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第四章 黒の子ども編
66.一難去って
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応接間から連れ出され、冷たい水でしつこく手を洗わされた。横から腕を押さえられているので、逃げるわけにもいかない。
「もおぉっ、充分洗ったよ!?」
「まだだ。悪いモノが残っているかもしれない」
どんだけ強力なバイ菌なんだよ!?
ぶつぶつ文句を言いつつ、さらに洗う。やっと許されたころには、手がしびれて指の感覚が無くなった。真っ赤になっちゃったじゃん!
「……よし。出発するか」
私の手を大きな手で包み込んで温めながら、ディーンが満足げに言う。げんなりしていた私も飛びつくように頷きかけ、慌てて首を振った。
「待って! ノア君に、お別れの挨拶をしないと」
「……ああ。それがあったか……」
嫌な顔をしながらも、男は仕方なさそうに頷いた。子どもには弱いらしい。
二人でノア君の部屋へと向かう。
「──ユキコ! 病気よくなったの!?……それ、だぁれ?」
扉を開けてくれたノア君が、ディーンを見て怯えたように後ずさった。男はひとつ頷くと、心得たように一歩下がる。
「ユキ。俺は部屋の外で待ってる」
申し訳なく思いつつも、私ひとりで部屋に入った。ノア君が私に抱き着いてくる。
「ノア君。お父さん、もうすぐお仕事終わるみたいだから。ずっとお留守番してて偉かったね?」
頭をぽんぽん撫でながら言うと、ノア君はぱっと顔を上げた。くすぐったそうに笑う。
「へーきだよ! ユキコも元気になったし。また、いっぱい遊べるよね?」
その嬉しそうな顔に、言葉を失った。
しゃがんでノア君の肩に手を置き、目線を合わせる。
「……ノア君、私ね? ここから、出て行くことになったの。だから、しばらく遊べなくなっちゃうの……」
ノア君が屋敷から出られるようになれば、どこかで会うことができるかもしれない。でも、それはまだ先の話だろう。
ノア君は驚いたように目を見開くと、ぽろぽろと泣き出した。
「やだっ! ユキコまで、いなくなっちゃうの?──母様みたいに!」
「…………」
絶句して、声を上げて泣くノア君を見つめることしかできなかった。私は大馬鹿者だ。……こうなることは、わかっていたのに。
それでも、私に伝えられる言葉はあるはず。
ノア君の頬の涙を拭って、彼の顔を覗き込んだ。
「ノア君……聞いて? 私も、お別れをしたことがあるから、悲しい気持ちはわかるよ。でも……私とノア君は、一生お別れするわけじゃない。絶対絶対、また会えるから」
「……ほんと?」
潤んだ瞳で私を見上げる。
私は力強く頷き返した。
「うん、絶対本当! だから、その時はまた私と遊んでくれる? 私、ノア君と遊びたいなぁ……」
「うんっいいよ! ぼくも、ユキコと遊びたいもん!」
赤い目のまま、花が咲いたように可愛らしく笑う。私も笑って、「約束ね!」と小指を絡め合った。
やっと泣き止んだノア君は、こてんと不思議そうに首を傾げる。
「……ねえ、ユキコ。さっきのおじさんは、だれだったの?」
……おじさん?
それって……もしや、ディーンのこと!?
ブッと噴き出して、笑いが止まらなくなってしまった。このぐらいの年の子からしたら、おじさんと呼ばれても仕方がないか。
「あっ、あのおじさんはっ……私の、大事な人かなっ……」
笑いすぎて震えながらも、なんとか言葉を絞り出す。ノア君はなんとも言えない顔をした後で、ぷっと頬を膨らませた。
「……ユキコの、好きなひと?」
不機嫌そうなノア君の言葉に、ぱちくりと目を瞬かせる。うーん、誤魔化してもいいけれど……。
「……そうだね。私の、大好きな人だよ」
改めて口に出すと、ちょっと照れくさい。
ノア君はむうぅと口を尖らせると、ぎゅっと私に抱き着いた。
「なら、ぼくはキライ。次に遊ぶときは、あのおじさんはおいてきてね?」
ヤキモチのような台詞に顔が緩む。
「了解です。あのおじさんは置いてきます」
ノア君を抱き締め返して、もう一度指切りする。
部屋から出る時、ノア君は泣き笑いの顔で手を振ってくれた。
◇
「ねえ、ディーン。そういえば、私の服ってどこにあるの? ついでにムンクさんも」
なにせ私の荷物はゼロである。
マイカちゃんのロケットペンダントだけは戻ってきたけれど。
「……ん? ああ、荷物は近くの支部に預けてある。マイカから俺の剣も受け取らないとな」
なんとなくうわの空で返事された。
ちょっと待たせすぎたかな?
「……いたぁっ! ディーン!」
廊下の向こうから、ルークさんが走ってくる。慌てふためいている様子に、ディーンと顔を見合わせた。
「すまんっ。ちょっと……状況が、変わっちまった。──ユキコちゃん。君に、軍から召喚命令が出た」
耳慣れない言葉に、一瞬思考が停止する。
召喚って。
呼び出されたってこと……?
