余りもの

青ヒカリ

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余りもの①

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 消費者金融の大きな看板が流れていく。広い交差点が目に映ったとき浩太は違和感に気づき、席を立った。後ろの窓に目を向け、立ち並ぶビル群を見ると、溜息をつく。口を半開きにして右手で両目を覆ったが、すぐに重力に任せて右手を下ろした。ドア上の横に長い電光掲示板に流れる駅名を見て浩太は観念し、自分が降り過ごした事実を認めた。

 ゆっくり席に腰を落とし、口を真一文字に結んで電光掲示板から目を離さない。真正面の窓に映った自分を間接視野で見つけ、空虚な顔で電車が次に止まるのを待った。電車の中に取り残され、浩太は自分が「余りもの」になったのだと思った。

 人の列が幾重にも並び連なっている駅のホームが近づいてくると、電車は次第に減速した。浩太は席を立ち、ドア前ギリギリに詰め寄った。電車が止まる。ドアの開く音がするが、浩太の目の前のドアは開かなかった。浩太は電車を降りていく人が映るドア窓を見て急いで振り返る。大股で歩を進め、電車に乗りこんでくる人の列を左に避けながら電車を降りた。

 浩太はホームに立ちすくむ。回りからは人がいなくなる。フーッと息をつく。まっすぐ前に見える、三人が並ぶ列の最後尾に並ぶ。二列に並んでもらうための三つの線が引かれているものの、実際は一列しか並ばれていない。浩太は真ん中の線を左足で踏みながら電車を待つ。線は互いに一定距離に位置していてその線の間に立つことは簡単に思えるが、ほとんどの人は浩太と同じように線を踏むようにして立っている。

 電車が来ると、浩太は前の人の背中を押しそうになるくらいの急ぎ足で乗る。空いている席には目もくれずにまっすぐ、ドア前ギリギリに詰め寄る。浩太は車窓に流れる景色を見ることなく、電光掲示板を見続けて電車が止まるのを待つ。

 横に流れる文字から、もうすぐ駅に着くことを浩太は知覚する。ほどなく急激な減速を感じ、バランスを崩して上体を前につんのめらせドアに両手をついた。顔を足元に向けたまま息を整えていると、その両手を支えていたドアが開いた。浩太は前に転びそうになるところをこらえ足を踏ん張るが、背中を後ろの人に押された。ホームと電車の間に落ちないよう、浩太はジャンプしてどうにかホームに足を下ろした。

 押された勢いのまま、エスカレーターまで歩みを進める。額の汗を右手で拭いながらエスカレーターへと乗る。改札を行きかう人の流れが浩太の目の前に現れてくる。

 浩太はエスカレーターを降り、改札を抜けると、更に長いエスカレーターへと乗った。すっと背筋を伸ばしながらエスカレーターの上のほうを見て、自然光を目で受け、少し安心したのか浩太は口角を上げた。エスカレーターを降り、光を胸に受けると、両手を上に伸ばし気持ち良さそうに息を吐いた。浩太は横断歩道を渡り、駐車場を通り抜けていきカフェに入った。

 「ごめんごめん」「おう。今日は俺がおごるよ」「いや、今日は遅刻して申し訳なかったから、俺がおごるよ」「いいから。俺がおごる」と、浩太は何度か食い下がったが幸助は聞かなかった。

 店員がテーブルに近寄ってくる。幸助の前にコーヒーを置き、浩太の前にはおしぼりを置いた。浩太は緑茶とマルゲリータを頼むと、店員は一礼してテーブルを離れた。

 幸助が「今日はなんで遅刻したの?」と聞くと、浩太は「電車乗ってたら降り損なっちゃって」と答えた。「それ何回目だよ。もう少しマシな嘘つけよ」という溜息まじりの言葉を吐くと、幸助はコーヒーに口をつけずに浩太の目をまっすぐ見続ける。

「本当なんだよ。電車に乗れば暴走族のようにいろんな人を追い越せるなあとか、自分だったらもっと電車上手く運転できるのにとか考えてたら降り過ごしちゃった」

 幸助は何の感情もこもっていないような声で「そっか」と言うと、浩太は「あれ、そっちのパターン? えっと、前の人の影を踏んでいたら遅れた。ハハハ」と虚ろな笑いを浮かべ、おしぼりに視線を落とした。

