三度目の庄司

西原衣都

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4 理想の家族

第6話

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 万が一の事を考え、私は服に見えるような水着を買った。水色に淡い黄色の花柄のものだ。向希も特に何も言わなかった。

 無反応なことにはホッとしたが、腹立たしくもあった。私は動揺したのに、向希は平気なのだ。高校生の男子たるもの、女子の水着売り場に平気で来るとはなんたること。

「有ちゃん、あと何か見る?」
「えー、特にないけど。向ちゃんは?」
「俺はシャーペンの芯」
「あ、うん。文房具見に行こ」

 私は、久しく文字なんて書いていなかった。

 文房具売り場へ向かう途中、ふと思い出したことがあった。

「そういえば、向ちゃんは昔からやたらと消しゴムとかペンの消費早かったね。勤勉だよね~」
 向希は微妙な顔をしていて、それがなぜだかわからなかった。
「どうしたの?」
「文房具、盗られたんだ」
「え!? 向ちゃん虐められてたの?」
「いや。何か俺の私物持っときたいとか、持ってたら両思いになれるとか。直接くれって言うやつだけじゃなくて、勝手に持っていくやつもいて。教科書とかもそう。俺に話しかける口実として盗っておいて、『これ、庄司くんのじゃない? 落ちてたよ』って言ってくんの。悪いけど、教科書なんて落とさない。人間不信だよ。隠し撮りもされるしな」
「……怖いー」
「同じの買って自分のとすり替えるというパターンもあったな。高校入ってからはさすがに盗られることはないけどな。とにかく、モテるのも大変」

 大変だ。だけど、好きな人の物を持っておくと両思いになれるだなんて、馬鹿げたジンクスもあるもんだ。

「モテるって大変なんだね。盗む勇気があれば告白したらいいのにね」
「なあ。何か変な黒魔術でもかけられてそうで嫌」
「うっわぁ。気持ち的に嫌だね。良かったあ、私は相手が普通の人で」

 向希が立ち止まり、パチパチと二、三度長い睫毛を打ち合わせた。

「私は……って?」
「え、だから私の相手」
「……俺、じゃないよね。告白された相手ってこと?」
「うん、そう。私の場合は付き合ったからそんな不穏なことはなかったよ」

 向希は瞬きを忘れてしまったように目を見開いた。

「付き合った」
「そうだよ。私だって何人か彼氏くらいいたよ」
「何人か」
「あはは。向ちゃん繰り返してるだけじゃん」

 私は向希の背中を押して歩き始めた。文房具売り場に着いても、向希はシャーペンの芯の前でボーッとしている。HBの0.5にそんなに選択肢はないだろうに。

「向ちゃん?」
「あ、ああ。買ってくる」

 向希は日傘を持つのも忘れてレジへ向かってしまった。日傘は私の手に戻ってきてしまった。

 店のテープだけ貼られたシャーペンの芯は失くす前に私の鞄へと引き取った。

「向ちゃん、もしかして、ショック受けてんの?」
 向希はムッとした顔で私を睨んだ。そして、思い直すようにため息を吐くと

「有ちゃんは俺の告白を何だと思ってんの」

 咎めるような口振りだった。

「信じられない気持ちもある。信じてないわけじゃないんだけど」
「俺が有ちゃんを好きになったきっかけのこと? 有ちゃんと結婚したら、家族の結び付きを強固に出来るんじゃないかって思ったからだって、有ちゃんは思ってるんだよね」
「うん、そう。卑屈で言ってるわけじゃなくて、他にもいっぱい女の子がいて、妹だった子を恋愛対象に見れる?」
「有ちゃんは、人を好きになる理由ってあると思う?」
「うーん、告白されて気になりはじめたり、優しくされたり、意外な一面を知ったり……色々あると思う。明確な理由がない場合もあるんじゃない? 気づけば好きだった、みたいな」

 向希は話が長くなると思ったのか、じっくり話したかったのか、ちょいっとベンチの方を指差すとそちらへ向かって歩いて行った。

 ドカッと腰を下ろすと、横のスペースをポンポン叩き私にも座るように促した。

「そうだね。人それぞれで、有ちゃんの言うとおり、俺は有ちゃんと結婚したら~って思ったかもしれない。でもそれがきっかけでもよくない? 特殊なきっかけだけど、最終形態は同じ『好き』なんだし。だいたい、俺が有ちゃんを好きになったことに後ろめたいことなんてないし」
 確かに、きっかけとしては特殊だけど悪いことしているわけではないか。

「いや、もちろん責めてるわけじゃなくて、あまりにも向ちゃんが普通で、それでつい。無神経でした、ごめんなさい」
 向希はきゅっと眉間に皺を寄せた。

「普通。普通って?」
「水着だよ、水着。もう少し動揺してもよくない? い、妹とは一緒に買いに行かないでしょう?」
「ああ。あの父さんさえ、そそのかされた……」
 向希はさすがにショッピングモールでその言葉を口にするのは憚られたのか“おっぱい”と口パクで言った。不似合いな低俗さに逆に卑猥さが増す。

「ほんと、信じられんない。尊敬できないわ」
「俺は逆。俺は目の前にあっても手を出せてないんだから。手を出した父さんには、オヤジ、尊敬するぜって気持ちもなきにしもあらず。いや、うらやま?」
「最低、最悪」
 目の前って、目の前!
「勇気の質量と目の前の女の子の胸の質量が比例するのかもね」
「ちょおっと!」
 確かに私の質量は微々である。
「ふっはっは。とにかく。お互いを尊重できるならきっかけなんてどうでもいい」
「……うん」
「俺は有ちゃんが好き。平気そうに見えたなら、それはそれで格好悪くなくて良かった」

 向希は、私の日傘を持ちすっくと立ち上がると、「さあ、お昼は何にする?」と先々行ってしまった。

 向希はとても色が白い。だから、すぐに耳が赤くなってしまうのだ。向希の赤くなった耳は私を十分に満足させてくれた。なぁんだ。そっか。
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