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第三章 女装薬師編
32.カラス
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刹那。
土砂降りの雨が降り出した。
「……っ……!」
雨に打たれたことで、緊張の糸が切れた。身体が、動く──!
左足に重心をかけて身体をひねり、背後の相手に渾身の力で松葉杖を叩きつけた。
「なっ!?」
驚きの声を上げながらも、相手は私の攻撃をふわりといなす。松葉杖はしたたかに地面を打った。
勢いで転び、べちゃべちゃの地面に倒れ込んでしまう。それでも必死に顔を上げた。
ここで頑張らなければ、二度とディーンに会えないかもしれない。そんな恐怖が私を襲ったのだ。
激しい雨に、視界が霞みながらも相手を見上げる。ふっと苦笑する気配がした。
「……これだから、追い詰められた鼠は油断できない」
思考が麻痺した。
──茫然と、彼女の名を呼ぶ。
「マイカ、ちゃん……?」
◇
ふたりともずぶ濡れになり、施療院の中に戻る。
「来なさい。このままじゃ風邪を引いてしまうわ」
作業部屋に向かうマイカちゃんに、迷いながらも従った。
部屋に入ると、すぐさまタオルを投げつけられる。身体は泥で汚れているので、顔だけ拭った。
マイカちゃんはさっさと濡れた服を着替えている。
「あたしの服を貸してあげる。サイズは大丈夫でしょ?」
服も投げられたが、無言でかぶりを振った。髪を見られるわけにはいかない。
「──そう。なら、好きになさい」
冷たく言って、私を睨みつける。
「鍵はどこにあったの? 元の場所に戻してくるから、出しなさい」
寒さにガタガタと震えながら、鍵を差し出した。
「……調剤室の、ダンさんの上着の中……」
鍵を受け取ると、マイカちゃんはさっと作業部屋を出ていった。すぐに戻ってくる。
「それで? あんたは、あそこで何をしていたの」
「……マイカちゃんは、何者なの……?」
質問に質問で返すと、彼女は冷笑した。
「くだらない問答に時間を割く気はない。──弁解しないのなら、ニフェル密売犯の一味と見なすけど、どう?」
驚いて顔を上げた。
ニフェルのことを、知っている──?
「一味なんかじゃ……っ。マイカちゃんこそ、ルカさんの畑からニフェルを盗んだ奴らの仲間じゃないの!?」
問うと、彼女は虚を衝かれたように黙り込んだ。
ややあって、おかしくて堪らないというように笑い出す。
「あたしが、あいつらの仲間? 笑わせないで。あたしはニフェル密売の捜査のために、この施療院に潜入しているの」
捜査、ってことは……。
「軍人……!?」
「わかったなら、その泥だらけの服を着替えなさい。そんなに見られたくないのなら外に出てるわ。……その服にはフードも付いてるしね」
言い捨てると、さっさと部屋を出ていく。
私は大急ぎで服を脱ぎ、濡れた身体を拭って服を着た。フードを被り、扉の向こうに声をかける。
マイカちゃんはすぐに入ってきた。向かい合って椅子に腰掛ける。
「……さて。それじゃ話を戻すけど」
濡れた三つ編みを解いて大きな眼鏡を外すと、彼女はまるで別人のようだった。私は緊張して背筋を伸ばす。
「まずは、そちらから話しなさい。『ルカ』というのはリース薬店の薬師よね? 彼に頼まれて、施療院を探ったの?」
「えっと……」
言葉を選びながら、話せる部分だけをかいつまんで説明していく。
ダンさんを疑っていることは言えなかった。ルカさんの大切な友人なのだ。
マイカちゃんは、じっと考え込んでいる。
「……大体わかったわ。それじゃ、今度はこちらの番」
足を組み、鋭い目で私を見た。
「発端は、このウィンザー領の北隣──フォスター領から王都に通報があったこと。領内でニフェルが密売されている……スーロウから流れてきている可能性が高い、ってね」
驚きに目を見開く。
ニフェルをスーロウの外で売っていたのか。
「知っているだろうけど、軍というのは国に属する機関よ。軍の支部は各地に置かれているけど、軍の主は国王陛下であって、その土地の領主じゃない」
いきなり何の説明が始まったのかわからない。ただ首を傾げた。
マイカちゃんはそんな私に全く構わず、淡々と続ける。
「それでも、王都から遠く離れている以上──領主とその地の軍支部との間に癒着が起こるのは、ある程度避けられないことなの。一年前にリース薬店のルカが、畑の異常を軍に相談したと言ったわね?」
「うん……。でも、特に動く様子はなかったって」
答えながら、はっとした。
マイカちゃんは大きくうなずく。
「ニフェルの話だって、ウィンザー領からは一切出ていない。つまりはそういうことよ」
あまりのことに絶句する。
つまり……ウィンザー伯爵が、よその土地で麻薬の密売を──?
