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第三章
第37話 夢にまで見た瞬間です。
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「さあどうぞ、ガイウス陛下! 私のお気に入りをお貸ししますから。遠慮なんかいりませんっ」
「……あ、いや。うぅ、その……」
――冬のある日、昼下がりの精霊廟。
ぴきんとおひげを伸ばして硬直するガイウス陛下を、問答無用でぐいぐい引っ張った。花畑の真ん中まで強引に誘う。
自室から持ってきたクッションを二つ並べ、フィオナの花の上に慎重に設置した。
目をつぶって「ごめんね、お花さん」とお祈りして、勇気を出して寝っ転がる。その途端、甘やかな香りが立ち昇った。
思わず深々と息を吸い込む。棒のように立ち尽くす陛下においでおいでした。
「さ、陛下も早く。初めは難しく感じるかもしれませんが、これぞぐうたら道への第一歩なのです。教祖リリアーナを信じてください」
「あ、ああ……」
ためらいがちに動き出し、ぎくしゃくと私の隣に横になる。立派な鬣が流れるようにクッションに広がった。……この上なく、ふさふさね。触りたいわ。
己の欲望の命じるまま、さり気なさを装って少しずつクッションごと陛下に迫る。ぎょっと目を見開いた陛下が、これまたじりじりと寝返りを打って逃げていく。
気付けば二人でころころ花畑の上を転がっていた。
「…………っ」
むせ返るような花の香りが私を包む。身体から力が抜けて、あまりの心地良さに眠気を誘われる。
夏にはひんやり感じられた精霊廟。冬になった今は、なぜか逆に暖かい。
ステンドグラスから差し込む光もやわらかく、ほわりと優しくくるまれているような、守られているような。
頬をゆるめて傍らの様子を窺うと、陛下もじっとステンドグラスを見上げていた。
「……綺麗だ。それに、この花がこんなにも良い香りだったとは知らなかった。精霊廟には幾度も来たが……慌ただしく祈るばかりで、こんなふうに無心で廟を見回すことなどなかったな」
ゆっくりと虚空へと腕を伸ばす。ふうっと感嘆の吐息をついた。
「まるで光が降り注いでいるようだ。……く、ははっ」
「ガイウス陛下?」
突然笑い出した彼に驚いて、起き上がって顔を覗き込む。すばやく腕で顔を隠した陛下は、それでもまだくつくつと笑っていた。
「まさか、だらしなく寝そべって精霊廟を見上げる日が来るなどと……っ。馴染んだ場所のはずなのに、全く違う景色に見える……」
ありがとう、リリアーナ。
腕をずらして、優しい眼差しで私を見上げる。しかしすぐに大急ぎで顔を隠してしまった。おひげがひくひく震えている。
「ガイウス陛下ー? お顔が見たいですー」
うつ伏せに横になり、ぱたぱたと足を動かしながら彼を覗き込んだ。毛むくじゃらの腕をふかりと掴んで、顔から引き剥がそうと頑張ってみる。ぐぐぐ、硬ぁっ!