「養成所通ってるときもお前の遅刻で賞レースの一回戦に出れなくなってさ、腕試しもできなかっただろ。あのさあ、前回のネタ見せなんか遅刻どころか終わってから着いて社員さんに怒られてただろ。アンケート用紙も勝手に捨てるし、俺にオーディションの時間は伝えてくれないし」

 浩太は「それは謝ったじゃん」と幸助の力強い目を軽く見ると、またおしぼりに視線を戻した。幸助は浩太の目をはっきりと見る。

「もういい。俺たち高校で出会って、もう七年とか十一年くらいの付き合いか」

「ん? ああ、もうそれくらいになるか」

「漫才が好きで仲良くなったけどさあ、俺はもう今は漫才嫌いだよ。休み時間に漫才の動画を見て、二人で息を吸えないほど笑ってたのが懐かしい」

 浩太は間髪入れず「そうだな」と呟く。また店員が近づいてきて緑茶を浩太の前に置いた。

 二人は無言になる。

 しばらくすると店員がマルゲリータを片手に、再び二人に近づいてきた。二人のちょうど真ん中にマルゲリータが置かれ、店員がそれを八つ切りにしていった。「ご注文はお揃いでしょうか」と店員が聞くと、幸助が「はい、ありがとうございます」と答えた。

 店員が去ってからさらに三十秒ほど沈黙が続いた。

 「これくらいなら俺たちにもできるんじゃないかって俺が誘っちゃったから、責任は俺にあるんだけど。そろそろ限界だと思う。解散したほうがいいんじゃないかな」と幸助が口を開いた。浩太は息を詰まらせた声で「いや」とテーブルを見続ける。さらに「解散? いやあ、ないって。俺たちまだ四年目だよ。佐藤に言われたからって辞めるのかよ」と、テーブルの木目に吸い込まれていくように目を泳がせながら言った。

「佐藤に言われたからってわけじゃないけど、ミスもないのにあれだけウケないんじゃ、無理だろ」

「いやでも、ネタ見せでは誰も笑わないのが普通でしょ。舞台でやれば、テレビでやればウケるよ」

「俺ら間違っちまったんだよ。浩太は出役としての才能ある思うから。お前は芸人続けてほしいけど、俺は辞める」

「何言ってるんだよ。幸助がネタ作ってんだから。お前がいないと俺、何も出来ねえって」

 幸助は依然として力強い目で「もう無理なんだ。遅刻が多いのとかも我慢できないし。俺がネタ書いてるのに感謝の言葉もないし。これ以上仲悪くなりたくないんだ。辞めるなら早いほうがいいと思う。もう見切りをつけるべきだと思う」と言うとコーヒーを一口飲んで、唇を舐めた。浩太の「これからどうするの?」という問いに、幸助は「俺はとりあえず作家をやってみる。ダメだったら普通にサラリーマンになるよ」と答えた。

「作家って、お前佐藤みたいになるのかよ。安全な位置から好き勝手ネタに口を出しやがる、何の責任もとらねえやつになるのかよ」

「もういい大人なんだから。もうちょっと客観的に自分を見られるようになったほうがいいよ。お前は芸人向いてると思うから」

 浩太が「明後日のネタ見せ来いよ」と言うと、幸助は浩太の前にある緑茶の横に一万円を置いて席を立った。浩太は幸助の小さくなっていく背中を見送った。

 浩太は右手でおしぼりを握り乾燥した手を湿らせるが、しばらくするとおしぼりからは水分がなくなり、おしぼりから手を離した。浩太はその手でマルゲリータを一切れ食べるが、チーズはもう固くなっており伸びず、簡単にちぎれてしまった。

 マルゲリータを七切れ残したまま、浩太は一万円を右手の指で挟んで軽く持ち、左手で伝票を掴んでレジへ向かった。右手の一万円で会計を終えると、浩太は溜息をつきながら出入口を出た。
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