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現世と幽世
第92話「光の輪」
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長い時間が経ったような、そうでもないような不思議な感覚に襲われていた。暗闇に永遠に居続けると人はおかしくなると言うが、何故だろうかと心乃香は言い知れない不安の中で考えていた。
まず、暗闇では視覚刺激が極端に減少し、脳が情報を処理する能力に影響を与えることが一因だろう。また暗闇にいると視覚以外の感覚が敏感になり、聴覚や触覚が増幅される。これにより人は恐怖や不安を感じやすくなり、心理的な影響が現れるのだろう。今は人ではないのにと、心乃香はフッと微笑んだ。
見た目はこんなになってしまったが、自分はやっぱりちっぽけでくだらない人間だ。それがこの不安と恐怖で思い知らされる。本当に身も心も白熊だったら、こんな気持ちにはならないだろう。
でも今は戻りたい。
こんな風に考える時がくるなんて、心乃香は思いもしていなかった。何故?
それはこの肩に乗っている八神斗哉のせいだ。何とも思ってなかったのに、大嫌いになって、いつの間にか心の大事な部分に居座っている。戻れなくても良かったのに。気が付いたら一緒に帰りたくなっていた。本当にずるい男だと黒猫になった斗哉を、心乃香はそっと撫でた。その時、心乃香は目の前に漂うクロの魂の炎がわずかに揺らぐのを見た。先程よりも脆弱になっている。めいいっぱい必死に輝いているように感じた。
(……お願い、もう少しだけ頑張って。永遠にだって歩き続けるから。私も諦めない)
心乃香の瞳に覚悟の炎が宿った。
***
ふわっと前方に綿毛のような光が見えてきた。心乃香の肩に乗っていた斗哉は、身軽にクルッと地面に着地し、前方の光に向かって走り出す。本当に現金なやつと、心乃香もつられて走り出した。
光のトンネルを潜ると、そこは竹林の中だった。青臭い竹の香りがあたりに漂っている。体が軽い。重量を感じない。
あたりには黒猫も蒼い炎も見当たらない。トンネルを抜ける時、逸れてしまったのかと、心乃香はいい知れない不安に襲われた。
「八神、クロ、どこなのっ」
心乃香は叫び声を上げて、その自分の声に心臓が飛び跳ねた。高い声。白熊の時の声ではない。慌てて自分の両手を確認する。人の手だ。両腕で自分の体を抱え込む。人の体だ。頬や頭を触ってみる。人の頭部だ。
どうやらよく知っている、自分の体に戻ったようだ。痩せ細っていて、見窄らしくて何の愛着もなかったはずの体なのに、今はたまらなく愛おしい。心乃香は自分の体を抱きしめた。
『如月、良かった、戻ったんだっ』
心乃香の頭の周りを透けた白い炎が、ぐるぐると飛び回る。
「八神? また魂に戻っちゃったの?」
『そうみたいだ。暗闇から抜けたら、こうなってた』
「クロは?」
「こっちだよっ」
竹林の向こうから、高く澄んだ声が突き抜けてくる。黒猫がこっちこっちと手招きしている。
「もう夜が明ける、時間がないっ、走って!」
心乃香はその声に突き動かされるまま、人間に戻った足に力を込め、地面を蹴ってクロのいる方に走り出した。斗哉の魂も心乃香の後を追う。
全力疾走。
今まで生きてきて、こんなにがむしゃらに走ったことはない。いつだって力を温存し、本気になったことなどない。本気になったって、自分には何も変えられない成し得ないと、心乃香は生きてきた。弱者は何も変えることなど出来ないと。哀れな弱者は、必死になるだけ無駄だと。
無駄かもしれない。間に合わないかもしれない。でも今ここで走らなかったら、一生後悔する。弱者が世界を変えられないなんて誰が決めた? 決めつけてたのは自分自身だ。自分を弱者と決めつけてたのは自分自身だ。
弱者なんかじゃない。自分は「如月心乃香」以外の何者でもないと、心乃香は心に刻んで懸命に走った。
心乃香と斗哉の魂が近づくのを見計らうと、クロは大きく息を吸い込みグッと体に力を込めた。その瞬間クロの体は金色に光だし、大きな輪っかに変形した。
心乃香はこの輪に見覚えがあった。「茅の輪」だ。参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願すると言われている。
この輪の向こうに帰るべき場所がある。心乃香は直感でそう感じ、迷うことなくその輪の中に飛び込んだ。
輪の中は光で溢れており、温かさと優しさが心乃香たちの身を包む。
(やっぱり幽世まで行って良かった。今度は会えて良かった。諦めないで良かった。……じゃあね)
クロの言葉が鋭く心を引っ掻く。心乃香が言葉を発する前に、光は消えて、心乃香と斗哉の魂は薄暗い空間に放り出された。鬱蒼と茂る林の中、ポツンと古びたお堂がある。このお堂には見覚えがある。
帰ってきたのだ、あの神社に――
つづく
まず、暗闇では視覚刺激が極端に減少し、脳が情報を処理する能力に影響を与えることが一因だろう。また暗闇にいると視覚以外の感覚が敏感になり、聴覚や触覚が増幅される。これにより人は恐怖や不安を感じやすくなり、心理的な影響が現れるのだろう。今は人ではないのにと、心乃香はフッと微笑んだ。
見た目はこんなになってしまったが、自分はやっぱりちっぽけでくだらない人間だ。それがこの不安と恐怖で思い知らされる。本当に身も心も白熊だったら、こんな気持ちにはならないだろう。
でも今は戻りたい。
こんな風に考える時がくるなんて、心乃香は思いもしていなかった。何故?