「……そのような非力で、俺に勝てると思うなよ?」
笑みを含んだ声に、むうっと唇を尖らせた。しばし攻防戦を繰り広げた挙げ句、二人同時に大きく噴き出す。
声を上げて笑いながら、仲良く並んで寝転んで。
手を繋いだまま、飽きることなく色鮮やかなステンドグラスを眺め続けた――……
***
「すっごくいちゃいちゃしてたよねぇ。目のやり場に困ったから、すぐに回れ右して退散しちゃった」
「ええええっ!? 来てたのコハク!?」
ぶわわ、と頬が熱くなる。
顔を覆って俯くと、コハクが私の頭にぽんと手を置いた。耳元に意地悪く囁きかける。
「リリアーナってば、王様のことしか見てないんだもの。……なんだかちょっぴり寂しいなぁ。所詮君にとって、僕は二番目の男なんだね」
「どこで覚えてきたの、そんな台詞……」
げんなりと突っ込む私に、うさぎ耳の子どもは鈴を鳴らすような声で笑った。勢いよく花畑に倒れ込み、傍らをぽんぽんと叩く。
誘われるまま、私も彼の隣に横になった。
言葉もなくステンドグラスを見上げていると、コハクがふっと笑んで私を見つめた。
「王様のこと、僕は遠くからしか見たことないけど。前より毛艶が良くなってた気がしたよ」
「――そうなのよ! やっぱりわかっちゃう!?」
跳ねるように起き上がり、勢い込んでコハクに頷きかける。頬に手を当て、でれでれと身悶えた。
「前だって、そりゃあ見事な毛並みだったけど。今はより一層素敵でしょう? だって最近は、毎日私と一緒に食事を取っているんだから! ゆっくり噛んで、楽しくおしゃべりして。忙しいのは相変わらずだけど、時間があれば並んでお昼寝してくださるし。もちろんほんの短時間だけど、でもね――」
「はいはいはい。落ち着こうねリリアーナ」
面倒くさそうに起き上がったコハクから、どうどう、と制された。ええー、まだ話し足りないのにー。
唇を尖らせる私に苦笑して、コハクは真っ白なうさぎ耳をそよがせる。ついと目を逸らしたので、私もつられて彼の視線を追った。
精霊廟の最奥、蔦の絡まった大扉。
(……そういえば、あの先には何があるのかしら……)
「――ねえ、コハ」
「もうすぐ年越しだね、リリアーナ。王様への贈り物はもう用意したの? 君は未来の王妃なんだから、王様の側近にもちゃんとあげた方がいいと思うよ?」
……へ?
贈り物って……何?
唐突な話題転換に虚を衝かれてしまう。
確かに、あと一月足らずで新しい年を迎えるけれど。年越しと贈り物に、一体なんの関係が?
目をしばたたかせる私が、わかっていないと悟ったのだろう。コハクがあきれ返った様子で肩をすくめた。
「……うわあ。ランダール人にとっては当たり前のことだから、きっと皆伝え忘れてるんだね。――あのね、リリアーナ」
真剣な色を宿した瞳を私に向ける。
「ランダールではね、年越しを夜通し祝う習慣があるんだ。そして新年を迎えたその瞬間に、過ぎ去った一年間の感謝を込めて、親しいひと同士でプレゼントを贈り合う。概ね家族や恋人に対して、だね」
「へえ……。そうだったの」
そんな風習があるとは知らなかった。
ならば、私もガイウス陛下に何をあげるか考えなければ。長いしっぽに付ける、可愛らしいリボンなんかどうだろう?
頬をゆるませつつ、きちんと姿勢を正してコハクにお辞儀した。
「教えてくれてありがとう。早速、城下町に行ってプレゼントを探すことにするわ」
「……残念ながら、それじゃあ駄目なんだ」
コハクが深々と嘆息する。……駄目?
厳しい表情を浮かべる彼を、ぽかんと間抜けな顔で見つめる。
「出来合いを買ったらいけないんだよ、リリアーナ。新年の贈り物は、真心を込めた手作りじゃなきゃいけないって決まってるんだ」
「――えええええっ!?」
手作り!?
自慢じゃないけど、この私はすこぶるつきの不器用さんよ!?