ディーンが険しい顔をする。
「なんで、わざわざユキが。誘拐の件で事後処理があるなら、あの誘拐犯で監禁犯の、変態公爵がやればいいんだ」
「…………」
変態が、変態を変態呼ばわりしている……。
遠い目をしていると、ルークさんが激しく首を横に振る。その顔はひどく強ばっていた。
「……違う。誘拐の件じゃないんだ」
ごくりと唾を飲み込み、私に視線を移す。
「黒花の、種の件だそうだ。オレらに同行してた軍人の一人が、隣町の支部勤務だったんだが……種の色が変わるのを見て、独断で上に報告したらしい」
種の件……忘れてた!
そういえば、黒花から助けてもらった後。
屋敷には向かわずに、隣町の支部へ向かった軍人さんがいたはずだ。
ディーンは訝しそうに眉をひそめた。
「黒花の種……? 色が、なんだって?」
「オレも見てなかったからわかんねぇよ。マイカは見てたらしいけど、召喚って聞いてあいつも怒ってたな……」
ルークさんの言葉に、焦ってディーンの腕を引っ張った。
「ごめん、いろいろあって忘れてたんだけど! なんでか私が触ったら、種が白くなっちゃったの。……でも、偶然でしょう?」
「白く……? いや、そんな現象は見たことも聞いたこともない」
ディーンは難しい顔で考え込む。
どうしよう……。
一難去って、また一難?
思わず泣き出しそうになっていると、隣の男は顔を上げてきっぱりと頷いた。
「……よし。聞かなかった事にしよう」
「駄目に決まってんだろがっ!? 頼むから、おとなしく応じてくれ! 別に罪に問われてるわけじゃないんだから」
なあ、ユキコちゃん!?
ルークさんまで泣き出しそうになっている。ちょっと不憫かも……。
「……そういうこと。ごめんね、ユッキー。悪いんだけど付き合ってくれる?」
マイカちゃんが疲れた顔をしながら、こちらに向かってくる。
もう一度ディーンと顔を見合わせると、ディーンは渋々頷いた。私はマイカちゃんに向き直る。
「うん、わかった。マイカちゃんたちにはすごくお世話になったし、ちょっと付き合うぐらい大丈夫だよ」
明るく言うと、マイカちゃんはかぶりを振った。
「ちょっと、じゃないと思う。支部で対応できる話じゃないから、おそらく軍本部に向かうことになるわ」
「本部?」
──ってどこにあるの?
首を傾げていると、ディーンががっくりとうなだれる。
「……王都か」
うめくように、つぶやいた。
「もおぉっ、充分洗ったよ!?」
「まだだ。悪いモノが残っているかもしれない」
どんだけ強力なバイ菌なんだよ!?
ぶつぶつ文句を言いつつ、さらに洗う。やっと許されたころには、手がしびれて指の感覚が無くなった。真っ赤になっちゃったじゃん!
「……よし。出発するか」
私の手を大きな手で包み込んで温めながら、ディーンが満足げに言う。げんなりしていた私も飛びつくように頷きかけ、慌てて首を振った。
「待って! ノア君に、お別れの挨拶をしないと」
「……ああ。それがあったか……」
嫌な顔をしながらも、男は仕方なさそうに頷いた。子どもには弱いらしい。
二人でノア君の部屋へと向かう。
「──ユキコ! 病気よくなったの!?……それ、だぁれ?」
扉を開けてくれたノア君が、ディーンを見て怯えたように後ずさった。男はひとつ頷くと、心得たように一歩下がる。
「ユキ。俺は部屋の外で待ってる」
申し訳なく思いつつも、私ひとりで部屋に入った。ノア君が私に抱き着いてくる。
「ノア君。お父さん、もうすぐお仕事終わるみたいだから。ずっとお留守番してて偉かったね?」
頭をぽんぽん撫でながら言うと、ノア君はぱっと顔を上げた。くすぐったそうに笑う。
「へーきだよ! ユキコも元気になったし。また、いっぱい遊べるよね?」
その嬉しそうな顔に、言葉を失った。
しゃがんでノア君の肩に手を置き、目線を合わせる。
「……ノア君、私ね? ここから、出て行くことになったの。だから、しばらく遊べなくなっちゃうの……」
ノア君が屋敷から出られるようになれば、どこかで会うことができるかもしれない。でも、それはまだ先の話だろう。
ノア君は驚いたように目を見開くと、ぽろぽろと泣き出した。
「やだっ! ユキコまで、いなくなっちゃうの?──母様みたいに!」
「…………」
絶句して、声を上げて泣くノア君を見つめることしかできなかった。私は大馬鹿者だ。……こうなることは、わかっていたのに。
それでも、私に伝えられる言葉はあるはず。
ノア君の頬の涙を拭って、彼の顔を覗き込んだ。
「ノア君……聞いて? 私も、お別れをしたことがあるから、悲しい気持ちはわかるよ。でも……私とノア君は、一生お別れするわけじゃない。絶対絶対、また会えるから」
「……ほんと?」
潤んだ瞳で私を見上げる。
私は力強く頷き返した。
「うん、絶対本当! だから、その時はまた私と遊んでくれる? 私、ノア君と遊びたいなぁ……」
「うんっいいよ! ぼくも、ユキコと遊びたいもん!」
赤い目のまま、花が咲いたように可愛らしく笑う。私も笑って、「約束ね!」と小指を絡め合った。
やっと泣き止んだノア君は、こてんと不思議そうに首を傾げる。
「……ねえ、ユキコ。さっきのおじさんは、だれだったの?」
……おじさん?
