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第三章
第48話 その先にあるもの。
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クッキーの籠を自室に置いた私は、すぐにもう一度部屋を出た。
花の種の入った包みだけ握り締め、うわの空で歩き続ける。脳裏を占めるのは『精霊の手』を持つと言われる庭師のおじいさん――そして、コハクについて。
睨むように前方を見据え、唇を噛んで考え込む。
(コハクが嘘をついていた? ……ううん、決めつけるのはよくないわ)
血が繋がっていないだけで、コハクにとっては実のおじいさんも同様という可能性だってある。
よしんば彼が嘘をついていたとしても――きっと何か事情があるに違いない。
重苦しく嘆息して、のろのろと足を止めた。そのまま冷たい壁に寄りかかる。
(……だけど……)
それ以外にも、おかしなことはあった。
ガイウス陛下との城下町デートで初めて知った。――獣人は人型をとっているとき、耳やしっぽなど生やせはしないのだと。
コハクにはいつだってうさぎの耳が生えていた。私は獣人について詳しく知らなかったから、疑問に思ったことなんて一度もなかったけれど。
「…………」
「リリアーナ?」
はっと顔を上げると、廊下の曲がり角でガイウス陛下が訝しげに立ち尽くしていた。言葉を失って見返すばかりの私に、きびきびと大股で歩み寄ってくる。
「大丈夫か? どこか具合でも――……」
「いいえっ。何でもありません!」
大急ぎで笑顔を作って、しゃんと背筋を伸ばした。途端にくしゃみが飛び出してしまい、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
……いけない、すっかり凍えてしまったみたい。
震えながらショールをかき合せていると、陛下が牙を剥き出しにした恐ろしい顔になった。荒々しく私を抱き寄せる。
「きゃっ……?」
「リリアーナ、こんなに冷えきって……。すぐに暖めなければっ」
お姫様抱っこで駆け出した彼の顔をぽかんとして見上げた。そろりそろりと手を伸ばし、手の平いっぱいに彼の服を握り込む。
(……どうしよう)
やわらかな毛並みに包まれて、ぎゅっと力強く抱き締められて。
こうしてもらっているだけで暖かいわ、なんて正直に言っては駄目よね。恥ずかしがり屋な彼は、きっとすぐに私を降ろしてしまうに違いないから。
声を出さずにこっそり笑い、目をつぶる。ふかふかの胸に顔を埋めた。
伝わってくる優しい心音に、さっきまで感じていた心細さが溶けるように消えていった――……
***
「精霊廟でよかったのか? 執務室ならば暖炉もあるのに」
「平気です。……こっちの方が、暖炉よりもずうっと暖かいもの」
精霊廟のいつもの場所、階段に並んで腰掛けて。
ガイウス陛下の大きな体に身を委ねる。
わざと小さく身震いすると、慌てたように太い腕を回してくれた。温かな腕の中、もぞもぞと動いて収まりのいい位置に落ち着く。
「ふふっ。しあわせ」
いたずらっぽく見上げると、陛下は途端にぶわわと毛並みを逆立てた。そのまま及び腰になりかけたので、すかさず「くしゅんっ」と聞こえよがしにくしゃみをする。
狙い通り、陛下はすぐさま私を抱き締めた。しめしめ。
「……リリアーナ。今、しめしめって言わなかったか?」
「あら。もしや声に出てました?」
わざとらしく目をまんまるに見開くと、陛下は思いっきり脱力する。巨体にのしかかられてきゃあっ悲鳴を上げた。
くすくす笑いながら、彼の胸に頬を押し当てる。陛下もゆっくりと私の背中を撫でてくれた。
じんわりした温みが広がっていく。きっと、体だけじゃなくて心がぽかぽかしてるのだ。
もう一度だけ、すり、と頬ずりして体を離した。深呼吸して陛下を見上げる。
「……あのね。ガイウス陛下」
まだ小さいのにどこか大人びた、獣人の男の子と精霊廟で出会ったの。
その子は人型なのにうさぎの耳が生えていて、すべてを見透かすような不思議な瞳をしているわ。
おじいさんがいるって言っていたのに、それは嘘かもしれないの。
勇気を出して相談しようとした瞬間、頭の中に声が響いた。
――僕のこと、誰にもナイショにしてくれる?
