あなたの夜が更ける前に

弐月一録

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幸福の名前

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黒く浮かび上がる遊具のシルエットは怪物みたいに見えて、そのうち動き出しそうで恐怖を感じる。昼間は子ども達を喜ばせるものなのに、こうも違いがあるとは。

あちこちに散らばった落ち葉を踏むと、カサカサと清々しい音を立てた。宵ノ口さんが言っていたドーム型の遊具に近づくと、中から微かに息遣いが聞こえてきた。僕は遊具を軽くノックする。

「ゆう、君ですか?」

一瞬、息遣いが止まり相手の緊張が伝わってきた。

「・・・・・・よいのくちさん?」

消え入りそうなその声は、ゆう君という名前がわからなければ少女と間違えてもおかしくなかった。

本当に、いた。いつからここに通い詰めていたんだろう。親の目を盗んで真夜中にここで独り、誰にも見つからないよう苦しみを吐き出していたのかと思うとたまらなく胸が痛くなる。宵ノ口さんがこの子を見つけてくれて良かった。

僕は宵ノ口さんの声色、話し方をできるだけ真似た。

「待たせて、すいません」

「だいじょうぶ」

「今日は、どんな話しをしましょうか?」

「・・・・・・パパは見つかったの?」

パパ? 何のことだろう。宵ノ口さんからは何も聞いていない。下手に誤魔化すと偽物であることがばれてしまう。

「い、いや、見つかっていません。ごめんなさい」

「そんな・・・・・・約束が違うよ。じゃあ、ぼくの、人生をあげる子、見つけてよ」

こんな喋り方で合っているか心配だったが、ゆう君はまだ僕が偽物だと気づいていないらしい。さっそく人生紹介の話題を振られた。約束っていうのも何のことかさっぱりだ。宵ノ口さんの説明不足じゃないか。

「いや、それもちょっと・・・・・・。あの、ゆう君、自分の人生を誰かにあげるのは、考え直してほしい。君が他の誰かになるのも、やっぱりいけない」

言葉を1つ1つ慎重に選びながらどうにか宥めようとする。

「・・・・・・じゃあ、ぼくはどうしたらいいの?」

落胆して震える声に罪悪感が芽生えた。


「よいのくちさん、ぼくは、自分が大きらいなんだ。もう何回も言ったでしょ? 

ここでこうしてかくれていないとまともに話もできない、うれしいとか、楽しいとかうまく表現できなくて、みんなに変な目で見られてきらわれる。学校じゃ先生以外、だれも相手にしてくれないよ。とっても、つらいんだ」


「けれども、君がいなくなったらお父さんやお母さんはひどく悲しみます。君の味方になっているでしょう?」

「パパとママはいつも優しいよ。だからいつも心の中であやまってる。たんじょう日やクリスマスにプレゼントをもらっても、よろこび方がわからない。きちんとお礼も言えないよ。笑うって、どうやるの? ぼくは、早くぼくをやめたいんだよ」

そのうちしくしくと泣き声や鼻水をすする音がした。今すぐ遊具の中に飛び込んで、ゆう君を抱き締めてやりたくなったが、かえって怯えさせてしまうため衝動を堪える。ゆう君の頭を撫でる代わりに、固くて冷たくて丸みのある遊具を撫でた。

「確かに、喜んだり笑ったりしなかったら嬉しくないのかなって思われちゃうかもしれない。でも、お父さんもお母さんも、見返りとかお礼とか、そんなもののためにプレゼントをあげているわけじゃない。君のことが大好きだから、心から愛しているからそうしたいだけなんだ。だから、謝る必要はない」

幸音が生まれた日のことを思い出す。真冬の時期で外は辺り一面銀世界だった。産声をあげたのは夜。

立会い出産で、初めて我が子に対面した。その瞬間、僕が生きてきた理由や存在意義がこう、わっと波のように押し寄せてきた感動は今でも忘れない。

幸絵は暖かい病室のベッドで、産まれたばかりの我が子を抱きながら窓の外を眺めて言った。

「あ、幸せの音が聞こえる」

窓の外では白い雪が音も立てず、もちろん夜なので辺りは静かだったが、僕達夫婦には確かに幸せの音が聞こえていた。

この子の望むものは何でも与えたかったし、命に変えてでもありとあらゆる災難から守ってやりたかった。1人の親として、この子が大人になるのをしっかり見届けようと、この時強く誓った。

しかし、その誓いは今日崩れてしまった。

妻も子も守れず、あまりにも早い別れを迎えなくちゃいけない。神様って、どこにもいないんじゃないか。

「よいのくちさん、泣いているの?」

息を殺して泣いているのがばれてしまった。馬鹿だ、この子の話を聞いている最中なのに、僕が泣いてどうする。悲しみが伝染したら元も子もないだろう。

「いや、少し、体が冷えて鼻声になっているだけ、です。大丈夫」

手のひらで顔を擦り付けて、涙と鼻水を拭い取った。

不思議な夜だ、こうしているとこの世界には僕とゆう君しかいないみたいに思えた。誰にも邪魔されないから躊躇なく本音が言える。

「僕にも、君くらいの息子がいるんです。息子も他の子とは違くて、時々どう接するのが正しいのかわからなくなってしまうことが、あるけれど、いなくなったらそれこそ僕は生きていけない。どんな子でも僕の大切な息子だから。ゆう君のお父さんもお母さんも同じ気持ちだと思う」

「・・・・・・」

「・・・・・・ねぇ、ゆう君。君は、これから何かやりたいことはありますか?」

「やりたいこと?」

「うん、あれが食べたいとか、あれを見てみたいとか、何でも言ってみてください」

沈黙が流れた後、小さな声でゆう君は自分のやりたいことを教えてくれた。

「ママの作ったグラタンが食べたい。あまったシチューをつかって作るやつ。今日シチューを食べたから、明日作ってくれるかも」

「うん、それから?」

「これからうまれてくる、弟か、妹のお兄ちゃんになる。でも、ちゃんとお兄ちゃんができるか心配なんだ。ぼく、こんなだから・・・・・・」

へえ、これから兄弟ができるのか。親しい存在ができたら前向きな変化が訪れると良いな。

「きっとゆう君なら良いお兄ちゃんになれますよ。まだありますか?」

「・・・・・・もう1度パパに会いたい」

先ほどパパは見つかったのか聞かれたが、どうも行方がわからなくなっているらしい。宵ノ口さんはどう関わっていたんだろう。

「えっと、パパは、どこかに行ってしまったんだっけ?」

「夜中に家を出ていなくなったからさがしてほしいって、よいのくちさんにお願いしたじゃない」

・・・・・・待てよ、これまでのゆう君の言っていることって、あまりにも僕の事情と被りすぎてやしないか?

「パパが、がんって病気になっちゃったんだ。病気につれていかれて、もう帰ってこなかったらどうしよう・・・・・・。よいのくちさんでも見つけられなかったのに」

心臓がバクバクする。

待て、待て待て待て。冗談だろう? まさか、そんなはず、ない。

「ゆう、君。・・・・・・僕がもう1回パパを探すから、顔を、見せてくれる?」

少し経ってからゆう君が土を踏んで立ち上がる音がした。僕の目はすっかり暗闇に慣れていて、相手がどんな顔をしているのかは薄らと見えるようになっている。

次にゆう君が遊具の中からひょっこりと小さな頭を出した時、僕はその顔を見て言葉を失った。



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