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嘘ではありませんけどね ◆キース
健やかな寝息を立てるシーナ・ルー様に、そっと毛布を掛けて差し上げる。このかたは人間の時も聖獣の姿の時も、ずっと見つめていたいほどに愛らしい。
「……ふふふふ。呼吸に合わせ、お腹がふくふくと上下していますくくくくく」
「キース。ちょっと大分気持ち悪い」
カイルから辛辣に駄目出しされた。失敬な。
眠るシーナ・ルー様を名残惜しく撫で、ソファのカイルの元へと歩み寄る。どことなく不機嫌な様子の彼に、ひょいと肩をすくめてみせた。
「わたしはただ事実を述べたのみです。……それで、どうします。ヴィクター殿下にどこまで話すのですか」
試すように問い掛ければ、カイルは大きく息をついた。荒っぽく頭を掻きむしり、わたしを見上げる。
「キースはどう思う?」
「そうですねぇ……。少なくとも、隠すのも嘘をつくのも止めた方がよろしいかと思いますよ。きっとヴィクター殿下は、シーナ・ルー様のお言葉を微に入り細を穿ち尋ねてくるに決まっていますから」
あえて感情を交えずに淡々と述べると、カイルは「だよねぇ」と肩を落とした。
「確かに嘘は駄目だよな、うん。……だったら――っ」
カイルが慌てたように言葉を飲み込む。
視線をドアに投げかけたので、わたしも口をつぐんでそちらを振り返った。
我々が無言で見守る中、音を立てずにドアが開く。
不在だったこの部屋の主が、むっつりと中に入ってきた。不吉だと忌み嫌われる真紅の瞳で、鋭く周囲を見回す。
「……シーナは」
地を這うような低い声に、人殺しみたいに剣呑な眼差し。
……おお、怖い。態度はでかい癖に根は小心者な神官長なら、一瞬で震え上がってしまうこと請け合いです。
「会合は無事終了いたしました。お疲れになられたのでしょう、シーナ・ルー様はもうお休みになっておられますよ」
澄まして告げて、ヴィクター殿下をベッドに誘導した。
すやすやと眠るシーナ・ルー様を見下ろして、ヴィクター殿下の肩から力が抜けていく。
「…………」
毛布の上から、いたわるようにシーナ・ルー様の体に触れる。……いやはや。まさかこのかたが、こんなにも優しい目をするのを見ることになろうとは。青天の霹靂です。世も末です。明日には世界が滅びるやもしれません。
「やかましい」
疾風のごとき速さで手刀が飛んできた。ぐふぅっ!
「はいはい、どうどう」
立ち上がったカイルがヴィクター殿下をなだめてくれる。ありがたいものの、カイルはいつも助けるのが微妙に遅い。
ぶつぶつ恨み言をこぼしながら、乱れた神官服を整える。ヴィクター殿下に優雅に一礼してみせた。
「それではわたしはこの辺で失礼いたします。お休みなさいませ、ヴィクター殿下」
くるりと回れ右すれば、すかさず首根っこをつかまれた。またもぐっふぅ!