「王都の軍本部には、貴族の不正に関わる事件を専門で扱う部署があるの。通称『カラス』。今回の件では、あたしを含めて数人が潜入捜査してる。もちろん施療院以外にもね」
「……そんなこと、私に話していいの……?」
戸惑いながら尋ねると、彼女は薄く笑った。
「話したのは、あんた達に大人しくしていてもらうため。せっかく捜査は大詰めなのに、最後の最後でど素人に邪魔されたら困るのよ。わかったなら、この件からはもう手を引きなさい」
「待って。ニフェルの密売に、施療院も関わってるの?」
せめてダンさんだけでも無関係だと言ってほしい。……ルカさんのためにも。
「そこまで話す必要はない。……でも、あんたたちだって施療院が怪しいと睨んだんでしょう? 施療院のダンと、リース薬店のルカは友達同士だったっけ」
歌うように言うマイカちゃんを睨みつけた。
「ダンさんは、犯罪に関わるような人じゃ……!」
「昨日今日会ったばかりで、わかったような口をきくのね。ああ、もしかして犯罪者なら見ればわかるとでも思ってる? 随分おめでたい頭なのねぇ」
馬鹿にした言い草にカチンとくるが、返す言葉が見つからない。……というか、口で勝てる気がしない。
むむむと目で文句を言うと、マイカちゃんはぷっと噴き出した。
「安心なさい。少なくとも、証拠不十分で逮捕するようなことは絶対にしないから。こっちだって冤罪は避けたいし。あの男……ダンが裏表のない一直線バカだってことは、この半年でよくわかってるしね」
その言葉に、ほっと力を抜いた。
にしても一直線バカて。
「いい男だとは思うわよ? あたしの好みでは全然ないけど」
ダンさんだって、今のマイカちゃんは全然好みじゃないと思うけど。
あの可愛かったマイカちゃんは、もはや夢か幻か……。
「……あんた、今ものすごく失礼なこと考えたでしょ?」
「いひゃい、いひゃい!」
めっちゃほっぺたつねられた。
土砂降りの雨が降り出した。
「……っ……!」
雨に打たれたことで、緊張の糸が切れた。身体が、動く──!
左足に重心をかけて身体をひねり、背後の相手に渾身の力で松葉杖を叩きつけた。
「なっ!?」
驚きの声を上げながらも、相手は私の攻撃をふわりといなす。松葉杖はしたたかに地面を打った。
勢いで転び、べちゃべちゃの地面に倒れ込んでしまう。それでも必死に顔を上げた。
ここで頑張らなければ、二度とディーンに会えないかもしれない。そんな恐怖が私を襲ったのだ。
激しい雨に、視界が霞みながらも相手を見上げる。ふっと苦笑する気配がした。
「……これだから、追い詰められた鼠は油断できない」
思考が麻痺した。
──茫然と、彼女の名を呼ぶ。
「マイカ、ちゃん……?」
◇
ふたりともずぶ濡れになり、施療院の中に戻る。
「来なさい。このままじゃ風邪を引いてしまうわ」
作業部屋に向かうマイカちゃんに、迷いながらも従った。
部屋に入ると、すぐさまタオルを投げつけられる。身体は泥で汚れているので、顔だけ拭った。
マイカちゃんはさっさと濡れた服を着替えている。
「あたしの服を貸してあげる。サイズは大丈夫でしょ?」
服も投げられたが、無言でかぶりを振った。髪を見られるわけにはいかない。
「──そう。なら、好きになさい」
冷たく言って、私を睨みつける。
「鍵はどこにあったの? 元の場所に戻してくるから、出しなさい」
寒さにガタガタと震えながら、鍵を差し出した。
「……調剤室の、ダンさんの上着の中……」
鍵を受け取ると、マイカちゃんはさっと作業部屋を出ていった。すぐに戻ってくる。
「それで? あんたは、あそこで何をしていたの」
「……マイカちゃんは、何者なの……?」
質問に質問で返すと、彼女は冷笑した。
「くだらない問答に時間を割く気はない。──弁解しないのなら、ニフェル密売犯の一味と見なすけど、どう?」
驚いて顔を上げた。
ニフェルのことを、知っている──?
