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序.例えば、■■
邂逅
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ヒューゴの居場所は常に檻の中だった。檻とはその名の通りのものでこそないが、実感としてはまさしくそうであった。部屋ひとつを移動することさえも許されず、それを監禁と呼ばずに何と言うのだろう。
畳の香りが満ちる空間で、纏った服の長い袖が擦れて音を立てた。それは冗談のような白さをしていて、ずっと婚礼衣装でもあるまいし、と思っていた気がする。
ぼんやりと窓の外──格子越しではあるが──を見下ろしていれば、足音とともに父であるはずの男が姿をあらわした。
「……父上」
「近頃雨が降らぬ」
座ったままのヒューゴに対して、高圧的に見下ろしてくる父の目は、しかし畏怖と忌諱とが滲んでいるような。
雨が降らないということは、神に願わなくてはならないということである。ずっと、ずっと昔から、この島はそうやって回っていた。それをわからないはずもなかったから、諾々とそれを受け入れる。
「承知致しました」
「励めよ──そなたの価値など所詮それだけだ」「心得ております」
おまえに価値はないと断じられる日々にも慣れてしまって、特に逆らう理由もないから、低頭してそう言う。
一瞬、ほんとうに一瞬静寂が満ちて──父の足が、腹を蹴り上げてくる。
「ッ、かは、……!」
思わず苦鳴をこぼしていて、しかしそれを何故とも問わない。問うたところで答えは返ってこないからだ。
「ああ、ああ! なぜ、なぜ……!」
ひくい父の呟きが耳に入って、もう一度父に蹴り飛ばされる。ろくに鍛えもしていないからだで受けとめるには重すぎるそれ。さすがに痛みには慣れようがなくて、悲鳴を噛み殺すほかなかった。
姿勢をくずしてしまって、それにさらに苛立ったように父が馬乗りになって殴りつけてくる。
「ッ、あ゛、や……!」
「なぜ、貴様なのだ、なぜ、ッ」
無意識に顔を両腕で覆って、どうにか見えやすい部分に傷跡が付くのは避けようと試みる。暴れても大の大人のちからに勝てるはずもないとわかっているから余計くるしかった。
たすけて、と小さくこぼした声を知るものはない。
ずっと、ヒューゴと会話するとき、きまって父はどこか狂っていた。そんなふうになるなら最早来なくてもいいはずなのに、わざわざ自ら訪れるのも矛盾していて、気が触れているとしか思えない。
なぜと問われたとて、理由などわからないのに。
ただ自分に神性が与えられたというだけだ。神の祝福、あるいは神の視線。それを注がれてしまったからだは決定的に変質していて、たとえば夜毎殴られたとて明日の朝には傷が消えている。
もともと射干玉の色をしていた髪は銀めいた白にかわり、瞳も人ならざる遺灰色にその色をうつしていた。
それに耐えていたころの記憶は曖昧で、時折夢となって思い返せるくらいだが、いまだに恐怖だけは明確におぼえている。
そうして心を磨り減らして、およそ何年経っただろうか。
元々神楽の島は、周囲を海に囲まれているという地理も幸いして、平和なところであった。しかしその年は違ったのだ。
エオス帝国の侵攻である。それ自体は別段違和感のあることではない。むしろいつかは起こり得ることとして想定されることであっただろう。
しかし、それを怠り続けたのも、またヒューゴの父や祖父たちだった。いわく、自分たちには神の加護がある、と。たかが魔性の軍程度なにするものぞ、ということらしい。
現実はそうはならなかった。降伏勧告を突っぱねたとヒューゴが知ったのは後のことだったが、とにかく帝国軍は神楽の島に攻め込み、おそろしい速度でそこを支配下におさめたのである。
父と兄はそれを恥じ、魔性のものに膝を折るくらいならばと自害した。
