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いざ敵地へ!①

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 華やかで美しいドレスに袖を通す瞬間は、いつだって心が浮き立つ。
 どんなアクセサリーや髪型で引き立てればいいかしら、と無意識に頭を働かせてしまう。

 ――たとえそれが、宿敵から送られたドレスであるとしても、だ。

「仕方ないわね。お洒落は正義だし、ドレスに罪はないもの」

 ライナーから贈られた、エメラルドグリーンの光沢のあるドレス。
 室内の明かりを弾いてきらきらと輝くそれを眺め、私は重苦しくため息をついた。

 背後のアレンも苦笑して、鏡越しに私の顔を覗き込む。

「礼儀として着ないわけにもいきませんからね。……何せ今夜のパーティは、ライナー殿下の帰国を祝って開かれるのですから」

 そうなのだ。
 今夜の主役はライナーで、となると彼から貰った高価なドレスを招待客にも披露して、感謝の意を示さなければならない。

 ライナーの帰国は、お父様を始めとした王侯貴族に大歓迎されていた。
 ライナー自身も帰国早々から精力的に挨拶回りをして、着実に支持を増やしているらしい。

「お父様はライナーを責任者にして、王立病院の改革をしたいんだとおっしゃっていたわ。それが実現すれば、ライナーが城内にいることは少なくなるんでしょうけど」

「姿が見えなければ見えないで不安ですがね。……くれぐれも油断しないでください、主。何せ、あの男はとんでもない野心家だ」

 アレンが皮肉げに唇を歪める。

 私にはその意見に同意できるだけの確証がなく、ただ曖昧に頷いた。

(……そうね。ライナーが野心家かどうかはわからないけれど……)

 油断できない相手だということは、わかる。

 隙あらば私を引きずり下ろそうとするような、狡猾で嫌らしい光を宿した瞳。
 耳触りがいいように見せかけた、棘のある言葉。

 思い出すだけでイラッとして、私まで唇がひん曲がってしまう。
 アレンがくくっと含み笑いした。

「主。笑顔、笑顔。あなたの高笑いは世界を救います」

「当然よ、ホーッホホホホホ!!」

 のけぞって笑い、「よし!」とヒールの音も高らかに振り返る。

「いざ敵地へ出発よ! アレンも準備はいいわね!?」

「もちろんです、我が主」

 品のいい黒の礼服をまとったアレンが、うやうやしく手を差し伸べた。


 ◇


 パーティはつつがなく進んでいく。

 さすが主役だけあって、ライナーの周りには常にたくさんの人が群がっていた。これ幸いと私は彼から距離を取り、アレンを従えて豪華な広間を渡り歩く。

「おお、リディア殿下! 本日は一段と華やかでいらっしゃいますな!」

「本当に。素敵ですわ、特にそちらの……」

 貫禄ある高位貴族の男性の隣で、妻がうっとりとした視線を私に向けた。
 近くにいた令嬢達も、我先にと私に寄ってくる。

「殿下、とても素晴らしいですわ!」

「ああ、まるで可憐な妖精のよう……!」

 決して世辞ではないのは、彼女達の羨ましそうな顔が証明していた。
 私はにっこりと微笑み、「ありがとう」と慎ましく礼を言う。

「こちらはね、実は――」

「リディア!」

 歌うように名を呼ばれ、私達は一斉に振り返った。
 背後に信奉者達を従えて、ライナーが自信に満ちた足取りで歩み寄ってくるところだった。

 私を囲んでいた人々も顔を明るくし、「ライナー殿下!」と丁寧に礼を取る。

「ちょうど今、リディア殿下にお話を伺っているところだったんですの。リディア殿下はいつだって素晴らしい装いをされていらっしゃいますが、今日はいっそ神秘的とも言えるお美しさで」

「ええ、ええ。わたくし、自分の派手派手しい宝石が恥ずかしくなってしまったぐらい」

「わたくしもですわ! だって本当に素敵なんですもの、リディア殿下の――」

 ライナーが控えめに微笑んだ。

 このドレスを贈ったのが自分だとは口に出さない。私が自分から紹介し、ライナーのセンスを褒め称えるのを待っているのだ。

 女性達は顔を見合わせ、深く頷き合った。

「――その髪飾り!」

「……は?」

 ライナーが呆けたように目を丸くする。

 他の男性陣も不可解そうに眉をひそめた。

「いやお前、素晴らしいのはドレスじゃないのか?」

 紳士が妻に問い掛けると、妻はきっぱりと首を横に振った。

「もちろん申し上げるまでもなく、リディア殿下のドレスはいつだって素晴らしいですわ。ですがそれ以上に、わたくし達が感銘を受けたのが」

「真っ白で清楚な花の髪飾り! もしや、そちらは細工物ではなく……?」

「ええ。こちらは正真正銘の生花ですの」

 悠然と答えると、女性達はきゃあっと華やいだ声を上げた。
 茫然とするライナーを横目に、私は髪が皆によく見えるよう体勢を変える。

 黄金の髪は半分だけ結い上げ、残りは背中にたっぷりと流している。
 複雑に結われた髪を飾るのは、一輪の豪華な白い花。周りを囲む小花も全て白で統一した。

「これらは全部、城の庭園で育てている花ですのよ。生花と聞くと皆様、しおれるのではないかと心配になってしまいませんか?」

「ええ!」

 食い入るように身を乗り出す彼女達に、私は秘密めかして声を落とす。

「色々と試した結果、花によってが違うのを発見しましたの。今日わたくしが身に着けている花は、明日のこの時間まで美しく咲いておりましてよ」

「まああ!」

「素敵……! わたくしも早速試してみますわ! 花ならば我が家にも咲いておりますもの!」

 きゃあきゃあ盛り上がる女性達を、男性陣は苦笑して眺めている。
 貴族の邸宅には例外なく庭園があるものだし、高価な宝石をねだられるより格段に安くつく。いや花とはアクセサリー代わりにも使えるのですな、などと会話が弾んでいた。

 私はこっそりアレンと笑い合う。

(よかった……!)

 最初にライナーから贈られたドレスを試着した時、あまりに豪華すぎて頭を抱えてしまったのだ。
 この上大ぶりの宝石でも身に着けようものなら、これまで私の築き上げてきたファッションが台無しになってしまう。

『いっそネックレス類は省き、髪飾りだけにするとか?』

 アレンの提案に、私はうめきながら頷いた。

『そうね。でも髪飾りまで地味に抑えてしまったら、完全に派手なドレスに負けてしまうわ……』

 そうして思いついたのが、生花で髪を飾る、というアイデアだったのだ。
 孤児院で子供達と遊ぶ機会の多い私は、女の子達が野の花でアクセサリーを作るのを何度も見た。花の指輪に、花かんむり。

 一度方針が定まってしまえば、後は早かった。

 庭師や手先が器用な侍女にも協力してもらい、思いのほか良い物が出来上がった。

「永遠に輝く宝石ももちろん素晴らしいものですが、たまにはこういった趣向も素敵でしょう?」

「ええ、本当に!!」

 勢い込んで頷く女性達に、私はいたずらっぽくウインクした。
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