「一味なんかじゃ……っ。マイカちゃんこそ、ルカさんの畑からニフェルを盗んだ奴らの仲間じゃないの!?」
問うと、彼女は虚を衝かれたように黙り込んだ。
ややあって、おかしくて堪らないというように笑い出す。
「あたしが、あいつらの仲間? 笑わせないで。あたしはニフェル密売の捜査のために、この施療院に潜入しているの」
捜査、ってことは……。
「軍人……!?」
「わかったなら、その泥だらけの服を着替えなさい。そんなに見られたくないのなら外に出てるわ。……その服にはフードも付いてるしね」
言い捨てると、さっさと部屋を出ていく。
私は大急ぎで服を脱ぎ、濡れた身体を拭って服を着た。フードを被り、扉の向こうに声をかける。
マイカちゃんはすぐに入ってきた。向かい合って椅子に腰掛ける。
「……さて。それじゃ話を戻すけど」
濡れた三つ編みを解いて大きな眼鏡を外すと、彼女はまるで別人のようだった。私は緊張して背筋を伸ばす。
「まずは、そちらから話しなさい。『ルカ』というのはリース薬店の薬師よね? 彼に頼まれて、施療院を探ったの?」
「えっと……」
言葉を選びながら、話せる部分だけをかいつまんで説明していく。
ダンさんを疑っていることは言えなかった。ルカさんの大切な友人なのだ。
マイカちゃんは、じっと考え込んでいる。
「……大体わかったわ。それじゃ、今度はこちらの番」
足を組み、鋭い目で私を見た。
「発端は、このウィンザー領の北隣──フォスター領から王都に通報があったこと。領内でニフェルが密売されている……スーロウから流れてきている可能性が高い、ってね」
驚きに目を見開く。
ニフェルをスーロウの外で売っていたのか。
「知っているだろうけど、軍というのは国に属する機関よ。軍の支部は各地に置かれているけど、軍の主は国王陛下であって、その土地の領主じゃない」
いきなり何の説明が始まったのかわからない。ただ首を傾げた。
マイカちゃんはそんな私に全く構わず、淡々と続ける。
「それでも、王都から遠く離れている以上──領主とその地の軍支部との間に癒着が起こるのは、ある程度避けられないことなの。一年前にリース薬店のルカが、畑の異常を軍に相談したと言ったわね?」
「うん……。でも、特に動く様子はなかったって」
答えながら、はっとした。
マイカちゃんは大きくうなずく。
「ニフェルの話だって、ウィンザー領からは一切出ていない。つまりはそういうことよ」
あまりのことに絶句する。
つまり……ウィンザー伯爵が、よその土地で麻薬の密売を──?
「王都の軍本部には、貴族の不正に関わる事件を専門で扱う部署があるの。通称『カラス』。今回の件では、あたしを含めて数人が潜入捜査してる。もちろん施療院以外にもね」
「……そんなこと、私に話していいの……?」
戸惑いながら尋ねると、彼女は薄く笑った。
「話したのは、あんた達に大人しくしていてもらうため。せっかく捜査は大詰めなのに、最後の最後でど素人に邪魔されたら困るのよ。わかったなら、この件からはもう手を引きなさい」
「待って。ニフェルの密売に、施療院も関わってるの?」
せめてダンさんだけでも無関係だと言ってほしい。……ルカさんのためにも。
「そこまで話す必要はない。……でも、あんたたちだって施療院が怪しいと睨んだんでしょう? 施療院のダンと、リース薬店のルカは友達同士だったっけ」
歌うように言うマイカちゃんを睨みつけた。
「ダンさんは、犯罪に関わるような人じゃ……!」
「昨日今日会ったばかりで、わかったような口をきくのね。ああ、もしかして犯罪者なら見ればわかるとでも思ってる? 随分おめでたい頭なのねぇ」
馬鹿にした言い草にカチンとくるが、返す言葉が見つからない。……というか、口で勝てる気がしない。
むむむと目で文句を言うと、マイカちゃんはぷっと噴き出した。
「安心なさい。少なくとも、証拠不十分で逮捕するようなことは絶対にしないから。こっちだって冤罪は避けたいし。あの男……ダンが裏表のない一直線バカだってことは、この半年でよくわかってるしね」
その言葉に、ほっと力を抜いた。
にしても一直線バカて。
「いい男だとは思うわよ? あたしの好みでは全然ないけど」
ダンさんだって、今のマイカちゃんは全然好みじゃないと思うけど。
あの可愛かったマイカちゃんは、もはや夢か幻か……。
「……あんた、今ものすごく失礼なこと考えたでしょ?」
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