(……コハク……)
「リリアーナ?」
ガイウス陛下が不思議そうに私の顔を覗き込む。我に返った私は曖昧に微笑んだ。
小刻みに震える手を伸ばし、懐に入れていた白い包み紙を取り出す。
「……えぇっと、そう。――あのね? 庭師のサイラスから、花の種を貰ったんです」
ぷにぷにの肉球の上に載せてあげると、陛下は興味津々といった様子で包み紙を開いた。しばし物珍しそうに細長い種を眺め、声を弾ませる。
「そうか、どのような花が咲くか楽しみだな。どこに植えようか?」
「そうね……。春に蒔くよう言われたから、まだ慌てて決めなくても大丈夫だと思うわ。二人で一緒に育てましょうね?」
肉球の上に手を重ねて笑いかけると、陛下はぴきんとおひげを伸ばして硬直した。すぐにぶんぶんと鬣を揺らして頷く。
「そっ、そうだな! 二人、二人だけで……」
「ガイウス陛下?」
急に言葉を止めてしまった彼を不審に思い、そっと肩を揺さぶった。
それでも無反応なので、今度は鬣に指を絡めて撫でてみる。まだ無反応。
大胆に体を寄せて、やわらかな毛並みにぐりぐり頭突きする。やっぱり無反応。
「…………」
だんだん調子に乗ってきた私は、陛下の体に抱き着いたまま人差し指を伸ばした。黒ぐろとした鼻の頭を、電光石火の早業でちょんと突く。
「にゃっ!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げて、ぶるると鬣を震わせた。やったわ、私の勝ちね!
上機嫌で笑う私を、陛下は恨めしそうな上目遣いで眺めた。無言ですっくと立ち上がったので、慌てて私も腰を上げる。
「ごめんなさい。怒りました?」
「……いや。そうではなく……」
呟くように答えて、陛下はじっと私を見下ろした。しばしうろうろと視線をさまよわせた挙げ句、ようやっと決意したようにたくましい腕を差し伸べる。
「リリアーナ。誰にも秘密にできる場所が、ひとつだけあるんだ」
硬い声音でそう告げて、陛下はゆっくりと振り向いた。彼の眼差しを追うと、そこに佇んでいたのは――……
「……扉……?」
精霊廟の最奥。
私達の座っていた階段の先にある、びっしりと蔦の絡まる古ぼけた扉。
ガイウス陛下は固く閉じた扉だけを一心に見据えていた。――あたかも、挑みかかるように。
花の種の入った包みだけ握り締め、うわの空で歩き続ける。脳裏を占めるのは『精霊の手』を持つと言われる庭師のおじいさん――そして、コハクについて。
睨むように前方を見据え、唇を噛んで考え込む。
(コハクが嘘をついていた? ……ううん、決めつけるのはよくないわ)
血が繋がっていないだけで、コハクにとっては実のおじいさんも同様という可能性だってある。
よしんば彼が嘘をついていたとしても――きっと何か事情があるに違いない。
重苦しく嘆息して、のろのろと足を止めた。そのまま冷たい壁に寄りかかる。
(……だけど……)
それ以外にも、おかしなことはあった。
ガイウス陛下との城下町デートで初めて知った。――獣人は人型をとっているとき、耳やしっぽなど生やせはしないのだと。
コハクにはいつだってうさぎの耳が生えていた。私は獣人について詳しく知らなかったから、疑問に思ったことなんて一度もなかったけれど。
「…………」
「リリアーナ?」
はっと顔を上げると、廊下の曲がり角でガイウス陛下が訝しげに立ち尽くしていた。言葉を失って見返すばかりの私に、きびきびと大股で歩み寄ってくる。
「大丈夫か? どこか具合でも――……」
「いいえっ。何でもありません!」
大急ぎで笑顔を作って、しゃんと背筋を伸ばした。途端にくしゃみが飛び出してしまい、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
……いけない、すっかり凍えてしまったみたい。
震えながらショールをかき合せていると、陛下が牙を剥き出しにした恐ろしい顔になった。荒々しく私を抱き寄せる。
「きゃっ……?」
「リリアーナ、こんなに冷えきって……。すぐに暖めなければっ」
お姫様抱っこで駆け出した彼の顔をぽかんとして見上げた。そろりそろりと手を伸ばし、手の平いっぱいに彼の服を握り込む。
(……どうしよう)
やわらかな毛並みに包まれて、ぎゅっと力強く抱き締められて。
