優しすぎる王太子に妃は現れない

七宮叶歌

文字の大きさ
12 / 50
第5章 埋まらない溝

埋まらない溝Ⅲ

しおりを挟む
 しかし、無闇に傷に触れるような真似はしない。

「エレナは神様を信じていますか?」

「私は……」

 神がいるなら、冤罪など起きないだろう。そして、私のような不幸な令嬢は生まれないだろう。

「私は信じておりません」

 リュシアンは瞬きをし、私を見る。

「何かあったのですか?」

「神様がいるのなら、理不尽な目に遭ったりしませんから」

 理由は告げずに、首を横に振った。

「私もそう思います。神様なんていないのです」

 やはり、過去に何かあったのだろう。リュシアンも同意を示し、瞼を静かに閉じた。

「お互い、こんな場所なんて似合っていないのかもしれませんね」

「全くその通りです」

 天使のような容姿で神を否定する。そんなリュシアンにまたしても惹かれていく。
 荘厳なパイプオルガンの音楽が流れ始め、人も増えていく。不審に思われないようにリュシアンとは距離を取った。神は信じない。でも、こんなにも美しい音色が聞けるなら、礼拝堂に来てみるのも良いかもしれない。
 ぼんやりとステンドグラスを見上げていると、通路を見覚えのある横顔が通り過ぎた。ミレイユだ。彼女は早速リュシアンの姿を見つけ、その隣に腰を下ろした。

「リュシアン殿下、ご機嫌よう」

「ああ、ミレイユ」

 リュシアンの横顔はミレイユに対しても笑顔を絶やさない。パイプオルガンの音色よりも、リュシアンとミレイユの会話が気になってしまう。二人の声に耳をそばだてる。

「神は偉大です。願いは祈りに、祈りは希望に変わりますから」

「ミレイユには希望があるのですか?」

「はい。病弱な兄の健康を取り戻したいのです」

 病弱な兄――信心深くなる訳だ。元気になれば神に感謝し、倒れれば神に祈る。そんな生活を繰り返していたのだろう。

「神を信じない、と言ったら、ミレイユはどう思いますか?」

「それはとても勿体ないことです。無償の愛を否定してしまうのですから」

「無償の愛、ですか……」

 無償の愛なんて、果たして存在するのだろうか。親からの愛情が無償の愛だとするのなら、私は多分に受けて育ったことにはなるけれど。

「私は与えるばかりで……もらったことはあるのでしょうか」

「もらっている筈ですよ。ご両親の愛だって、無償の愛なのですから」

「両親、ですか」

 そこで会話が止まってしまった。ふと思い出したのだ。リュシアンの母――王妃は大湖の孤島に幽閉されていることを。十数年前からだったと思う。
 リュシアンに影を落としているものは、王妃が絡んでいるのだろうか。

「私、言ってはいけないことを言ってしまったでしょうか……」

「いえ、ミレイユの話は一価値観として興味深く聞かせていただきましたから」

 おろおろするミレイユに対して、リュシアンの声から張りは消えない。流石は王太子だ。
 そこから会話は進展することがなく、食い違っていく。好物はミレイユがケーキで、リュシアンがカニのパスタだったり。国王を尊敬するかと聞けば、ミレイユは「勿論」と答えたのに対し、リュシアンは「そうですか」とだけ返したり。
 音楽が終わり、人々の姿が疎らになると、ようやくミレイユは腰を上げた。肩を落とし、とぼとぼと出口へと向かう。そこで偶然、目が合ってしまった。

「エレナ。いらしていたのですね」

「ええ。気が向いただけですけれど」

 ミレイユは私の隣に腰を下ろし、大きな溜め息を吐いた。
 リュシアンも立ち上がり、礼拝堂を後にする。ルシアやアメリアに会いに行ったのかもしれないな、と小さな嫉妬を感じながら見送った。

「私、駄目かもしれません」

 ミレイユが目を伏せ、小さく呟いた。

「どうしてです?」

「共通点がなさすぎるのです。それに、リュシアン殿下の真顔や驚いた顔……笑顔以外の表情を見たことがないのです」

 私は、少しはリュシアンの心を動かせている、という証拠なのだろうか。未だに真顔は見たことがないものの、驚きや哀しみは引き出せていると思う。

「兄に安心してもらいたくて、それ一心で妃を目指したのに。失望されてしまいます」

「そんなことはないのでは?」

「えっ?」

 ミレイユは目頭に涙を溜めたまま、顔を上げた。

「妃に立候補するだけでも、相当な勇気です。しかも、リュシアン殿下とお話まで出来ている。十分な成果ではありませんか?」

「そうですけれど……。兄は私を誇ってくれるでしょうか」

「誇るに決まっています。頑張った妹を貶す兄なんて、ろくな者ではありません」

 ミレイユは涙を流しながら、私を見てそっと微笑んだ。

「エレナは優しいのですね。リュシアン殿下にお似合いです」

「そんなこと、まだ言ってはいけませんよ。妃は決まっていないのですから」

「……はい」

 ミレイユは勝負していても、心が負けてしまっている。もう第一妃候補とはなれないだろう。「お疲れ様」と心の中で呟き、落ち込むミレイユの肩を撫でていた。

 * * *

 リュシアンの過去に触れても良いのだろうか。気になるのに聞けない。あの笑顔が崩れてしまうのは嫌だ。
 なんとか過去を知ることが出来れば、もっとリュシアンとの関係を進展させられるかもしれないのに。居室で紅茶を嗜みながら、物思いに耽る。
 ふと扉が開く音がした。誰が来たのだろうと振り向いてみれば、セリスだった。蝋燭の火を消す棒を手にしている。

「エレナ嬢、消灯の時間です」

「もうそんな時間かぁ」

 ティーカップをソーサーへと戻し、溜め息を吐く。

「思い詰めてらっしゃいますね」

「うん。リュシアン殿下が何を隠しているのか分からなくて」

「……それは」

 セリスは含みのある言い方をする。

「セリス、何か知ってるの?」

「はい。当時、私は王妃殿下つきの侍女見習いでしたから。王太子妃候補として、知られていた方が良いのかもしれません」

「当時って……いつ?」

「十年以上前の暴動の日です」

 これは、確信的な話を聞けるかもしれない。生唾を呑み込み、目で話の先を急かす。

「お願い、聞かせて」

「あれは、誰もが寝静まった深夜のことでした。十数人の貴族が城に押し入り――」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...