いまだに花かんむりすらまともに作り上げたことがない。思わず頭を抱えていると、コハクがふっと笑う気配がした。
「ま、そうは言っても昔ほど厳密じゃないんだけどね。……とにかく、君自身の手が入っていればいいんだよ。買ってきたハンカチに、王様の名前を刺繍する、とか」
「針仕事は苦手なの。きっと指を刺して血染めのハンカチができちゃうわ」
「材料を買ってきて、焼き菓子でも作ってみる、とか」
「料理はしたことないの。きっとお菓子がコゲコゲ味になっちゃうわ」
「……木切れで、小物入れでも作ってみる、とか」
「トンカチを使って? でも私、スプーンより重いものは持ったことがないの」
「…………」
コハクはあえなく黙り込んだ。花畑にばったり倒れ伏す。「お姫様って、お姫様って……」と呻き声を上げている。
そんな彼に構わず、じっと腕組みして考え込んだ。
ガイウス陛下に喜んでもらいたい。その為には、あまりみっともないものはあげられない。
「……これは、真剣に考えなくちゃいけないわね。……あ、もちろんコハクにもプレゼントするから。血のしたたるハンカチでも構わない?」
「ものすごく構います。心の底からいらないです」
間髪入れずに返された。
そりゃあそうよね。
ちなみに私もいらないわ、うん。
「……あ、いや。うぅ、その……」
――冬のある日、昼下がりの精霊廟。
ぴきんとおひげを伸ばして硬直するガイウス陛下を、問答無用でぐいぐい引っ張った。花畑の真ん中まで強引に誘う。
自室から持ってきたクッションを二つ並べ、フィオナの花の上に慎重に設置した。
目をつぶって「ごめんね、お花さん」とお祈りして、勇気を出して寝っ転がる。その途端、甘やかな香りが立ち昇った。
思わず深々と息を吸い込む。棒のように立ち尽くす陛下においでおいでした。
「さ、陛下も早く。初めは難しく感じるかもしれませんが、これぞぐうたら道への第一歩なのです。教祖リリアーナを信じてください」
「あ、ああ……」
ためらいがちに動き出し、ぎくしゃくと私の隣に横になる。立派な鬣が流れるようにクッションに広がった。……この上なく、ふさふさね。触りたいわ。
己の欲望の命じるまま、さり気なさを装って少しずつクッションごと陛下に迫る。ぎょっと目を見開いた陛下が、これまたじりじりと寝返りを打って逃げていく。
気付けば二人でころころ花畑の上を転がっていた。
「…………っ」
むせ返るような花の香りが私を包む。身体から力が抜けて、あまりの心地良さに眠気を誘われる。
夏にはひんやり感じられた精霊廟。冬になった今は、なぜか逆に暖かい。
ステンドグラスから差し込む光もやわらかく、ほわりと優しくくるまれているような、守られているような。
頬をゆるめて傍らの様子を窺うと、陛下もじっとステンドグラスを見上げていた。
「……綺麗だ。それに、この花がこんなにも良い香りだったとは知らなかった。精霊廟には幾度も来たが……慌ただしく祈るばかりで、こんなふうに無心で廟を見回すことなどなかったな」
ゆっくりと虚空へと腕を伸ばす。ふうっと感嘆の吐息をついた。
「まるで光が降り注いでいるようだ。……く、ははっ」
「ガイウス陛下?」
突然笑い出した彼に驚いて、起き上がって顔を覗き込む。すばやく腕で顔を隠した陛下は、それでもまだくつくつと笑っていた。
「まさか、だらしなく寝そべって精霊廟を見上げる日が来るなどと……っ。馴染んだ場所のはずなのに、全く違う景色に見える……」
ありがとう、リリアーナ。
腕をずらして、優しい眼差しで私を見上げる。しかしすぐに大急ぎで顔を隠してしまった。おひげがひくひく震えている。
「ガイウス陛下ー? お顔が見たいですー」
うつ伏せに横になり、ぱたぱたと足を動かしながら彼を覗き込んだ。毛むくじゃらの腕をふかりと掴んで、顔から引き剥がそうと頑張ってみる。ぐぐぐ、硬ぁっ!