それはこの肩に乗っている八神斗哉のせいだ。何とも思ってなかったのに、大嫌いになって、いつの間にか心の大事な部分に居座っている。戻れなくても良かったのに。気が付いたら一緒に帰りたくなっていた。本当にずるい男だと黒猫になった斗哉を、心乃香はそっと撫でた。その時、心乃香は目の前に漂うクロの魂の炎がわずかに揺らぐのを見た。先程よりも脆弱になっている。めいいっぱい必死に輝いているように感じた。
(……お願い、もう少しだけ頑張って。永遠にだって歩き続けるから。私も諦めない)
心乃香の瞳に覚悟の炎が宿った。
***
ふわっと前方に綿毛のような光が見えてきた。心乃香の肩に乗っていた斗哉は、身軽にクルッと地面に着地し、前方の光に向かって走り出す。本当に現金なやつと、心乃香もつられて走り出した。
光のトンネルを潜ると、そこは竹林の中だった。青臭い竹の香りがあたりに漂っている。体が軽い。重量を感じない。
あたりには黒猫も蒼い炎も見当たらない。トンネルを抜ける時、逸れてしまったのかと、心乃香はいい知れない不安に襲われた。
「八神、クロ、どこなのっ」
心乃香は叫び声を上げて、その自分の声に心臓が飛び跳ねた。高い声。白熊の時の声ではない。慌てて自分の両手を確認する。人の手だ。両腕で自分の体を抱え込む。人の体だ。頬や頭を触ってみる。人の頭部だ。
どうやらよく知っている、自分の体に戻ったようだ。痩せ細っていて、見窄らしくて何の愛着もなかったはずの体なのに、今はたまらなく愛おしい。心乃香は自分の体を抱きしめた。
『如月、良かった、戻ったんだっ』
心乃香の頭の周りを透けた白い炎が、ぐるぐると飛び回る。
「八神? また魂に戻っちゃったの?」
『そうみたいだ。暗闇から抜けたら、こうなってた』
「クロは?」
「こっちだよっ」
竹林の向こうから、高く澄んだ声が突き抜けてくる。黒猫がこっちこっちと手招きしている。
「もう夜が明ける、時間がないっ、走って!」
心乃香はその声に突き動かされるまま、人間に戻った足に力を込め、地面を蹴ってクロのいる方に走り出した。斗哉の魂も心乃香の後を追う。
全力疾走。
今まで生きてきて、こんなにがむしゃらに走ったことはない。いつだって力を温存し、本気になったことなどない。本気になったって、自分には何も変えられない成し得ないと、心乃香は生きてきた。弱者は何も変えることなど出来ないと。哀れな弱者は、必死になるだけ無駄だと。
無駄かもしれない。間に合わないかもしれない。でも今ここで走らなかったら、一生後悔する。弱者が世界を変えられないなんて誰が決めた? 決めつけてたのは自分自身だ。自分を弱者と決めつけてたのは自分自身だ。
弱者なんかじゃない。自分は「如月心乃香」以外の何者でもないと、心乃香は心に刻んで懸命に走った。
心乃香と斗哉の魂が近づくのを見計らうと、クロは大きく息を吸い込みグッと体に力を込めた。その瞬間クロの体は金色に光だし、大きな輪っかに変形した。
心乃香はこの輪に見覚えがあった。「茅の輪」だ。参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願すると言われている。
この輪の向こうに帰るべき場所がある。心乃香は直感でそう感じ、迷うことなくその輪の中に飛び込んだ。
輪の中は光で溢れており、温かさと優しさが心乃香たちの身を包む。
(やっぱり幽世まで行って良かった。今度は会えて良かった。諦めないで良かった。……じゃあね)
クロの言葉が鋭く心を引っ掻く。心乃香が言葉を発する前に、光は消えて、心乃香と斗哉の魂は薄暗い空間に放り出された。鬱蒼と茂る林の中、ポツンと古びたお堂がある。このお堂には見覚えがある。
帰ってきたのだ、あの神社に――
つづく
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