こうしてもらっているだけで暖かいわ、なんて正直に言っては駄目よね。恥ずかしがり屋な彼は、きっとすぐに私を降ろしてしまうに違いないから。
声を出さずにこっそり笑い、目をつぶる。ふかふかの胸に顔を埋めた。
伝わってくる優しい心音に、さっきまで感じていた心細さが溶けるように消えていった――……
***
「精霊廟でよかったのか? 執務室ならば暖炉もあるのに」
「平気です。……こっちの方が、暖炉よりもずうっと暖かいもの」
精霊廟のいつもの場所、階段に並んで腰掛けて。
ガイウス陛下の大きな体に身を委ねる。
わざと小さく身震いすると、慌てたように太い腕を回してくれた。温かな腕の中、もぞもぞと動いて収まりのいい位置に落ち着く。
「ふふっ。しあわせ」
いたずらっぽく見上げると、陛下は途端にぶわわと毛並みを逆立てた。そのまま及び腰になりかけたので、すかさず「くしゅんっ」と聞こえよがしにくしゃみをする。
狙い通り、陛下はすぐさま私を抱き締めた。しめしめ。
「……リリアーナ。今、しめしめって言わなかったか?」
「あら。もしや声に出てました?」
わざとらしく目をまんまるに見開くと、陛下は思いっきり脱力する。巨体にのしかかられてきゃあっ悲鳴を上げた。
くすくす笑いながら、彼の胸に頬を押し当てる。陛下もゆっくりと私の背中を撫でてくれた。
じんわりした温みが広がっていく。きっと、体だけじゃなくて心がぽかぽかしてるのだ。
もう一度だけ、すり、と頬ずりして体を離した。深呼吸して陛下を見上げる。
「……あのね。ガイウス陛下」
まだ小さいのにどこか大人びた、獣人の男の子と精霊廟で出会ったの。
その子は人型なのにうさぎの耳が生えていて、すべてを見透かすような不思議な瞳をしているわ。
おじいさんがいるって言っていたのに、それは嘘かもしれないの。
勇気を出して相談しようとした瞬間、頭の中に声が響いた。
――僕のこと、誰にもナイショにしてくれる?
(……コハク……)
「リリアーナ?」
ガイウス陛下が不思議そうに私の顔を覗き込む。我に返った私は曖昧に微笑んだ。
小刻みに震える手を伸ばし、懐に入れていた白い包み紙を取り出す。
「……えぇっと、そう。――あのね? 庭師のサイラスから、花の種を貰ったんです」
ぷにぷにの肉球の上に載せてあげると、陛下は興味津々といった様子で包み紙を開いた。しばし物珍しそうに細長い種を眺め、声を弾ませる。
「そうか、どのような花が咲くか楽しみだな。どこに植えようか?」
「そうね……。春に蒔くよう言われたから、まだ慌てて決めなくても大丈夫だと思うわ。二人で一緒に育てましょうね?」
肉球の上に手を重ねて笑いかけると、陛下はぴきんとおひげを伸ばして硬直した。すぐにぶんぶんと鬣を揺らして頷く。
「そっ、そうだな! 二人、二人だけで……」
「ガイウス陛下?」
急に言葉を止めてしまった彼を不審に思い、そっと肩を揺さぶった。
それでも無反応なので、今度は鬣に指を絡めて撫でてみる。まだ無反応。
大胆に体を寄せて、やわらかな毛並みにぐりぐり頭突きする。やっぱり無反応。
「…………」
だんだん調子に乗ってきた私は、陛下の体に抱き着いたまま人差し指を伸ばした。黒ぐろとした鼻の頭を、電光石火の早業でちょんと突く。
「にゃっ!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げて、ぶるると鬣を震わせた。やったわ、私の勝ちね!
上機嫌で笑う私を、陛下は恨めしそうな上目遣いで眺めた。無言ですっくと立ち上がったので、慌てて私も腰を上げる。
「ごめんなさい。怒りました?」
「……いや。そうではなく……」
呟くように答えて、陛下はじっと私を見下ろした。しばしうろうろと視線をさまよわせた挙げ句、ようやっと決意したようにたくましい腕を差し伸べる。
「リリアーナ。誰にも秘密にできる場所が、ひとつだけあるんだ」
硬い声音でそう告げて、陛下はゆっくりと振り向いた。彼の眼差しを追うと、そこに佇んでいたのは――……
「……扉……?」
精霊廟の最奥。
私達の座っていた階段の先にある、びっしりと蔦の絡まる古ぼけた扉。
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