「……そのような非力で、俺に勝てると思うなよ?」
笑みを含んだ声に、むうっと唇を尖らせた。しばし攻防戦を繰り広げた挙げ句、二人同時に大きく噴き出す。
声を上げて笑いながら、仲良く並んで寝転んで。
手を繋いだまま、飽きることなく色鮮やかなステンドグラスを眺め続けた――……
***
「すっごくいちゃいちゃしてたよねぇ。目のやり場に困ったから、すぐに回れ右して退散しちゃった」
「ええええっ!? 来てたのコハク!?」
ぶわわ、と頬が熱くなる。
顔を覆って俯くと、コハクが私の頭にぽんと手を置いた。耳元に意地悪く囁きかける。
「リリアーナってば、王様のことしか見てないんだもの。……なんだかちょっぴり寂しいなぁ。所詮君にとって、僕は二番目の男なんだね」
「どこで覚えてきたの、そんな台詞……」
げんなりと突っ込む私に、うさぎ耳の子どもは鈴を鳴らすような声で笑った。勢いよく花畑に倒れ込み、傍らをぽんぽんと叩く。
誘われるまま、私も彼の隣に横になった。
言葉もなくステンドグラスを見上げていると、コハクがふっと笑んで私を見つめた。
「王様のこと、僕は遠くからしか見たことないけど。前より毛艶が良くなってた気がしたよ」
「――そうなのよ! やっぱりわかっちゃう!?」
跳ねるように起き上がり、勢い込んでコハクに頷きかける。頬に手を当て、でれでれと身悶えた。
「前だって、そりゃあ見事な毛並みだったけど。今はより一層素敵でしょう? だって最近は、毎日私と一緒に食事を取っているんだから! ゆっくり噛んで、楽しくおしゃべりして。忙しいのは相変わらずだけど、時間があれば並んでお昼寝してくださるし。もちろんほんの短時間だけど、でもね――」
「はいはいはい。落ち着こうねリリアーナ」
面倒くさそうに起き上がったコハクから、どうどう、と制された。ええー、まだ話し足りないのにー。
唇を尖らせる私に苦笑して、コハクは真っ白なうさぎ耳をそよがせる。ついと目を逸らしたので、私もつられて彼の視線を追った。
精霊廟の最奥、蔦の絡まった大扉。
(……そういえば、あの先には何があるのかしら……)
「――ねえ、コハ」
「もうすぐ年越しだね、リリアーナ。王様への贈り物はもう用意したの? 君は未来の王妃なんだから、王様の側近にもちゃんとあげた方がいいと思うよ?」
……へ?
贈り物って……何?
唐突な話題転換に虚を衝かれてしまう。
確かに、あと一月足らずで新しい年を迎えるけれど。年越しと贈り物に、一体なんの関係が?
目をしばたたかせる私が、わかっていないと悟ったのだろう。コハクがあきれ返った様子で肩をすくめた。
「……うわあ。ランダール人にとっては当たり前のことだから、きっと皆伝え忘れてるんだね。――あのね、リリアーナ」
真剣な色を宿した瞳を私に向ける。
「ランダールではね、年越しを夜通し祝う習慣があるんだ。そして新年を迎えたその瞬間に、過ぎ去った一年間の感謝を込めて、親しいひと同士でプレゼントを贈り合う。概ね家族や恋人に対して、だね」
「へえ……。そうだったの」
そんな風習があるとは知らなかった。
ならば、私もガイウス陛下に何をあげるか考えなければ。長いしっぽに付ける、可愛らしいリボンなんかどうだろう?
頬をゆるませつつ、きちんと姿勢を正してコハクにお辞儀した。
「教えてくれてありがとう。早速、城下町に行ってプレゼントを探すことにするわ」
「……残念ながら、それじゃあ駄目なんだ」
コハクが深々と嘆息する。……駄目?
厳しい表情を浮かべる彼を、ぽかんと間抜けな顔で見つめる。
「出来合いを買ったらいけないんだよ、リリアーナ。新年の贈り物は、真心を込めた手作りじゃなきゃいけないって決まってるんだ」
「――えええええっ!?」
手作り!?
自慢じゃないけど、この私はすこぶるつきの不器用さんよ!?
いまだに花かんむりすらまともに作り上げたことがない。思わず頭を抱えていると、コハクがふっと笑う気配がした。
「ま、そうは言っても昔ほど厳密じゃないんだけどね。……とにかく、君自身の手が入っていればいいんだよ。買ってきたハンカチに、王様の名前を刺繍する、とか」
「針仕事は苦手なの。きっと指を刺して血染めのハンカチができちゃうわ」
「材料を買ってきて、焼き菓子でも作ってみる、とか」
「料理はしたことないの。きっとお菓子がコゲコゲ味になっちゃうわ」
「……木切れで、小物入れでも作ってみる、とか」
「トンカチを使って? でも私、スプーンより重いものは持ったことがないの」
「…………」
コハクはあえなく黙り込んだ。花畑にばったり倒れ伏す。「お姫様って、お姫様って……」と呻き声を上げている。
そんな彼に構わず、じっと腕組みして考え込んだ。
ガイウス陛下に喜んでもらいたい。その為には、あまりみっともないものはあげられない。
「……これは、真剣に考えなくちゃいけないわね。……あ、もちろんコハクにもプレゼントするから。血のしたたるハンカチでも構わない?」
「ものすごく構います。心の底からいらないです」
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