「帰るのは報告を終えてからにしろ。シーナは何と言っていた。魔素について何かわかったのか」
まさに一触触発といった、隠しきれない怒りを宿した声音に肝が冷える。
困り果ててカイルを見るが、カイルは目をつぶって考え込んでいた。仕方なくわたしがヴィクター殿下に向き直る。
「この世界に来ることになった経緯をお聞きしました。そもそも事の発端は、シーナ・ルー様が元の世界で危難に遭われたことにさかのぼり――」
メモに目を落としつつ、てきぱきと説明していく。ヴィクター殿下は一言一句聞き漏らすまいとするように、ぎらぎらと目を光らせてわたしを見張っていた。恐ろしや。
「……とまあ、こういったところです。そして、魔素に関してですが」
ここからが本番だ。
考え考え、慎重に口を開いた。
「魔素については我ら四人だけの秘密とするよう、月の女神ルーナ様がお命じになられたそうです。シーナ・ルー様が人間に戻られるためには、魔素への耐性を付ける必要があります。が、それに関しておおっぴらに情報収集することはできません」
「……ならば、どうする?」
苛ついたようにヴィクター殿下が声を荒らげる。……無理もない。魔素への耐性を手に入れない限り、お二人は対面することすら叶わないのだから。
同情に胸が詰まるのを感じて、わたしはヴィクター殿下から目を逸らした。
「ルーナ様がおっしゃるには……、まず、シーナ・ルー様に魔素が見えるよう訓練を施す必要があるそうです。ですから――」
「そう、そうなんだ! その訓練こそ、ヴィクターの出番なんだよ。ヴィクターは大量の魔素を体に宿しているから、シーナちゃんの訓練相手にうってつけらしい。だからこれは、ヴィクターにしかできないことなんだ!」
突然、カイルが早口に口を挟む。
戸惑うわたしに、カイルはすばやく目配せした。わたしを押しのけ、熱心にヴィクター殿下に詰め寄る。
「ヴィクター、シーナちゃんを片時も離さず側に置くんだ。お前の一挙手一投足、どれが魔素を見るためのヒントに繋がるかわからない。仕事の時も寝る時も、たとえ魔獣の討伐に行く時だって、シーナちゃんは自分も連れて行ってほしいって言ってたよ」
「だが、今のあいつは恐怖耐性のない聖獣だ。本部にいる時はともかく、危険な戦闘任務に同行させるわけにはいかない」
ヴィクター殿下が眉根を寄せた。
しかし、カイルはきっぱりと首を横に振る。
「そこはお前が気遣ってあげればいい。いいか? いつもみたく、一人きりで魔獣を片付けようとしてちゃ駄目なんだよ。部下を信頼して、任せられる場面は任せる。振り返らず魔獣を殲滅するのじゃなく、お前はシーナちゃんのために『護る』戦い方を覚えるべきだ」
「……っ」
ヴィクター殿下が息を呑む。
あまりに予想外だったのだろう、緋色の瞳が驚きに見開かれていた。
だが、とためらうヴィクター殿下に、カイルはここぞとばかりに畳みかける。
「何を迷う必要がある? シーナちゃんは気丈に振る舞っているけど、本心では一刻も早く人間に戻りたいはずだよ。――それに彼女は、お前に名前を呼んでほしいって言ってたんだ!」
「なま、え……?」
「そうだよ!『シーナ』も彼女の本当の名らしいけど、苗字だって言ってたよ。オレもキースも彼女の名を知りたがったんだけどさ、残念ながら教えてくれなかったんだ。ヴィクターに一番最初に呼んでほしいから、って!」
「へっ!? いやそれはカイル、ぐほぉっ!」
肘鉄を食らわされ、わたしはあえなく崩れ落ちた。……いやカイル、本当の名は教えるなと言ったのはあなたでは……?
わたしの声なき声は二人に届かない。
ヴィクター殿下は雷に打たれたように棒立ちになっていて、この場はすっかりカイルの独壇場だ。
「シーナちゃんの気持ちを裏切るのか? ヴィクターは彼女の本当の名を知りたくないのか? 早く人間の彼女と会って、名前を呼んで、笑い合いたいとは思わないのか?」
「俺は……っ!」
ヴィクター殿下が顔を赤くした。
きつくこぶしを握り締め、目を伏せる。その体は小刻みに震えていて、ヴィクター殿下の本心がどこにあるのか、言葉に出さずとも一目瞭然だった。
「――わかった」
ややあって、ヴィクター殿下がうめくように呟いた。
ゆっくりと顔を上げ、強い意志を込めた眼差しでカイルを見据える。
「今後はシーナも討伐に連れて行く。……が、絶対にあいつを危険な目に合わせはしない。シーナは、俺がこの手で護り抜く」
「ヴィクター……! うん、その意気だ!」
カイルが顔を輝かせた。
わたしは黙って二人を見守りながらも、どこか釈然としない思いを抱いていた。
(いや、わたしだってシーナ・ルー様のお名前をお呼びしたいし、語り合いたいし、笑い合いたいのですけども……)
だがしかし、カイルから「名前は一番にヴィクターに教えてあげてほしい」と頼まれた彼女は、案外まんざらでもなさそうな顔をしていた。……だからきっと、さっきのカイルの言葉は嘘とは言いきれないのだろう。業腹だけれど。微妙に納得いかないけれど。
(……まあ、いいでしょう)
思いを振り切り、わたしはさばさばと笑みを浮かべる。
そう。たとえ一番はヴィクター殿下に譲っても、二番目に彼女の名を呼ぶのはこのわたしだ。
そこは絶対に譲りませんからね、カイル!
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