ヒューゴは粛々とそれを受け入れ――それになにか心を動かすような余裕を、もう持ち合わせていなかった――神楽の島の神権をあずかるものとして、皇帝エレヴィス・エーオースの前へ引き出されたのである。
畳の香りが満ちる空間で、纏った服の長い袖が擦れて音を立てた。それは冗談のような白さをしていて、ずっと婚礼衣装でもあるまいし、と思っていた気がする。
ぼんやりと窓の外──格子越しではあるが──を見下ろしていれば、足音とともに父であるはずの男が姿をあらわした。
「……父上」
「近頃雨が降らぬ」
座ったままのヒューゴに対して、高圧的に見下ろしてくる父の目は、しかし畏怖と忌諱とが滲んでいるような。
雨が降らないということは、神に願わなくてはならないということである。ずっと、ずっと昔から、この島はそうやって回っていた。それをわからないはずもなかったから、諾々とそれを受け入れる。
「承知致しました」
「励めよ──そなたの価値など所詮それだけだ」「心得ております」
おまえに価値はないと断じられる日々にも慣れてしまって、特に逆らう理由もないから、低頭してそう言う。
一瞬、ほんとうに一瞬静寂が満ちて──父の足が、腹を蹴り上げてくる。
「ッ、かは、……!」
思わず苦鳴をこぼしていて、しかしそれを何故とも問わない。問うたところで答えは返ってこないからだ。
「ああ、ああ! なぜ、なぜ……!」
ひくい父の呟きが耳に入って、もう一度父に蹴り飛ばされる。ろくに鍛えもしていないからだで受けとめるには重すぎるそれ。さすがに痛みには慣れようがなくて、悲鳴を噛み殺すほかなかった。
姿勢をくずしてしまって、それにさらに苛立ったように父が馬乗りになって殴りつけてくる。
「ッ、あ゛、や……!」
「なぜ、貴様なのだ、なぜ、ッ」
無意識に顔を両腕で覆って、どうにか見えやすい部分に傷跡が付くのは避けようと試みる。暴れても大の大人のちからに勝てるはずもないとわかっているから余計くるしかった。
たすけて、と小さくこぼした声を知るものはない。
ずっと、ヒューゴと会話するとき、きまって父はどこか狂っていた。そんなふうになるなら最早来なくてもいいはずなのに、わざわざ自ら訪れるのも矛盾していて、気が触れているとしか思えない。
なぜと問われたとて、理由などわからないのに。
ただ自分に神性が与えられたというだけだ。神の祝福、あるいは神の視線。それを注がれてしまったからだは決定的に変質していて、たとえば夜毎殴られたとて明日の朝には傷が消えている。
もともと射干玉の色をしていた髪は銀めいた白にかわり、瞳も人ならざる遺灰色にその色をうつしていた。
それに耐えていたころの記憶は曖昧で、時折夢となって思い返せるくらいだが、いまだに恐怖だけは明確におぼえている。
そうして心を磨り減らして、およそ何年経っただろうか。
元々神楽の島は、周囲を海に囲まれているという地理も幸いして、平和なところであった。しかしその年は違ったのだ。
エオス帝国の侵攻である。それ自体は別段違和感のあることではない。むしろいつかは起こり得ることとして想定されることであっただろう。
しかし、それを怠り続けたのも、またヒューゴの父や祖父たちだった。いわく、自分たちには神の加護がある、と。たかが魔性の軍程度なにするものぞ、ということらしい。
現実はそうはならなかった。降伏勧告を突っぱねたとヒューゴが知ったのは後のことだったが、とにかく帝国軍は神楽の島に攻め込み、おそろしい速度でそこを支配下におさめたのである。
父と兄はそれを恥じ、魔性のものに膝を折るくらいならばと自害した。
ヒューゴは粛々とそれを受け入れ――それになにか心を動かすような余裕を、もう持ち合わせていなかった――神楽の島の神権をあずかるものとして、皇帝エレヴィス・エーオースの前へ引き出されたのである。
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