それって……もしや、ディーンのこと!?
ブッと噴き出して、笑いが止まらなくなってしまった。このぐらいの年の子からしたら、おじさんと呼ばれても仕方がないか。
「あっ、あのおじさんはっ……私の、大事な人かなっ……」
笑いすぎて震えながらも、なんとか言葉を絞り出す。ノア君はなんとも言えない顔をした後で、ぷっと頬を膨らませた。
「……ユキコの、好きなひと?」
不機嫌そうなノア君の言葉に、ぱちくりと目を瞬かせる。うーん、誤魔化してもいいけれど……。
「……そうだね。私の、大好きな人だよ」
改めて口に出すと、ちょっと照れくさい。
ノア君はむうぅと口を尖らせると、ぎゅっと私に抱き着いた。
「なら、ぼくはキライ。次に遊ぶときは、あのおじさんはおいてきてね?」
ヤキモチのような台詞に顔が緩む。
「了解です。あのおじさんは置いてきます」
ノア君を抱き締め返して、もう一度指切りする。
部屋から出る時、ノア君は泣き笑いの顔で手を振ってくれた。
◇
「ねえ、ディーン。そういえば、私の服ってどこにあるの? ついでにムンクさんも」
なにせ私の荷物はゼロである。
マイカちゃんのロケットペンダントだけは戻ってきたけれど。
「……ん? ああ、荷物は近くの支部に預けてある。マイカから俺の剣も受け取らないとな」
なんとなくうわの空で返事された。
ちょっと待たせすぎたかな?
「……いたぁっ! ディーン!」
廊下の向こうから、ルークさんが走ってくる。慌てふためいている様子に、ディーンと顔を見合わせた。
「すまんっ。ちょっと……状況が、変わっちまった。──ユキコちゃん。君に、軍から召喚命令が出た」
耳慣れない言葉に、一瞬思考が停止する。
召喚って。
呼び出されたってこと……?
ディーンが険しい顔をする。
「なんで、わざわざユキが。誘拐の件で事後処理があるなら、あの誘拐犯で監禁犯の、変態公爵がやればいいんだ」
「…………」
変態が、変態を変態呼ばわりしている……。
遠い目をしていると、ルークさんが激しく首を横に振る。その顔はひどく強ばっていた。
「……違う。誘拐の件じゃないんだ」
ごくりと唾を飲み込み、私に視線を移す。
「黒花の、種の件だそうだ。オレらに同行してた軍人の一人が、隣町の支部勤務だったんだが……種の色が変わるのを見て、独断で上に報告したらしい」
種の件……忘れてた!
そういえば、黒花から助けてもらった後。
屋敷には向かわずに、隣町の支部へ向かった軍人さんがいたはずだ。
ディーンは訝しそうに眉をひそめた。
「黒花の種……? 色が、なんだって?」
「オレも見てなかったからわかんねぇよ。マイカは見てたらしいけど、召喚って聞いてあいつも怒ってたな……」
ルークさんの言葉に、焦ってディーンの腕を引っ張った。
「ごめん、いろいろあって忘れてたんだけど! なんでか私が触ったら、種が白くなっちゃったの。……でも、偶然でしょう?」
「白く……? いや、そんな現象は見たことも聞いたこともない」
ディーンは難しい顔で考え込む。
どうしよう……。
一難去って、また一難?
思わず泣き出しそうになっていると、隣の男は顔を上げてきっぱりと頷いた。
「……よし。聞かなかった事にしよう」
「駄目に決まってんだろがっ!? 頼むから、おとなしく応じてくれ! 別に罪に問われてるわけじゃないんだから」
なあ、ユキコちゃん!?
ルークさんまで泣き出しそうになっている。ちょっと不憫かも……。
「……そういうこと。ごめんね、ユッキー。悪いんだけど付き合ってくれる?」
マイカちゃんが疲れた顔をしながら、こちらに向かってくる。
もう一度ディーンと顔を見合わせると、ディーンは渋々頷いた。私はマイカちゃんに向き直る。
「うん、わかった。マイカちゃんたちにはすごくお世話になったし、ちょっと付き合うぐらい大丈夫だよ」
明るく言うと、マイカちゃんはかぶりを振った。
「ちょっと、じゃないと思う。支部で対応できる話じゃないから、おそらく軍本部に向かうことになるわ」
「本部?」
──ってどこにあるの?
首を傾げていると、ディーンががっくりとうなだれる。
「……王都か」
うめくように、つぶやいた。
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