならにゃいかん。そのためには、もっと若い人間が総理になるべきだと思うんだよ」
“もっと若い”――門関が指すのは、阿相のような“次世代”ですらなく、そのさらに若い世代という意味だろう。
阿相は、門関が過去に手がけた“国際的枠組み”構想を思い出していた。
新しい国際秩序を築く必要性は理解している――それが日本にとって有益である限りは、だ。
だが、日本が主導してそれを実現できるような時代は、もはや終わった。
門関の時代、日本は経済大国として世界第2位の地位を保ち、軍事的にも自由主義陣営の優勢に支えられていた。
その“追い風”があったからこそ、国際舞台での存在感も保たれていたのだ。
しかし、世界は変わった。
長年にわたり、自由主義諸国は“テロとの戦い”を掲げて他国を戦場とし、結果としてその軍事力と財政を疲弊させた。
完全な勝利を得ることなく撤退を始め、残されたのは――瓦礫と、遺体と、裏切られた協力者たちだった。
自由主義陣営に協力した現地の人々は、テロ勢力が再び台頭する中で“裏切り者”として追われる立場となり、傷を負った。
当然、その矛先は日本にも向けられている。
日本も、かつては復興支援に力を尽くした。だが、大国の撤退とともに、その手を引いた。
そんな中で、“国際的な秩序の構築”などと今さら口にしたところで――時代錯誤もいいところだ。
悪い冗談にしか聞こえない。
「――だからこそ、世界のリーダーになれる男を、日本は必要としているのだよ」
門関は、阿相の懐疑的な表情を意にも介さず、語り続けた。
“世界のリーダー”――。響きは立派だ。だが、果たしてそんな人材が日本にいるのか。
仮にいたとして、日本がリーダーになれるだけの力があるのか?
……そもそも、なる必要があるのか?
阿相は思う。
門関は、自分が総理だった頃の幻想を今もなお抱き続け、それを現代に押し付けているのではないか。
もしそうなら――彼はただの“老害”だ。
自分にとっての目の上のたんこぶであるばかりか、日本にとっても、もはやプラスにはならない。
総理大臣・阿相元春と面会するには、通常であれば厳重な事前調整が必要だ。
にもかかわらず、手続きもなく姿を見せられるというのは、相当に差し迫った危機の知らせであるか、あるいは――よほどの“大物”に限られる。
「まさか海外で何か……?」
身構えた阿相だったが、来客の顔を見た瞬間、その予想は別の意味で裏切られた。
全身を、冷たいものが駆け抜ける。
――現れたのは、政界十常侍の別格。門関幸太郎。
元総理。かつて権力の中枢を握った男。十年以上も前に総理の座を退いたものの、なおも政界に影を落とし続ける存在。
阿相より十歳年上。すでに七十を越えている。
通常ならば健康寿命を過ぎ、そろそろ死神と差しで向き合っていてもおかしくない歳だ。
だが――門関は今も杖ひとつつかず、顔色は血色良好。背筋も伸び、歩みは確かだった。
「いやいや……門関さんも、まだお若いですね」
阿相の言葉は、決してお世辞ではなかった。
ただ、その裏には「もう少し大人しくしてくれないか」という皮肉が込められている。
(総理を辞めて、いったい何年になる。いい加減、引退してはどうだ)
言葉にはせずとも、阿相の視線がそう語っている。
「……外務省の、丸目君はどうしているかね」
門関は脈絡もなく、かつての部下の名を口にした。
丸目――門関政権時代に、“日本が大国の一角として新たな国際秩序を構築する”という理念のもと、その道を模索していた外交官だった。
だが、門関が政権を退いたと同時に左遷され、構想ごと潰された。
阿相にしてみれば、そんな官僚が今どこで何をしているかなど、すぐには答えられない。沈黙する彼を前に、門関は続ける。
「私もね、総理の頃は……日本を元気にしようと、粉骨砕身の思いで取り組んだんだよ」
――あんたが日本の“養分”を吸い尽くしただけじゃないのか。
阿相は心の中で吐き捨てた。
門関は、権力闘争の天才だった。
政策を盾に、ありとあらゆる政敵を追いやり、自身の影響力を拡大した。
だが、最後はスキャンダルが自身の利権に及ぶことを恐れ、あっさりと政権を放り出した。
その裏切りで、門関に与していた者たちは多くが失脚したはずだ。
「私はね、日本を元気にするために総理の地位を賭して奔走したんだ。しかし――時間切れだった。人には天命というものがある。誰が悪いとは言わんよ」
(いや、それ自分に都合よく言い換えてるだけだろう)
門関が高齢で就任したわけではなかった。
政権を維持できなかった理由は、自身にあったはずだ――と、阿相の目が語る。
「だがね……やはり、日本は元気にならにゃいかん。そのためには、もっと若い人間が総理になるべきだと思うんだよ」
“もっと若い”――門関が指すのは、阿相のような“次世代”ですらなく、そのさらに若い世代という意味だろう。
阿相は、門関が過去に手がけた“国際的枠組み”構想を思い出していた。
新しい国際秩序を築く必要性は理解している――それが日本にとって有益である限りは、だ。
だが、日本が主導してそれを実現できるような時代は、もはや終わった。
門関の時代、日本は経済大国として世界第2位の地位を保ち、軍事的にも自由主義陣営の優勢に支えられていた。
その“追い風”があったからこそ、国際舞台での存在感も保たれていたのだ。
しかし、世界は変わった。
長年にわたり、自由主義諸国は“テロとの戦い”を掲げて他国を戦場とし、結果としてその軍事力と財政を疲弊させた。
完全な勝利を得ることなく撤退を始め、残されたのは――瓦礫と、遺体と、裏切られた協力者たちだった。
自由主義陣営に協力した現地の人々は、テロ勢力が再び台頭する中で“裏切り者”として追われる立場となり、傷を負った。
当然、その矛先は日本にも向けられている。
日本も、かつては復興支援に力を尽くした。だが、大国の撤退とともに、その手を引いた。
そんな中で、“国際的な秩序の構築”などと今さら口にしたところで――時代錯誤もいいところだ。
悪い冗談にしか聞こえない。
「――だからこそ、世界のリーダーになれる男を、日本は必要としているのだよ」
門関は、阿相の懐疑的な表情を意にも介さず、語り続けた。
“世界のリーダー”――。響きは立派だ。だが、果たしてそんな人材が日本にいるのか。
仮にいたとして、日本がリーダーになれるだけの力があるのか?
……そもそも、なる必要があるのか?
阿相は思う。
門関は、自分が総理だった頃の幻想を今もなお抱き続け、それを現代に押し付けているのではないか。
もしそうなら――彼はただの“老害”だ。
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